表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/142

16.天竜川の戦い(前編)

二話連続投稿です。

物語は織田VS徳川の話になります。

後編は12時に投稿です。



 1578年12月- 近江国安土城


 信長様に唐突に呼び出された俺は、淀城を弥八郎に任せ多賀勝兵衛を連れて登城した。夕刻だったため、御殿の私室のほうに呼ばれ部屋に入る。勝兵衛は廊下で待機だ。

 信長様はすでに上座に着座されており、御台様と直子様が酌をしている。


 久しぶりに見る信長様と御台様に俺は安堵する。


「久しぶりですね無吉殿。」


 まず直子様のほうが声を掛けて来た。


「お久しぶりに御座います。直子様もお変わりなく…。」


「あら、世辞は良くてよ。それより何故呼ばれたかわかりますか?」


 俺はチラリと信長様を見る。…大丈夫。魔王度は高くない。


「見当がつきませぬ。」


「お前が考えている現状とこの先を聞きたい。」


 物静かでありながら聞く者に緊張と畏怖を与える声。やはり信長様の声は魔王度が低くても恐ろしい。…だが俺に聞くってことは悩んでいる、もしくは迷っていることがある…ということか?俺と同じ転生者である御台様がお側にありながらということはよっぽど…。何を言えば良いかがわからん。…こういう時は一旦整理だ。

 現状は反織田家包囲網を切り崩して徳川家討伐の最中。この先の展開だが、正直全く読めなくなっている。だって俺たち(・・・)の知っている歴史からは大分遠ざかっているし。だが史実と照らし合わせていけば次の大戦は「武田」だ。そして「本願寺」との和睦…いや待てよ、「別所」や「荒木」の処遇もあるな。それとももっと先の「毛利」や九州、「上杉」や関東、奥羽もある…。考えがまとまらん。


「…それは、“天下統一”までの道筋…という意味でしょうか?」


 信長様の眉が吊り上がる。しかし、すぐに正常位置に戻った。…当たりか。


「信長様はどの順で敵を屠れば良いかを思案されているとお見受けいたします。」


「ほう…ならば徳川の次は誰が良い?」


 御台様が目を伏せられた。てことは求められている回答は違うということ。


「誰でもよろしいかと。問題は何を大義に相手を攻めるか…に御座います。」


 信長様の眉は平常運転…。間違ってはいない。やはり信長様は天下を一度壊して統治しやすいように再構築することが最終目的のはずだから…


「これは私の考えであり、まだ誰にも話ししていない内容になります。」


 俺は前置きを置く。信長様の体が前に傾く。


「天下の静謐を長く維持する為には四つの力が必要と考えております…。」


 俺は前世の知識から自分の思いを全て明かした。


 天下を治めるのに必要な力…。


 一つ目は“武”。文字通り武力であり、それを行使する権限であり、実行するための兵力である。

 次に“治”。領土とその支配下に住む民を治める力であり、それを行使する権限と知恵、組織力の高さを表す。

 三つ目が“財”。つまり資金力のこと。今の世の中は銭がないと何もできない。どんなに力を持っていても財力が乏しければ維持させることができないため、我ら織田家もあの手この手で銭を集めている。

 最後に“天”。所謂、社稷を体現する力だ。だがこの国にはその力を示せる方は限られている。つまり皇族と呼ばれる方々である。残念ながら我ら武家では得られることができない力であり、長い年月をかけて積み重ねて来た儀礼的な意味も大きく「不要」と決めつけて排除することもできない。民にとっては信仰の対象でもあるのだ。


 この四つが俺の考える天下を治めるのに必要な力だ。現在織田家は“武”“財”は十分に備わっており“天”についても取り巻きの公家衆を制御することでコントロールが可能と考える。問題は“治”である。今は何処も彼処も戦争中のため、軍事に明るい領主が治めることでうまくいっているが、戦がなくなれば領主に求められる能力はがらりと変わるだろう。先を見据えて行動するのであれば、平和な世を治める統治者、あるいはその補佐をできる官僚組織の育成が急務である。


