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15.第三次織田家包囲網(後編)

連続投稿の二話目です。



 1578年10月- 河内国天王寺砦


 織田信長からの文を読み終えた原田直政は文を小姓に渡すと暗い表情で外を見つめた。遠くに見える大坂の海を見つめながら拳を握り締める。


「…できれば某の手で片付けたかったが、大殿の命令には従わねばならぬ。」


 そう自分に言い聞かせるように呟くと振り返って家臣を呼んだ。


「数日のうちに志摩より九鬼殿が水軍衆を率いて到着される。まずは堺にてお迎えするよう手筈を整えよ!」


 命令を受けた家臣が返事と共に勢いよく部屋を出て行く。直政はその姿を目で追ったあと、再び海のほうを見つめた。


「…毛利の水軍衆は再び動く。前回の借りは必ず返させてもらう!」


 直政の決意は誰に聞かせるわけでもなく、彼自身の心の内にこだましていた。





 1578年10月- 美濃国岐阜城


 淀城から帰還した俺は、ご主君より暇を与えられた。名目は「殿の命なく勝手に淀に向かいし旨」であるが、裏では次の任務が与えられていた。


 ご主君は遠江への出陣を控えている。今回は河尻様を大将として、

 第一陣:毛利新左衛門良勝──五千

 第二陣:前田蔵人利久────五千

 第三陣:服部小平太一忠───五千

 第四陣:河尻肥前守秀隆───五千

が編成される。これ以外にも北畠信意様が一万、神戸信孝様が千五百、水野様岡崎様の三河軍五千、佐治信方様率いる水軍衆三千が合力するのだ。そして病の完治した竹中半兵衛様が陣頭に立たれる予定で、岐阜の奉行衆はその準備に大忙しになっているのだ。


 我ら小姓衆はというと、丹羽源九郎、団平八郎、稲葉彦六郎、森勝三らの領地を持つ小姓らは河尻様の与力として出陣する。大橋与左衛門、佐久間甚九郎、河尻与四郎、池田庄九郎の館住まいは留守居、伝令役として岐阜城に留まる。で、俺は再び淀に配置された。池田の親父様、土田生駒様と共に摂津に侵攻した明智様の支援だ。ご主君から正式に命令を受け兵も五百借りての任務だ。

 だが出発前にやらなければならないこともある。俺は自分の屋敷に戻ると孫十郎と考を呼び出した。考のお腹は目立つようになっており、年明けには生まれると思われる。今は(とめ)姫様の女中たちが世話してくれている。


「今、津島の氷室様をお呼びしている。明日には到着されるそうだから…二人の祝言を上げよう。」


 孫十郎が俺の言葉に慌てた。


「父上に知らせたのですか!」


「当然だ。わかっているのか?お前は翁鉄斎殿の養子となり、“芝山家”を継ぐのだぞ?氷室様にお知らせせずになんとする?」


 孫十郎は黙り込む。…狼狽える孫十郎を見るのは眼福だ。


「それに翁鉄斎殿も挨拶をしたいと申しておる。」


「……。」


「別にお前のことを誰も責めてはおらぬ。むしろ俺は誇らしく思っている。…翁鉄斎殿ももう寝たきりだ。このまま俺に尽くしてくれた芝山家を終わらせるのは偲びない。翁鉄斎殿も喜んでおる。」


「…ありがとうございます。」


「だから祝言の後もお前はここに残れ。……お前が気にしているのは分かる。弥八郎のことであろう?」


「あの者は殿に忠誠を誓うておりませぬ。」


「わかっている。だが、裏切るつもりもない。…今のところは、だが。あ奴に関してはそれで充分だ。」


「しかし!」


「我が家が大きくなれば弥八郎のような輩はいくらでも増えてくるのだ。それを御しえぬようであればこの先ご主君をお守りすることはできぬ。…お前の心配は杞憂だ。此度は留守居としてここに残れ。」


 孫十郎はしぶしぶといった表情で頭を下げた。




 翌日、氷室様が到着され、俺は氷室様と翁鉄斎殿の見舞いにやってきた。翁鉄斎殿は自力で体を起こすこともできないくらいになっていた。俺と氷室様を見て苦しそうな表情で挨拶をする。


