8.信貴山城の戦い(後編)
このご時世、在宅ワークの合間を縫って書いています。
意外と仕事にも集中しつつ、書き上げられているのではないかと自画自賛しています。
それでは本編をどうぞ。
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1577年10月-
ご主君による「大和仕置き」が行われた。
この戦により、嘗ての大和国主であり、織田家に降伏後はご主君の相談役として仕えていた松永道意斎をはじめ、多くの名家が討伐される。
伊賀も多くの国人が三好軍に討伐され、その力を失った。大和も道意斎に加担した多くの国人衆が討ち取られ領地を没収される結果となった。
だがこれは織田家が仕組んだ謀によって起こった反乱鎮圧である。正確に言えば私が計画し、伊賀大和の国人衆を誑かし、道意様に旗頭になって頂き、三好様にワザと大和から丹波に兵を出して頂いて挙兵の機会を作って成しえた戦であった。こちらは予め起きる挙兵に備えて準備はしており、道意様との綿密な打ち合わせでもって挙兵からの行動予定も決まっていたため、反乱を起こした集団を追い詰めるのは造作もないことであった。
近江から逃亡していた浅井久政、六角承禎もうまい具合に信貴山の支城に籠らせ、伊賀に逃げようとしたところを捕えることもできた。後は道意様を落城直前の信貴山本城から脱出させれば完成であったのだが…。
結果として大和国人は一掃され、改めて三好家臣団による国内統治が強化された。戦に加担しなかった筒井家は淡路転封となり、伊賀の弱体化にも成功した。天下統一の為に冷徹な態度でもってことにあたったからこそ成しえた成果である。
だが、道意様は最後の最後で情を示された。
…大和の若い衆だけでも助けたい。
その思いをもって本城に残り、降伏という形をとって城に残る兵の助命を嘆願された。
元よりご主君は仕置きをするのに大和衆の命まで奪おうという気はない。道意様の意図を汲んで降伏勧告の使者を出しこれに応えた。助命した若人衆はご自身の直臣とまでされた。
だが、私はご主君を守る立場として新たに加わる大和衆らに厳しく接しなければならない立場である。若い奴らがこの先ご主君に反旗を翻すことがないよう脅しておく必要がある。
後に大和親衛隊と呼ばれご主君の身辺警護を担う若人共は道意様が私に託された者たちであったことを残しておこう。
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「き、吉十郎!なんでお前が!?」
羽柴様の甲高い声が響き、一同の視線が俺に集まった。俺は膝を立ててゆっくりと前に進み部屋の中央に座り直して改めて一礼した。
「恐れながら、此度の戦、大殿様より“根絶やしにせよ”との厳命を頂いておりまする。若殿と言えど大殿の命を破って助命などことはできませぬ。ましてや大殿に歯向うた者の命一つで賄うことなど到底できませぬ。」
ゆっくりと静かに抑揚をつけてご主君に言上する。羽柴様は普段と違う俺にどう口を挟もうかと様子を伺っている。ご主君も俺の様子にぽかんと口を開けていた。
勘九郎様、我がご主君が無駄に命を奪うお方ではないことを俺はよくご存じに御座います。なれど織田家の棟梁としての威厳と度量と戦慄を持って頂かねばこの先織田家に歯向かう者らへの示しがつきませぬ。ここはわたくし目にお任せくださいませ。
そう目で訴え上目遣いで頭を下げる。
「私は道意に既に降伏の使者を出しておる。それをなかったことにして此処にいる者を斬れと申すか?」
「はい。」
今度は抑揚のない返事。下座で控える若者らはその声に恐々とした様子を見せる。
「確かに彼らは織田家に歯向かうという過ちを犯した。だが、私は棟梁としてそれを許す度量を見せるべきではないか?」
「天下布武の邪魔をする許すまじき者に厳罰を処す覚悟をお見せするべきです。」
「実際に此の者らが企てたのではあるまい。」
「奴らはこの通り武具を纏い、企てに参加しております。…それに企てた者を罰するというのであれば、此度のこの企て…この私が全てお膳立てをしたもの。真っ先に罰すべきは…この私に御座います!」
俺の吐き出した言葉下座で控える大和衆がざわつく。その様子に羽柴様が慌てだし「し、静まれぇい!」と怒鳴り声をあげた。
