カイル〜帰る場所は君〜(2)
不安しかない日々に待望の知らせが届いた。
が、その内容にリディアは衝撃を受けた。
カイルを含む騎士団一行は王都への帰還中、土砂崩れに遭ったこと。
そして彼は被災者を助ける作業で雨に打たれ、体調を崩して高熱を出していること。
リディアはいてもたってもいられなかった。アーニャと共に馬車に乗り込み、少数の護衛と共に彼のいる街へと急ぐ。
道の左右に木々が迫る峠道。道のりも長く、雨でぬかるんだ悪路だった。
「もう少しで街です、お嬢様」
(お願い、カイル。無事でいて……)
不安と焦燥を押し隠すように、リディアは窓の外を見つめた。しかしその直後だった。
鬱蒼とした森の中で馬車が突然停止する。車体がぎしりと大きく傾いた。そして聞こえてきたのは前を行く護衛の叫び声。
「何事……? まさか……っ!」
リディアが馬車の窓から外を見ると、木陰から現れたのは数人の男たち。短剣や棍棒を手に、明らかに慣れている動き。
容赦なくリディアの乗る馬車を攻撃してきた。
「盗賊……っ。お嬢様、お下がりください!」
アーニャがリディアの前に立ちはだかった。
馬車の扉には内側から鍵がかかっている。しかし、盗賊たちは扉ごと破壊しようと、斧やハンマーを打ちつけてきた。
「こんないい馬車に、しかも護衛付きで乗っている、ってことは貴族だな。いいところの坊ちゃんか嬢ちゃんだろ?」
「売りさばくか、身代金でもたんまりもらうか。どっちにしろ、儲かりそうだなぁ!」
盗賊たちが吠える。そのぞっとする声に、リディアは歯を食いしばった。震える手でアーニャの腕を引き寄せる。
(だめ、ここで何か起こったら……カイルに会えなくなる……)
逃げ場のない緊張が、胸を締めつける。
バキッという鈍い音がして、馬車の扉に亀裂が入った。そのまま力任せにもぎ取られ、盗賊たちの姿が現れる。
「お嬢様、後ろへ!」
アーニャが身を挺してリディアの前に立つ。しかし、次の瞬間。
「チッ、じゃまだっ!」
盗賊の一人が荒々しくアーニャを突き飛ばした。
「アーニャっ!」
リディアが叫ぶ。アーニャの身体は馬車の床に叩きつけられ、呻き声が漏れた。
その隙に、盗賊の腕が伸び、リディアの手首を乱暴に掴んだ。馬車の外に引きずり出される。
「ようやく捕まえたぜ、お姫さま。こりゃあ、最上級の獲物じゃないか。この顔、この身なり。売りさばく前に俺たちの慰み者にしてもいいかもなぁ」
下衆い笑い声が響く。
「触らないでっ!」
リディアは振り払おうとするが、力の差は歴然だった。腕がきしみ、抵抗ができない。
(いや……こんなところで……。カイル……っ)
その時だった。
鋭い風が木々を裂いた。
耳を劈くような馬のいななきが森の奥から響き、空気を裂く蹄の音が近づく。何かが、突風のように駆けてくる。
「なっ……」
盗賊の一人が振り返る。銀光がひとつ、空を切った次の瞬間、その身体は吹き飛ばされ、宙を舞った。
「リディッ!!」
愛しい声が、耳を打った。
「……カイル!」
「隊列展開! 左から回り込んで、取り囲め!」
鋭い指示に、騎士たちが一斉に動き、盗賊たちを包囲する。
その隙を突いて、カイルはリディアの元へと駆け寄った。
「リディ! 怪我はないか?」
「私は無事よ。そうだ! アーニャは?」
「私も……なんとか無事です、お嬢様」
アーニャが身を起こすのを見て、リディアは安堵した。
「よかった……っ」
カイルはリディアの震える手を包んだ。その手首は先ほど掴まれたせいで、赤く痣になっていた。それを目にしたカイルは冷たく鋭く振り返った。
「リディに乱暴をした罪、赦しはしない!」
その動きは、まさに雷光のようだった。
容赦なく、精密な斬撃で、次々と相手の武器を弾き、無力化していく。その目には騎士としての信念と焦燥、そして——愛する人を傷つけられた怒りがあった。
盗賊たちは瞬く間に制圧され、縛り上げられた。
戦いは終わった。
「騎士の皆様はなぜここが?」
アーニャが尋ねる。
「馬車の護衛の1人が街まで盗賊の襲撃を知らせに来てくれたんです」
一人の騎士が答える。
皆の緊張がほっと解けたそのとき——。
「……っ、カイル!? どうしたの!?」
剣を下ろした彼が、ふらりとよろめき、その場に膝をついた。
リディアが慌てて彼を抱き止める。その身体は火のように熱かった。
「……ごめん。ちょーっと、無理……したかも……」
そのまま、カイルの意識が薄れていく。
「カイルっ!」
抱きかかえた腕の中で、彼の呼吸は荒く乱れたままだった。
***
仲間の騎士たちの手を借り、彼は街へと運ばれ、すぐに医師が呼ばれた。
