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ジーク 〜魔力を乱す存在〜

 ジークは“夢見”の中にいた。


 それは魔力の強い者のみが視ることのできる未来の欠片。

 

 世界が崩れ落ちる。

 空が割れ、大地はきしむ。

 その中心にはストロベリーブロンドの髪の少女がいる。

 表情は見えない。ただ、彼女は光に包まれて、こちらを向いている。

 自分は無意識のうちにそこに手を伸ばして——


 そこで、目が覚めた。


「……また、か」


 夢と同じように伸ばした手。荒い呼吸。ゆっくりと起き上がる。


 何度目だろう、この夢は。

 理論にも理屈にも当てはまらない。未来を視ると言われる夢見も、ここまで明確なものを繰り返し視る例は少ないと聞く。


(あの少女は、リディア嬢? あなたなのか?)


 彼女のことを以前のように傲慢な令嬢だとも、害をなす存在だとも思わない。しかし、その彼女が何か、重大な鍵を握っていることだけは直感的に理解していた。

 

 ふと、伸ばした自らの手のひらを見下ろした。


「魔力が……また、揺れている」


 自身の魔力の線が、かすかにゆらぎ、安定していない。感情に引かれて波打っているのを感じていた。

 その原因は、明白だった。


 リディア・アルステッド。


 魔力供給を受けたあの秋の日以来、自分の中で何かが変わった。

 彼女の声を聞くと、胸がざわつく。姿を見ると、思考が乱れる。

 しかし学園で彼女を見つけると、自然と目で追ってしまう自分もいた。


 レオナルドと並び会話する姿に。

 ルシアンの一言に笑う声に。

 カイルとからかいあう様子に。

 皆から「リディ」と呼ばれ、笑顔で受け入れる彼女に。


 すべてに、説明のつかない“苛立ち”を覚えていた。

 なぜ、彼女が自分以外の誰かと笑うだけで、これほど揺らぐのか。理解できない。それが理解できないこと自体にも苛立っていた。


 自分は魔術師だ。

 誰よりも冷静に論理に従い、魔力の流れにのみ意識を預ける者。

 感情に動かされることなど、あってはならない。

 そう、信じていた。

 だからジークは、リディアと距離を取るようになった。

 彼女が自分の魔力を乱す存在だと気づいてから、無意識のうちに。


***


「ふぅ……」

 

 リディアの部屋。一口飲んだ紅茶のカップをソーサーに戻した彼女はため息をついた。


「お嬢様、何か紅茶に不備でも?」


 そう聞くアーニャに、首を振って否定する。

 ため息の原因は、あの天才魔術師、ジーク・ヴァレンティア。

 彼は最近、リディアを避けているような気がした。

 目が合っても逸らされる。話しかけようとして近づいても、何か用事があると言って足早にその場を去ってしまう。


「……魔術師として忙しいだけよ。冬は儀式や魔術管理の仕事も多いし」


 そう自分に言い聞かせても、不安が首をもたげる。何か、してしまったのだろうか。知らないうちに彼の地雷を踏んでしまって、拒絶されているのだろうか。


(以前のような氷の視線を投げかけられることはないから、嫌われてるってわけじゃない……と思いたいんだけどなぁ)


 少し前なら「好感度の危機!」と思っていたかもしれない。しかし、今は。彼と距離ができているのかもしれないと思うと、その心がキュッと痛んだ。


(近づき過ぎないように、って思うこともあるくせに、離れると寂しく感じるなんて。勝手なこと言ってるわよね、私)


