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3.天王寺砦の戦い(後編)

二話連続投稿の二話目です。

私なりの解釈でのお話です。




 ガタガタと荷車が壊れそうな勢いで走る。

 その後ろを血相を変えた百姓どもが追いかける。


 俺たちは荷車を引いて必死で逃げていた。


「急げ!追いつかれるぞ!」

「無理です!これ以上は…」

「止まるな!止まれば奴らに食い殺されるぞ!」


 俺は走る兵を叱咤するが効き目はなく、どんどんとその距離が縮まっていた。


「荷車を捨てろ!」


 俺の合図で最後尾の一台から人が離れた。勢いで横倒しになり米俵が中の米をまき散らした。あっという間に百姓どもが群がった。


「今だ!放てぇ!」


 俺の叫び声と共にけたたましい銃声が響く。バタバタと百姓は倒れていく。だが、その上から覆いかぶさるように後から百姓どもが群がってきた。


「逃げるぞ!」


 俺たちは次の地点を目指して走り出した。



 これ見よがしに米俵を積んだ荷車を引いた一団は大坂本願寺周辺のあちらこちらに出没し、それを発見した坊官が一向門徒(主に百姓)を率いて強奪目的で襲い掛かった。各部隊は予め決められたルートに沿って敵を引き連れたまま逃げ続ける。追いつかれそうになると抱えている荷車を捨て群がってきたところを弓や鉄砲で撃ってはまた逃げるを繰り返していた。


 作戦は当初の計画通りだったが、此処まで逃げるのに必死にならなければならなかったのは想定外。何人か転んだところを襲われそのまま門徒共の波に飲まれてしまっている。幸い俺の率いる隊はまだ荷車も二台残っているし、鉄砲衆も健在。…他の隊は大丈夫だろうかなんて考える余裕もなく、ただただルートと目的地を間違えないよう必死に逃げなければならなかった。



 逃げ続けること一刻。


 最終目的地周辺で、他の隊と合流する。よかった。前田様もご無事だ。合流できた隊数を確認する。


「九郎殿、赤城の隊が飲み込まれた。」


 赤城殿は前田様の家臣だったお方。俺は一瞬だけ目を閉じて冥福を祈った後、前田様に向かって頷いた。


「よし、これよりすべての荷車を捨てよ!」


 前田様の声が響き渡り、皆が荷車から手を放して一斉に逃げ出した。慶次郎、与三郎、勝兵衛、八右衛門を率いて最後尾で槍衾を作って応戦した。だが五万にまで膨れ上がった門徒共の勢いは予想を遥かに超えて我らに襲い掛かっていた。また前田様のご家臣が念仏を唱えながら襲い掛かる渦に飲み込まれ、俺たちはこれ以上の引き付けは危険と判断し、得物や武具を脱ぎ捨て一目散に逃亡した。。


 逃げる俺たちを五万の群衆が追いかける。捕まればあっという間に殺されてしまうだろう。それこそ必死になって俺たちはある場所へと向かった。そしてそこには羽柴軍、三好軍、原田軍が待ち受ける地。俺たちが通り過ぎると一斉に声をあげ、門徒共に襲い掛かった。

 暴徒と化した一向門徒に三方向から一斉に鉄砲と弓矢の攻撃が行われた。万を超す大軍となっていた門徒は逃げまどい、残された一方向に向かって流れ込んだ。

 その先にあるのは“天王寺砦”。そしてそこには織田軍の精鋭、原田様の鉄砲衆二千が待ち構えていた。


 爆音とともにバタバタと人が倒れていく。硝煙と血の臭いが立ち込め、気持ち悪くなる。だが吐いている余裕はない。俺たちは原田様の鉄砲衆の間を縫うようにすれ違い、砦中央まで駆け抜けて地面に倒れこんだ。既に息切れを起こし声を出すことも困難な状況であるが何とか体を起こして前田様を探す。前田様も俺を探していたようで、俺を見つけて軽く手を上げるとこと切れたように後ろに倒れてしまった。


「…前田殿もボロボロのようじゃな。今は休んでおくがええ。後は原田の差配に任せよ。」


 声がして振り向くと原田様が金色に輝く甲冑を纏って立っていた。信長様に頂いた一式で原田様お気に入りの一品である。それが陽の光によって神々しく見えた。


「原田様…息が…整いましたら…彼らを見届けまする。」


 俺ははぁはぁ言いながら応えた。原田様の目がすっと細くなった。


「彼らは…この戦の時代の被害者に御座います。…我らがこれを…見届け…清州の殿にお伝えする…責務が…御座います。」


「お前がどういう思いで彼奴らの最期を見届けるかはお前の自由だが…それで若殿を悲しませるなよ。」


 俺は原田様の言葉に黙礼する。原田様は踵を返し砦の入口のほうへと戻っていった。俺は息を整えつつそれを見送る。


 この戦、織田VS本願寺ではない。


 本願寺の坊主にいいように扱われる民百姓を根絶やしにする織田軍の皆殺し(ジェノサイド)なのだ。どう取り繕うとも、どう歴史に記録を残そうとも、後世の歴史研究者は信長様とこの戦を良く扱うことはないであろう。

