カイル 〜幼馴染とあの頃の私〜
新学期が始まって早々、学園の3年生は毎年恒例の「騎士団公開演習見学会」が催された。
貴族の子息、令嬢が通うこの王立学園では、将来の婚姻や職務の参考のために、騎士団や魔術師団の訓練を特別に見学することができる。いわば、貴族版の就職説明会だ。
(まぁ、今は訓練中の騎士たちを見て令嬢たちが黄色い声を上げるイベントになっている気がするわね……)
リディアは苦笑した。
目の前には整然と並ぶ青年騎士たち。
「始め!」
号令と共に始まったのは、模擬戦。騎士たちが次々に剣を交える中、ひときわ目を引く存在がいた。
銀色の剣を片手に、まるで踊るように戦う1人の騎士。彼が動くだけで、声援が一際大きくなる。無駄のない動き、敵の一手先を読む判断力、そして鋭くも冷静な剣筋。リディアにとっては見慣れた後ろ姿。
銀色の髪に鍛え上げられた背筋、意志の強そうな黒い瞳からは真っ直ぐな視線が相手に向けられている。
剣の名門、エヴァンズ侯爵家の嫡男、カイル・エヴァンズだ。
青年騎士団の団長であり、卒業後は王宮騎士団入りが内定している超エリート。そして、リディアの幼馴染であり、数少ない——いや、おそらく唯一、彼女のわがままに正面から付き合い、なだめ、時には担いで帰った男である。
(昔の私はカイルにずいぶん甘えてたわね……)
どれだけ自分が傍若無人だったか、思い出すだけで胃が痛い。
気に入らないことがあると彼に泣きつき、わがまま放題。剣の訓練中に突然「カイル、あの子を倒して!」と指差したときの彼の絶望した顔……思い出したくもない。
(でも今の私は違う。これ以上、彼の好感度を下げたりしない!)
リディアは目立たぬよう、観客席の1番後ろから、そっと見学していた。
ゲーム内では『前に行く』という選択をしようものなら、前で見ている他の令嬢に対してイチャモンをつける、というイベントが発生したのを覚えていたのだ。
(ほんとに、何が地雷源なんだか……。でも今回は! ぜったいに! 地雷を踏まないんだから!)
……ふと、周囲の視線がこちらに向いているのに気がついた。何かしら、と周りを見渡すと、複数の同級生たちがリディアをチラチラ見ては小声で話していた。
「今日のアルステッド侯爵令嬢、いつもとちょっと違わない?」
「うん。……静か、というか。またエヴァンズ卿に無理難題ふっかけて、引っ掻き回すのかと思ってたけど……」
「でも、何か考えているみたいよ。やっぱり何かしでかす気なんじゃない?」
(やっぱり私、警戒されてる!)
悪役令嬢オーラはなかなか消えないようである。
公開演習が終わり、観客が引き上げ始める。さて、ここからが本番だ。どうやってカイルに声をかけようか……。
そう考えていたときだった。
「リディア?」
後ろから声をかけられ、ビクリと肩を揺らした。
ゆっくりと振り返ると、カイルが見下ろしていた。額には汗が光っている。普段の整った顔が、今日だけはちょっと荒々しく見えた。
リディアは心の中でビシッと敬礼を決めたが、表情は冷静に、にっこりと微笑むだけにとどめる。
(ここで、突撃なんてしてはダメ。過去の自分みたいに、彼の腕に抱きついて「久しぶりね、カイルぅ♡」なんて周囲にこれ見よがしにマウントを取ったら好感度爆下がりは必然。マイナスイベントまっしぐら! ここは丁寧に挨拶、の一択!!)
脳内で高速思考を繰り広げたリディアは、淑女の礼をとった。
「お久しぶりです、カイル卿。……お変わりありませんか? 」
途端にカイルの目が丸くなった。
「いや、まあ……変わりはないけど……。お前、ほんとにリディア…か?」
彼の声には、冗談めいた調子と、どこか困惑が混じっていた。
「何か変かしら?」
「いや……なんか、落ち着いてるっていうか。少し前はもっとこう……嵐みたいだったし。今は、……大人になったっていうか……」
カイルの幼馴染としての容赦ない返答に肩の力が抜けた。彼といると、感覚的に安心できるのだろう。
「失礼ね。もともと私は大人の女性よ?」
「……は?」
この「え、違くね?」みたいな顔は少しひっかかるが、リディアの意識が変わったのは確かだ。
(前まではカイルの優しさを当然だと思っていた。でも今はそうじゃない。ちゃんと彼と向き合いたい。1人の幼馴染として)
「カイル。今日の演武、見事だったわ。剣の一振り、動きの一つ、全てに無駄がなくて……。騎士団の誇りね」
リディアが真剣に褒めると、カイルは目を丸くし、そして照れくさそうに笑った。
「お、おう。ありがとな」
ぎこちない。でも、なんだか少し空気が柔らかかった。
リディアはふと、遠い日の記憶を思い出していた。
風邪をひいた時。具合が悪いことにイラついて、侍女を締め出した自分に、氷嚢を当てながら泣きそうな顔で叱ってくれた彼。
草むらで転んだ時、痛くて泣いた自分を抱えて走ってくれた彼。
わがままを言っても、癇癪を起こしても、許してもらえた。カイルはいつも優しくて真っ直ぐだった。
でも、きっと彼の中で何かが壊れたのは、リディアが周囲の人々を見下して、侯爵家の威光や権力を、さも自分の力のように使い始めてから。レオナルドの婚約者だとふんぞり返り、ジークには頭ごなしに命令し、ルシアンを追いかけまわし……。
(失望させて、ごめんなさい。けれど、もう一度やり直せるのなら。ゆっくりでも、少しずつでも……カイルの中の私を取り戻せたら)
カイルはリディアの姿をじっと見ていた。
美しさも、芯のある立ち居振る舞いも以前のままだ。しかし今、目の前の彼女はここ数年の彼女にはない、静けさを纏っている。
カイルがふっと笑った。
「……うん。やっぱり変わったな。なんだか、昔に戻ったみたいだ」
「昔……?」
「いや、まだ小さい頃さ。純粋で、優しくて、でも頑固で。俺の剣をかっこいいって本気で褒めてくれた、あの頃のリディアに」
「え……?」
「そのままでいてくれたら、俺も嬉しい」
柔らかい春風が2人の間を吹き抜けた。
リディアは目を見開き、少しだけ頬を染めた。
(あれ? 好感度、上がった……?)
騎士たちの訓練が再開するとの声が上がり、カイルもまたな、と笑って仲間の元へ戻っていった。
それは、記憶の中の昔の彼がよく見せた、ちょっと照れくさそうな笑顔と同じだった。
歩いて行く彼の背中に、リディアはそっと心の中で呟いた。
(……ありがとう。もう少しだけ、“あの頃の私”を信じてくれると、嬉しいな)
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