まさかのカミングアウト。さすがのご主君も道意様も驚いている。だって仕方ないじゃない。これを言わないと俺がここに道意様と一緒に座している説明がつかないし。…とか考えてたらご主君の視線が鋭くなった。ちょっと怒っているようだ。
「無吉よ。その企てを許したのは誰じゃ?それこそ大殿であり、私であるのだ。…確かに大和は以前より朝廷、幕府、寺社を脅かすならず者の集まりになっておった。だがどこの国にもそのような民を顧みない国人共が闊歩しておる。そのような者共を踏みつぶし、再び日の本を一つにまとめ上げ、新たな秩序のもとに民を統治することが我が父上の願いであることは確かだ。だがこれにこ奴らは不要だと申すか?」
国を統治するための人材確保。
織田家が最も取り組むべき課題であり、勘九郎様が将来信長様に替わって全国を統治されるときに必要なこと。道意様が救おうとされる若者の中にこれを担う者がいるかどうかはわからないが、俺は敢えて否定する。
「不要です。先ほども申した通り、大和を新たな秩序で統治するには既存の国人衆は不要である…と既に決定しております。」
「だが、実際に会うてこ奴らの目を見てそれは勿体ないと思うた。」
「そのようなことを言っておられては、なかなか前に進みませぬ。まずは既得権益に、目の前の土地や利権にしがみ付く者共の排除、これを優先すべきです。」
「こ奴らは今や何にもしがみ付いてはおらぬ。」
「此の者らを生かしておいては遺恨が残り、必ずや何かにしがみ付きまする!」
「私は恐れない。報復を恐れていては織田右近衛大将(信長の役職)の息子などやっていけぬ。」
俺は吹き出しそうになるのを堪える。ご主君は真面目に言われているのだ。時々こういう子供じみたことを言い出す。そのへんは信長様も一緒だと思うのだが。
「わかりました。それではこの者らの命は取らぬものと致します。」
俺は物分かりのいい体でご主君に頭を下げる。俺とご主君の一挙手を伺っていた若人衆の表情が変わる。だが顔を上げた俺は彼奴らを睨みつける。こういうのは最初が肝心だ。
「聞いての通り、貴様らの降伏は受け入れられこの場内で命だけは助けてやることになった。」
俺の高圧的な態度での物言いに更に表情が変わっていく。
「所領は全て没収とするが、喜べ、秋田城介様の直臣となる許可を与えてやる。」
若人衆の表情が険しくなる。そりゃそうだろ。勝手に自分の主君を決められてるんだから。だが、これだけでは弱い。ご主君の忠実なる臣として活動させるためには、徹底的に追い詰め、ご主君への忠を植え付けさせなければならない。その為に俺は“鬼”になる覚悟を持ったんだ。
「……だがいきなりご主君の傍に侍らせることなどできぬ。この俺が貴様らを預かり、徹底的に織田家の武士としてしごいてやる!」
彼らの視線が俺に集まり、憎しみを込める表情にかわった。よし、それでいい。
「一人でも俺の元から離れようなら…即座に道意を斬る!歯向かうても斬る!不穏な行動だけでも斬る!…貴様らが慕うこの坊主の命は貴様らの態度次第だと思え!」
奴らの表情はまた変わった。憎しみから苦しみ、屈辱を噛みしめる顔に替わり、中には拳を握り締めてる者もいる。
元々閉鎖的で己の利益の為に寺社衆、公家衆、幕府とすり寄る相手をころころと変えていた者たちが、唯一大和を統べる男として認めていた道意様のことをどれほど思っているか。俺は敢えてその心を利用させてもらう。“鬼”と呼ばれようがこれで大和が安定し、全国統一が早まり、“本能寺の変”が回避できるのであればそれで良い。
俺は立ち上がり脇差を抜いてひたすら跪いたまま道意様の首筋に刃を当てた。そして大和の若者たちをギロリと睨みつけた。
「この俺を恨むのであれば恨むが良い。…だが、それだけでは己の一族に未来はないことをよく理解せよ。道意によって拾った命、どう使うかは勝手だ。だが今はこの俺に逆らうと此の者の首が飛ぶことを努々忘れるな。」
悔しさを堪えながら一同が頭を床にこすりつけた。道意様はこの間一言も発せず、じっと頭を下に向けられていた。
大和の若者たちを城内の一室に軟禁した後、捕えていた大和の年寄り衆を集め、謁見した。既に三好様も信貴山城に到着され、ご主君を中央にして上座側に羽柴様、滝川様、三好様。中座には俺と小寺殿。下座には両腕を後ろで縛られた武者衆がたくさん。更にその後ろに槍を持った小姓衆が並んでいた。縛られた者たちは憎しみを込めた視線を上座の中央に座るご主君に浴びせていたが、ご主君は平然とした表情で笑みを浮かべて見返していた。
