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6.信貴山城の戦い(前編)



 ~~~~~~~~~~~~~~


 1577年7月-

 第一次木津川の戦いが発生する。

 大坂本願寺に兵糧を届けるべく、毛利家の要請を受けて村上水軍衆が大阪湾に侵攻。七百隻にもおよぶ舟が木津川河口を埋め尽くし、和泉水軍に襲い掛かった。 実際の村上水軍の戦力は三百隻ほどであったが、村上家独自の戦法「焙烙玉」による波状攻撃により、織田方の主将真鍋貞友が討ち死にし、三百あった舟の多くが焙烙玉の炎に焼かれた。



 …この戦には多くの謎が残る。

 一つは村上水軍による侵攻は事前にキャッチしていたが、敢えて放置していたこと。次に村上水軍が織田方の支配地である淡路島を素通りできたこと。そして何よりこの戦に織田家の直臣が佐久間信盛しか関わっていなかったことがあげられる。


 私はこの戦にはノータッチで、この後の事変により誰かに詳細を聞くタイミングもなかったため推測にはなるが……この戦を理由にするために佐久間信盛に大坂を任せたのではないだろうか。佐久間信盛は敗戦の責を取って対本願寺の司令官を解任され、再び伊賀方面への防衛に回された。



 1577年9月-

 道意斎の乱が発生する。

 岐阜城でご主君の相談役として仕えていた松永道意斎様が突然出奔された。二日後、多聞山城が大和の国人衆に襲われる。国主三好義継様は惟任様の丹波戦に合力しており留守を狙われた格好になったのだが、その首謀者は道意様であった。

 道意様が一年前から織田家に不満を持つ者と密かに連絡を取り、三好様が大和を離れたタイミングを見計らって謀反計画を実行。大和の北半国に在地の多くの国人衆、伊賀の国人衆(この中には六角承禎や浅井久政も含まれていた)や伊勢衆などが同調し反織田包囲網の一角となる。


 織田家は、家臣の造反が繰り返される政権であったと後世の歴史家たちは言うであろうが、私はそれは誤った見方であることを記しておく。

 織田家は、内部の不満分子を噴出させてこれを鎮圧し、強固な結束力を得ていった組織なのだ。

 木津川の戦、道意様の乱、そしてこの後起きる荒木村重の乱も、裏では織田家が糸を引いて勃発させたものである。そうやって、信長様は織田政権という巨大になりつつある組織を盤石なものにし、内外にその武威と恐怖を知らしめて行った。


 ~~~~~~~~~~~~~~



「…お主が儂に直接会いに来たということは…。」


「はい。下準備は整いつつあります。後は時期を測るのみと存じます。」


 俺の言葉に道意様は頷く。


「大殿はどう仰られておる?若殿は?」


「大殿は道意様の成功を確信しておられます。ご主君は…言葉にはされておりませぬが、心配しておられます。」


 俺の返事に道意様は笑った。


「若殿に心配されておるか、そうかそうか。では伝えてくれ、“心配ご無用”と」


「畏まりました。では具体的な時期にございますが…。」


 俺と道意様は話を詰めた。もうすぐ木津川の戦が始まるはずだ。その後丹波の反乱が激化するはず。その対応に大和と伊勢の兵を派遣することで、一時的に空白地帯が生まれる。機会は三好様と滝川様が出兵されたとき。

 俺の説明に道意様は目を輝かせた。


「一度は不本意ながらも大殿を裏切った身。此度は大殿の許しを得ての謀反。心躍らぬわけがなかろう。仮に大殿に手のひらを返され真の謀反人扱いを受けようともそれは本望。」


「その時は大殿が特に欲しいと思われる茶器を壊したらよろしいでしょう。」


「ふははは!それは面白い!さすがの大殿も顔を青ざめられるであろう!」


 豪快に笑った道意様はふと表情を改め姿勢を正した。


「吉十郎殿、ことが始まれば儂らは敵味方だ。思う通りに進まずに命を落とすこともあろう。…だが筑前守(長慶のこと)様亡き後、生きがいを見失うていた儂に一条の光を灯してくれたお主と、新しき生き甲斐を問うてくれた林殿には礼を言っておく。」


