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12.第三次織田家包囲網(前編)

今話も説明回的内容になっています。


摂津から始まる一連の戦いは



 1578年3月- 丹波国亀山城。


 丹波平定の足掛かりとして築いた亀山城の広間で明智光秀は生駒親正からの文を読んで肩を落としていた。

 摂津の荒木村重の謀反。摂津はすぐ側の国ということもあり明智軍の去就に大きく影響を与える連絡は光秀に落胆の心情を植え付けていた。


「大殿より、村重の行動の可能性については聞かされていた。我らも摂津の状況に注意し常に一定の兵力を摂津側にも配置していた。…だが織田家の兵力が畿内に集まらんとするこの時期に何故?」


 独り言のようにつぶやく光秀を腹心の斎藤利三と三宅弥平次が見守っていた。その様子に気づいた光秀は二人に笑顔を見せた。


「すまんな、暗くなっていたようだ。前向きに考えよう。利三、まずは前線の兵を亀山まで引き上げるよう伝えよ。それから京への退路確保の部隊を編成するのだ。」


 斎藤利三は返事をすると弥平次に視線を向けた。


「すまぬが…今から尼崎城に行ってくれぬか?」


 弥平次は主君の言わんとすることを瞬時に理解した。尼崎城は荒木村重の子、村次の城。そして光秀の娘、(りん)が嫁いだ先である。


「…如何いたす方針でありましょうか。」


「あ奴は父の摂津守殿とは違い、純真で野心がない。何といっても私の娘婿だ。できれば摂津から引き離し自陣に迎えたい。…だがそれが可能かどうかはお前が見極めるのだ。」


 親として複雑な思いがあるようで、光秀は思い詰めた目で弥平次に指示を出した。弥平次も主君の事はよく理解しているようで何も言わず黙って頭を下げ部屋を出ていく。

 場合によっては捕えられるかもしれない。だが織田家の為、明智家の為、そして娘の為にもやらねばならぬこと。感情を押し殺して弥平次の背中を見送ったあと、光秀は利三に聞こえるようにつぶやいた。


「…京に戻るか。公家衆であれば何か知っているかも知れぬ。だが彼らに近づけばまた大殿に疑いの目を向けられかもしれぬが…。」



 1578年3月- 美濃国岐阜城。


 生駒親正からの報告は若き城主、信忠の心をざわつかせていた。荒木村重については父からも吉十郎からも聞いていた。明智光秀による丹波攻略の時も特段素振りも見せておらず、羽柴秀吉の宇喜多討伐でも動きはなかった。故に村重と通じているのは本願寺と思い、此度の紀伊遠征ではあまり注視していなかったのだ。それは信忠だけでなく、他の重臣も同様であった。それだけに突然のこの知らせは織田家に衝撃を与えたのだった。


「半兵衛…考えていることを述べよ。」


 信忠は何度も首を傾げ唸っている竹中半兵衛に気づいて声をかけた。


「は…この知らせ、私にはどうも解せませぬ。」


「それは、この報告は誤り…ということか?」


「いえ、そうではなく…いくら大殿と不和であったとはいえ、思慮深く摂津国人から人望のあった荒木殿が感情に任せて暴挙にでるとは思えず…。」


「だが、数年に渡って父上より領国の運営、外交方針、公家衆の扱いについて圧迫を受けていたのだ。どのように考えが行き着いてもおかしくはないと思うが?」


「織田家と対立するという考え自体は想定できます。実際に我らもこの可能性を考慮し活動しておりました。そこではなく“何故この時期なのか”というところです。」


 半兵衛の疑問に皆が頷く。


「確かに疑問だな。摂津の周囲には戦に備えた大軍が囲っている状況だ。それらが一斉に自国に向かえばひとたまりもないだろう。」


 言いながら信忠も村重の行動がおかしいと考える。その様子を見て半兵衛も残念そうに頷く。


「そうです。摂津の周囲には戦支度の整った軍がいます。ですがそれらは元々摂津方面と反対の方向に向いていた軍…つまり、羽柴様は備前、惟任様は丹波、原田様、三好様、畠山様は紀伊、我らは甲斐…。ここで摂津が敵対した場合、本国である近江と各軍を結ぶ連絡路に大きな障害を発生させることになります。」