 であれば、俺が正確に背景とこの情景と信長様と御主君の痛みを残しておかねばならぬ。本願寺を妄信する民百姓がどのように扱われ、どのように生き、どのように死んでいったかを。


 宗教自体は自由だ。…だが宗教に弾圧されてはならない。宗教が政に介入してはならない。だからこそ信長様は己の命に従わぬ寺社衆には容赦しない。この時代の宗教家の多くは己の信念、教義の為ではなく、自尊、利益、権力の確保のために動いているのだ。俺はその事実を記録として残しておきたい。だからこそ…百姓たちを見届ける必要があるのだ。


 俺は自分に言い聞かせつつ、じっと体力の回復を待った。




 戦況に変化が現れたのは、俺が水分補給を終えて立ち上がった時であった。鉄砲の音が乱れ始め、砦内の声が歓声から悲鳴に変わり始めた。慶次郎たちも何かが起きていることに気づき、俺の周囲に集まってきた。


「…どうも様子がおかしいですね。」


「…すまんが兵を集めてくれ。それと前田様と河尻にも連絡だ。」


 河尻与四郎、佐久間甚九郎がさっと俺から離れていく。直後に周囲が慌ただしくなった。「行くぞ」と声を掛け俺たちは走り出した。だが直ぐに異変に気付いて急停止させた。


「…突破……されたのか?」


 天王寺砦は本願寺周辺では最も頑強な砦であった。土塁も高く、数多くの櫓を持ち、更には万の兵で周囲を囲んでいたはずだった。それが何故か食い破られた…。


「皆…槍を持て!」


 俺の声に反応し足軽たちが太い槍を持ってきた。同時に前田様河尻様も到着された。


「九郎、原田殿の鉄砲衆がやられたそうじゃ。百姓の中に根来やら雑賀やらが紛れておるようじゃぞ。」


 河尻様の言葉に前田様が舌打ちする。


「それでも砦が破られる理由にはなっとらん!」


「…前田様、行きましょう。どうせ敵を押し返さねば我らはここで命を落とします。」


 俺はそう言うと槍を構えて多くの兵が集まる曲輪に向かう。後を追う様に前田様、河尻様らが続いた。




 天王寺砦は正面口の左右に張り出すように曲輪が設けられ櫓も建てられており鉄砲で狙い撃ちするには最適であった。だが、左右の櫓は火矢よって焼かれ、壁沿いの狭間(さま)には泥が詰められ、完全にその火力を奪われている状態であった。雪崩のように念仏を唱えた百姓どもが

曲輪の扉にしがみ付き、こじ開けようとしたり、よじ登ろうとしていた。内側から原田軍が一人ずつ突き殺しているのだが、物量の差もあって崩壊寸前であった。


「原田殿!内曲輪まで下がられよ!」


 前田様が見かねて叫ぶが聞こえていないのか門の前で声を張り上げている。


「九郎!」


 河尻様の声に応じ、俺は曲輪に飛び込んだ。兵をかき分け原田様の傍に近寄る。


「原田様!ここはじきに破られます!内曲輪まで下がられませ!」


「何を言うか!内曲輪の門では一刻も持たぬ!我らがここで食い止めねば奴らは止まらぬわ!」


 言ってることはわかる。だが、大将自らすることじゃあない。俺は原田様の説得を早々に諦め、強制撤退を執行した。要は原田様を抱え上げ、無理やりこの場を脱出させたのだ。


「な、何をする九郎!おろせ!」


 原田様は軍配で俺の頭を殴りつけたが、俺は意に介せず内曲輪の門へと走った。俺が門にたどり着いたと同時に外曲輪の門が音を立てて内側へと倒れ込んだ。俺は原田様を門の向こうへと投げ上げて槍を構えた。

 俺は雄たけびを上げて壊れた門からなだれ込む百姓共に槍を突き刺した。膂力でもって強引に槍を引き突き刺す。引いては突き刺すを繰り返した。やってくる百姓どもは俺の槍に突き刺されバタバタと倒れていく。