「わざわざ申し訳ござらぬ……。」


「孫十郎の父、氷室五郎右衛門秀重に御座る。」


 氷室様は翁鉄斎殿の傍に座り丁寧に頭を下げた。翁鉄斎殿は布団から手を出すと氷室様の手を握り締めた。


 細い手……これが甲冑を着込んで重い槍を抱えて門前で構えていた爺様かと考えると胸が締め付けられた。


「芝山家を…どうぞ、よろしく…お願い申し上げまする……。」


「対馬の神官、氷室の名において…しかと承った。…ご安心めされよ。」


 翁鉄斎殿は安堵の表情を見せ、俺に向かってほほ笑んだ。


「殿…儂らを拾っていただき…ありがとうございました。…後はよろしく頼みます。」


 爺様は自分の死期を悟っておいでだ。ならば水を差すような言葉は不要。俺は黙ってうなずく。翁鉄斎殿はにこりと微笑んだ。



 その夜、孫十郎と考の祝言が行われ…翌朝、翁鉄斎殿は皆に見守られながら息を引き取った。




 1578年11月- 河内国木津砦


 目の前に広がる大坂の海で兵糧を積んだ舟が沈められていくの呆然と見守る男たち。本願寺から派遣された坊官どもが喚き散らしているが、織田軍に囲まれた状態でどうやってあの黒い巨大な舟と太刀打ちすればよいのか誰も分からず、ただ次々と沈められていく様を眺めるだけ。…これは早々にここを出たほうが良い。このままここに居ても坊官どもと一緒に捕えられて殺されるだけだ。


 男は銃を担いで櫓から降りる。同じく銃を担いだ数人の家臣が寄ってきた。


「如何でございましたか、若?」


 “若”と声を掛けられ男は表情を改める。


「大敗だ。…ここも危うい。皆を集めよ。ここを出る。」


 男が小声で言うと家臣たちは一瞬だけ顔を見合わせ四方に走り出した。男はそれを無言で見送ってから歩き出す。


(出る…と言っても何処へ行くべきか…。そう言えば叔父が織田家に仕官していると聞いたな。…朱色の鬼面を付け戦場では鬼神の如き大男だと聞いたが…。行ってみるか。)


 鉄砲を抱えた男は燃え盛る炎で赤く染まる夜空を見上げながら配下に指示を出し、夜のうちに砦を後にした。

 


 1578年11月- 安芸国吉田郡山城


 村上水軍全滅の報を受け、主だった家臣が評定の間に呼び寄せられた。上座に座るのは毛利右馬頭輝元…毛利家の当主である。その左右に“毛利両川”と称された二人の叔父、吉川治部少輔元春と小早川左衛門佐隆景で、元春は怒りを露にしており、隆景は黙って目を閉じていた。その様子を輝元は落ち着きのない表情で交互に二人の叔父の顔を見ていた。


「兄上、私の忠告を聞かずしてこの結果を招いたこと…どう責任取るおつもりですか。」


 静かな口調ながらも憤りをにじませるような声で隆景が問うと元春は唇を噛みしめて床を殴りつけた。


「お前が乃美水軍を出せば勝てたのじゃ!」


「…某は最初に申しました。此度の援軍要請は受けるべきではないと。小早川は兵を出さぬと。兄上は村上水軍だけで蹴散らせて見せると息巻いていたではありませぬか。」


 弟の反論に言い返すことができず、元春は再び床を殴りつけた。輝元が恐怖の悲鳴をあげる。隆景はため息をついて当主に体を向けると両手をついて一礼した。


「殿…此度の敗戦、我が毛利家にとって大きな痛手に御座ります。何といっても大軍を動かすための兵糧に余力が御座いませぬ。」


 隆景の迫力のある物言いに当主である輝元は震えながら頷く。


「今は宇喜多殿を盾に軍備を整えることに注力すべきかと…。」


「あ、あ、相分かった。小早川の叔父上に任せる。」


 当主の言葉に元春は舌打ちしたが、自分の失態でこうなった以上反論する術はなく、方針が決定された。毛利家は半数の兵を撤退させることになり、羽柴家と対峙していた宇喜多家は苦境に立たされることとなる。




