7.信貴山城の戦い(中編)
この間「続きを読みたい」というような感想頂きました。
なかなか投稿できない中、待っている読者がいるのだと改めて認識し、
執筆意欲に繋げております。
大変感謝しております。
それでは、本編をどうぞ。
1577年10月3日-
信貴山城の南門が破壊され、尾根伝いに万を超す織田軍が山頂の本城へとなだれ込んだ。周囲に配置された松永道意斎を支持する国人たちは思いもよらぬ突撃に虚を突かれたのか、真面な抵抗ができないまま、滝川一益や信忠の小姓衆らによって討ち取られていった。
その様子を天守から一人の老人が眺めていた。歓声と悲鳴が入り混じる声を聴きながら淡々と情景を見つめている。
「…若殿もやるではないか。まさか南門への一点集中で攻めてくるとはな。」
道意の後ろには大柄な男が控えており、曇った表情で道意を見返している。
「なんだ?嬉しくはないのか?」
男の表情を見た道意は苦笑する。
「貴様の考えた案ぞ。…まあまさかこの局面になって儂の傍に控えるとは思わなかったのだがな。」
「…私がここにいるのは、貴方様をここから生きてご主君の元へ返すためです。」
「…儂がこの戦で死ぬとでも思っているのか?」
「真実を知った者がいつここに現れ刀を振りますやもしれませぬ。ほら、このように。」
そう言って男は後ろを振り返る。そこには血を流して倒れた甲冑姿の死体があった。
「うむ。お主のその大太刀の舞い、確かに見事であった。噂に違わぬ剛力よ。」
男はため息をついた。
「計画では織田軍が到着した時点で近臣のみを引き連れ東の井戸から脱出だったはず。…それが脱出口に来てみればご家臣が蒼白の顔で立っており、貴方様がおりませぬ。さすがに慌てましたよ。」
「はっはっはっ!許せ、つい見てみたくなったのだ。」
「何を…でございますか?」
「新たなる織田家棟梁の戦を。」
道意の言葉に男は再びため息をついた。
「それならばこの先いくらでも見られます。さあ、脱出のご準備を。」
「吉十郎、誰がここに一番乗りするか賭けぬか?」
「は?」
男が道意を見上げると、老武者の顔は満面の笑みであった。
「儂は滝川殿だと思う。」
道意の言葉に吉十郎と呼ばれた男は三度目のため息をついた。
「…道意様ともあろうお人がこの状況で賭けとは!?」
「良いから、お主は誰が来ると思う?」
道意の楽し気な口調に男の表情は曇りに曇ってしまった。この男がこの段階にきて脱出を拒み、賭けに興じる。思い立っての行動とは思えぬ。そんな思いが頭をよぎったようで、事の次第を見極めるために男もこのまま天守に残ること決意した。
南門を突破された信貴山城は非常に脆かった。あっという間に各尾根の支城は制圧され、囮役をしていた羽柴軍もほぼ無傷で信貴山城に入城した。織田軍は信貴山城本城の手前の支城に陣幕を張り再び軍議を開いた。
「小寺隊が逃げようとしていた斎藤竜興を捕えました。」
「舌を噛み切らぬよう轡をしておけ。」
「伊賀に通じる街道で三好隊が浅井久政を捕えた由!六角承禎も右に同じくとのこと!」
「越智家広も捕えてござる!」
「十市遠長も降伏いたしました!」
次々と主だった武将の捕縛報告を受け信忠は満足げに頷く。既に織田信忠、羽柴秀吉、滝川一益の三将が信貴山の本城を囲い、三好義継の軍勢は京、伊賀に向かう街道封鎖を行っており、道意に同調して挙兵した国人たちは逃げ場を失っていた。羽柴、滝川の両将もその報告に頷いているが、秀吉のほうは浮かない顔で報告を聞いていた。
「筑前、そう気落ちするな。本城の一番槍はお前にくれてやると言ったではないか。」
信忠に言われてはははと秀吉は笑ったが、此度の戦でほとんど手柄を立てられておらず、それがよほど堪えているようであった。信忠がそんな秀吉の落ち込んだ様子にどうしたものかと考えていると、見知った男がさっと近寄ってきた。
「孫十郎ではないか、どうした?」
孫十郎と呼ばれた若武者は一同に挨拶をすると、さっと信忠の傍に寄りこそこそと耳打ちした。その瞬間信忠の表情が変わる。立ち上がって天を仰ぎ、続いて額に手を当てて唸った。
「どうされました?」
