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ゲームの終わり、そして始まり

 リディアの目の前のウィンドウには選択済みの項目が、薄い金色の輝きをまとっていた。


 ▶ b. これまでの絆と記憶を胸に、この世界を現実として生きる


(私はみんなと、そしてあの人と共に、この世界を生きていきたい)


 リディアのその思いに呼応するように、選択肢の金色の輝きはやがて強くなり、世界が包まれていった。


***


 次に気がついたとき、リディアは何もない真っ白の空間に立っていた。崩壊した世界もない。ウィンドウもない。


「ここは……?」


 その呟きも、誰にも聞かれず消えていく。

 あの世界が崩れ落ちる光景が、音が、まだ瞼の裏や耳に焼き付いていて思わず身震いした。

 しかし今、ここにはただ白だけ。音も色もない、純粋な光の中。


 漠然と、ここは現実と夢の狭間、過去と未来が交わる『終幕』の空間なのだと、理解していた。


(私が……選んだのよね。この世界で、皆との思い出と共に生きると。もう、後戻りはできない)


 胸の奥には、ずしりとした重みがあった。選んだ未来への責任、選んだ道への覚悟。



 その時だった。

 どこからともなく声が響く。震えているような、けれど優しいあの声。トゥルーエンドの真実を伝えてくれた、どこかで聞いたことのあるような声。


『ありがとう……ここまで辿りついてくれて』


 白い空間の中に影が差し、少しずつ形が生まれる。

 ストロベリーブロンドの髪、翠色の瞳、さくらんぼリップ。それは紛れもなくリディア・アルステッド、その人の姿だった。


(これは……私、なの? どうして?)


 しかし次の刹那、その姿形がふわりと揺れた。そして現れたのは、亜麻色の髪に琥珀色の瞳——アイラの姿。

 けれども表情はいつもの彼女のそれではない。どこか虚空を見つめている。口を開いて紡いだその声は……先程まで聞こえていたあの声——リディアの声だった。


『私は……かつてのあなた。初めてこの物語を生き、トゥルーエンドを目指して、行き着いて……最後の選択で“選択肢a”を選んだリディア。“初代リディア”、と言ったらわかりやすいかしら?』

 

(え………?)


 リディアは目を見開く。


 その声はゆっくりと続けた。


『最後の選択。私は……怖かったの。自分が積み上げた彼らとの繋がりが、本当に正しいものだったのか。誰かを選ぶことも、選ばれることも。間違えることが、恐ろしかった。だから……シナリオのある世界に戻ろうとしたの。“選び直せば、今度はうまくやれる”……そう、思ったの』


(……その気持ち、すごくよくわかる。シナリオに沿っていけば、何かしらのゴールに辿り着けるという安心感があるもの。不確かな道を迷いながら進むことほど、怖いものはないわよね)


 初代リディアの気持ちに同調するように、現在のリディアの胸は締め付けられた。


 声は話し続けた。


『そして……次に目覚めたときには、アイラ・トゥリズの深層心理にいたの。アイラ本人は何も知らない。ただ、かすかに私の思いが表れたのか、彼女の好みは(リディア)と同じだったけどね』


 心臓が、跳ね上がった。

 確かにアイラとリディアは嗜好が似ていた。星詠み、刺繍の図案、好むお茶やケーキの種類。当時はただ、気が合うことが嬉しかった。でも、当たり前だったのだ。元々同じ人間だったのだから。


 そして垣間見えた初代リディアの選択の瞬間。

 震える指で押した“やり直し”の選択肢。そして訪れた、永遠の繰り返しと孤独。


『それからずっとこの物語を終わらせてくれる人を待ってた。もう、わかってるの……。どれだけ繰り返しても、やり直しても、本当に欲しかったものは手に入らない。必要だったのは……勇気だった。選び、選ばれる勇気。自分で自分の道を切り拓く勇気……』



