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18.長篠の戦い(中編)




 三河国、設楽郡。



 古来より設楽氏が領有していた土地である。現在の惣領は設楽清広であったが、前年の武田侵攻で当主は行方不明になっていた。

 今回、その清広が案内役として武田軍を引き連れやってきたそうだ。一族の惣領が三河守を裏切ったことを知った長篠城主の設楽貞通は意地でも武田家には従わぬと城を死守したおかげで織田軍は合戦に間に合い、別動隊を編成して武田軍の退路を抑える布陣もできた。羽柴様は設楽貞通を救うため、武田軍をおびき出そうとしたが、陣構えを固くして守りに徹しており、未だ長篠城は孤立状態ではあった。物見で近くまではやってきたのだが、対岸から監視されているようでこれ以上城に近づくのは危険と判断し、草むらに隠れて様子を伺っていた。


「羽柴様も攻めあぐねておるようですね。」


 俺の横で孫十郎が意見を述べ、俺は首肯する。


「長篠城は堅城だが、その周囲に築いた敵の砦も攻めにくい。大通寺山と天神山の砦はまだましだろうが、鳶ヶ巣山の複合砦は厄介だ。別動隊の兵力だけでは崩せんな。」


 そう言って南の別所街道に陣取る一軍を遠目で眺めた。その軍は徳川家康率いる八千であった。普通に考えたらこの兵力を使えば鳶ヶ巣山に攻撃を仕掛けることも可能だ。だが、此度の戦では徳川軍は利用しないという方針だった。理由は単純である。もはや信用できる同盟軍ではないからだ。となると、我ら別動隊は武田軍と同時に徳川軍の動向もチェックしておく必要がある。下手すると二軍を相手に立ち回る可能性もある。


「孫十郎、この状況の打開策を考えろ。瀬田衆を動かして構わん。山岡八右衛門も手伝え。それから孫一どの、敵方の鉄砲の数は分かるか?」


 後ろで控えていた熊の毛皮を着た男が俺の横に並んだ。


「各々の砦に二十強というところだな。よほどの手練れがおらぬ限り威嚇程度にしかならぬ。代わりに弓衆を数揃えておる。」


「…無闇に突撃しても犠牲を出すだけか。だが敵の退路を封じるには多少の犠牲もやむを得ず…だな。」


 俺は腕を組んで考え込んだ。今はこちらから動くべきに非ず。物見の情報を待って策を練るべきと判断した俺は、河尻様の元へと向かった。別動隊の陣幕は豊川西岸にあった。長篠城も敵の各砦もよく見える位置だ。陣幕の中では河尻様は丹羽様と談笑されていた。


「おお九郎!戻ってきたか。どうであった?」


 河尻様が手招きして俺を呼び寄せる。


「鳶ヶ巣山をどうにかせねば、長篠城には近づけませぬ。しかし、あの複合砦は我らの兵力だけでは落とすのはむつかしいかと。」


 俺は二人の前に跪いて率直に意見を述べた。そして引き続き俺の家臣が物見を続けていることも付け加えた。


「…やはり鳶ヶ巣山か。だが羽柴殿の見立てでもあすこには三千の兵が籠っている。我らだけでは落とすことは……。」


 そこまで言って河尻様は口を閉じた。さすがに「無理」という言葉を口にするのは憚られたようだ。


「徳川殿はあてにできませぬか。」


「徳川を使うなとお達しがでておるのだ。」


 丹羽様の返事は重い。俺は陣幕に置かれた長篠周辺の地図を見ながら半兵衛様ならばどうするかを考えた。




 馬防柵を組み上げた竹中半兵衛は本陣に戻ってきた。陣幕の中では信忠が丹羽氏次と話し込んでいた。氏次が半兵衛に気づき一礼し、それを見た信忠が振り向いて笑顔を半兵衛に向けた。


「戻ってきたか半兵衛。その様子だと準備は終わったようだな。」


「はっ。…あとはどうやって武田軍を突撃させるか…にございますが。」


「やはり鳶ヶ巣山が邪魔か。」


「はい。武田軍は鳶ヶ巣山経由で別所街道を北上することで退却が可能です。この退路ふさがない限り敵は突撃戦法を用いないでしょう。」


「こちらの兵はこれ以上割けぬ。かと言って後詰に回る佐久間隊を使う気は父上にはないようだし…。」


 信忠はため息をついた。ここ最近信長は重臣である佐久間信盛を無視していた。元々弟の信勝付きの家老であった信盛は織田家の当主問題が勃発すると一貫して信長支持で織田家を支えた功労者であるのだが、桶狭間以降は目立った功績がなく、先年近江の領地を没収されていた。信忠としては、子の信栄が仕えていることもあり何とかできぬものかと日ごろから考えていた。