 これらを踏まえて俺は信長様に織田家の組織を大きく2つに分ける案を説明した。信長様の組織と勘九郎様の組織で、前者は“武”と“天”に重きを置き、後者は“治”と“財”に軸足を据える。今は信長様が全権を握っているので、織田家は必然と“武”寄りで主上を奉戴せしむ勢力となるが、勘九郎様の代になれば自然と“治”“財”に傾き、最終的にバランスのとれた組織に仕上げられると思う。


 これを基本方針とし、具体策を詰めていけば信長様の目指す「天下布武」が完成するのではないか。



 一通り話を終えて俺は信長様の様子を伺った。信長様は杯を手に持ったままじっと俺を見ていたが、やがて長く息を吐いて杯を置いた。


「…貴様の考え、恐ろしいほどまでに濃と似ておるな。言い方や表現に違いはあるが、儂と勘九郎の扱いは一緒だ。何より国を治める能力に着目している点が儂らにはない考えだ。」


 でしょうね。この考え方は徳川の世になってからだからな。だけどこの時代でもそういった能力を持つ人材がいないわけでもないのだ。早めに考え方を明らかにして人材育成をするのは問題ないはず。


 今宵はこのまま安土に泊まることになるだろうなぁ…。信長様の魔王度は普通だけど…御台様と直子様が引くくらい目がぎらついておられますわ…。



 ~~~~~~~~~~~~~~


 1579年1月-


 この年の年賀の儀は京で開催された。出席者は主上を取り囲む高位の公家衆を中心とし、武家からは明智様、細川様、三好様、村井様、長曾我部様、北条様と少なかった。

 これには織田家側の事情もあった。羽柴様は播磨再攻略で、蒲生様丹羽様は丹波摂津の抑えで出張っており前田様は再編成した軍団と越前の運営で戻ることができないため、織田家としての体面を保つには公家にかなりの譲歩をして開催にこぎつけたのだった。


 わが主君、勘九郎様も遠江遠征中であったが、信長様に呼び戻されてのご出席であった。


 久保田家も市中の警護担当を仰せつかり、淀と岐阜、清州から兵をかき集めて西門(京街道方面)の警備となった。…私の家臣は、私も含めて各々が別の仕事で出張ることが多く、あの時は久しぶりに集まって多くを語り合ったことを覚えている。


 だが当時の私は、徳川家がどのようになったかを直接ご主君からお聞きする機会がなく、年賀の儀の後に起こった混乱はまるで他人事のようであったことを記しておく。…あれは私にとって後悔の日々であった。決して忘れることのできない……。


 ~~~~~~~~~~~~~~



 1578年12月 山城国京街道出発点-


 夜も更けてあたりは静かである。


 日が昇れば新しい年が始まる。


 俺たちは朝までここを通る人のチェックを行う任務を受けているが、日中と違い寒い冬の夜にここを通る人はほとんどなく、はっきり言って暇だ。門前に立つ慶次郎なんかは頭がふらついている。…あ、与三郎に槍で小突かれた。


 ここには俺の家臣が多く集められた。明智様のところに出向していた慶次郎と与三郎を含め、勝兵衛、八右衛門、孫一殿に日下部兵右衛門。思うところがあったようで俺の命令を無視してついてきた孫十郎に清州からは平手汎秀殿に黒田吉兵衛。足軽衆八十、弓衆二十、鉄砲衆二十。鉄砲衆が多いのは孫一殿が紀伊から雑賀の一派を引き抜いてきたことによる。その中には兄の平賀孫市の子と自称する者もいたのだが、さすがにそれは淀に置いてきた。ひとまず弥八郎の監視下で様子見させている。

 まあ、人が増えたおかげで一備えくらいの規模にはなったが…。


「吉十郎様、顔色が優れませぬようですが?」


 考え事をしていると、孫十郎に声をかけられた。奴には身重の考の面倒を看るよう命令したのだが、“それでは芝山の名を継げませぬ!”と強引に付いてきてここにいる。おかげで留守居を兄爺弟爺にお願いする羽目になったんだ。爺様達は嬉々として岐阜に行ってしまわれた。


