表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/142

1.安土の城

…本当に遅くなりまして申し訳ございません。


新章の第一話になります。



 「だぁだぁ!」


 可愛らしい赤子の声が聞こえる。


 「おぉおぅ!そうかそうか!」


 その声に意味も分からないのに笑顔で答えてあやす爺。



 それが2セット。



 家がにぎやかになった。




 池田吉十郎改め、久保田吉十郎忠輝こと、この俺の屋敷は、その大きさに似合うだけの人数が住まう場所となった。



 嫁が四人。……そう四人。


 小折生駒家の遺児で山科淡休斎様の養女、(あかね)

 名族伊勢家の養女、(ふく)

 池田恒興様の娘、(さき)どの。


 そして、故郷を追われ長曾我部家に拾われて織田家に送られ、政治的に利用されて俺のところに転がり込んできた(とめ)姫様。

 一族として、母君の楊西院(ようせいいん)様、女中二名に十名の護衛兵を屋敷に受け入れたことで、我が家の人手は完全に充実した。


 奥のことは、且つて吉乃様の女中をされていた宗舞尼殿を筆頭に(こう)の率いる芝山一族に任せているので心配ない。屋敷の警備は芝山翁鉄斎を長に三十名体制にもなった。そのうちの半数は常備兵となって俺と共に戦場も駆けている。

 家臣としては、祖父江(そぶえ)孫十郎秀綱(ひでつな)、山岡八右衛門景佐(かげすけ)、多賀勝兵衛貞持(さだもち)、津田与三郎重久(しげひさ)、前田慶次郎利益(とします)、鈴木孫一重秀と有名無名の知者強者が揃っている。


 子は二人。茜の産んだ(そう)と咲どのの産んだ百丸(ひゃくまる)である。まだ生まれて半年しか経っていないが元気に育っている。




 そしてその二人の子をあやす隻腕の爺が二人…。




 先の大戦(おおいくさ)で俺に捕えられ紆余曲折の末に処刑を免れた武田の旧臣であるこのお二人は、現時点では名を伏せ俺の屋敷で匿っている状態なんだが…。


「おーおー元気な子じゃ!じいの膝の上は楽しいか!?ほれほれ!」


 デレッデレで俺の子をあやすお姿には昔の面影などみじんもない。…しかし片腕で器用に赤子を抱き上げるもんだな。


「お二方ともそろそろ和子様をお返しくださりませ。茜様も咲様も拗ねてしまわれます。」


 宗舞尼が強い口調で言うと、二人の爺は残念そうに赤子を宗舞尼に渡した。


馬場(・・)殿、内藤(・・)殿、我が子をそれだけあやすほどの元気を取り戻されたようであれば…そろそろご返事を頂きたいと思うのですが。」


 タイミングよく俺はお二人に声をかける。二人ともチラリと俺を見てバツが悪そうに白くなった髪を掻いた。


 二人の爺は武田の重臣、馬場信春様と内藤昌豊様である。先の戦にて俺と一騎打ちを行い、腕をもがれて捕らわれの身となった。

 普通なら信長様の前で首ちょんぱなんだろうが、我がご主君が二人の助命を嘆願し、信長様も承認されたことで今ここにおられる。もちろん対外的には処刑されたことになっているので、お二人は現状は外出禁止の軟禁状態なんだが、傷も癒えたことだし、そろそろご主君に会わせる頃合いだろう。





 1575年12月-


 俺は二人の爺を伴い清州城に登城した。御殿ではなく別館に案内され、火鉢で暖められた部屋の下座に座って暫し待つ。やがて、足音が聞こえ、我がご主君がゆっくりとした足取りで部屋に入り、俺と二人の爺を一瞥してから上座に座られた。


「…二人とも元気になられたようだな。」


 ご主君の第一声が投げかけられる。


「…。」


 二人は無言のまま一礼した。


「そう警戒せんでもよい。お主たちが直ぐに私に仕えてくれるとは思うておらぬ。今はただ話がしたかっただけだ。」


 威圧感のない優し気な表情でご主君は笑った。二人の爺は拍子抜けした顔をした。


「しかし寒いな。…甲斐はここよりも寒いのか?」


「…そうですな。時には死人も出るくらいだ。」


 ご主君の質問に馬場様がぶっきらぼうに応える。無礼な物言いに小姓が立ち上がったがご主君がそれを制した。


「そうか。ではこれから甲斐は益々厳しくなるな。我らとの戦で負けた武田に冬を越す力はあるのか?」

「…知らぬ。」

「…越せないこともないが、厳しいということか。」「そんなことは言っておらぬ!」

「だが、顔にそう書いておる。…女子衆どもも此度の冬は堪えるのではないか?」

「…何が聞きたい?」


 ご主君が二人から何かを聞き出そうとしていることに気づき、内藤様がご主君を睨みつけるように質問した。


「…お二人が松姫殿に最後に会われたのはいつだ?」


 突然の質問に二人は呆気にとられた。俺も驚いた。まさか、今更松姫様のお名前が出てくるとは。二人は暫し考え、互いに目を合わせた。


「信玄様身罷られし後は…お見掛けしておらぬ。」


 馬場様の答えにご主君はうつむいた。だがすぐに表情を改め二人に話しかけた。


「尾張の水はどうだ?腹を下したりはしてないか?」

「…心配無用にござる。」


 …そっけない返事。俺もため息をついてしまった。できればこのお二人にご主君に仕えて頂ければと思うのだが、この調子ではまだ無理であろう。その後もいくつか質問をされたが、いずれもそっけない回答に終始し、やがて聞くこともなくなって会談が終了した。二人を屋敷まで送り届けるよう孫十郎と慶次郎に命じて俺は居残った。二人だけになるとご主君は足を崩して座り込んだ。