 半兵衛の説明に平手久秀が同調する。


「そうだ。だからこそ各方面軍は自軍の矛先を反転させて……あ!」


 自分で言いながら久秀は何かに気づき大声を上げた。その様子を見ていた半兵衛が肩を落とす。


「平手殿のご様子だと、私の考えは凡そ合っていると思ってよさそうですね。」


「どういうことだ?半兵衛説明せよ。」


 信忠はまだわからないようで半兵衛に説明を求めた。半兵衛の考えはこうだった。



 現在、織田家の各方面軍の軍事的な運営はその司令官に任せている。武具の調達から兵糧、人員確保など軍を維持するための必要作業は自分たちで行っている。とは言っても全てを独自で賄えるわけではないため、部分的には織田家から提供を受けて戦線を維持していた。資金であったり兵糧であったり、武具、馬、人足など多岐にわたる。これを請け負っているのが、土田生駒衆と西野衆、つまり交野の生駒親正と山科の淡休斎である。この二つの組織は織田家支配領に連絡網を敷き情報収集と物資運搬を請け負っており、またそれぞれに枚方の池田恒興、金ヶ崎の村井帯刀という独立した軍組織も持って運営している。主に西方面は生駒、東方面は淡休斎というような役割となっており、大きな戦にもなれば荷駄隊として従軍する場合もある。実際に村井帯刀は柴田勝家軍物資運搬の担当として加賀に派遣されている。


 この体制の要となるのは堺、平野郷、京、安土を結ぶ二つの街道である。


 1つは西国街道で、京から播磨を結ぶ重要路となっている。もう一つが京街道で京から堺方面に伸びている。


 このうち淀川の北部を通る西国街道で荒木村重による略奪が行われたのだ。このため、物資の運搬経路は限定されてしまい、畿内で燻る反織田派組織や野盗に狙われやすい。織田軍としては一刻も早く物流経路の復旧のために摂津に兵を向けることになる。


 だがそれは同時に自分たちが担当していた攻略相手に背を向けて兵を進めることに繋がる。このため、自軍の何割かを防備に回した状態で摂津に向かわねばならず、且つ自軍の負担も大きい。補給も滞る可能性もあるのだ。


 つまり、摂津討伐に対して消極的にならざるを得ない条件が幾つも浮かび上がってしまったのだ。これは各方面に独立した軍司令官を配置して全方位への同時侵攻作戦の大きな弱点といえる。

 敵方は自分たちが相対する軍が背を向けたらちょっかいを出すだけで良い。対する織田軍は各自担当するエリアに出て来たモグラを叩きつつ本丸となる摂津に攻撃を仕掛けるという二方面作戦を進めなくてはならない。


 信忠が抱える濃尾軍の場合、直接摂州と接しているわけではないので比較的自由度がきくと思われるのだが、実はそうではない。今年の一月の件により、神経の大半を徳川家に向けなければならない時期だったのだ。そもそも派兵できる兵数に制限を持っていたのだ。


 一通りの説明を終えた半兵衛はため息をついた。


「…三度目の織田家包囲網か。首謀者は本願寺であろうか。しかしながらこれだけ壮大な計画を立てられる人物などいたのか?」


「若殿様、本願寺が首謀と決まったわけでは御座いませぬ。いずれにしてもこのことは大殿にご報告し指示を仰ぐべきかと。」


 平手久秀の進言に信忠は渋々といった表情で頷く。


「…仕方がない。三河、甲斐に出張っている商人衆を引き上げさせよ。それから兵力を二か所に集結する。大垣城と沓掛城だ。大垣は新五郎、沓掛は信元に指揮を任せる。半兵衛、軍の再編は任せた。それから物資の調達を交野に依頼…くそ!」