 すっと頭を下げる道意様。俺も姿勢を改める。


「道意様……あなた様のお力はまだまだ尾張・美濃の主には必要にございます。故に必ずお救い申し上げます。」


 俺の言葉に道意様は頷く。


“不安ではあるが、吉十郎を信じておるぞ”


 そんなことを言っているような表情で俺をじっと見つめていた。




 俺は道意様のもとを辞したのち、大和へと旅立った。そして1577年10月の勘九郎様の軍が信貴山城を包囲するまで、同地で活動を続ける。






 8月下旬。


 木津川の大敗の戦後処理も終わり、織田家は視線は再び丹波へと向けられた。大坂の包囲は畿内の司令官に復帰した原田備中守直政に任せ、羽柴筑前守、惟住越前守長秀、惟任日向守光秀、三好左京大夫義継の合計四万の大軍で丹波に侵攻した。

 当初、大軍を擁する織田軍の力攻めで短期間のうちに戦が終わると思われていたが、総大将である惟任光秀は丹波の入り組んだ地形では力攻めは愚策と考え、包囲による周囲との孤立からの降伏策をとった。

 だが以外にも波多野の軍は1年以上籠城で持ちこたえ、戦線は膠着していた。


 近江で戦況報告を受ける信長の表情は険しかった。隣で共に報告を聞く息子の信忠も扇子を握り締めて進展しない状況に憤っていた。


「…勘九郎。」

「は。」

「山国は大して年貢も治められぬのに攻めるには難き國よのぅ。」

「誠に。彼の国は日の本全体で見ればさほど重要では御座いませぬが、西に勢力を伸ばし毛利と対峙せんとする今は重要な拠点です。」

「わかっておる!だからこそ、金柑と禿ネズミに大軍を率いさせたのじゃ!…それをチンタラと囲うだけして時間稼ぎしおって…!」


 信長の口調は激しくなり、下座に控える奉行衆たちが恐々とする。


「金柑に申し伝えよ!さっさと終わらせよ!…勘九郎、貴様も戦の支度を進めろ!あとひと月で終わらなければ貴様が出張れ!」


 元々信忠は信濃侵攻の準備を進めていたが、信長がこうなっては何を言っても効く耳を持たぬとあきらめた表情で「は」と返事をする。下座の諸将もこれに合わせて頭を下げた。



 9月に入り、状況は大きく変わる。

 信忠側近の松永道意斎が出奔し、大和国内で越智、十市といった有力国人が寺領を襲いだした。

 大和国は応仁の頃から、朝廷、幕府、寺社、国人たちの間で絶えず戦が行われており、領地に関して変動が激しく領主が入れ替わっており、久秀が守護となった頃にようやく落ち着いた。だが、息子の松永久通が反旗を翻した際に信長が介入して領地の大半を寺領と筒井領にしてしまった。元々筒井家は大和では古い武家であり、幕府、朝廷からも信頼されていたが、応仁時期の長きに渡る戦の中で他の国人たちが筒井家と敵対するようになった。このため、久秀に代わって守護となった筒井順慶に反発しいざこざが絶えない状況となり、いつまで経っても反発を抑えられない順慶を信長は守護職から下ろし、三好義継を守護に挿げ替えた。

 新たに守護となった義継は飴と鞭を巧みに使って国人を懐柔し一応の決着はついたのだが、長年の自領を奪われた国人、無理矢理配置換えされた国人達の間では不満が募っていたようで、そこに松永道意が甘い言葉で誘い込んで此度の謀反となった。これに信長に不満を持つ伊賀や伊勢の国人達が加わり、その数は一万以上に膨れ上がっていた。


 道意は自身の旧城である多聞山城を電光石火で占拠し、三好の兵を追い出すと、自分に味方する国人衆を率いれ周辺の支城を味方につけ独立を宣言する。本願寺に書状を送り軍事同盟を締結すると織田に対する戦線を張り巡らせた。


