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17.天竜川の戦い(後編)

二話連続投稿の二話目です。

織田軍と徳川軍の編成はこんな感じです。


織田軍:総勢四万六千五百

 総大将   織田信忠(二千)

 武者奉行  竹中重治

 小荷駄奉行 大橋重長

 戦目付   増田長盛

 侍大将   毛利良勝(五千)

       前田利久(五千)

       服部一忠(五千)

       河尻秀隆(五千)

 与力    水野信元(三千)

       松平信益(二千)

       佐治信方(三千)

 援軍    北畠信意(一万)

       神戸信孝(千五百)

       奥平信昌(五千)


徳川軍:総勢一万六千

 総大将   徳川家康(三千)

 戦目付   本多重次

 小荷駄奉行 板倉勝重

 侍大将   酒井忠次(二千)

       本多忠勝(二千)

       榊原康政(二千)

       鳥居元忠(一千)

       大久保忠世(一千)

       渡辺守綱(一千)

       内藤正成(一千)

       桜井松平忠吉(一千)

       藤井松平信一(一千)

       長沢松平康忠(一千)



それでは、後編をどうぞ。



 太鼓の音に最初に気づいたのは徳川軍の対岸にいた服部一忠であった。自軍の太鼓ではないことにすぐに気づき、陣幕を出て天竜川対岸に目を向けた。歓声と共に人馬一体となって迫りくる徳川兵。冬の寒い中己を顧みず白い息を振りまいて迫る敵の姿に戦慄し、同時に恐怖した。


 すぐに恐れの感情を振り払い大声を出す。


「敵が無謀にも渡河を始めたぞ!出会えぃ!」


 直ぐにもう一人の大将、河尻秀隆が陣幕から出てくる。


「小平太!迎え撃つぞ!弓兵を前に出せ!」


 ここに残った軍には鉄砲隊はいない。渡河を阻止するには鉄砲よりも弓兵を二列に並べ撃ち続けるのが有効だった。すぐに伝令兵があちこちに走り去っていく。次々と陣幕をまくり上げて出てくる武将たちは一様に迫りくる徳川軍の様子に唖然となった。


 天竜川に構える織田軍は混乱しつつあった。




「川上のほうが騒がしくなっております!」


 伝令兵の知らせで知多水軍の舟を待つ信忠らに緊張が走った。最初に竹中半兵衛が発言する。


「徳川軍が川を渡り始めたのかも知れませぬ。…しかしこの川は幅も広く渡河には時間がかかります。渡るなら夜だと思っていたのですが…。」


 発言の内容からして半兵衛の中では想定外であったようだった。考え込み始めてしまう。


「兄上、とにかくここに残っている兵だけでも向かわせましょう!」


 しびれを切らして織田信孝が声を上げたが信忠は首を振った。


「我らは様子見だ。まず、対岸の新左衛門に連絡せよ。北上して押し詰めよとな。」


 伝令兵がすぐさま走り去った。それを見届けると考え込んでいる半兵衛の頭を叩いた。


「考えても無駄だ。家康は感情で動いたぞ。」


 それを聞いた半兵衛はポンと手を叩いて理解した。その上で眉間にしわを寄せて嫌そうな表情を見せた。


「乱戦になりますな…殿の望みと大きくかけ離れてしまいますが。」


「仕方あるまい。全てがうまくいく戦のほうが珍しいのだ。」


 落ち着いた表情で会話が続く陣幕に再び伝令が走り込んできた。


「北畠様が軍を率いて北上致しました!」


 伝令の報告に信忠の表情が変わった。激しく激高した顔。伝令の顔が強張る。


「連れ戻せ!伊勢の弱兵如きで何ができる!」


 伝令は慌てて走り去った。信忠のこの言葉には理由がある。今回の戦に参加させた北畠軍は数合わせだった。元々伊勢の兵は織田家直轄の兵ではない。旧国主、北畠具教の家臣で形成された兵で、信長が無理矢理具教の娘と信意を結婚させ、北畠家を乗っ取った形で出来上がっており、これまで織田家の戦に最前線で戦っておらず、経験も士気も低い集団であった。今回の遠征も相手に圧力を掛ける為に集めた数合わせのため、指揮系統も整っていない。