「…無吉、やはりあの二人から甲斐の状況を聞き出すのは無理か?」


「……ご主君がお聞きしたいことは、武田家の状況ですか?それとも松姫様のことですか?」


「…両方。」


 ご主君はそう言ってぷいと視線をそらした。


 鈴姫様に手を出しておいて、未だに松姫様があきらめきれないご様子。…でも俺が言うとややこしくなるのでここは黙っておく。


「あの様子から察するに、良くはないでしょう。年明けには伊藤衆が内情をつぶさに報告してくるでしょうから、無理に聞き出す必要はございません。あの者たちにはご主君が武田の内情を知りたがっていると思わせておくだけで十分です。」


 俺はご主君があのお二人を助けた目的を聞かされている。だから今はお二人がおとなしく俺の屋敷に籠っていてもらわねばならない。ご主君も目的を忘れてはいないので黙ってうなずきはするが、不満そうではあった。





 1576年元日-


 昨年と同じく明智様の取り仕切りによる年賀の儀が行われた。

 今年は木曽家と毛利家が病と称して欠席し、上杉家、徳川家、姉小路家、北條家が代理人出席となった。木曽家は前年の戦に武田側に加担していたことから信長様を恐れて欠席したものと思われる。毛利家は明らかに織田家との敵対表明だった。変わって上杉家北條家が加わったことで、織田家に友好的な武家領主が更に拡大した。また徳川家は先年の武田家との戦での扱いに不満を訴えていたのだが、無視されて当主家康が尾張に行くの拒否ってしまい渋々酒井忠次が出席したらしい。既に織田方に付いた息子の岡崎三郎は廃嫡されており、徳川家と織田家との間には何のしがらみもない状態となったため、同盟解消は必須であろう。


 家臣団のほうは…とうとう佐久間様が重臣の席から姿を消した。席次も柴田様、明智様、羽柴様、丹羽様、原田様、滝川様、蒲生様となられている。

 外様衆には、播磨の小寺家が加えられていた。昨年播磨に駐留する羽柴軍を通じて織田家に臣従したそうで、席に座る男は“小寺官兵衛孝隆(よしたか)”だそうだ。後で聞いたのだが、昨年に信長様に謁見した際に「圧切長谷部(へしきりはせべ)」を頂戴したそうだ。


 やがて宴は終焉となる。諸将を見送った後次の儀のために俺たちは奥の間へと向かう。参画メンバーは昨年と同じ。そして方針は昨年の11月に既に決しているので、それほど議論することはない…はず。

 例年通り堀様が遅れてやって来る。そして討議が始まった。


「まずは安土の進捗。」


 言われて丹羽様が大きな紙を広げた。紙を中心に皆が集まる。


「大殿の城郭図が出来上がりました。あづち山の頂に六層の天守を建て、周囲は総石垣で固め居住できるように部屋割りも致しました。天守へと続く道は総石造りとし、城本体は堅固さよりも豪奢さを礎とした作りにしております。既に築城に必要な部材の量、日数は計算済です。」


 俺も含めて紙に書かれた絵を眺める。そこに書かれた絵は俺が知る前世の記憶の安土城図と似た絵があった。誰もが一言も発さずに絵に見入っていた。


「…良きかな。で、いつ完成する?」

「三年後。」

「で…あるか。」


 そう言って信長様は暫く絵を見つめていた。よほど気に入ったようで笑みを浮かべている。…正直、薄気味悪いと思ってしまった。


「城の周囲は淡海から引いた水で内堀と外堀で囲い、各地の大名の屋敷を建てる広さも確保しております。城下町には最大三十万人が住めるよう区画整理を行いまする。」


 周囲がどよめく。まさに京の街に匹敵する規模である。既に信長様は悦に浸っておられる。丹羽様が細かく説明されているが、俺は絵図を眺める信長様の表情が気になって頭に入ってこなかった。






 “裏年賀の儀”は終了した。


 新たな決定事項としては、


 柴田様につけた与力衆は一旦解散することとなった。柴田様は在地の豪族を登用して自軍を編成するよう言い渡し、改めて前田様、佐々様、不破様を柴田様の目付として派遣することとなった。

 それから原田信正様を正式に金ヶ崎の領主に任命した。本来は越前国の一部であるが、柴田様配下ではなく独立した領主として任命されたのだ。帯刀(たちわき)様の任務は北陸、山陰への諜報活動である。そのために、信長様配下の多くの商人衆が帯刀様に貸し出された。