「くくく…やはり松永の奴は老いても梟雄よ。あっという間に我らの付け入る隙を埋めてきおった。」


 信長はその手並みを以外にも賞賛した。だが次の瞬間怒気を漲らせた。


久秀に(・・・)加担する(・・・・)輩は根絶やし(・・・・・・)にせよ!全軍上げてこれに応対せよ!…大和の地に血の雨を降らせてやれ!」


 信長の号令により、丹波包囲の一部が解除され、三好義継の軍は笹山街道を上って入京した。他にも北伊勢の神戸軍、南伊勢の滝川軍、更には西三河軍までもが大和に向かって兵を出した。


 その総兵数、四万六千。主力は信忠の一万二千で織田信忠軍としても最大規模の動員数となった。全軍の総指揮を取る信忠は、岐阜を出立すると近江安土で父に挨拶を行ってから京を経由で大和へと向かった。


「…折角、二の姫様がお生まれになったのに若も大変ですね。」


 小姓衆の一人、団平八郎が言うと、丹羽源六郎に兜ごと叩かれた。


「軽々しく姫様の話をするな!」


 源六郎は平八郎を睨みつけ、平八郎は縮こまった。一昨年に信忠の側室、鈴姫が第一子を生んでおり、今年になって第二子を生んだが、いずれも女子であった。周辺の状況を鑑み、子が生まれたことは伏せられている。軽々しく口に出していい話題ではなかった。


「よい。ここには気心知れた者しかおらぬ。…だが、気をつけよ。まもなく大和に入る。相手はあの“松永弾正”なのだ。何を仕掛けてくるかわからぬ。今一度全軍に通達せよ。」


 信忠の指示に平八郎は無心に返事をすると前方へと馬を走らせて行った。小さくなるその姿を見送った源六郎はため息をついた。


「若殿様、申し訳ございませぬ。どうも今一つが気が抜けているようで。……吉十郎がいればもう少し引き締まると思うのですが…。」


「無吉ばかりに頼られては困るぞ。あ奴は領地を得てこれまで以上に忙しくなったのだ。お前たちが無吉の代わりの働きをしてもらわねば困る。」


 源六郎は主君の言葉に恐縮した。


「面目御座りませぬ。」


「フフ…直ぐに無吉の代わりができるものなどおりはせぬ。」


 主君にそう言われ、源六郎は複雑な心境だった。久保田吉十郎はこれまでも誰もできぬようなことをやり遂げてきた。そして内容は聞かされていないが、今も密命を帯びて行動している。大殿、若殿からの信頼、取次役からの評価も高い。更には他の家臣ともうまく付き合っており、今では彼を悪く言う輩はごく少数になった。それだけに吉十郎がいなくともうまく活動ができる小姓衆というのを見せねばならないとも思う。小姓衆の中には自分も含めて、家督を譲られ自前の兵を持つ者もいるが、まともに兵を指揮するのは今回が初めてなのだ。


「源六郎、自兵の隊列を整えよ。先陣はお前と平八郎と彦六郎(稲葉直政)に任せる。…大丈夫だ。敵はこの大軍を知って逃げ腰である。蹴散らして来い。」


 源六郎と彦六郎は顔色を変えた。


「大坂の件で、留守居役を命じられた甚九郎(佐久間信栄)の分まで活躍を見せよ。」


「はは!」


 元気な返事をすると二人は馬を走らせた。それを見送った信忠は空を見上げて呟いた。


「主君というものはなかなかむつかしいのぉ。時には家臣を(おだ)ててやらねばならぬ。失脚した親父を思って岐阜で自ら謹慎する家臣も気遣ってやらねばならぬ。…そして、私の為にあらゆる泥水をかぶり今も大和安寧の為に暗躍する友にも気にかけてやらねばならぬ。…誰ぞ私の代わりをやってくれぬものか……いかんな。私も無吉がおらぬことで気が滅入っておるようだ。」


