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アイラ 〜ヒロインとの友情ルート〜

「あれが、アイラ・トゥリズ伯爵令嬢……」


 学園の中庭。満開の桜の木の下、真新しい制服に身を包んだ亜麻色の髪の少女が、佇んでいた。

 くりっとした大きな瞳はヘーゼルナッツカラー。愛らしく、庇護欲をそそる顔立ち。リディアとはタイプの違う美少女だ。


 しかし、周囲の視線はリディアに向けられるものとは別の意味で冷たい。彼女の出自を知っている人々からの、遠巻きの侮蔑。


 トゥリズ伯爵の妾腹の娘。簡単に言えば、愛人との子。これまで市井に身を置いていたが、伯爵の正妻が亡くなったため、彼女は一夜にして伯爵令嬢となった。貴族としての教育も遅れ、礼儀作法も粗い。そんな話が瞬く間に広まっていた。

 SNSもないのに、貴族コミュニティ、恐るべし、とリディアは震える。



 乙女ゲーム『薔薇色の夢』では、彼女こそが、主人公である悪役令嬢リディアのライバルとして君臨する人だ。

 強い心で偏見に立ち向かい、太陽のような笑顔と女神のような慈愛をもって、攻略対象の心の傷や孤独を癒す存在。


 だが今のアイラは……誰とも話さず、桜を眺めながら静かに微笑んでいる。


(なんか……思ってた感じと、違うわね)


 リディアは思わず眉をひそめた。これまでのイベントと少し違う、微妙なズレ。


 リディアはうーん、と唸りつつ、前世の知識を総動員した。



 アイラとの春のイベント発生条件:アイラが1人でいるところで接触する



(ってことは、ここで私が話しかけるフラグよね? うん、行く!)



「ご機嫌よう、トゥリズ伯爵令嬢」


 そっと話しかけたつもりだが、少女はびくりと肩を震わせた。思っていた以上に警戒されたようだ。大きな瞳が不安気に揺れている。


「あ……アルステッド侯爵令嬢。えっと…ご機嫌麗しゅう……」


「ふふっ、学園の中だもの。そんなに堅苦しくしないで。リディアでいいわ」


「え、でも……皆さんが、貴族の礼儀としては……って……」


 あたふたするアイラの姿が愛らしくて、リディアの口角が自然と上がる。


「いいのよ、私もアイラ様と呼んでいいかしら? よかったら、ちょっとお話ししない?」


「あ……、はいっ!」


 リディアがアイラの可愛らしさに和んでいると、中庭の向こうから女生徒の歓声が聞こえてきた。

 目をやると、王太子レオナルドが側近とともに中庭を通過している。相変わらずの王太子オーラが目に眩しい。前のリディアだったらここですかさずレオナルドにくっついて、皆の注目の的になろうとしていた場面だ。


(そんな地雷、絶対に踏まないけどね!)


 レオナルドたちがリディアたちの前を通過する際、リディアは恭しく頭を下げた。アイラも慌ててそれに倣う。

 レオナルドは少し驚いたような顔をしたが、ふっと笑うとそのまま何も言わずに通り過ぎていった。



 ふと、リディアは思った。


(あれ? これって、アイラと攻略対象が出会うシーンになる……?)


 そっとアイラの表情をうかがうリディア。アイラはレオナルドが去った方に顔を向けている。


(やっぱり、気になる?)


 しかし彼女は、のんびりとした口調で言った。


「すごく気品のある方ですねー。あの……有名な方、なんですか?」


 一瞬、何を言われたかわからなかった。


「え、いや、ちょ、アイラ様? 王太子殿下ですよ! 始業式に! 壇上で! 挨拶していた!」


(そしてあなたが恋に落ちるかもしれない相手よ!?)


「ええっ! あの方が!? すみません、私の席からは遠くてお顔もよく見えなかったので……」


 心底驚いた顔をするアイラに、リディアは内心頭を抱えた。


(この子、攻略対象に……興味ない……の?)


 リディアの知っているゲームの世界観が、ぐらりと揺らいだ。



 とりあえず攻略対象の件は後回しね、と気を取り直す。


「じゃ、じゃあ、せっかくだから、カフェテリアでお茶でもしましょう」


 そう言うとアイラの顔がパッと輝いた。


「ありがとうございます!! 私、学園でなかなかお話する方がいなくて……。嬉しいです!」


 感情を素直に出すアイラにリディアは思わずキュンとしてしまった。


***


 カフェテリアでは2人ともローズティーブレンドを頼んだ。いい香りが立ち上り、自然と会話も弾む。

 アイラは貴族らしい話し方もまだぎこちなかったが、丁寧に言葉を選んで話そうとしてくれるのがわかった。


「学園や貴族社会には慣れました?」

「まだまだですね……。伯爵家でマナーや、立ち居振る舞いを毎日学んでいるんですが……。リディア様の所作はとてもキレイですよね。憧れます」


(まぁ、それは転生チートってやつよね)


 一口お茶を飲んで会話を続ける。


「何か好きなことはありますの?」


「そうですね……。市井にいた頃は毎日仕事で特に趣味というものも……。あぁ、でも、空というか、星を見るのは好きでした。“星詠み”という貴族の教養がありますよね。それは学ぶのが楽しいです」


「星詠みは素敵よね。私も好きよ。あぁ、ちょうどいい本を持っていたわ」


 そう言って、リディアはカバンからお気に入りの星詠みの本を取り出した。興味深そうに眺めるアイラ。話は思っていた以上に盛り上がった。

 ふっと、アイラが遠くを見るような目をして言う。


「市井にいたころは、いつも空が見えました。伯爵家は高い壁があって、部屋にいることも多くて。あまり空を見られない日もあって、少しだけ……寂しいです」


 胸の奥が、きゅ、と音を立てた。ゲームでは語られなかった彼女の背景。画面越しには見えなかった、現実の重さ。

 いきなり世界が変わってしまった戸惑いや息苦しさはなんとなく理解できる。


「寂しいときは、一緒に見ましょう。空でも、星でも、庭でも。私、あなたと話すの、楽しいわ」


 アイラの目が、大きく見開かれた。


「リディア様って、不思議な方ですね……。あっ! 失礼しました!」


「えっ! 謝ることじゃないけど……。何か、変だったかしら?」


「いえ、変、というか……。リディア様って“こういう方”って思ってたのと、全然違ってて。お会いしたこともないのに、おかしいですよね。でも、私も、もっとお話ししたいって思いました」


(もしかしたら、ゲームの“強制力”で悪役令嬢とヒロインは敵対するように、仕向けられていたのかもしれないわね……)


 しかし言葉を重ねるごとに、アイラの笑顔は少しずつ柔らかくなっていった。初めは壁の向こうにいた彼女が、今は近くにいる気がする。


「お話してて思ったんですけど、リディア様と私、好みが似てるのかもしれませんね。なんだか、嬉しいです!」


 ニコッと笑うアイラの顔が可愛くて眩しかった。ゲームの中で「ライバル」とされていた関係が今、少しずつ、友情という形へと変わり始めているような気がした。


(トゥルーエンドのためにもヒロインとの友情は大事! 今のところ、いい感じよね)


 2人の少女の笑顔を春の陽光が包み込んでいた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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