寝台に寝かされた彼は、荒い息を立てながら、熱にうなされていた。
リディアは夜通し側に付き添った。手を握り、濡れた布で額を冷やし、汗を拭いた。
(こんなになってまで、私を助けに来てくれて……。ありがとう、カイル……)
そして夜の闇が薄まってきた頃。
「……リディ?」
弱々しい声に、リディアははっと顔を上げた。
「カイル!」
彼の瞳が細く開いていた。
「……夢かと思った。まさか、本当に……来て、くれたんだな」
「ええ。……でも、どうしてこんなになるまで黙ってたのよ?」
声が震えた。怒りとも、安堵ともつかない想いが、込み上げてくる。
「お前に……カッコ悪いとこ、見せたくなかったんだよ」
カイルはすまなそうに笑った。
リディアは一つ息を吐いた。そして小さく笑う。
「何言ってるのよ。そんなの、子どもの頃からいっぱい見てるわよ」
指を折って、彼との思い出を挙げ連ねる。
「木に登って落ちて、泣いたときでしょ。厨房に忍び込んで、お菓子を落として叱られたときでしょ。あ、領地の森を探検して子イノシシに遭遇して、大慌てで逃げ帰ったことだってあったわよね」
リディアの言葉にカイルの目尻が情けなく下がった。
「うっ……そんなの、よく覚えてるな」
「ふふっ。だって、私の大切な人のことだもの」
リディアが優しく手を握り直すと、カイルの表情がゆるんだ。
「……それでもさ、リディにだけは“ちゃんとした男”でいたかったんだよ。頼れて、守れて、誇れるような」
「十分、そうよ。誰よりも強くて、優しくて、かっこいいわ。……ありがとう。今日も、助けてくれて」
「当たり前だろ。リディのことは一生をかけて守るって決めてるんだから」
静かな部屋の中に、温かいぬくもりが溶けていった。
カイルの熱も落ち着き、体調もずっと穏やかになっていた。
二人は手を繋いで、街の高台へと足を運ぶ。冷たい朝の風が、少しだけ火照った頬に心地よかった。
地平線に美しい朝焼けが広がっている。
「綺麗ね……」
「ああ」
隣でカイルが静かに頷く。
しばしの沈黙の後、リディアはぽつりと口を開いた。
「カイル」
黒い瞳がリディアに向けられる。
「今回ね、私すごく心配したの。あなたに何かあったらどうしようって、不安で仕方なかった」
「ごめん……」
「今回のことだけじゃない。あなたのことは信じてる。でもカイルって、いつも“大丈夫”って笑うでしょ? その“大丈夫”が、どこまで真実なのか……私には分からないのよ」
リディアは一拍間を置いたが、意を決したように告げた。
「もしも……、もしもよ? 私が騎士をやめてほしいって言ったら……あなた、どうする?」
風の音が止んだように感じた。
カイルの瞳が驚きで大きくなる。
「それ……本気で言ってる?」
「……」
リディアは視線を逸らしたまま答えない。静けさが2人を包み込む。
空に視線を戻して、カイルは言った。
「俺は、騎士という生き方を選んだ。俺の手で皆を守ることに誇りを持っている」
その言葉にリディアは胸がちくりとした。
カイルは続けた。
「今回……心配かけて、ごめん。でも、俺、お前がいるから、どんなことも乗り越えられると思う」
「お前も含めて、俺はこの国を守りたいんだ。だからさ……やめてほしい、じゃなくて、“無茶しないで”って言ってくれ。絶対、ちゃんと聞くから」
真っ直ぐな眼差し。飾らない、でも決して折れない想い。
(あぁ、この人はどこまでも真面目で、優しくて、そして強い。だから私は彼に恋をしたんだ)
リディアはふっと笑った。
「そうね……。あなたに別の生き方ができるとは思わないわ。本当にどこまでも真っ直ぐなんだから。……そういうところが、好きなんだけど」
彼の手を、ぎゅっと握り直す。そして顔を見上げた。彼女の瞳にも強い決意が宿っていた。
「じゃあ、私も強くなるわ。強くなって、あなたがいつでも帰ってくる場所でいたい」
その言葉に、カイルは一瞬きょとんとしてから、照れくさそうに微笑んだ。
「あぁ、帰ってくる。何があろうと、お前のもとに俺は帰るよ。必ず」
そのまま繋いだ手を引いて彼女を抱きしめた。
朝日に照らされて輝いているリディアの翠色の瞳を覗き込む。
「リディ……」
カイルは愛しい彼女の名を呼び、そっと唇を重ねた。
朝の陽が二人を柔らかく照らしていた。
それは永遠の誓いのようだった。
これから先、どんな困難が訪れても。
カイルは帰ってくる。リディアの元へ。
そして二人は、肩を並べて未来を歩いていく。
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