 信忠は指示の途中で舌打ちして扇子を叩きつけた。


「久秀!物資の調達を頼む。」


 平手久秀は渋い顔で承知した。正直得意分野ではないために替わってもらいたいところだが、そうも言ってられないのだ。


「無吉はどうした?あ奴の意見を聞きたい。」


 不意に友の事を思い出した信忠は周りを見渡すが久保田吉十郎の姿はここにはなかった。庭先で待機していた小姓の大橋与三衛門が声を張り上げた。


「申し上げます!吉十郎は先ほどの文の内容を知って早々に淀城に向かわれました。」


「…淀は摂津にも近く、街道分断のためにもっとも狙われる可能性のある城の一つですな。」


 半兵衛が抑揚を抑えて説明すると信忠は自分も冷静さを取り戻すよう大きく深呼吸した。


「…与三衛門、何人か率いて淀へ向かってくれ。無吉の指揮下に入り無吉が何をしようとしているのか見定めよ。」


「若殿様…無吉は何かに気づいて慌てて淀へ向かったとお考えですか?」


「そうでなければ、私に挨拶もなしに此処を離れる理由がない。」


 信忠は吉十郎の性格を理解しているようで彼の行動を咎めるよりも心配するほうに心を寄せていた。与三衛門も主君の心の内を理解し「畏まり候」と言って立ち上がると急ぎ足で走っていった。後を見送った後信忠は上座に座り直しため息をつく。その吐いた息の重さは周囲にも十分伝わるほどであった。




 1578年3月- 山城国淀城。


 俺は十五人ほどの手勢を連れて淀城に到着した。甚助様からの報告から既に二日経つ。文を送るのに二日掛かったと考えると村重が行動を起こしてから五日は経ってると見ているが、淀城が襲われた形跡はない。俺は鬼面を被り入城する。すぐに大和の小姓たちがやってくる。


「お帰りなさいませ!」


 俺に丁寧な挨拶を行って馬の轡を取る。


「変わりはないか?」


「丹波より前田慶次郎様がお戻りで御座います。」


「話を聞いたか?」


「いえ、あの、本多様が応対なさっております。」


「わかった。主だった者に声を掛けて広間に来るよう言い渡せ。」


 相手は俺の只ならぬ雰囲気を察したのかすぐに行動に移った。館に到着すると弥八郎が玄関で待っており無言で会釈する。


「軍議を開く。」


 俺は手短に要件を言って奥の間へ進んだ。…相変わらずこの男からは感情的なものが見えないが、知略は前世の記憶通りすごいものがある。此度の件もこ奴の意見を聞いて対策を考えようと俺は思っている。


 奥の間で待っていると、ぞろぞろと家臣達が集まってきた。木村常陸介定重、本多正信はもちろん、大和の小姓も女中頭も加わり、奥の間は人でいっぱいになった。部屋の中央には丹波から戻ってきた慶次郎が俺の合図を待ってじっと座している。俺は頃合いを見て声を発した。


「慶次郎、報告しろ。」


 慶次郎は惟任様の陣で聞いた村重の事と、惟任様ご自身のこれからについて説明した。村重の件は俺が岐阜で聞いた内容と同じであった。追加情報としては、姫様の嫁ぎ先である村次のところへ使者を出していることくらいか。兵力は亀山城に集中させ、不測の事態には京に戻れるように手配されている。

 …つまり、惟任様()摂津に直接侵攻せず、受け身の体制になられた…ということだ。

 俺は一息ついてから全員を見た。皆が俺の指示を待っていた。


「まず、女中どもは最低限の人数だけ残し城を出て山科へ向かえ。人選は任せる。常陸介、手配をしろ。」


 木村定重と女中頭のはつ(・・)が返事をする。


「次に城下の者は全員ありったけの食い物を持って内堀の中に入れろ。但し、餓鬼や赤子のいる母親は南の村に逃がせ。」


 俺の言葉に弥八郎が相槌を打った。


「では必要な人足と食料を抱えて…籠城ですな。」


「そうだ。」


 家臣たちの表情が変わった。慶次郎の報告から戦が始まることは予感していただろうが、すまんな、いきなり最終手段なんだ。


「どれだけ多くの敵が来ようが全力で死守し、此処より山城へは一歩も行かせぬ覚悟で挑め。」


 緊張した表情を見せながらも全員が頭を下げる。


「…して、我らはどれほど籠城すればよろしいのですか?」


「味方の軍が反撃に出るまでだ。」


 俺は現状を説明した。反旗を翻した摂津の周囲には惟任軍、羽柴軍、原田軍、三好軍、畠山(滝川)軍、濃尾軍、柴田軍、丹羽軍、蒲生軍がある。このうち丹羽様と蒲生様は信長様指揮下の軍のため、独立した行動はできないし、近江と京の守備を任されている軍なので、基本的には動けない。その他の軍はそれぞれ対応する敵を抱えており、それを無視して摂津に向かうことはできない。後背の憂いをある程度排除すれば転進できるであろうが最低でもひと月は掛かるだろう。それまで敵の攻撃を受けるのは、細川様の勝竜寺城、池田様の枚方城、生駒様の交野城、そして我ら淀城だ。池田様、細川様は元々兵力を有しており攻撃に耐えうる堅城を守備される。交野は米の集積地として改修して兵も十分に配備されている。…残るは川に挟まれた天然の堀を持つ我が城だが…この時期は水かさもなく四方に配備する十分な兵力もない。敵からすればどこが攻めやすいか瞭然であろう。

