ルシアン
マルチエンディング、ルシアン編です
舞台俳優として常に仮面を被った彼の素顔に触れる、情熱的なエンディングにしました
卒業式の朝。
ルシアンはファンに囲まれていた。皆にいつもの“人好きのするルシアン”を魅せる。しかしその一方で、目線は自然とリディアを探していた。
(この感情は……なんだ?)
仮面を被ることでしか、人と接する術を知らない自分。でも彼女といると、仮面が崩れ落ちそうになる。
式を控えた教室でリディアの姿を見つけたとき、ふと違和感を感じた。
友人たちと言葉を交わしながらも、その笑みには微かに影が差している。
(その笑い方……よく、知ってる)
笑みの裏に何か大きな思いを隠しているような表情。笑顔を張りつけ、本心を奥へと隠す姿。
しかし何も言えなかった。何枚もの仮面を使い分けてきたルシアンは知っている。その笑みに潜む痛みに触れることの意味と重さを。
(だから、せめて笑いだけでも彼女へ)
そう思い、いつもの軽薄とも取れるその言葉を投げかけた。
「リディ! 今日でその可愛らしい制服姿も見納めだね。今のうちにたくさん見ておかないと」
「そして私の制服姿も、見るなら今だよ!」
そんな軽口に手を振るリディアの瞳が、ふっとやわらいだように見えた。
それだけで、心臓がぎゅっと熱をまとった。自分の仮面が1枚、剥がれたような気がした。
卒業式
星縁幕に皆で祈りを込めた瞬間、強烈な光が辺りを塗りつぶす。ルシアンは眩しさに思わず目をつむった。そして——
気がつくと彼はいつもの舞台に立っていた。いつものように仮面を被り、演じる自分がいる。
(これは……夢、か?)
舞台の幕が下りる。拍手の波。歓声が沸く。賞賛が飛び交う。
だが、リディアだけがどこにもいなかった。その名を呼んでも響かない。誰も彼女を知らない。
「お疲れさまです」と優しく労ってくれる声も。
「ここのシーンが特に素晴らしかったです」と目を輝かせて伝えてくれる姿も。
“リディ”そのものが、最初からなかったかのような空っぽの世界。
ルシアンの身が凍りつき、心臓が止まりそうになった。心が引き裂かれるように痛み、恐怖が一気に押し寄せた。
彼の中で何かが芽吹いていた。
何の役もない、仮面もない、たった一つの気持ち。それは『リディアがいてくれればよい』という、純粋でどうしようもない想い。
(リディ……どこだ?)
ルシアンは舞台から飛び出した。
舞台袖を抜け、ひたすら走った。ただリディアを探して見知らぬ空間を駆ける。
(稽古でもこんなに走ったことないかもな……)
息が上がり、汗が滲む。いつもの涼しい顔のルシアンはどこにもいなかった。
永遠に続くような空間を走った先に、かすかにきらめく裂け目が見えた。
その裂け目の向こう側に見えたのは、美しいストロベリーブロンドの後ろ姿。それが“リディア”だと確信したと同時に、心臓が跳ね上がった。
「リディ!」
彼女の名を心の底から叫び、迷いなく手を伸ばした。
リディアの肩がぴくりと震え、振り向いた。翠の瞳が確かにルシアンを映す。そして泣きそうな顔をした彼女が手を伸ばしてきた。
その瞬間、自分の仮面が全て割れる音を聞いた。
“自分自身”で、ただ“君”を求めた。
それが、今のルシアンの全てだった。
***
2人の手が繋がると、ルシアンは力を込めてリディアを引き寄せ、強く抱きしめた。爽やかで少し甘い、彼の香水の香りがリディアに彼の存在を強く意識させた。
「ルシ、アン……様……?」
リディアの声はかすれていた。でも心は彼の元にいる喜びで震えていた。
(彼が、来てくれた。彼の腕の中にいる。奇跡みたい……)
「……良かった。いる。ちゃんと、ここに」
ルシアンの声もどこかかすれていた。走ったせいで息も荒い。
