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13.第三次織田家包囲網(中編1)



 1578年4月- 山城国淀城


 籠城一月目……。


 播磨の別所長治が羽柴軍から離脱した。長治正室が波多野家出身ということもあり、かねてから波多野秀治説得の使者として何度も丹波を訪れていたが進展せず、上司である羽柴様より叱責を受けていたという。それが織田家に対する不満となったのか、別所家は播磨の東に反羽柴勢力を築く形で謀反を起こした。

 これにより、羽柴様の軍は宇喜多勢と別所勢に挟まれる形で孤立することになる。羽柴様の軍が瓦解すれば、宇喜多家を支援している毛利の軍が押し寄せる危機を感じた信長様は本願寺の囲みを解き、和田惟政様筒井順慶様の兵を救援に向かわせた。これにより三万もの兵力が播磨に集まることになる。

 羽柴様は実弟の小一郎様に一万を預けて宇喜多家へのけん制にあて、ご自身で東播磨勢に攻撃を仕掛けた。


 俺が籠る淀は各軍からの微小の増援を頂いて八百五十にまで膨れ上がった。城下町の男手衆を加えれば一千にはなる。三好様からは島左近殿が、羽柴様からは仙石権兵衛殿が、原田様からは安井市右衛門様が、そして信長様からは忠三郎殿が駆け付け、軍議の間において俺を上座に一時的にその頭を垂れているのだ。正直半端ないプレッシャーでもある。だが摂津衆五千に城の周囲をぐるりと囲まれ外部との連絡手段を失い、籠城生活を始めて半月が経過しているのだ。それなりに結束力も生まれている。


 何といっても……


「このひりついた感覚…久しぶりじゃの、兄爺(あにじぃ)!」

「片腕を失くし残った腕で孫を抱くしかできぬと思うていたが、この雰囲気は堪らんのう弟爺(おとじぃ)!」


 と中座の先頭ではしゃぐ隻腕のお二方。


「お二人とも静かにして下され、他の者が引いております。それに“(そう)”も“百丸(ひゃくまる)”もあなた方の孫では御座いませぬ」


 と窘めても、


「儂らは貴様の為に兵を率いて来てやったのだ。それに茜殿は力を貸せば“じいじ”と名乗っても良いと言って下されたのじゃ!」


 …俺は“貴様”で茜は“殿”かよ。それにつれてきた兵も我がご主君が俺の為に与三衛門に与えた兵じゃないか。厚かましいにもほどがある。…だがこのお二人によってこの混成部隊がぶつかり合うこともなくまとまっているのは確かだ。既に城の周囲は摂津衆五千が囲っており、睨み合いが続いている。兵糧はなんとか三か月分を確保した。この間に動きがあれば俺たちは生き残れるチャンスがあるだろう。俺は好き勝手に言い合っている方々を前に大きく咳ばらいをすると、地図を広げて状況を説明した。


 現在、近江を中心にして四方八方に軍対軍の対峙が行われている。我がご主君率いる濃尾衆は甲斐武田、遠江徳川。南信濃の木曽家が織田家臣従の動きを見せたことにより、活動が活発化している。徳川家は先の年賀の儀での件があり、商人衆を甲斐と遠江にばらまいていたのだが、摂津衆の謀反により三河国境付近にまで撤収させ、特に徳川家の動向を伺っている。このため、自国防衛優先として軍編成を行い畿内に兵は出せていない。

 同様に、紀伊攻略を公に計画していた三好様、北畠様、滝川様もけん制のため動けず。羽柴様の救援の為に和田様と筒井様が播磨に向かわれたことで、原田様は本願寺監視に全力注視が必要になり、柴田様は上杉家と全力合戦中で若狭衆もこれに合力している。池田様、細川様、生駒様は自城を守るのに手いっぱいなので我らが籠城するだけでは、状況は好転しない。


 何かもう一つ動きがないと…。


 皆が地図を睨みつけて考え込んだ。本多弥八郎が不意に腕を伸ばし、惟任様に見立てた駒を掴んだ。


「村重の軍に動揺を与えるのであれば、明智様の軍が最も良いです。ですが、明智様…惟任様ですね、は丹波の軍勢を抑える役目も担っております。これをどうにかできれば…。」


