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ルシアン 〜演者としての誇り〜

 明日からルシアン・クレイ主演の夏の舞台が始まる。その劇場の入り口に、リディアは立っていた。隣に立つ侍女アーニャは手に豪華な花籠を抱えている。


「本当に、“前日”でよろしかったのですか? お嬢様」


 アーニャが尋ねる。確かに今までのリディアなら、スポンサーの権力を振りかざして舞台“当日”に花を持って楽屋に突撃していただろう。しかし——


「もちろん! 当日、楽屋に押しかけるなんて、“好感度-1”の王道ルートだもの。推しへの距離感は適切さが肝要なのよ!」


「時々、お嬢様は不可思議なことをおっしゃいますよね……」


 呆れ気味のアーニャを横目にリディアは劇場受付へ向かう。


 かつての“熱心すぎるファン”の汚名返上のために。今回は“舞台好きの観客”の1人として、舞台の成功を祈るつもりだった。



 無事、受付に花籠を預け、肩の力を抜いたリディア。この後、どこかのカフェにでも寄ろうか。そんなことを考えていた時だった。

 突然劇場の奥から怒号ともとれる大声が響いた。


「どういうことだよ!? 前日に演目変更って、冗談にしても悪質すぎるだろ。どういう神経してんだ!?」


 その声と共に現れたのは、そこにいるだけでぱっと光がさすような人。


「ルシアン様……?」


 後ろには汗だくのスタッフらしき数名。


「申し訳ありません、ルシアン様……! 明日、お忍びで訪問予定のVIPが他国の王族でして……。現在の演目ですと、その国の宗教的価値観と微妙に……と……」

 

 スタッフのしどろもどろな説明に、ルシアンは美しい眉を歪ませる。


「はあ!? 今さら!? せめて一週間前に言ってくれよ! これだからVIPってやつはっ!」


「せめて、前回の喜劇あたりに差し替えていただけると……」


「前回のやつ? 演出確認しなきゃじゃん。台本、もう倉庫だろうし……。探し出して、キャスト調整して——。あぁ、もう……」


 口調は荒くとも頭の中は高速回転させている様子のルシアン。そんな彼の目が、ふとリディアに気づいた。

 その瞬間、いつもの人当たりのよい、他人行儀モードに切り替わる。


「あれ、リディア嬢? ごきげんよう! せっかく来ていただいたのに、何もお構いできませんで」


 先ほどまで怒鳴っていたのが別人のようだ。


(切り替え早っ……! でもトラブル、だよね? 少しは助けになれるかしら……?)


 リディアはルシアンの顔を見上げると、意を決して申し出た。


「こんにちは、ルシアン様。あの……、お話……聞こえてしまって。もし、何かお手伝いできることがあれば、言ってください」


 ルシアンは、驚いたように目を瞬かせた。まさか、侯爵令嬢が“手伝う”と言い出すとは思わなかったのだろう。


「えっ、いや……そんな。……でも……ああ、くそ、時間がない!」


 しばしの沈黙。ルシアンは、深く息を吸い込んで言った。


「ごめん、じゃあお願いする。台本倉庫から喜劇系の台本を何冊か探してきてくれない? “銀の靴と酔っ払い王子”、“オレンジの恋人たち”、あと“サーカス夜話”ってやつも」