「いずれにしても佐久間隊だけでは足りませぬ。砦内にどれだけの兵がいるかもわからない状況で迂闊に攻撃は兵力を失うだけです。」


「…またもや我慢比べになるかも知れぬな。」


「先年と違い、我らには次の戦が控えております。我慢比べになれば我らの負けです。」


 半兵衛の言葉に信忠はこぶしを握り締め憤りを堪えていた。





 孫十郎が帰還した。山岡八右衛門を伴い、羽柴様、丹羽様と地図を眺めている最中の俺に物見結果を報告した。


「鳶ヶ巣山の砦の位置、おおよその兵数を確認して参りました。」


 そう言って地図にバツ印と兵数を書き込んでいく。砦群の総兵数は三千。一つの砦に約五百の兵がいる計算になる。1つ1つの兵数は大したことないが、我らが桶狭間の戦いにて鳴海城に仕掛けた包囲と同じく、1つを攻めれば残りの4つから攻撃を受けてしまうのだ。6つ同時に攻めねばならぬのだが、別動隊の兵力も三千。これでは砦を突き崩せない。


「兵数がもう三千あれば、南北からの挟撃で落とすことは可能です。しかし…。」


 孫十郎は言葉を濁し、羽柴様もふるふると首を振った。


「余剰兵力は別所街道を封じる徳川殿以外ない。だが大殿からは徳川の兵を使うべからずとのお達しもある。…どうしたものか。」


 別所街道の南側に布陣する徳川軍は八千。砦を攻めるのに十分な兵力である。だが、家康自身が信用できぬからか、信長様は徳川軍への接触を禁止していた。


 せっかくの遠江の兵がもったいないと思う。



 …ん?遠江?