 1578年11月- 山城国淀城


 毛利旗下の村上家が大坂に現れ、九鬼水軍と戦が行われたことが報告された。俺は城に居る家臣を集め軍議を開いた。


「難波の海で戦が行われたと聞きました。」


 まず最初に本多弥八郎が口を開く。俺が頷くと仙石殿が声を荒げた。


「鬼面殿!貴殿の言う通りになった。…何故分かったのかお教え願えるか!」


 仙石殿は俺の家臣ではない。何故ここに残っているかと言うと羽柴様に「鬼面殿に戦を乞うて来い」と言われたからだそうだ。…俺としては迷惑な話だが、兵百に矢を二千も渡されては断りようもない。


「ほう…鬼面殿はそんなことを言うておられたか。私も是非知りたいですな。」


 仙石殿の会話に乗っかってきたのは、堺の商人、今井兼久殿。このお方が戦に付いての情報を持ってきたのだ。東への交通路は今は京街道を使うほうが安全になっており、今井殿も商いの途中にここに立ち寄ったというわけだが…興味津々な表情でこちらを見ているのが少々面倒くさい。あ、弥八郎も耳を傾けてるわ。


「…今一度年の初めから状況を整理しようか。」



 年賀の儀より始まった不穏な空気、まず徳川家が織田家依存の体制から脱却しようとこれまでの借財を一気に返済した。一体何処からそのような大金を出せたのかと考えたのだが、答えは簡単である。新たに同盟を組んだ上杉家、本願寺家、毛利家から借財しただけだ。恐らく駿河の商人衆も噛んでいるであろう。返済したことにより織田家との軍事同盟は解消され独自に経営できることになったそうだ。

 3月には摂津の荒木村重が反旗を翻し、これの討伐に織田家は軍を編成しようとしたが、各々の軍が攻略対象としていた相手国が不穏な動きを見せたことにより迂闊に兵を動かすことができなくなった。

 織田家が抱える“攻勢”用の軍団は六つ。

 対上杉家として北陸戦線で活動する柴田様の軍。

 織田家離反の丹波攻略を命じられた明智軍。

 本願寺の抑えと商業都市警護の原田軍。

 対毛利を命じられ播磨平定に勤しむ羽柴軍。

 紀伊平定を命じられ新しく創設された三好軍。

 そしてご主君が率いる濃尾軍。最大兵力を有し、武田討伐に着々と準備を進めていたが徳川家によって中座させられたのだ。他の軍も敵対勢力の動きにより摂津に兵を向けることが困難になったのだ。

 荒木村重は摂津の国人を次々と取り込み、西国街道を封鎖した。これで京街道まで封鎖されれば織田家分断の危機に陥るところであった。


 ここで一つ目の誤算が生じる。


 播磨の別所家が荒木村重に呼応して織田家から離反したのだ。信長様はすぐさま対応する。淡路の筒井様、河内の和田様を羽柴様の援軍として寄こし別所家を攻めたのだ。これにより織田家周辺のミリタリーバランスが崩れた。

 反織田家連合軍の目的は互いににらみ合った状態を続け織田家を経済的に疲弊させ、最終的に朝廷を介入させて抑え込もうとしていた。その為に公家衆も明智様を通じて織田家から銭を搾り取る行動も起こした。

だが別所家のおかげで火花の中心が摂津から播磨にずれ、活発に動き始める。毛利家が沈静化を図るべく宇喜多家を動かしたが、羽柴様は上月城を見捨てる思い切った作戦で宇喜多家の攻撃を受け流し、播磨再平定に動き回った。

 ここで丹波の波多野家が別所家の救援に動いてしまう。これによりミリタリーバランスの崩壊が北に移動し、信長様は若狭の兵を動かした。戦線は北へと拡大していく。


 これに追い打ちをかけるようにもう一つの誤算が生じた。


 越後の上杉謙信の死である。


 謙信の死により柴田軍に大きな圧力を掛けていた上杉軍が越後に撤退し、北陸に集められていた兵力が一気に解放された。バランスの崩壊がさらに拡大したのだ。

 この状況に動揺を見せたのが本願寺と紀伊の根来衆だ。信長様はすぐに三好様と滝川様に紀伊に調略を掛けさせ圧力が弱まる。俺も雑賀孫一殿に命じて紀伊に向かわせた。更には徳川家討伐の命令を公に発し、ご主君もわざと大々的にその動きを見せた。