 リディアは告げられた台本の名前を指を折って確認した。幸い、自分は彼の舞台の大ファンだ。舞台のタイトルは全てわかる。


「分かりました。任せてください。アーニャ、行きましょう!」



 そう意気込んでやってきた台本倉庫。そこは数千もの台本が無秩序に積み上がる、混沌とした迷宮だった。


「どう考えても、劇団の誰かが整理を怠ったに違いありませんね……」


 アーニャは目の前の光景に戦慄していた。が、リディアは決意を固めた。彼の助けになれるのなら。これが今までの罪滅ぼしに少しでもなるのなら。


「さぁ、やるわよ!」


 リディアは、紙と埃とカビの香りが入り混じる倉庫に身を投じた。




 小一時間ほどの格闘のあと、見つけた数冊の台本。ルシアンに渡すと、心底安心したような顔を見せた。


「ありがとう、リディア嬢。助かったよ。本当に」


「お役に立てたなら、よかったです。でも、今後のためにも、台本倉庫の定期的な整理をおすすめしますわ」


「そうだね、考えとくよ」


 笑いながらそう言って稽古に向かうルシアンの背中に声をかけた。


「明日、楽しみにしています」


「絶対観に来てね? 演目が変わっても、全力で演じるから」


 軽やかな口調の奥に、かすかな“本音”が滲んでいた気がして、リディアの胸が少し熱くなった。


***


 翌日。劇場の客席でリディアは感動に心を震わせていた。


 ルシアンの演技は、昨日の混乱を一切感じさせないほど自然で、軽快で、観客の笑いと涙を誘っていた。最後には客席にウインクを飛ばす余裕すらあった。


(さすが……これが、ルシアン・クレイ)


——やはり、彼は天性の舞台人だ。



 大歓声の中、舞台は幕を閉じる。帰ろうとリディアが席を立ったその時。


「すみません、アルステッド嬢。ルシアン様が、楽屋にお呼びです」


 劇場スタッフにそう告げられ、心臓が一つ跳ねた。



「リディア嬢、来てくれて嬉しいよ。昨日は本当にありがとう」


 楽屋で、ルシアンが深々と頭を下げた。冗談めかしてもいない。軽薄さのない、素のルシアン。


「いえ。私はちょっと台本を拾っただけで」


「それがどれだけ助かったか。……舞台って、どれだけ才能があっても、1人じゃできないからね」


 誰にでも優しい彼の顔の裏にある、誰にも見せない本音のような言葉だった。

 リディアは今日の舞台を思い出して言った。


「今日の舞台、とてもよかったです。特に二幕、仲間を叱りながらも背中を押すシーン、心に残りました」


「……そこ、元々はさらっと流すシーンだったんだけど、少しアドリブ入れたんだ。気づいてくれて嬉しいよ」


 そう微笑んだルシアンの目には、どこか安心したような柔らかさがあった。演者としての誇り、人としての孤独、その二つが少しだけ溶け合ったような。



 そこへスタッフがやってきた。


「失礼します、ルシアン様。台本が一冊、紛れていまして。演目とは無関係でしたが……」


 それを聞いて、リディアは顔を曇らせた。


「あ……私のせいかもしれません。昨日、慌てて探していたので……」


「いいよ、気にしなくて。どれどれ、どんな内容?」


 パラリ、とページをめくると、それはこう始まっていた。


『世界のすべてが舞台である。主人公は選択を迫られ、運命の歯車を破壊する』


「こんな台本……あったっけ?」


 ルシアンが眉をひそめる。まるで、“選択”のあるゲーム世界を皮肉るような序文。リディアはなんとなく胸騒ぎがした。


 さらにめくった次のページ。そこにあった一文。


『舞台を降りることで、本当の役割を知る』


 世界のすべてが舞台であるなら、舞台から降りるとは、何を意味するのか。リディアの胸の奥に何かが触れた気がした。


 ふと、ルシアンが視線を上げて言った。


「……ねぇ、リディア嬢。君は……、舞台の上から降りることって、できると思う?」


「うーん……。あ、でも、台詞が決まっていなければ、舞台に上がるも降りるも自由じゃないですか?」


 冗談めかして答えたつもりだったが、ルシアンはほんの少しだけ、目を細めた。


「そっか。じゃあ、君は……自分で台詞を選ぶ人なんだね」



 舞台の幕は下りた。でも、何かが、始まりかけている。


 そんな予感が、夏の夜の空気に溶け込んでいた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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