「…福様、留姫様のことが気がかりですか?」


 俺は首を振る。俺の側室であるこの二人は、淀に半年籠って溜まった鬱憤(うっぷん)を晴らすかのように頑張ったおかげで懐妊した。楊西院様もお喜びで俺に手を擦り合わせてお礼を言うほどであった。だから気にはしていない。俺が気にしているのは…


「今摂津に出張っている軍には明智様も細川様も不在だ。丹羽様と蒲生様が指揮しておられるが、もし何か事が起きれば亀山城だけでは防ぎきれないのではないかと考えておった。」


「この時期、山を越えて大軍でここに攻め寄せるには寒すぎます。雪が解けるまでは心配ご無用でしょう。」


「…ではその寒い中城を巻いている我が軍は?かなり厳しい年越しになると思われるが?」


 孫十郎は考え込む。すぐに答えが返ってこないということは、手元に情報がなく想像を働かせているいるということか。


「池田様が多くの荷駄隊を編成されていると聞いております。おそらく大殿の命令で各陣に物資を供給して回っているのかと…。」


 ふむ、俺の聞いている情報と変わらずか。池田様の動きは俺も聞いていた。原田様、羽柴様、明智様が物資供給を受けているのだろうと想像できる。…では徳川攻めの最中であるご主君の軍はどうしているのだろう?今どこまで進軍されているのだろう?さっき汎秀様に伺ったら「私は知らぬ」とそっけない返事を頂いた。個々の警備をほったらかしてご主君に会いに行くわけにもいかず…気になるなぁ……。




 1578年12月 遠江気賀砦-


 10月末に岐阜から出陣した信忠軍は、清州で北畠神戸軍、沓掛で水野隊、岡崎で三河軍と合流し、四万六千五百の大軍勢で東三河へ攻め込んだ。徳川軍は一万六千の兵を遠江からかき集めて三河赤坂に陣を敷いて待ち構えた。東三河には糾合すれば一万の兵を集められたが一千単位で分散して配置し、遊撃用に独立して行動するよう家康から命令を受けた。

 だが四万もの大軍を相手に無謀な突撃などできるわけもなく、結果的にこの遊撃軍は織田軍の前に姿を現すことなく終わっている。徳川軍本体も赤坂に陣を敷いたものの目立った動きを見せず、防御の態勢を取り続けた。


 織田方の竹中半兵衛は全軍を2つにわけ、徳川軍の南北に兵を移動させた。できるだけ兵の損失を避ける為に敢えて持久戦を選択し、三河赤坂で大軍が陣を敷いたままひと月が経過した。


 父信長より京に来るように命令を受けていた信忠は本陣を離れる前に諸将を集め軍議を開いた。北部に布陣する北畠信意、神戸信孝、前田利久は参加しておらず、家康の実子である徳川信康改め岡崎松平信益は後方任務の為陣を離れている。

 信忠は集まった諸将の顔を一回り見てから言葉を発した。


「私は年賀の儀出席のため京へ向かう。皆は半兵衛の指示に従え。」


 諸将は黙って頭を下げる。その様子を見て信忠は笑い出した。


「皆の思いは分かっておる。此度の戦…不満なのであろう?」


 諸将は押し黙っている。半兵衛は何も言わず皆の様子を見ていた。


「此度の戦、父上より厳命されておる。…織田家の頭領としての戦を見せよ…とな。」


「ならば尚のことさら徳川の軍勢を蹴散らし、武威を内外に示すべきでござる!このような何もせぬ戦いなど!」


 いたたまれず河尻秀隆が声を上げる。他の者も同調するように頷く。


「何もしない…ではないのだ。」


 信忠は声を一段低くして返事をする。若いが信長の息子だけあって家臣を黙らせる威圧感は十分に備わっていた。秀隆はじめ諸将はその圧力に顔を引きつらせる。


()の考える頭領としての戦……それは戦わずして勝つということだ。」


 皆が黙って信忠を見つめた。中にはその威圧感に汗を掻いている者もいる。


「もはや織田家にとって徳川家の存在は小さきもの。家康はそれが理解できておらぬのだ。だから借りた銭さえ返せば独立できると考えておるのだ。…だがそれは間違っている。織田家の目的は“天下の統一”。即ち全ての武家が織田家にひれ伏し、領土を奪い合う戦を終わらせること。その中には当然徳川家も入っておるのだ。儂に膝を曲げ頭を垂れねばならぬのだ。…それが家康には理解できておらん。織田家から独立し領土を拡大することしか考えておらん。既に周辺には奪う領土などないにもかかわらず…。」