 弥八郎は丹波衆に見立てた駒を握り唸った。やはり本多正信という男は頭が回る。だが、半兵衛様に比べるともう一歩…というところか。


「弥八郎…丹波勢を動かすとすればどこへ動かす?」

「隣国へ追いやることができれば良いのですが…まてよ…隣国…播磨に向かわせれば!」


 弥八郎は声を張り上げた。気づいたか。


「そうだ。波多野家と別所家は姻戚関係がある。別所長治が窮地になれば波多野家が動く可能性が高い。…恐らく信長様はそれを見越して羽柴様に増援の指示を出されたはずだ。…だが羽柴様は自身の補給路確保のために、軍を動かしている。羽柴様が信長様の意図に気づき、別所家に的を絞って動いて下されば…。」


「誰かが馬を飛ばすことはできぬか?」


 忠三郎が意見を言うが俺は首を振った。


「本願寺または摂津衆がこれを阻んでいると思われる。現に隠密を得意とする生駒衆が交野に封じ込められておる。」


 安井市右衛門様が消沈な表情で言い返した。この男も平野の商人。畿内のモノの流れが止まっていることにいち早く察知したか。…だがこれが相手の計画通りなのか突発的なのかを見極める必要がある。それには自由に物見できる駒が欲しいところだが…籠城している我々には無理であろうか。もう少し巻いている敵の数が減ってくれれば何とかできるのであろうが…。


 暫く考え込んで俺は意を決した。


「皆の者…元は仕える主は違えども、今だけは私にその命を預けてほしい。」


 俺は改まったように頭を下げる。


「…これから言う事は他言無用。…まあ、言ったからといって罰することはできぬがな。」


 俺はわざと破顔して見せ雰囲気を和ませた。


「嘗て織田家は二度…領国を取り囲む反織田派に包囲網を敷かれ、苦戦している。だが、いずれもある作戦によりこれを乗り切り包囲網を打破した。大殿はこれを“織田家大城郭”と呼んでいる。我らは領国内の要所に一定の将兵を常備して互いに監視・連携・支援ができるように連絡網を整え、籠城することを前提に敵からの攻撃を最小限の兵力で対応できるようにした。これにより相手の消耗を誘い、隙をついて大殿率いる精兵でもって敵を倒す……この戦法で二度の大事を乗り切り、攻勢に転じた今でもその体制は失われておらぬ。」


 何人かがこれに頷いた。


「だがこの作戦、唯一にして最大の欠点が御座る。…それはこの体制が維持されたまま攻勢に転じることで各々の軍事的機能は制限されてしまうからだ。」


 全員すぐには頷かなかった。まあ…わからないよな。


「柴田様を例に挙げよう。柴田様は主に北陸方面の敵と対峙されている。兵力も在地国人も登用し三万にまで膨れ、先日も上杉家と一戦交えておられる。…ではその三万もの兵を今何処かの救援に回せるかと問われれば…無理であろう。大兵力が近隣に駐留しているとなれば上杉家も対策をされているし、それが移動するとなるとすぐにその情報は相手にも漏れてしまう。また動かすだけでも出費が馬鹿にならない。つまり、結局柴田様率いる軍勢の機能は対上杉だけに限定されてしまっているのだ。」


 ここで全員が息を飲んだ。俺の言っていることが分かってきたようだな。


「守勢時に城を守っていた兵力がそのまま膨らんで攻勢時の兵力として集合しているため、大兵力を有していても領地を守りつつという制限事項の為に行動範囲は限定されてしまっているのだ。守勢の時には城を守る兵の他に信長様、勘九郎様独自の軍勢がいたが、今は信長様は手持ちの兵を各方面軍に貸し与え、勘九郎様も信濃甲斐三河遠江に対する防衛専守の状況ゆえ…。」