 そんな軍が援軍として北へ向かったとしても戦場を混乱させるだけで役に立たない。それが信忠には分かっているから激怒したのだ。


「あのバカが…!」


 信忠は矢立を思いきり殴りつけ破壊した。




 北畠信意(のぶおき)


 織田信長の実子でありながら、これまでたいした戦功もなく、自領である伊勢の中でも疎外感を感じていた彼にとって今回の戦への参画は転機であった。ここで戦功をあげれば、家臣に対する発言力も増し、織田家中の地位も向上できる。彼はそう考えて兄の戦に付いてきていた。

 これを信忠が聞けば「勘違いも甚だしい」と怒ったことであろう。だが彼の思いを打ち明ける機会もなく、徳川軍の突然の渡河が始まる。信意からすればこれぞ好機と思い込み、兄の命令を待たずして配下の全軍を北に向かわせたのだ。

 伊勢衆からすれば、突然の北への移動命令。それも徳川本陣のある方角へだ。統制の取れていない万の兵に進軍命令を出しても足踏みが揃うはずもなく半数が出遅れる。功を焦る信意本隊はどんどんと先へ進み更に半数がその速度に付いて行けずに隊列は大いに乱れた。


 信忠の命を受けた伝令が進軍停止を伝えるが、信意はそれを無視して馬を進めた。小姓衆の団平八郎がそれを咎めると逆上して怒鳴りつけた。


「誰に向かって口を利いている!我は織田信長が次男、信雄(・・)ぞ!」


 団平八郎は唖然として信意の家臣に視線を送った。信意には北畠家に婿入りした際に幾人かの家臣を織田家から引き連れている。そのうちの一人に津田忠寛という者がいるが、その者は平八郎の視線に気づき目を伏せた。事情を察した平八郎は引き留めることを断念して同行の許可を求めた。だがこれも拒否され先へと進みだした。平八郎は共連れの兵に本陣への報告を命じると自身は一団の最後尾に張り付いて信意の後を追った。



 一方、徳川軍の無謀な突撃行為に混乱を見せた服部、河尻の両将は徳川兵が川を渡りきる前に体制を立て直しつつあった。

 川を渡る徳川兵にひとしきり矢の雨を浴びせると全軍を川岸から離して鶴翼の陣を敷き直した。ずぶぬれになり動きが遅くなった徳川軍を一網打尽にするためであった。準備は着々と進み、徳川軍が陣形を備え始めたところで南側から歓声が聞こえた。


「何事か!」


 河尻秀隆が状況を確認するが、すぐにはわからなかったことで初動が遅れた。暫くして南から北畠の旗印を持つ一団が徳川軍に向かっている報告受けると、河尻、服部の二人は椅子を蹴り上げて喚いた。


「何という出鱈目な行動!あれでは敵に食い潰されるぞ!北畠の若は何を考えている!」


 北畠家の思わぬ行動に諸将は理由が分からず傍観してしまい、更に次の行動が遅れた。その間に北畠軍は伸び切った陣形のまま徳川軍に激突し戦いが始ってしまった。


「い、いかん!援護せねば!河尻殿、我が水野軍が突撃致す!その間に北畠軍を引き離してくだされ!」


 言うが早いが水野信元が陣幕を飛び出した。それを追う様に服部小平太が続いた。河尻秀隆も全軍に号令を掛け鶴翼の陣を維持しつつ前進し徳川軍を取り囲むが、北畠軍、援軍に入った水野隊服部隊で乱戦状態になり、手が出せず様子見となった。