滝川一益が心配そうに声をかける。信忠は大きく息を吐いて勢いよく座り込んだ。耳打ちした孫十郎の顔は真っ青で、話を聞いた信忠が悪態をついている。一同はただ事ではないことが起きたことがわかったが、この勝ち戦の中で何が起こったのか想像がつかなかった。
「ちっ……作戦変更だ。」
信忠の発言を聞いた一同は更に訳が分からず大将の動向を見守るだけであった。
織田軍が本城手前に陣幕を張ってから半日が経過した。支城は全て陥落しており、残すはこの本城と大和の国人衆から若武者ばかりを集めて結成した守備隊を残すのみ。状況は織田軍の大勝利と言えよう。後は力任せに本城を押し破り中に籠る兵をなで斬りにするだけだ。
既に城内の状況は孫十郎によって知らされているはず。勘九郎様であればこの状況でどういう手を打ってこられるか。…道意様がここに残った理由はまだ理解できないが、勘九郎様は道意様を生かす手段を考えるはず。おそらく降伏の使者を寄こされるであろう。ならば、こちらもそれなりの用意が必要だ。
「道意様、城に残る若武者共をお集め頂きとうございます。」
「ふむ、若が降伏の使者を寄こすからか?それとも残った将をお前がなで斬りにするためか?」
「…前者です。道意様にかかってきた郎党の始末は既にしております。今更道意様を無理矢理ここから脱出させるのは諦めました。ならばさっさとここに諸将を集め、使者を迎える準備をいたしましょうぞ。」
道意は俺の態度が変わったことに訝し気な表情を見せたが、俺の案を受け入れて城に残る諸将を集めた。と言っても、大和の有力国人は既に討ち取られるか捕えられており、残るは若人衆ばかりであった。中には元服したての餓鬼もいる。集まった者共は中座に佇む見知らぬ大男(俺のこと)を見て一瞬おびえる表情を見せるが、何とか堪えて下座に座った。全員が集まると道意様が上座より低い声で状況を説明する。
「大和の若人らよ、よう集まった。…此度は儂のせいで南門を突破され…手を打つこともできずにここまで来てしもうた。せっかく皆が儂を信じてここまでやってきたのだがな。」
一旦言葉を切って道意様は一同を見渡した。皆が沈痛な表情であった。
「もはやこれまでじゃ。」
この言葉に幾人かが膝を叩いていた。そして一人の若武者が前に進み出た。
「翁殿!さすれば我はここで腹を切りとうございます!」
「我はこの城を枕に討死致しまする!」
若武者たちは次々と声を張り上げて意見を言うが、それらの言葉に道意様は首を振った。
「皆、刀をこの者に預けよ。これより織田家から使者が来るであろう。我らはその使者の全てを受け入れ…降伏する。」
下座はざわつき、何人かが立ち上がった。道意様に詰め寄ろうと足を踏み出す者もいた。俺も腰を浮かせて体制を整える。だが道意様がそれらを手で制した。
「よく聞け、お前らは若い。この先、手柄を立てる機会もあろう。大和衆として新たに織田家に仕え、自家を再び盛り立てるのじゃ。」
「しかし!」
一人の若武者が言い返そうとしたが道意様は手で制する。
「既に織田家に歯向かった現当主は皆死んでおる。後は儂が命を差し出せば…お主らは許されるであろう。儂からの最後の願いじゃ。再び三好家に仕え大和を盛り立ててくれ。」
俺は今の言葉で道意様が城を脱出せずにここに留まった理由を理解した。道意様は大和衆を生かすために反乱組織の長として織田軍に捕えられる気だ。…だがそうなれば、道意様を生かしてご主君の元に届けることはできない。そして道意様は当初からこのシナリオを描いていたに違いない。何故なら、道意様は敢えて大和の若人たちを城内に残し、昔を尊ぶ現当主たちや他国に落ち延びていた武家などを支城に配置したのだ。敗戦が確定した時点で生き残った若い衆らに新たな気持ちで織田家に仕えるよう説得する。そうすれば大和衆は最低限の領地を確保できた状態で安定する。但しそれには大和最大の勢力、筒井家が邪魔だ。此度の謀反に筒井家は加わっていない。それどころか討伐軍にも兵を出していない。よし、ご主君にこれを理由に大和を追放するよう進言しよう。
「翁殿、織田家の使者が参られました。」
若い小姓が部屋の入り口で言うと一同が互いに顔を見合わせた。
「…皆、刀をここへ。」