「君がいなくなる世界に……迷い込んだんだ。必死で探したのに……どこにもいなくて。すごく、怖かった。でも、そこでわかったんだ。だから……ちゃんと伝える」
ルシアンは身を離し、視線をリディアに合わせた。普段、冗談めかした笑みに隠されている彼の茶色い瞳は、今、真剣な光を宿していた。
彼は一つ息を吸って、はっきりと告げた。
「リディ。僕は、君が好きだ」
それは台本でも決められたセリフでもない。彼の心の奥底からの言葉。
「役でも舞台でもない。僕は、ただの“ルシアン”として、君と一緒にいたい」
その言葉がリディアの鼓膜を震わせたと同時に、涙が溢れてきた。
(ルシアンが……私を想ってくれていた。ずっと仮面をつけていた彼が、素顔で私に手を伸ばしてくれた)
温かい気持ちが胸の奥から、込み上げてくる。彼女は真っ直ぐに見つめ返した。言葉より先に、想いが目に宿るように。
「ルシアン様。私も……あなたが好きです」
「舞台の上の太陽のようなあなたも、もちろん好きです。だけど……舞台の下の、誰も知らないルシアン様の心にも触れたい、と。そう思っていました」
ふわり、とルシアンが照れたように笑った。
「ルシアンで、いいよ。君の前では僕は——ただの、ルシアンだ。」
微笑む2人の間にふっと訪れた沈黙。
ルシアンがそっと顔を寄せ、2人の唇が重なった。温かくて優しくて。しかし確かな、未来への約束のキスだった。
心臓の音が一つ、また一つ、穏やかに重なる。
口づけが解けた後のルシアンは、どんな舞台でも見たことのない鮮やかな顔をしていた。リディアも自然と笑みがこぼれた。
ふと、彼の額に汗が滲んでいるのに気づいた。よく見れば髪も乱れている。
「ルシアン、どうしたんです? そんなに汗が。髪も……」
ルシアンは一瞬気まずそうにしたあと、はにかんで言った。
「あぁ……、君を探して、ひたすら走り回ったんだ。……かっこ悪い姿、見せちゃったな」
視線を逸らしながら言うその表情は、どこか不器用で、素直な青年の顔だった。
リディアは首を横に振ると、彼の手を握った。
「そんなこと、ありません。嬉しいです。私を探してくれて、見つけてくれて、ありがとうございます」
愛しい彼女の言葉に、ルシアンの喉が小さく鳴る。そして苦笑いを浮かべた。
「君の前ではね、誰よりも完璧でいたかったんだ。いつだって明るくて、頼もしくて……格好いいって思われたかった。でも……無理だね。君のことになると、全然うまくいかない」
そう言いながら彼女の手をキュッと握り返す。
「それでも、もうこの手は離せない。……こんな僕でも、いい?」
その問いに、リディアは微笑み、すっと背伸びした。ルシアンの耳元に内緒話のようにささやく。
「そんなあなただから、いいんです」
(そんなあなただから、私はあなたに恋をしたの)
リディアの一言に、ルシアンは赤くなって口元を覆った。それは誰も知らない彼の素顔。
「リディ、ズルいよ……。そんなこと言われたら、もう、絶対に離せない」
「はい、離さないでください」
(光の中で輝きを増すあなたも、そのために努力を惜しまないあなたも、そして舞台を降りた素顔のあなたも。私は全てを支えていきたいと思うから)
彼女を再び抱きしめるルシアン。その腕にはただの青年の、静かだが強い想いが込められていた。
ルシアンはリディアの頬をそっと撫で、額に、目元に、耳元に、唇を寄せた。
最後に再び唇を重ねる。優しく、甘く、そして深く。
人生という名の舞台の上で。
この先もお互いと共に幕を紡いでいきたい。
その願いが、2人の全身を満たしていた。
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