 だが柴田軍は結局越前に留まることとなった。柴田様は何者かによって暗殺された。このことはいまだ公にはなっていないが、すぐに後任を選出して混乱は収束させたが、兵は越前に待機させたままとなった。柴田様を暗殺せしめた者は未だにわかっていない。


 ここまで戦線が全域に拡大したことにより、我々が次に打つ手は見えて来た。摂津の孤立である。摂津は波多野家の支援があれば兵糧の確保が可能。ではその補給線を絶てば摂津は沈黙する。そこで信長様は丹羽様蒲生様を動員して波多野を攻め、明智様に合力して有岡城を包囲した。


 一通り説明して俺は一同を見渡した。


「弥八郎、此処まで来て敵が次に打ってくる手は何だと思う?」


「本願寺経由での支援…ですな。」


「そうだ。摂津を救援できるのは本願寺しかおらぬ。だが、彼の地も普段から織田家に囲まれた地…救援のための物資は外部から持ち込まねばならぬ。前回の木津砦では我が軍の大敗だった。此度もうまくいくだろうと思っても不思議ではないな。」


 俺は信長様から特に何も聞いていない。御台様からも文は頂いていない。だがこれは信長様が仕掛けた罠だと確信している。志摩水軍の動きが速すぎる。まるで来るタイミングが判っていたかのように難波の海に兵を向かわせている。…あー鉄甲船を見てみたかった気もするが、まあいつか見られるであろうな。


「では毛利家は我らの誘いに乗ってまんまと…」


 弥八郎が絶句した表情で聞き返す。


「そうだ。…だけど、さすがは毛利家で一筋縄ではいかぬかも知れぬ。今井殿、此度の戦に村上以外の旗は見かけたか?」


 呼ばれた今井殿は軽く考えてから首を振った。


「いませんでしたな。」


「毛利家はまだ戦力を温存できている。恐らく小早川隆景という男は今回は負けると踏んで被害を最小限に留めたやもしれぬ。…いずれにせよ羽柴様が三木城攻略で手いっぱいだ。次の相手は…徳川家になるであろう。」


 俺の話を聞くと仙石殿が手を上げた。


「では我々は次に三河遠江に出陣するとなるわけですな!」


 仙石殿は嬉しそうにしている。そんなに叩くのが好きかい。俺は首を振る。


「残念ながら、我々はここで街道の守護が任務だ。」


 なんだその気の抜けた残念そうな顔は?


「もうすぐ大和から島殿も帰ってくる。安井殿も近江から戻ってくる予定だ。情報を集め事前に動きを察知し次の一手を進言するのが我らの仕事だ。今井殿も是非帰りも立ち寄り頂きたい。」


 俺が頭を下げると今井殿は頷いてくれた。


「あ、そうだ。年が明けたら慶次郎、お前は清州に行ってもらう。…ようやくお前の嫁が見つかったからな。」



原田直政:大坂天王寺砦を本拠として十年以上に渡り対本願寺司令官として活躍しています。活動自体は控えめですが信長の信任も厚く、堺と平野の二つの商業都市の管理を任されています。


芝山翁鉄斎:伊勢の出身で応仁の乱以降衰退していた一族の長。織田家に奉公に来ていた考の伝手で主人公に仕官していました。


氷室秀重:津島の神官職を務める一族の出身で祖父江を名乗っていましたが、最近同属の氷室家を吸収しました。


毛利輝元:毛利家十四代当主で元就の孫にあたります。祖父の偉業をそのまま引き継いだのですが、織田家との抗争で領土拡大は難航し、後に自家安泰のために羽柴秀吉と和睦します。


吉川元春:毛利元就の次男で吉川家の家督を継ぎます。家中では武闘派のまとめ役であったそうで、決して好戦的ではなかったともいわれています。


小早川隆景:毛利元就の三男で小早川家の家督を継ぎました。秀吉から絶大に評価されており、陪臣の身で五大老に列せられております。


今井兼久:堺の豪商、今井宗久の子で後に今井宗薫と名乗ります。主人公とは若い時に共に小田原まで旅をしています。


鉄甲船:第一次木津川口の戦いで敗北した織田信長が九鬼嘉隆に作らせた全身鉄板で覆われた大型船。火が燃え移りにくく村上家の焙烙玉も通用しなかったと言われています。


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