 その言葉を聞いたリディアの心によぎったのは、世界の崩壊の際、揺れて儚くなりそうだったこれまでの記憶だった。


 レオナルドとの穏やかな時間、充実した意見の交換。

 カイルの不器用で真っ直ぐな言葉と、気心知れたやり取り。

 ルシアンの舞台に感動し、軽口に心から笑った時間。

 ジークの厳しさと孤独を見つめ、手を差し伸べたあの夜。

 アイラと共に楽しんで、驚いて、駆け抜けた日々。


 全てが輝き、胸に染みわたる感覚。その思いがもうどこにも行かないように胸元をギュッと握る。


(ここに来たばかりのときは、破滅エンドしかない世界に心が折れそうだった。でも、皆と出会って、向き合って、少しずつ心を通わせて……。私は、本当に幸せだったわ)


『あなたは、私の願いそのものだった。私が恐れて逃げたものに、あなたは立ち向かってくれた』


 アイラの姿の彼女(リディア)が、そっと微笑む。その微笑みは、アイラの顔でありながら、リディアそのものだった。


『だから、私はここで終わるの。やっと終われるわ。あなたの中に私の光は生きている。あなたが選んだ世界で……幸せになって。私の分まで』


 その言葉と共に光の粒が彼女を包む。輪郭が淡くなり、ほどけていく。

 その存在は、静かに光へ還りゆく。


「待って……!」


 リディアは思わず手を伸ばした。けれどその指先は、空をつかむだけだった。


『あなたは一人じゃない。自分で道を選んだあなたなら、大丈夫……。もう“選択肢”も“ルート”もない。進んで。あなたの思う人と共に。あなたの心のままに……』


 その声もまた、消えていく。

 最後に金色の光の粒子がたなびき、初代リディアの深層意識は穏やかに消滅した。


「……ありがとう。私は私の手で、幸せを守るから」


 リディアはそっと瞳を閉じた。いつの間にか涙が溢れていたらしい。頬に涙が伝わるのを感じた。



 ふと、薔薇の香りが辺りを満たしていることに気がついた。


(この香り、どこから……?)


 リディアが何気なく伸ばした掌に、色とりどりの薔薇の花びらが、雪のように降りてきた。


 赤、白、青、橙、黄──。

 それは、ハートローズだった。皆と紡いできた絆の証。

 彼らの心そのものとなって咲いてきた薔薇たちが、役目を終えたことを告げるように、きらめきながら舞う。


 その一枚一枚が指先を掠めるたび、胸の奥があたたかさで満たされていくのを感じた。

 それぞれのハートローズたちが、共に過ごした日々の笑顔となり、共に乗り越えた痛みにも、共に重ねた言葉にも、姿を変えながら心へと還ってゆく。


 薔薇色の風がリディアを優しく撫でた。


 次第に、舞う花びらが空間からゆっくりと溶けて光となった。

 それは、皆との絆が『数値』では表せないものとなり、ただ『共に生きる』という約束となった瞬間。最後に残った薔薇の香りを胸の奥まで吸い込むと、心がふわっと持ち上がった気がした。


 リディアは、両手をぎゅっと胸元で握りしめた。

 『好感度』も『ルート』も、ここですべてが終わり、ここからすべてが始まる。


(私の中で芽吹き、共に育ったものだけが、これからも共にある)


 そう強く確信した、そのときだった。



 どこからか、リディアの名を呼ぶ声が聞こえた。その声はどんな旋律よりも鮮やかに、彼女の心を震わせる。


(私は……この声を知っている)


 声を求めるように振り返ると、白い空間に裂け目が生じているのに気がついた。

 裂け目の向こうの空間、そこに立つ人影が見える。彼女を呼び、手を伸ばす姿。それが誰だか理解した瞬間、胸が熱くなった。

 リディアもまた、その影に向かって手を伸ばした。ゆっくりと、しかし迷いなく。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

このあと、エピローグに入ります。

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