 信忠は唇を湿らすために盃を煽った。その仕草は信長のそれにも似ているが荒々しさは感じられず、空気が重く圧し掛かる雰囲気を漂わせる。


「奴らに抗う術などもはや存在せぬことをわからせる必要があるのだ……一兵も損なわずにな。」


 信忠は笑った。普段の屈託ない笑顔ではない。上に立つ者としての王者の笑みである。この戦で主君は何かが変わろうとしている。そのことが感じ取れる笑みであった。


「わかったか!この戦、圧倒的な力で兵糧不足に陥らせるのだ。例えこの場から退いて浜松に戻ったとしても援軍補給の見込みなく、降伏の道しか選択できぬよう思い知らしめよ!我が軍の兵糧は知多衆が海を渡って運んでくる!東三河衆は岡崎三郎が押さえつける!家康に織田家の恐ろしさを徹底的に植え付けるのだ!」


 皆が立ち上がって腕を振り上げた。見事なまでの鼓舞と竹中半兵衛は感心する。若殿は何かをきっかけに急激に成長なさる。もはや“若殿”ではなく“我が殿”とお呼びすべき、と心の中で呟いていた。



 1579年1月、徳川軍は自軍の兵糧が尽きる前に撤退し浜松城に引き籠った。その後、織田軍が浜松に到着する前に浜松城からも撤退し天竜川の東側の南北に長い陣を敷き直した。天竜川は川幅も広く、渡河中に対岸から矢玉を受ければ大きな被害が出せると考えてであろう。

 これに対し織田軍は浜松城まで進軍したところで進路を南に切り替えた。水野信元の三千と服部、河尻の軍を川の西岸に残し全軍を海のほうへ向かわせた。海で待っているのは知多水軍の舟である。織田軍は海を渡って天竜川を越えるつもりだった。自軍と同数の兵を対岸に残された徳川軍は本隊を追って南下することもできず、かと言ってこのまま待っていても天竜川を渡った織田軍本隊に回り込まれれば挟み撃ちにされてしまう。…当に絶体絶命の状況であった。



 信忠率いる織田軍本隊が海を渡り始める。一度に全員が船に乗れないため、五千ずつに分かれての海渡である。知多水軍の舟が何度か往復したところで太鼓の音が響き渡った。


 徳川軍、突然の暴挙…一万五千全軍が一斉に天竜川を東から西に渡り始めたのである。



“天竜川の合戦”



 織田対徳川の史上稀にみる凄惨な大乱戦がここに始まった。







原田直子:原田直政の妹で信長の側室。織田信正の実母。本物語では御台様に次ぐ寵愛を受けているという設定です。


前田慶次郎、津田与三郎、日下部兵右衛門、山岡八右衛門、雑賀孫一:主人公の家臣で史実にもその名は残っております。


多賀勝兵衛:主人公の家臣で架空の人物です。


平手汎秀:史実では平手政秀の孫にあたります。(諸説あり)本物語では清州にいる浅井長政の息子の教育係をしています。


黒田吉兵衛:黒田官兵衛の息子で後の黒田長政のこと。人質として清州に送られ、平手様の教育を受けています。


福、留姫:主人公の側室で、伊勢家、久保田家の縁者にあたります。めでたく懐妊しました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 出席者は主上を取り囲む高位の公家衆を中心とし、武家からは明智様、細川様、三好様、村井様、長曾我部様、北条様と少なかった。 姓名を一部省略した形になっていますが村井まではほぼ織田家にお…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