「なるほど。殿のご見識は見事なものでよくわかりました。」


 弥八郎が納得した表情で手を上げつつ言葉を発した。


「ですが、我らは城に縛り付けられ、身動きの取れぬ身…。どうしてこのような話を?」


 弥八郎の質問は尤もだ。だが俺にはこの危機を皆で脱するために言わねばならぬことがある。




 俺は面頬を取った。


 慶次郎が「あ!」と叫ぶ。皆が俺の顔に集中する。大和若人衆の表情がひきつった。


「この顔を知っている者もいよう。…これが“鬼面九郎”こと津田九郎忠広の正体だ。…名を久保田吉十郎忠輝…という。」


 ざわつく。特に小姓たち。安井殿も驚いている。何度かお会いしていたと思うが鬼面と吉十郎が同一人物とは知らなかったようだ。島殿も驚いている。兄爺弟爺はにやにやしておられるわ。


「“織田家大城郭”の作戦…あれは私が献策したものだ。当時はこのような弱点があると気づいていなかった。このような危機に直面して私の作戦に穴があることに気づいたのだ。…増長した考えやも知れぬが自らの手でこの危機を脱したい。それができずとも誰かに伝えたい。」


 俺は小姓たちを見た。皆複雑な表情をしている。そりゃそうだ。日々の鍛錬を見守る師匠でありながら、親の仇でもあるのだ。


「…すまぬな。この戦が終わればお前たちをどうするかご主君に相談しよう。」


 誰も返事はしない。どう返事してもいいのかわからないからであろう。俺はそれに対し何も言わず、また正面に向き直った。


「織田家は今摂津に大きな楔を打ち込まれ、各軍が思う様に動けなくなった。更にこの城が敵の手に渡れば京と西を繋ぐ道が絶たれる…。奪われるわけにはいかぬのだ!」


 俺はこぶしを握り締める。皆が俺を見ている。ならば感じてくれ、この俺の思いを。


「現状を打破するためには、領地を守る兵力と敵に攻め込む兵力は完全に分離独立させなければならないことだと推察致します。…ですが現状はそのような兵力は何処にもなく、新たに浪人どもを雇い入れるしか…。」


 弥八郎は表情を変えず状況を説明する。


「そうだ。だが今からそれをしても間に合わない。現時点で俺の理想に近い編成を組みつつあるのが羽柴様だ。播磨の軍勢がこの糸の絡まりをほぐして頂けることを期待するしか……ないのだ。」


 俺は天井を見上げる。現状、俺たちはこの城を守ることしかできない。…だが俺は知っている。1578年…この年の出来事を。それがこの世界でも起こるのであれば…転機が訪れるかもしれない。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 淀城での籠城戦は私にとって大きな転機であった。と言ってもこの年に発生した第三次織田家包囲網からの脱却に直接関与していたわけではない。私は只迫りくる摂津衆を必死で追い返していただけである。


 だが…私は“鬼面九郎”の正体を見せたことにより、ここで出会った島殿、仙石殿、忠三郎、道頓との友誼は死ぬまで続いたのだ。


 それにしても、猛将の名にふさわしいあのお二人は淀城では精神的支柱であった。名将と呼ぶべきであろう。真の将とはその存在だけで部下を奮い立たせ恐れに打ち勝つ心を持たせ、そしてそれを持続させるものなのであろう。


 城に籠った我らは結局半年守り続けることになった。敵は摂津衆に加え伊賀の残党さらには本願寺の僧兵までもが加わり、生きた心地がしなかったことを今でも覚えている。


 結論を言うと、第三次織田家包囲網をまとめ上げていたのは伊賀衆であった。先の大和仕置きに加担して故郷を追われた伊賀衆は東西に散らばり、それらが周辺諸国を結び付けた。

 昔から伊賀国は幕府や朝廷との結びつきが強く公家衆も避難場所として度々下向している。実際に公家衆の血を引く者も多く、また幕府や朝廷の命を受けて各地に潜伏している輩もおり、繋ぎ役としてはうってつけであったようだ。これにより再び毛利と本願寺、紀伊と摂津、上杉と武田までが協力関係を結び、各国から銭をかき集めて徳川家を味方に引き入れることまで成功したのだから、その外交能力は恐るべきものである。最も信長様を憎んでおきながら「自分たちはパイプ役」の立場に徹しその存在を闇に隠した手口は“忍者”そのものであると言えよう。事が思い通りに運んでいれば織田家は資金難により倒産していたことであろう。