「…名を聞こう。」
ご主君の声に先頭に座る老武者が歯ぎしりしながら答える。
「浅井…久政じゃ。」
トップバッターから大物かよ。確か小谷城攻めの時にどさくさに紛れて逃げられたんだっけ。
「貴殿は近江の父の元にお届けする。早々に支度をされよ。」
勘九郎様の言葉で後ろに控える小姓衆が傍に歩み寄り、久政を無理矢理立たせて部屋から連れ出した。その間久政は歯を剥きだして勘九郎様を睨みつけていた。
そして次の男が前に連れて来られる。名を聞いて処遇を決める。これを淡々と繰り返していった。
浅井長政、海北綱親、六角承禎、藤林保豊、斎藤竜興など大和出身ではない者は近江へと送られ、宇野知治、越智家広、十市遠長、古市公胤などの在地の国人衆はその場で処刑された。意外と興福寺の坊官として名を連ねる者も多く、大和の寺社衆の影響力がかなり低下していたことを実感する。
さらには松倉重信、柳生家厳といった俺の前世の記憶にも残っているような武将までもがこの反乱に加わっていたことを知り、改めて道意様の大和での影響力の強さを思い知らされた。
因みに道意様のご親族は既に他界もしくは追放されており、道意様に大和国主を担ってもらっても道意様の死後に混乱することが目に見えていたため、別の人間に大和を統治できるようにする必要があった。本来は筒井家がこれを担ってくれればよかったのだが、筒井順慶では大和衆をまとめきれず、三好様に託されたのだ。
その三好様も、猛将の声高き十河一存様の影響力が大きかったのだが、最近は病に伏せることも多くなり、抜本的な組織改革が必要だったのだ。
俺は瀬田衆を通じて、大和の有力家を唆しただけだったのだが、予想以上に織田家に対して不満を持った国人が多いことに正直驚いた。
そして残った者のうち、女子供は清州へと送られ、若人衆は淀に送られることになった。
肝心の道意様はというと…。
信貴山近くの松永家が庇護する寺に道意様は軟禁されていた。周囲を三好家の兵が警護する状態で寺の出入りも厳しく制限されている。
ご主君は戦後処理を終えたのち、家臣を従えて道意様と面会されたそうだ。俺は大和の若人衆の移動に従事していたため、その内容は同行した団平八郎に後から聞いた。
そのお姿は剃髪し身を袈裟に包まれて坊主そのものであったという。名も“榮樂三郷房”に変えられた。暫く僧侶としての修行を積み美濃に戻ることになったそうだ。
なにやら吹っ切れたご様子で、丸めた頭が気に入られたのかとにもかくにも撫でられていたと聞いた。俺も落ち着いたらご挨拶に伺おうと思う。
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1577年11月-
信長様は伊賀国人衆の降伏を受け入れた。一部の国人は領地を没収され国外に追放された。蒲生左兵衛大夫様(賢秀のこと)が任命された。蒲生様は織田家中枢の筆頭奉行として近江に詰めているお方故、実際の統治は家臣に任せられていたが、その兵力は信長様の直轄軍に編成されることとなり、近江周辺における織田軍の盤石さは一層増した。
その後、本格的な領土拡大策が実行され、柴田軍二万五千が北陸方面、明智軍二万が丹波・但馬、羽柴軍二万は備前を、原田軍二万八千には引き続き本願寺を、新しく創設された三好軍一万五千が紀伊攻略を命じられた。
そして我がご主君には西三河、北伊勢の兵を加え三万四千の兵力をもって信濃攻略を任された。
だが、これらの攻略は一時中断することになる。
荒木村重が摂津で織田家に反旗を翻したからだ。
いずれ謀反を起こすと考えていた我らであったが、羽柴軍が西へと進軍を開始したとたんに行動を起こしたことから、西(毛利)との繋がりがあるだろうと思われた。
だがこの戦については後程記述するとしよう。
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淀城。
大和から連れてこられた若人衆が広間に集められていた。その数は十二人。まだ幼さが残る武士たちが平伏し、主の入室を待つ。