道意様の言葉に若武者たちは渋々といった表情で俺の前に刀を置いて下座に座り直し、衣服を改めた。この時代、敵方の使者、特に降伏を受け入れる目的で使者と対面する際には刀を預けた状態にするらしい。全員が座り直すと道意様も脇差を抜いて俺に手渡し下座に座り直した。
待っていた小者に合図を送るとさっと出て行き、やがて甲冑の擦る音が聞こえてきた。やってきたのは三名。…俺の予想通り。道意様も項垂れた。俺も顔を隠すように頭を下げる。
使者三名は中座に座る俺の前に置かれた刀を見て満足そうな笑みを浮かべると道意様の横をすり抜け上座に座った。
真ん中に座るは羽柴筑前守秀吉様。左右にはその家臣小寺官兵衛様と家臣に変装した…ご主君。ご主君はチラリと俺を見てにこりと笑った。
「道意殿、面をあげられよ。」
羽柴様の言葉で道意様が顔を上げた。羽柴様は俺の手元にある刀の山と低頭した若人衆を一瞥して大きく頷く。
「降伏を受け入れるつもり…か。」
「…は。」
「今更かもしれぬが、貴殿ほどの者が何故このようなことを…。」
「全ては大和と、大和の未来を担うこの者たちのために御座る。」
言われて羽柴様は道意様の後ろに控える者たちを見た。
「…皆、若いな。場外で討死あるいはひっ捕らえた将の子らか?」
「古よりこの地に根を張り幕府や朝廷相手にしてきた大和の族子たちにございます。」
「ならば織田家に歯向うた一族として磔に処する者らであろう。」
羽柴様は不愛想に言い直すと、下座には緊張が走った。
「謀反を起こして処罰なしなどあり得ぬ。反乱に与した者は年齢性別問わず処刑する。」
羽柴様の言葉のあと沈黙が続いた。降伏を受け入れ助命を嘆願する予定であったのだろうが、機先を制された。
「そのご処分、わが命のみで賄うて頂けませぬか?」
道意様が床に頭をこすりつけるようにして言い返した。これを聞いた羽柴様は無言で道意様を睨み返した。これは怒っている表情だ。更に沈黙が続く。だが暫くすると大きく息を吐いて姿勢を崩して床に座り込んだ。
「はあぁぁ。若殿仰る通りだわ。この様子だと儂が何を言おうが頑として助命を乞うのであろう。若殿…もうお任せしますわい。」
そう言って後ろに控える若武者に席を譲るしぐさをした。若武者(変装したご主君)はクスクスと笑うと立ち上がり上座の中央の椅子に座り直した。一連の様子を伺っていた下座の若人衆は何がなんだかさっぱりわからず、ただその様子をはらはらと見ているだけである。
「私が織田家当主、織田秋田城介信忠である。」
突然名乗られて、驚愕の表情を見せる。道意様は無言で頭を下げているところを見ると最初から分かっていたようだ。ご主君は俺の手元にある刀の山を扇子で指し言葉を続けた。
「松永道意以下信貴山城内に籠る輩の降伏を受け入れる。貴様らの処分は追って沙汰する。筑前、手筈を整えよ。」
羽柴様はご主君の言葉に返事をして立ち上がったところで俺と目が合った。一瞬不思議そうな顔になって瞬間的に表情を変えた。
「き、吉十郎!なんでお前が!?」
羽柴様が猿のように飛び跳ねて驚く。俺は憮然とした表情を崩さず一礼する。
道意様が敢えてこの城に残られた理由は分かった。だがこのままいけば俺の知る歴史と同じく茶釜と共に討死してしまう。そうなればご主君を支える柱をまた失ってしまう。
既に“津田九郎忠広”は修羅の道を歩んできた。
“久保田吉十郎忠輝”も、これより修羅の道に入らん。
大和衆:大和は興福寺という歴史の古い寺があり、朝廷、幕府とも結びつきの強い勢力がありました。守護は置かれず寺社とこれを守護する坊人(寺社に仕える武士のようなもの)が大和を統治していたそうです。しかし応仁の頃になると寺社の権威が低下してしまい、発言力を強めたのは寺社衆を取り囲む大和武士でした。とりわけ「大和四家」と呼ばれる筒井、越智、箸尾、十市の影響力が強く、幕府も大和衆には何度もてこずっております。各々の組織としては規模は小さいのですが、京に近い地域であり、組織力の弱い幕府にとっては脅威の存在であったそうです。
信長の時代には寺社衆の力自体が弱まっておりまたより規模の大きく組織力の高い戦国大名の台頭で国人衆が取り込まれていきやがて筒井家による支配へと移っていきます。




