18.我が魔王への献策
三話連続、五部完まで投稿します(一話目)
1579年5月 摂津国海老江砦-
遠江を平定した織田家は、戦場の中心を再び西に移した。兵糧の少ない本願寺に対しさらなる圧力をかけるべくかなりの兵を河内に集結させた。
和田惟政様の拠点であったこの砦は、後を継いだ一色藤長様の対本願寺戦の北側本陣であった。今は羽柴様の与力として大多数を三木城に引き連れており、残りは僅か。これを穴埋めする目的で、俺と池田の親父様が三千を率いて砦に入った。
直後に本願寺勢との小競り合いが起こったが銃の打ち合いの後双方が兵を引き、死者もなく終わっている。だが帰陣した日の夜になって伝令が慌てて入ってきた。
「申し上げます!本願寺より使者が参っております!」
俺はすぐに陣幕に呼ぶよう返事する。相手は二十名ほど引き連れてやってきたとのこと。…これは使者というより亡命っぽいなと思いつつ、孫十郎と孫一殿、その甥である平井孫市を伴って待っていた。やがて小姓に連れられて二人の男が陣幕に入ってきた。一人は若い僧で小汚い袈裟に包まれているが、顔つきは精悍で気品に溢れており徳の高い僧侶だと思われる。もう一人は護衛のようだが、坊官ではないようだ。二人は俺の前に用意した椅子に座り丁寧に頭を下げた。
「…名は?わが陣営に何の用だ?」
俺はぶっきらぼうに問いかけた。若い僧は俯いたまま返事をする。
「我は顕尊。興正寺の門主を務めております。此度は、武勇の誉れ高き鬼面殿に匿うて頂きたく、気心知れたる者だけで本願寺から抜け出してまいりました。」
言い終えると静かに頭を下げた。その所作が様になっており優美でもある。そして俺は頭をフル回転だ。なんせこの僧が誰かわからない。前世の知識にも引っかからないし、今世の知識でも出てこない。興正寺というと京都にある浄土真宗の寺だという認識しかなく、そこの門主なんて気にしてなかった。俺は意見を求めるべく孫一殿に視線を向けた。彼は小さく頷いた。…見知った顔であるという合図。俺は再び若い僧に目を向けた。
「私…というより此処にいる雑賀の者を頼って来られたのではないか?どうやって此処に雑賀が私の配下としていることを知った?」
「…近頃、寺内には伊賀者が出入っておりまして。織田家に先祖伝来の土地を奪われたと喚き、わが父と兄を焚きつけております。」
父?兄?もしかしてこの若造顕如の子か?お、大物が来ちゃったじゃん!…伊賀者?なるほど。近頃伊賀衆は信長憎しで活発に活動している。そこからの情報だということか。
「もはや本願寺は法主の思いだけではどうにもできず、力を持った門徒や坊官、外部の者にいいように扱われ寺社としての権威も失いつつあります。…我はこのような場所にはもう居れませぬ。願証寺殿は尾張にて織田様の庇護を受けられていると聞きます。どうか!我にも庇護を!」
切実な思い。それはひしひしと感じた。それだけにこちらも慎重な対応が必要だ。それに、若僧の傍に控えるこの壮年の武士も気になる。
「貴殿の思いは分かった。だが、私はここの大将ではござらぬ。池田殿に報告し判断を仰がせて頂く。それまではそこの伊賀者も含めて縄を掛けさせて頂く。…よろしいかな?」
壮年の男の表情が揺れた。伊賀者であることは当たっていたようだ。
「そこの者、名を聞こう。」
男は黙っていたが、顕尊が言うように促した。
「……服部…半蔵と申す。」
俺は転げ落ちそうになった。なんで徳川家臣がここにいるのよ!いや、伊賀者は伊賀者だけど、服部家は親の代から伊賀を離れて徳川に仕官してたはず。
「…なるほど、服部殿、我らと徳川家とのことは知っていよう。」
俺は脅しをかけてみる。だが半蔵の表情は変わらず俯いたままを貫いていた。まあいい。池田の親父殿に報告後、俺が自ら安土まで連れて行こう。その間にどういう経緯でここにいるのか聞きだしてやる。
やがて池田様も俺の陣に足を運ばれ、俺の報告を聞いて腕を組んで考え込んだ。案の定池田様でもどうすべきかわからないようだった。
「池田殿、ここは大殿に会わせてやりましょう。高々二十ほどの兵であれば安土に行っても何もできませぬ。私が淀川を北上して淀城で瀬田衆二百を引き連れて安土へ送り届けます。」
俺の提案に池田様は乗ってくれた。こうして海老江は池田様にお任せし、俺は平井孫市と多賀勝兵衛を引き連れて安土へと向かった。海老江から河を登って淀城まで一日。そこから京を経由して瀬田まで一日の道程。俺は淀城に立ち寄った際に自称服部半蔵と本多弥八郎を引き合わせた。
「…まさかこのような形で貴殿にお会いするとは思わなかった。」
と弥八郎の感想。やはりこの男は服部半蔵で確定。だが何故本願寺にいるのだ?