 誰にも聞こえぬように一人愚痴ると自らの頬を叩いて馬上で背筋を伸ばした。


「この仕置き…ひと月で終わらせる。」


 そう言うと信忠は馬を進める。その後ろを数多の兵が整然と付き従った。



 信忠の軍が京から三万もの兵を率いて南下したことで、多聞山城の松永勢はさっさと城を捨てて移動した。既に東からは滝川軍が迫っており、このまま籠城しても勝ち目がないことを理解していたようで、約三千の兵を率いて平群郡(へぐりぐん)へと移動した。

 松永道意が籠っていた多聞山城は国主三好義継が居城にするほど強固を誇る城であったが、これを捨てて西に向かったことを聞いた道意に与する諸将が不安を覚えて一斉に道意の後を追った。

 結局道意は旧臣が城主を務める信貴山城に入城し、従う国人衆もそこに集結した。


 その数は一万を超えていた。


 一方、信忠軍、滝川軍、羽柴軍は松永道意に与して強奪した領地を順々に開放しながら西進し、半月後には信貴山城を包囲する形となった。その間、抵抗らしい抵抗はなく、先鋒を務めた小姓衆は拍子抜けしていた。


 大和龍田館に本陣を置き軍議が開かれた。陣幕には大将の信忠の他に、河尻秀隆、毛利良勝、羽柴筑前守と滝川左近将監が座っていた。軍議は周囲の物見の報告を持ってきた森勝三の報告から始まった。


「敵は真面に抵抗せずにこの先にある信貴山城に兵を集めました。彼の城は松永道意…が改築を重ねた城で、山頂の本丸に続く尾根にも櫓を構えて山全体を城塞化しております。これに伊賀、大和、伊勢の国人共が各尾根の支城に籠り、兵力も充実しております。」


 報告を終えると一礼し主君の様子を伺う森勝三。信忠は勝三に軽く頷くと羽柴筑前守に声をかけた。


「直接山頂に向かうのは難しいようだ。山城に関しては攻め上手な筑前ならどう攻める?」


 攻め上手と言われニヤリと笑った秀吉が声をあげる。


「見たところ、西の尾根が最も流れが緩やかのようで、そこに兵力を注げば…「道意もそれは承知と思うが?」…くっ。」


 秀吉は話の途中で信忠に否定され言葉を詰まらせた。


「敵は道意である。しかも自らが整備した城に敢えて籠ったのだ。常道は下策と考えたほうが良い。」


「で、若殿様のお考えは?」


 これまで黙っていた滝川一益が質問した。


「…南の尾根を駆け上る。」


 二人の将は驚きの表情を見せた。信貴山城の南の尾根は最も大きな門で閉ざされた道だった。そこを敢えて攻めるとは下策も下策である。秀吉は恐る恐る信忠の表情を伺ったが、信忠のそれは自身に満ち溢れており思わず目を伏せてしまった。


「そうか、筑前は南の尾根を攻めるに自信がないと申すか。ならば、南門の攻め手は左近に任せる。」


 滝川一益が大声で返事する。


「丹羽源六郎、団平八郎、稲葉彦六郎、荒尾平左衛門の兵四千を付ける。好きに使え。」


「はは!」


「筑前は西と北に兵を進めて、敵の目を引き付けよ。…無理に目立つ必要はない。道意ならば普通に移動する軍勢を見つけるであろう。」


 秀吉は力なく返事する。思うところはあったが軍議で決まった以上従うしかない。幸いにも無茶な囮役でもないため、胸を撫でおろしてもいた。

 こうして作戦は決定し、信貴山城攻めは始まる。



 秀吉は感じていた。


 謀反を起こした相手に感情を爆発させるわけでもなく、淡々と進める信忠の底知れぬ姿に。信長とは違う天下人としての器を感じていた。



多聞山城:かつて松永久秀が居城としていた大和の城になります。史実では筒井順慶が守護となったときに破却されています。本物語では順慶から三好義継に代わったときに改築され義継の居城となっております。

信貴山城:松永久秀が居城としていた大和の城になります。国主を筒井家に奪われた後はここで暮らしていたそうですが、東西南北に広がる尾根を利用して要塞化していたと言われています。


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