 やがて乱れた動きが少なくなり河尻秀隆の合図で織田軍が徳川軍に襲い掛かる。徳川軍は食らいついた北畠軍を引きはがすと、水野隊の巻き込んだまま後退しそのまま川の中に逃げ出した。対岸に逃げようとしたのだが、既に対岸は毛利新左衛門の軍が固めており、そのまま水流に流されるまま南へと逃げていく。だがそこには知多水軍の舟が待ち構えており、徳川軍は逃げる場所を失った。あるものは溺れ、あるものは織田軍に槍で突かれ、あるものは知多水軍の矢を浴びせられ、逃げ切れるものはほとんどなく、こうして徳川軍が一万以上の死者を出して戦が終わった。


 織田軍も無傷ではなかった。強引な突撃を行った北畠軍は半数以上討死し、救援に向かった水野隊服部隊も打撃を受けた。しかも水野信元が乱戦の中討ち取られたのだ。北畠軍に付いて行った団平八郎も信意を助ける為に重傷を負った。織田軍も四千の兵を失ったのだ。完勝とは言い難い戦となった。




 織田軍は天竜川東側に、前田軍、毛利軍の一万を配置したまま、本軍は浜松城まで後退した。直ぐに商人衆を放って周囲の確認を進めると同時に軍議を開いた。議題は北畠信意の問題である。信忠は処分を即決した。北畠軍全軍を即時伊勢へ帰還させたのだ。信意は兄に取り付く島もなく七千の兵を率いて撤退した。


 一方徳川軍はというと…。


 実は家康は天竜川渡河の前に主要な将を率いて逃亡していた。全軍を鳥居元忠に預け、自身は近臣のみで何処かに逃げてしまっていたのだ。その情報は信忠が浜松に着いてから数日後にもたらされた内容であり、逃亡先は不明であった。信忠としては逃げた家康の行方を探すよりやることがありそちらを優先した。遠江衆に信忠の名で安堵状を書くことである。これを浜松滞在中の十日間でやりきり、前田、毛利の両将に遠江を任せ、美濃へ凱旋した。



 伊勢に送還された北畠信意はすぐさま安土より呼び出しを受け、そのまま追放の処分を受けた。北畠家は既に先代当主と、その息子は信意によって粛清されており、後を継いだ信意自身も追放されたことにより断絶となった。





 1579年4月 越前金ヶ崎城-


 山の中腹に土壁に半分埋まるように建てられた小屋がある。周囲は木の柵で覆われ、入り口は門兵で固められた場所に俺は到着した。門兵に木の手形を渡し中に入ると、整備された庭園が目に入った。奥へと進み小屋の中に入ると、一人の若者が部屋で茶を飲んでいるのを見つけた。俺は若者の前に跪き深々と頭を下げた。


「お久しぶりに御座います、三介(・・)様。」


 若者は俺の挨拶を鼻で笑った。


「…よせ。俺はもう唯の罪人だ。お前に傅かれる身分ではない。」


 沈んだ表情で答えると、若者…北畠三介信意様は静かに茶を飲んでのどを潤した。


「…ここに居ると、何も話が入って来ぬ。悪いがあの戦の後、どうなったか教えてくれ。」


 俺は顔を上げると、姿勢を正して戦後の経緯を説明した。



 天竜川での合戦後、遠江は三つに分裂した。今川家に寄り添う者、織田家に恭順する者、様子見の者。勘九郎様は二万の軍勢を遠江に展開し、国人衆の取り込みに掛かった。同時に逃亡した徳川家康の捜索が行われたが、重臣も見つかっていない。奴らの妻子縁者は全員捕えて浜松城で幽閉しており、その処遇については決定していない。

 東三河、遠江は勘九郎様の領地となった。但し、東三河には堀久太郎様が入り、与力という形で勘九郎様の配下になる。水野家は討死された信元様の弟、忠守様を新たな当主として水野領の相続を認められた。奥三河の奥平様は正式に織田家の家臣となっている。これにより、勘九郎様は美濃、尾張、三河、遠江の四か国を直接支配する大勢力となった。