「服部殿、これまでの経緯をお教えいただけぬか?ここまでの道程で貴殿を見ていて敵方の間者でないということは分かっておる。私としてももう少し貴殿に寄り添いたいと考えておる。」
服部殿は若僧が頷くのを見て重い口を開いた。彼は天竜川の戦の前に三河を脱出していた。一時は先方衆として対浅井戦にも参加していた半蔵殿は、岡崎三郎との確執が明るみになってからは家康から距離を置かれていた。彼は岡崎三郎に武芸を指南していたからだ。この為岡崎三郎が織田方に寝返った時も自領で待機を言い渡され、その後も登城の機会すら与えられず、織田軍との戦に際して兵糧蔵の中身を根こそぎ奪われたため、一族を引き連れ三河を脱出した。浜松に妻子を残していたがどうなったのかはわからない。とにかく織田領を抜け、大和から河内に入り、昔の伝手で伊賀者の案内で本願寺にたどり着いたという話だった。
話を聞いた弥八郎は肩を落としていた。こぶしを握り締め震わせている。家康に対する怒りなのであろう。こやつが感情を露にするのも珍しい。ここは服部殿を助けるべく動くべきと判断した。
「服部殿、わが主勘九郎様は浜松城にいた三河遠江の人質については、誰一人として殺めておらぬ。今なら間に合う。ここは顕尊様の事も含めて私に任せてもらえぬであろうか。顕尊様も貴殿も貴殿の妻子も決して悪いようには致さぬ。」
服部殿は顕尊様の様子を確認し、弥八郎の様子を確認して頭を下げた。
「鬼面殿に、某の全てをお預け申す。」
深々と下げる服部殿の頭を見ながら俺は頷いた。
「顕尊様も私にお任せくださいませ。ただ、どうしても大殿との会見は避けられませぬ故、気を引き締めて頂けますか。」
俺の言葉に顕尊様は引きつった笑いを見せた。
その後、俺は山岡八右衛門と瀬田衆を加えて京街道を北上した。夕方には瀬田橋まで到着し、翌日の朝には安土に入ることができた。
安土城では、忠三郎が俺を出迎えてくれた。事前に先触れを出していたので、詳しい説明もなく、来客用の離れに案内された。離れにも謁見用の部屋は用意されている。俺たちはすぐに部屋に通され、顕尊様と服部半蔵が下座に座った。俺と忠三郎が中座に座り上座の主を待つ。半刻ほどして信長様の足音が聞こえ、障子を開けて入ってきた。
「無吉!大筋は忠三郎から聞いている。詳細を端的に話せ!」
上座に座る前に指示を飛ばす信長様。相変わらずである。俺は下座のお二人から聞いた内容を簡潔に説明した。そして自分の私見を述べる。
「伊賀を攻略したことで思わぬ効果をもたらしております。1つは伊賀者の台頭により、内部分裂を起こしていること。これは本願寺と徳川家が顕著です。次にその伊賀者を御する者がおらず、想定以上の彼奴らにとって悪手を生み出していること。播磨や丹波がよい例でしょう。…故に、「このまま伊賀者を泳がしておけば我らはこの状況を脱することができる…か?」御意にござります。」
流石は信長様。話を最後まで聞かずに理解されている。
「更にはここにいる顕尊様や服部殿のように、今の体制からはじき出された者を受け入れることによって良識ある有能な者を引き入れることが可能です。」
「忠三郎聞いたか?各方面軍に指示を出せ。織田方に逃げ込む輩を丁重に扱え、とな。」
忠三郎が勢いよく返事して頭を下げた。それを見た信長様はゆっくりと下座の二人に視線を向けた。
「顕尊、京の興正寺では不安か?では、尾張に一時避難せよ。本願寺との決着がつき次第京に戻るがよい。その時は支援することを約束しよう。」
顕尊様が恭しく頭を下げた。次に服部殿に視線を向ける。
「服部…お前は儂に仕える気はあるか?」
信長様の言葉に服部殿の肩が震えた。暫く黙っていたがゆっくりと顔をあげ、信長様を見返した。
「願わくば……槍働きのできる仕事をくださりませ。」
服部半蔵殿は伊賀の上忍三家の出身で一般には“忍者”と思われがちだが、実際は武将として徳川家に仕えていた。俺の知っている史実では「徳川十六神将」の一人にあげられ槍働きで名を上げている。この世界での半蔵殿も武将としての名を上げたいのであろう。切実な重みのある言葉であった。信長様は笑みを浮かべて頷くと、
「無吉、村井吉兵衛にこ奴を紹介せよ。所司代の衛兵とは別で警ら隊を組織し、京の警備をさせよ。銭はまずは五百貫用意する!」
服部殿が目を見張る。俺も驚く。
「隊の長はお前に任せる。」
服部殿は慌てて平伏した。
「ありがたき幸せ!」
「忠三郎はこの坊主を清州へ連れて行け。願証寺にて匿う様に指示せよ。費用として百貫持っていけ。」
「はは!」
忠三郎の返事と共に顕尊様も頭を下げた。そして二人を下がらせると俺と忠三郎は信長様の前に座らされた。まるで蛇に睨まれた蛙。信長様はやや魔王度を上げている。
「無吉、「今は鬼面九郎にご」どっちでもええ!…本願寺と徳川について思うことを述べよ。」
これ絶対蹴られるやつや。どう答えても「賢しいわ!」と怒られるやつ。忠三郎も硬直してるし。でも黙っていても仕方がない。思っていることを言いきってしまおう。
「まずは本願寺から。私自身もあの中に入ったことがあるので雰囲気を肌で感じておりますが、かの組織は当初から有力坊官同士でいがみ合っております。これに伊賀者が加わって拍車をかけておるかと。顕尊様の申す通り、法主の力だけでは御しがたい集団と心得ます。坊官共を狙い撃ちすれば案外すんなりと石山の地を明け渡すことでしょう。」
信長様は頷いた。…足が飛んでこない?