 だが、敵が予想もしない出来事が二つ発生した。


 一つは播磨の豪族別所長治が謀反を起こしたこと。別所家は早くから織田家に臣従し、羽柴様の与力として周辺国の調略に貢献していた。ところが波多野家への説得交渉が進展できなかったことで羽柴様との仲が急に悪化し逆に波多野家の誘いを受けて寝返ったのだ。織田家はこれに対応するために、河内の軍を播磨方面に無理やり動かしたことで周辺地域の軍事的バランスが取れなくなり、毛利家は播磨攻撃を試みるも羽柴様は上月城を犠牲にしてこれを撃退した。


 もう一つは越後の軍神…即ち上杉謙信の死…である。


 ~~~~~~~~~~~~~~



 1578年6月- 山城国淀城


 籠城三月目……。


 城を囲む兵の数が減っている気がする。俺は家臣を集め軍議を開いた。


「状況を知りたい。外の様子はどうであろうか?」


 俺の質問に本多弥八郎が応える。


「のぼりの数が減っているように思えます。しかしながら三千はいるのではないでしょうか。」


 弥八郎の意見に兄爺弟爺が頷いている。減ったとみて間違いないだろう。…とすると周辺で何かが起きてこれに対応するために兵力の移動があったか。…何にしても情報が欲しい。


「兵糧はどうだ?」


 この質問には木村重茲が応えた。


「切りつめても十日ほどしか持ちませぬ。…この機に外から運び込むことはできませぬか?」


 十日…持ったほうだな。俺は安井殿を見る。


「わたくしめが何とかして参りましょう。」


 安井殿は俺の意を組んで声を上げた。


「慶次郎、重茲と百騎を預ける。桂川、宇治川を上ってかき集めてくれ。」


 三人は各々表情を引き締めて返事した。


「それと情報も欲しい。何か得られればすぐに使いを寄こしてくれ。」


「承りました。」



 今できることは限界までやる。今の俺たちの結束力ならば多少兵が減っても耐えられるだろう。もしかすると俺たちが兵を引き付けることで戦局が変わるかもしれない。



 五日後、俺たちは戦局に動きがあったことを知る。羽柴様が三木城を包囲し、別所長治の救援に波多野家が明智軍との戦線から離脱し、停戦した越前から戻ってきた丹羽軍が丹波になだれ込んだそうだ。これで摂津衆の動きは大きく変わる。





別所長治:赤松家の庶流で播磨東部に勢力を張る豪族。早くから羽柴秀吉の与力として中国地方進出に貢献していたそうですが、秀吉とは反りが合わなかったのか波多野秀治の謀反に呼応して反旗を翻しました。その後あの有名な「三木の干し殺し」によって自害しています。


宇喜多勢:後に秀吉に息子の秀家を託す宇喜多直家のことですが、この頃は毛利の傘下にいて秀吉とは敵対しています。


仙石秀久:美濃の国人で織田家が美濃を攻略した頃に臣従し秀吉の与力となります。詳しくは某漫画を読んでください。


安井成安:平野郷の商人で史実では秀吉に仕えます。剃髪後の名を道頓といい、大阪の道頓堀の名の由来になります。


兄爺弟爺:長篠の戦いで隻腕となった元武田家の老将で兄が馬場信春、弟が内藤昌豊です。主人公の息子、娘にデレデレです。


上月城:史実では主家再興を成就せんと西国各地を転戦した山中幸盛が最後に守った城です。幸盛は羽柴秀吉配下として毛利戦に活躍しておりましたが、上月城で籠城した際には味方の救援を得られず捕虜となり、安芸に移送される途中で殺されたそうです。史実は上月城の戦い⇒別所長治の謀反⇒荒木村重の謀反という順番になります。


上杉謙信:本物語ではほとんど主人公とは絡まないキャラのため、登場即退場となってしまいました。史実では柴田勝家と対峙中に倒れたそうです。(実際は出陣直前に厠で倒れたとか)


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