 俺はひらめいた。


「そうか!兵数を補えば五ケ所同時に攻め込めるか!それが孫十郎の答えだな!」


 突然の俺の嬉々とした表情に孫十郎は困惑した。


「そ、そうでございますが、どこにその兵力が?」


 不安そうにする孫十郎に俺は笑顔で答えた。


「あるさ!…三河国内にな!」


 俺は頭の中で報告事項をまとめ、羽柴様の許可を頂いて急いで信長様と勘九郎様のおられる本陣へと馬を走らせた。





 本陣では諸将が集まって軍議を始めたところのようだった。俺は警備についていた荒尾平左衛門と団平八郎によって本陣の中に通された。

 中では半兵衛様が敵軍をどうやって突撃させるかで一手不足していることを説明している状況だった。


「勘九郎様!申し上げたき儀が!」


 俺の突然の登場で半兵衛様に集中していた視線が俺に移った。


「“鬼面”!控えよ!「構わぬ!申せ!」」


 柴田様は俺を見て大喝するが勘九郎様が制した。柴田様は不満顔であったが、一礼して引き下がった。


「この戦、鳶ヶ巣山を崩して敵の退路を断たねば勝つことはできませぬ。しかし北に回った羽柴・丹羽隊の兵力だけではかの砦を落とすことはできませぬ!」


「増長するな!鬼面!貴様ごときの考え、我らが思いつかぬと思うたか!」


 柴田様が鬼の形相で怒鳴り声をあげる。が、俺は動じない。


「では羽柴様、丹羽様に兵をお貸しください。さすれば一両日中に鳶ヶ巣山の砦を全て落として見せまする!」


 柴田様が立ち上がり、前田様がこれをなだめて座らせようとしたが振り払われた。


「貴様!その大言、聞くに堪えぬ!貴様のせいで淡休斎の評判を落とすのだぞ!」


 無意味に怒髪天の柴田様。そのせいで周囲の諸将は冷静に俺を観察している。…あ佐々様は怒り面だ。


「権六、座れ!この者は儂が遣わした別動隊との伝令係だ。ここを出入りする資格も持っておる!」


 信長様がドスの効いた声で柴田様を黙らせた。


「九郎、申せ。」


「はっ!…岡崎三郎様、奥平貞勝様に文をお書きくだされませ。西三河、奥三河の兵を用いて鳶ヶ巣山を攻めまする!」


 柴田様は舌打ちされた。何人かの諸将は頭を抱えていた。信長様も俺の言葉に残念そうな表情を見せた。


「…九郎、今から戦支度をさせても間に合わんぞ。どういうつもりだ!?」


 言葉の後半には怒気が含まれていた。さすがに怖い。だが突然笑い声が聞こえた。見ると半兵衛様が腹を抱えていた。


「私としたことが!失念しておりました!九郎殿の言や良し!…若殿、取次役家にご足労願います!西三河、奥三河の者共に出陣の下知を!」


 半兵衛様は一度笑いを収め表情を改めてから勘九郎様に進言した。


「どういうことだ?説明せよ。」


 勘九郎様は半兵衛様の進言の意味が分からず首を傾げながら聞き返した。


「この戦、徳川家の西三河奪還の策略より始まっております。徳川家に仕える者からの内通を受け私と林殿で徳川家を利用して武田に戦を仕掛けさせました。」


「それは知っている。奥三河の協力を受け我らはこの設楽原に最速で進軍できたのだ。」


「はい。で彼らはもしもに備えて徳川家にも合力できるよう戦支度を整えております。」


 信長様が立ち上がった。


「それは…儂を裏切り徳川に与することも考えていた、ということか?」


「はい。彼らも一枚岩では御座いませぬ。この戦乱を生き抜く知恵として、当たり前の対処と心得まする。私は彼らを“(したた)か”と評価いたします。」


 半兵衛さまの言葉で信長様は笑った。魔王の笑みだ。


「すぐさま奥平と岡崎に使いを出せ!五千の兵をすぐに送るように言え!九郎!禿ネズミに伝えよ!奥三河衆が到着次第鳶ヶ巣山を急襲せよ!」


 信長様の言葉で慌ただしく小姓衆が動き出した。信長様は跪く俺に近寄り頭を持ち上げた。


「無吉、何故三河の連中が使えると思うた?」


「は、単に使える兵が何処かにないか考えただけです。有効かどうかは半兵衛様がして下さると、あ痛!」


「ふははは!よく気付いた!」


 信長様は俺の頭を力強く叩くと高笑いを残して陣幕を出て行った。俺も急いで陣幕を出る。そこを勘九郎様が呼び止めた。


「九郎……いや無吉。…死ぬなよ。」


 俺は無言で頷いた。俺にとっては嬉しいお言葉だ。…だが、フラグを立てられた気がして内心焦っているだが。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 1575年6月7日-


 別所街道の徳川軍を鳶ヶ巣山の更に東にある乗本へ移動させる。


 6月8日-


 奥平貞正(後の奥平信正)と岡崎三郎(徳川信康)の率いる三河兵六千が別所街道を駆け上がる。同日、三河軍の動きに合わせて羽柴・丹羽隊が鳶ヶ巣山への攻撃を開始。


 6月10日未明-


 鳶ヶ巣山に築かれた6つの砦全てを撃破し守将の小幡憲重を討ち取る。これにより、長篠城を囲う武田兵が大通寺山へと後退。


 6月11日-


 羽柴隊・丹羽隊は鳶ヶ巣山に布陣。奥平・岡崎隊が対岸の大海に布陣。これにより武田軍は長篠城を挟んで軍を2つに分割させられた格好となる。

 同日、武田軍は設楽原に縦三備え横八備えの陣形に変更。


 6月12日明け方-


 武田軍の第一陣が設楽原に布陣する織田軍に突撃を開始。織田軍は武田軍の突撃を鶴翼陣にて囲い込み、一千を超す鉄砲の一斉射撃を浴びせて撃退した。武田方の土屋昌次、真田信綱、昌輝が討死。

 続く第二陣、第三陣も織田軍に突撃するが即席の馬防柵すら打ち破ることもできず、大量の死者を出して、後退した。夕方になると武田軍は設楽原の北部に移動を開始。撤退するための移動だと判断した信長様は諸将に追い打ちを下知。


 武田軍の撤退戦は、織田軍にも少なからず被害をもたらす結果となる。




長篠の戦い:三河長篠城を攻撃した武田軍とこれを救援するために出陣した織田・徳川連合軍との戦いをいいます。史実では、奥三河の奥平氏が武田から徳川に寝返ったことで、武田勝頼が遠江三河を再び自領とすべく南征したことで始まります。対武田の最前線に配された奥平信昌が予想以上に武田の猛攻に耐え、織田軍の救援が間に合ったことで戦の舞台が設楽原と移ります。信長は当初から鉄砲を用いた敵の突撃を返り討ちにする作戦を考えていたようで、老臣の反対を押し切って突撃を行った勝頼は多くの家臣を失う結果となりました。

 因みに「三段撃ち」の戦法については、当時の鉄砲では無理だと否定されています。ただ、この戦で織田軍は大量の鉄砲を運用したことは確かなようです。



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