 けれどもこのままにしておくのは、なんだか違うような気がして。


 リディアは意を決してジークを探し始めた。正直、何を話せばいいのかはわからない。でも彼と話をしたかった。この気持ちが何なのかは、まだわからないまま。



 教室、講堂、校庭、図書館。

 最後に魔術塔にやってきた頃には日が暮れ始めていた。


 魔術演習場に足を踏み入れた瞬間、冬の冷たい空気の中で眩い光が走った。


「……っ」


 思わず、息を呑む。


 そこに、ジークがいた。


 一人、魔術を繰り出している。

 空間を割るような氷の矢。

 時間を捻じ曲げるような炎の槍。

 その二者が絡まりあい、混ざり合った直後、煌めく光の粒となって星のように辺りに降り注いだ。

 魔術の連鎖が、まるで音楽のように場を満たしていた。


 激しいのに、緻密で、切実で。

 そしてどこか孤独で、美しい。


 気づけば、声が漏れていた。


「やっぱり……すごい。あなたの魔術は、本当に美しいですね」


 その声を聞いてジークがゆっくりと振り返った。

 リディアの姿を認めると、薄青の瞳を細める。


「……私の魔術が?」


「ええ。とてもきれいだった」


 一泊置いて彼から返ってきたのは、冷静で少し鋭い声だった。


「魔術は“手段”だ。目的のための技術でしかない。そこに美しさなど……意味はないだろう」


 どこか突き放すような言い方。しかしリディアは真っ直ぐに彼を見つめて言った。


「それでも私は、きれいだと思いました」


 リディアは彼に一歩近づいた。


「何に使われたとしても、あなたの魔術を“きれいだ”と思った、この気持ちは、嘘じゃない」


(あなたが魔術の激烈さも儚さも教えてくれたから)


 その声に迷いはなかった。

 飾らず、怯まず、ただ真実を伝えようとする強さがあった。


「自分の気持ちに正直であることが、魔術の基本だと学びました。形だけ正しく詠唱をしても、魔術は力を持たないって。あなたが……教えてくれたんです」


 ジークの瞳が僅かに揺れた。何も言わず、リディアを見つめ続ける。


「ありがとうございます。私に、魔術の奥深さと……美しさを教えてくださって」


 しばらく、沈黙が落ちた。


 ジークはふうっと息を吐くと、一度目を伏せる。再びリディアを見つめる瞳には、はっきりとした光が宿っていた。


「……まったく君は。私の魔力を、乱す存在だ」


 リディアはきょとんとして、そして笑った。


「それ、褒め言葉ですか?」


「……どうだろうな」


 ジークは彼女を見る。

 確かに“乱されている”——魔力も、心も。

 けれど不快ではなかった。不安でもなかった。

 むしろ、その揺らぎが妙に自然で……穏やかだった。


 彼は、少しだけ口元を緩めて、小さく呟くように名を呼んだ。


「……ありがとう、リディ」


 かすかに呼ばれたその言葉に、名前に。リディアはふわりと笑った。

 その時間はどんな魔術よりも、2人の心をやわらかく震わせた。

 静かな波が、湖にそっと広がるように。

 心地よく、あたたかく。



 気がつくと、空には魔術ではない、本物の星が輝き始めた。冷たい風がリディアの髪を揺らす。そのストロベリーブロンドに、ジークは夢見の光景が重なったような気がした。ふと、口を開く。


「……君は、この世界を変える、何か使命のようなものを、持っているのかもしれないな」


「え?」


「強い魔力を持つ人間は、未来の一部を夢で視る。私は、君が崩れる世界の中で佇んでいるのを視たんだ」


 リディアの表情が揺れる。

 心臓の鼓動が耳元で跳ねるように響いている。

 “使命”——


(それって、トゥルーエンド(私の目指すもの)に関係があるの?)


 彼の鋭く、核心に近いような言葉にリディアは何も言えずただ星を見上げている。


「……その使命のほんの片鱗でも、私が背負えてやれたらいいんだけどな」


 ジークの小さな呟きは風の音にかき消された。


「ジーク様? 今、なんて……?」


 ジークは首を横に振って、それ以上は言葉を続けなかった。

 夜空の星の瞬きと魔力の残り火の光の中で、ふたりは何も言わず、ただそこに佇んでいた。

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