「おおおおおお!」


 慶次郎が曲輪の壁から飛び降り、俺と並んで槍をふるい始めた。八右衛門もやってくる。気づけば十数人が集まって破られた門の前で槍を突いていた。こう密集していては“払う”ことはできず“突く”のみで門から押し入ってくる輩を刺すだけ。瞬く間に死体の山が出来上がるが、門徒共はそれを乗り越えてやって来る。俺たちは仕方なく少し下がってまた敵を刺す。それを繰り返すうちに辺り一帯は血の池地獄とも思える光景が広がった。




 門の防衛に加わって一刻余り。既に握力などとうになくなっており、気力のみで槍を突く動作を繰り返していた。体力の限界で倒れ込む者もおり、猶も門徒共は押し寄せてくる状況。




 見誤った。




 暴徒と化した百姓がこれほどとはと思う。



 奴らは鉄砲や弓矢の攻撃に逃げまどうどころか一心不乱に襲ってきた。


 ただただ念仏を唱えて素手で襲い掛かってくるのである。…それは恐怖でしかない。倒しても倒してもその後ろから新たな狂気の門徒がやってくるのである。既に視界もぼやけてきた。


「勘九郎…様!」


 俺は歯ぎしりした。こんなところで死ぬわけにはいかない!いかないのだと己を鼓舞する。だが体が言うことを聞かない。



「“第六天の魔王が現れた!”」



 俺は精魂尽きてその場に倒れるが、その間際に聞こえたのが“第六天”…であった。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 1576年5月18日-


 織田軍対本願寺軍の天王寺砦の戦いは、織田軍の圧勝となった。

 五万もの腹を空かせた一向門徒は、織田信長様の率いる精鋭三千によって壊滅させられた。


 羽柴軍、三好軍、原田軍で囲ってもその勢いが衰えることのなかった本願寺軍であったが、信長様の率いる騎馬兵が到着すると状況が一変した。


 本願寺軍は信長様を見て恐れおののき、統率を失って逃げ回ったのだ。


 何故か。



 本願寺と対立する信長様は一向門徒からはこう呼ばれるようになっていた。


“第六天を統べる魔王の化身なり”と。


 仏道を進む者に邪魔をする仏敵として見られていた信長様。そう仕向けたのは山科淡休斎様で私の案を元に西野衆を用いて流言を用いた。

 そのような仏敵が戦場に到着することで、状況を一変させたのだ。統率を失った本願寺軍は羽柴、三好の両軍の挟撃で壊滅し、俺たち天王寺砦に籠る原田隊は何とか助かった。

 原田様はこの戦における差配について信長様に叱責され総大将の任を解かれることになるが、後に再任されることになる。


 私としても、敗戦に近い結果に苦い思いがあったが…原田様が生き残っただけでも良しとして、ご主君に報告を行った。


 当然叱責をうけたのだが。


 ~~~~~~~~~~~~~~



「九郎様。…流石に此度は死んだと思いました。」


 八右衛門が大の字になったままつぶやく。


「俺もそう思った。」


「…嫁ももらわずこの命尽きると思うと涙がでて…。」


 隣にはぐすぐすと鼻を鳴らす慶次郎がいる。


「某も」


 その奥の与次郎も同調する。


「殿は既に四人もおられるし御子もおられるから構わないのでしょうけど…。」


 勝兵衛もとんでもないことを言う。…だが、俺たちは何とか生き残った。それだけは良かったと安堵する。



「皆済まぬな。清州に戻ったら女房共に言ってお前たちの嫁探しをするか。」


「孫十郎殿が最初ですぞ。」


「そうだそうだ。」


 …そうだな。氷室家の跡継ぎを捨てて俺に付いてきた孫十郎の世話からしてやらんとな。その次は八右衛門、勝兵衛、与次郎…ああ、考にも旦那を見つけてやらんと。



 早く俺たちの家族を増やしていかないと。



 血まみれの死体まみれの中で大の字になって考えることじゃないんだがな。





第六天魔王:仏教における世界のうち、第六位の世界を統べる天魔のことを指すそうです。この天魔は他の者から教化を奪い取るそうで、仏道修行を妨げる“欲”の化身として扱われています。自らに従わぬ寺社衆を容赦なく断罪したことから、そう呼ばれていたともいわれております。

実は織田信長が自らを“第六天魔王”と名乗ったことは記録上は一度しか(信玄との手紙のやり取りの中のみ)なく、そのエピソードに尾ひれがついて、今の「信長=魔王」が定着しているのではないかと思われます。

本物語では、主人公の案で山科淡休斎が噂を広めた的な扱いにしております。


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