 北畠様が治めていた伊勢は北部を神戸様が、南部を滝川様で分割統治することになった。これに伴い北畠家の家臣団は一度解体され、神戸家、滝川家、あるいは長野家に再雇用される形となった。だが重臣の一部は戦の失態の責任を取って、斬首あるいは追放されている。俺は斬首追放された伊勢衆の名前を声にあげ、信意様はそれを目を閉じて聞いていた。


「…()はどうなった?」


 信意様が訪ねたのは北畠具教の娘の事である。


「雪姫様は、清州にてお過ごしに御座います。」


 俺の返事を聞くと、信意様は安心した彼のように息を小さく吐いた。


「俺が言えた義理ではないが…“良き家に再び嫁ぐことを願う”と…伝えてくれぬか。」


 俺は歯を見せて笑った。


「ははは…確かにそうでございますな。ですが、今の言葉、勘九郎様に確かにお伝えいたします。」


 俺の返事に満足そうに微笑むと、暫く考え込んでもう一度俺に声を掛けた。


「無吉…もうひとつ頼まれてくれ。兄上に“申し訳ございませぬ”と伝えてくれぬか。」


 俺は信意様の表情を伺った。何に対しての詫びなのか。見極めたうえでお伝えすべきだろうが、変に言質をとっては信意様のお立場を更に危うくするかもしれない。俺は丁寧に頭を下げて返事する。


「畏まりました。しかとお伝え致しまする。」


 信意様は穢れのない笑顔で喜んでくれた。やはりこのお方は上に立つべきお方ではなかったと改めて感じた。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 1580年12月-


 北畠信意様は、誰にも看取られることなくこの世を去った。私が最後にお会いしたのはその前月であったが、既に病は進行しており「おそらくこの身体ではこの冬は越せぬ」と言われていた通り、年明けずして息を引き取られた。

 この知らせは金ヶ崎城主の帯刀様自らが岐阜と安土を訪問して報告された。


 報告を受けた日の夜、私は勘九郎様と帯刀様の三人で酒を飲んだ。


 清州の女房館でいた頃の話で盛り上がり、そして泣いた。


 後に帯刀様から信長様のご様子もお聞きしたが、一人で涙を流されていたそうだ。



 子に先立たれて悲しまぬ親はいない、弟を失って悲しまぬ兄などいない。それは“魔王”と言われた信長様も同じなのだ。…皮肉にも信長様がご実弟信勝様に対しての感情と全く同じものを勘九郎様はご実弟信意様に思われたのだ。


 織田家でさえなければ真っ当な生を成就できたであろうに。


 乱れた世であればこれが日常であり、一族はより強い者を当主として担がねばならぬ。そんな世は早く壊さなければ…これこそが信長様の天下布武の原動力であったことを残しておこう。


 ~~~~~~~~~~~~~~



松平信益:史実では1579年に父家康によって死を賜りますが、本物語では家康と決別して織田家に仕えます。名も「康」の字を捨て松平姓になりました。


津田忠寛:織田藤左衛門家に連なる武将で、信雄に伴って伊勢の重臣として国主を支えます。史実では北畠一族粛清後に死去していますが、本物語では信意の腹心として活躍していました。


雪姫:北畠具教の娘で信意の正室のなりますが、本物語では子をもうける前に離縁させられてしまいます。


織田信意:史実では後に信雄と名乗ります。本物語でも自身のことを「信雄」と言っていますが、信長に名乗りを許されてはおらず、主人公も一貫して「信意様」と言っております。天竜川の戦で失態を犯し、その責任を取って金ヶ崎城で幽閉の身となりました。その後、誰にも看取られることなく生涯を閉じております。


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[気になる点] 渡河を阻止するには鉄砲よりも弓兵を二列に並べ撃ち続けるのが有効だった。 ↑ 平地なら竹束などで防御されたりで鉄砲より弓の方がという考えはあるかもしれないが渡河中は負担になるものを最小限…
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