やがて廊下から足音が聞こえ襖が開いて男が入ってきた。男は一同を見渡してから中座に座る。どうやらこの男はこの城の主ではないらしいと一同が様子を伺った。
「皆の者面を上げよ。」
中座の男の声に主不在のままで一同が顔を上げた。中座に座る男には見覚えがあった。祖父江孫十郎という男で、大和国人衆を滅亡に追いやった久保田忠輝の家臣だ。大和仕置きの戦にも参戦しており、一部の者がその顔に睨みつけるような視線を送っていた。だが孫十郎はそんな視線を意識もせず言葉を続ける。
「お前たちは父兄弟を殺され、領地を奪われ、母子を質に取られてここにいる。」
孫十郎の言葉は下座に座る一同の感情を逆なでる。
「だが、これも己の慢心が招いた大和国人の気質のせいである。…お前たちはそこから脱しなくては未来はない。」
唇を噛みしめ孫十郎を睨みつける若人衆。孫十郎の言葉は事実であった。ここにいる者は現状を受け入れ、新たに未来を見据えてここで生活していかねばならない。
「お前たちはこの先、織田秋田城介様の近習として仕えてもらう。…が、今のお前たちでは殿の御側にお仕えするのは到底無理だ。そこで、淀の領主“津田九郎”様が一時的にお前たちを預かり、側仕えできるように鍛え上げる。」
“津田九郎”の名を聞いて若人衆の表情が変わる。大和にもこの男の名は伝わっていたようで恐ろし気な顔でうつむく者もいた。
「今、領主様は庭先で稽古されている。お前たちはこれより庭に居られる領主様にご挨拶せよ。」
孫十郎の言葉を合図に襖が大きく開けられ室内に陽の光が差し込んだ。一同は眩しさに目を細めつつ、体を庭側に向けると上半身裸の大男が立っているのが見えた。一同はその姿に圧倒される。長大な太刀を肩に背負い、朱に染まった鬼の面頬をつけてこちらを見ていたのだ。
鬼面を被りし六尺余りの大男。大太刀を振るいて戦場を駆けぬけん。
噂には聞いていたが、実際に目のあたりにした若人衆は平伏することも忘れ庭に佇む大男を凝視していた。その様子に男はくすりと笑い一同を見渡した。
「挨拶もできぬほど躾をし直せねばならぬようだな。俺が“鬼面九郎”だ。この様子じゃ殿の側仕えには程遠いな。まあよい。死ぬるほど扱いてやる故覚悟せよ。」
別に脅すような口調でもなかったが、一同は慌てて平伏し、これより淀城で暫くこき使われることになる。一同は“鬼面九郎恐ろし”“祖父江孫十郎憎し”を糧に実力を付け、やがて「大和親衛隊」として織田信忠に仕えることになる。
海北綱親:近江の武将で史実では織田家の小谷城攻めで討死したとされています。本物語では、浅井久政と共に伊賀に逃亡していたという設定です。死亡時期については諸説ありますが、この回だけの登場人物なのであえて触れずに話を進めたいと思います。
六角承禎:承禎は法名で諱は義賢。佐々木氏の諸流で南近江の守護を代々受け継いできたが、信長の上洛時に敵対し近江を追われています。その後は伊賀でゲリラ活動を行っておりましたが、秀吉によって天下統一された後はお伽衆として仕えたそうです。
藤林保豊:伊賀の上忍三家の当主とされています。一時期今川家に雇われていたという記録もあるそうです。
斎藤竜興:斎藤義龍の子。父の死後に家督を継承しますが、国内をまとめきれずに織田信長によって美濃を追われました。その後は朝倉家の客将として信長と対立しますが、戦死されたそうです。本物語では越前ではなく伊賀に逃亡していた設定です。
宇野知治、越智家広、十市遠長、古市公胤:大和の国人です。家柄としては幕府や朝廷とも繋がりを持っており、興福寺の坊人としても活躍していたそうです。この何人かは「大和親衛隊」として登場予定です。
松倉重信:筒井の三家老と言われた武将。史実では子の重政が徳川政権で藩主となっています。子の重政は「大和親衛隊」の最年少として後程登場予定です。
柳生家厳:剣豪柳生宗厳の父。代々柳生庄を領する独立領主であったが、筒井家に城を攻められ臣従する。三好家が台頭するとこれに与し、松永久秀が大和国主になるとその配下となったそうです。筒井氏が再び大和を領有すると官を辞し隠遁していたと言われています。孫の柳生宗矩は「大和親衛隊」として登場予定です。
榮樂三郷房:松永久秀の出家後の名で本物語創作です。久秀の墓が臨済宗達磨寺にあることから臨済宗派の僧の名から適当に選びました。僧号は信貴山城のある三郷の地名から取っています。