 それを丁寧に説明すると皆の表情がまた変わった。青くするもの赤くするもの見開いて驚くもの…その中でも弥八郎は表情を消していた。


「恐れ入ります!三好大和守様の使いという者が参っております!」


 突然の声に驚き全員が振り向く。伝令の小姓がおびえた表情で立っていた。

 三好様?いったいどういうご用件…まさか城を捨てよとでも?


「ここへ通せ!」


「あ、あの、三十騎ほどを従えておられるのですが…?」


「全員城内に入れて構わぬ!」


 俺の怒鳴り声に慌てて小姓は駆けて行った。弥八郎がつぶやく。


「城を捨てろ…という話かも知れませぬな。」


 ここで言うのはやめろ。…ほら他の者たちが不安そうな顔に変わったではないか。


 不安そうな皆の顔を見つつ待っていると甲冑姿の男が小姓に連れられやってきて下座でドガっと座り一礼した。


「はじめて御意を得ます、島左近清興と申す。主大和守の命により三十騎を従え馳せ参じ候。これより“津田九郎”殿の旗下にて如何様にもお使い下されたし。」


 俺は思わぬ人物の登場にずっこけそうになった。それと同時にある可能性が頭に浮かぶ。


「…慶次郎、日向守様からのご命令は、俺への報告の後はあるか?」


「…いえ、何も申されておりませぬ故、ここに留まろうかと思うておりました。」


 そうか。(そなえ)を編成して出張るとなると出発するだけでも時間がかかるが、騎馬のみ二十~三十騎程度であればすぐだし、受け入れも楽だ。もしかすると他の国からも来客があるかもしれない。


「左近殿、この地は激戦になるやもしれぬ。貴殿のお命を俺に預けることになるかも知れぬが良いか?」


「このような心振るえるような機会を得られたこと、感激の極み。如何様にもお使い下され。」


 …島左近って意外と戦馬鹿な性格なのか?…だがありがたい。三百にも満たない兵数のこの城にこのような増援はありがたい。これで少しは望みが出て来た。後は兵糧がどれだけ持つかによって皆の生存率も変わってくるであろう。



斎藤利三:美濃の国人で斎藤道三とは別系譜の斎藤家になります。美濃斎藤家が滅ぶ直前に西美濃三人衆とともに織田家に臣従し、その後明智光秀に仕え、明智家の重臣となります。史実でも最後まで光秀と同行していた忠臣として描かれています。


三宅弥平次:後の明智秀満ですが、この時点ではまだ明智光秀の娘と結婚していません。


荒木村次:村重の嫡男です。史実では謀反に同調しますが、有岡城落城直前に父と共に逃亡し、後に豊臣秀吉に仕えたそうです。


明智倫:光秀の娘です。実際の名が倫だったかどうかは分かりません。荒木村次の室となりますが、村重謀反の差異に離縁され明智家に送り返されています。その後三宅弥平次と再婚することで、明智秀満と名乗ることになります。(諸説あり)


はつ:淀城内の女中のまとめ役。架空の人物です。城持ちの武家は城内に家臣の親族、商家の娘などを登城させ、身の回りの世話などをしていました。食事の準備、衣服の着替え、掃除洗濯、時には夜の相手なども行っていたそうです。


島清興:元々は筒井家に仕える家柄でしたが、筒井順慶が淡路転封となった際に大和に残り、三好義継に仕えているという設定です。史実では順慶の子定次と不仲になって出奔しており、その後豊臣秀長に仕えたそうです。有名な逸話は石田三成に所領の半分を渡され仕官した話でしょうかね。


※史実では別所長治が寝返った後に荒木村重が寝返っていますが、本物語ではまだ別所長治は羽柴秀吉の旗下にいます。


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