「続いて徳川ですが、私は道中ずっと服部殿の様子を伺っておりましたが、家康とは縁が切れていると思います。恐らく家康はあの戦、当初から勝つ気がなかったのではないでしょうか?」
信長様の魔王度が上昇した。
「何故そう思う?」
「我らが三河に軍を進めた時点で、東三河の国人達はバラバラに行動しています。一方で家康の重臣、遠江の国人には兵を集めており、一万の軍勢を揃えました。東三河は早々に切り捨てられた格好になっております。戦後東三河の国人達はこぞって我らに臣従しました。」
信長様がまた頷く。
「肝心の天竜川での戦ですが…恐らくあの突撃した一団に家康と重臣たちはいなかったのでしょう。」
「そんなことは戦後の首実検でわかっておる!」
「申し訳ございません、言い方が正しくありませんでした。天竜川東岸に展開した時点でいなかったものと推察します。」
信長の表情が変わった。
「家康は一万もの軍勢と鳥居元忠を囮に遠江を離れたと思われます。」
信長様がにじり寄ってきた。
「…どこへ?」
「甲斐。」
信長様が俺を睨みつけた。
「三度の織田家包囲網。伊賀者の活躍で数多の国が繋がっておりました。当然武田と徳川の間にも約定があったでしょう。この場合、その約定の中身を公にするほうが織田家に対して圧力を掛けることができます。…しかしそれが行われなかった。いえ、行うことができなかったと考えるほうが正しいでしょう。」
「ううむ…。」
「ではそれは何故か?…武田家は分裂しております。それを知った家康が甲斐を乗っ取ろうとしてるのではないかと推測します。」
急に目の前が真っ暗になり俺の体が吹っ飛んだ。俺の巨体が吹っ飛んだのだ。俺も一瞬気を失った。それほどの強烈な蹴り。そしてそれ以上の信長様の怒りの強さ。忠三郎は蒼白になっていた。
「自領を捨てて甲斐を乗っ取るだと…?国民を簡単に捨てるような輩に誰が付いてくるというのだ!あ奴はそんなことも分からぬのか!」
今度は忠三郎が殴られた。もう完全にとばっちり。だが信長様の怒りは収まらない。俺は痛む全身を無理矢理起こして平伏した。
「恐れながら!私の考えが当たっていれば由々しき事!故に至急甲斐に商人衆を向かわせるべきかと!」
「吉十郎殿、今商人衆を送れば相手を警戒させることになるのでは?」
起き上がってきたか忠三郎、左の頬が腫れてるぞ。
「忠三郎の言う通りだな。武田家に警戒させては徳川の動きが鈍くなるやも知れぬ。…だが今から戦支度をしても相手に警戒されるぞ。…どうする無吉?」
「今は鬼面く…痛った!痛いです!」
「やかましい!貴様が余計な訂正をするからじゃ!早う続きを言え!」
俺は殴られた頬を擦りながら、一度衣服を整えて座り直した。
「武田家を…取り込みます。」
信長様はのけ反った。それほど衝撃的であったか。顔も引くついている。怒ってる気がする。いや怒ってるわ。
顕尊:本願寺顕如の次男。京都にある興正寺の門主に若くして就任しましたが、織田家と本願寺が対立すると、顕如のもとに参じて戦っております。史実では石山退去後も父に従って各地を転々としたそうですが、本物語では父と袂を分かって織田家の庇護を受けます。
服部正成:伊賀の出身ですが、父の代から伊賀を出て幕府に仕え、その後徳川家に仕えて三河に移ったそうです。
伊賀者:本物語では、故郷の伊賀を追われて各国のスパイ的な活動をする人たちを指します。