 そして、我がご主君、織田秋田城介信忠様は、岐阜を本拠とするよう言い渡された。


 本拠の移動。それは即ち「家督の継承」を意味する。これには横におられた御台様もさすがに驚かれた。信長様に何かを言おうとされたが首を振って噤んでしまわれた。おそらく言っても無駄であろうと察したのではなかろうか。それほど唐突で余地のない決定となった。

 信長様は岐阜を出てどこに住まわれるのかというと安土城築城のために建築した仮屋敷に住まわれるという。天下の大将ともあろうお方がそのような屋敷では心もとないと丹羽様が信長様用の屋敷を用意すると進言したがこれを拒否し間近で城が出来上がる様を見ることを望んだ。止む無く御台様の命で周辺に側近の住居と兵を配置できる陣屋を早急に作ることで何とか決着する。



 …信長様は、あの絵図に何を見出してあのような表情をされたのであろうか。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 安土城。


 前世の記憶ではこれまでに類を見ない絢爛豪華な城として、織田家の権力の象徴として、新たな日の本の政の中枢として築城されたそうだが、「本能寺の変」の後、豊臣の時代に移って早々に破却される結果となり、資料も余り残っていないことから謎の多い城でもあった。大まかにはその規模、構造は解明されているものの目的とその実績がわかっておらず、後世において様々な議論のネタになっていたと記憶している。

 今俺はこの時代でその「安土城」の誕生を目の当たりにしつつある。そしてその目的も明らかになりつつあった。


 天守の構造、御殿の構造は、京にある清涼殿を模した設計である。更に城下町も京に倣い碁盤目に区割りをするという。まさに新たな地に(みやこ)を作らんとするように人々の目には映ったであろう。そしてそれは周囲に織田信長という男が主上の地位を奪わんとしているのではと思われたのだ。


 先に書き残しておくが、信長様の目的は「今の日の本をぶっ壊す」こと。ありとあらゆるものを壊して新たな法と秩序を作り上げようとしていたのだ。だが、その中に主上は含まれておらぬ。信長様も新しき世にも社稷(しゃしょく)を司る「天皇家」は必要と考えておられた。安土は新しき世にて主上をお迎えする場所と考えておられた。


 結局、帝を安土にお迎えすることについては別の理由で断念することになるが、その話は別の機会と致そう。


 ~~~~~~~~~~~~~~




 一旦清州に帰ってきた俺は、寝ている我が子の頬をつつきながら考える。


 1576年か…。この年に何が起きていただろうか。


 まず、原田直政の横死。毛利家の参戦。原田様は何とかして生き残ってほしい。そうすれば、ご主君、柴田様に続いて第三の軍団として畿内を統括することができ、明智様への負担を軽減させることができる。明智様は近頃激務に追われておられる。これを少しでも軽減できれば「本能寺の変」の回避に繋がるのではないだろうか。




(とめ)姫:九州の名族久保田家の傍流の遺児…という設定の架空人物です。幼いころから苦労しているせいもあり、一族郎党ごと引き取ってくれた主人公に対して感謝しています。


楊西院:留姫の母親で、夫と死別して出家している…という設定の架空人物です。実際に「久保田家」は戦国期には殆ど衰退して領地も乗っ取られていたようです。


宗舞尼:主人公の育ての母である生駒吉乃付きの女中でしたが、吉乃の死後に出家して菩提を弔っておりました。主人公に乞われて子供たちの教育係として使えることになりました。


松姫:武田信玄の娘で、織田家との同盟の証として信忠の正室となる予定のお方です。武田家滅亡後に八王子に避難しておりましたが、信忠の使者を受けて尾張に移動する途中で本能寺の変が発生したと言われています。


小寺孝隆:後の黒田孝高です。史実では竹中半兵衛と並び称された名軍師…と言われています。本能寺の変で信長の死を悲しむ秀吉に、天下を取るよう進言した人物で秀吉からも家康からも恐れられたと言われています。



前田様、佐々様、不破様:史実では「府中三人衆」と呼ばれるようになります。最初は柴田勝家の与力ではなく、目付だったそうです。


原田信正:信長の庶長子、織田信正のことです。本物語では原田直政の養子となり、名を原田帯刀信正としています。


安土城:現存はしておりませんが、日本初の総石垣の天守を持つ城と言われております。江南の「あづち山」という琵琶湖に突き出すようにそびえる小山に六層にも及ぶ天守と幅広い石造りの道を敷き、周囲を二重の堀で囲っていたそうです。山の中腹や裾周りには多くの大名屋敷が連なっていたと言われていますが、どこに誰の屋敷があったかは正確には分かっておりません。また、城下町も安土城焼失後に八幡に移住させられたようで正確な居住人口は分かりません。ただ、御殿も城下町も京の街を模したとされており、かなり大きな碁盤の目で形成されていたと思われます。本物語では「天皇をお迎えする」目的で新たな街を作ろうとしている、とさせて頂きます。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