15.美濃・奥三河の戦い(後編)
東美濃の戦がようやく終わります
疲れ切った体を無理やり動かし、何とか中津川の本陣にたどり着いた。名を告げるとすぐに坂井久蔵が迎えに来た。…久蔵の顔色が悪い。何かあったのだろうか。
「若殿様は(・)大丈夫だ。それよりも陣幕へ。皆が岩村の状況を聞きたがっている。」
久蔵は俺の質問にそう答えて陣幕へと案内した。…若殿様は…か。と言うことは他の誰かに何かあったわけだ。気になるがここはまず勘九郎様へのご報告が先だ。俺は何も言わずに久蔵の後を追った。
陣幕では、勘九郎様、羽柴様と各部隊の長が座っていた。俺は久蔵に堀様からの文を渡して入り口に膝をついた。
「九郎、報告せよ。」
勘九郎様の声に返事をして、俺は岩村での戦況を報告した。
馬場信春軍の加勢と、奥三河の軍の北上に伴い、岩村城を捨てて飯羽間城に後退したこと。馬場信春軍の奇襲に遭い二千に届く被害が出たこと。これ以上は残存兵力で戦線を維持することが難しいことを簡潔に報告した。諸将からは唸る声が聞こえる。羽柴様は目を閉じて黙り込んでいる。
「やはり半兵衛の思い描く通りであったか。」
勘九郎様が考え込んだ。この状況、半兵衛様は予測されていたのか。…てことは打開策もあるのだろうか。そういえば半兵衛様の姿が見当たらない。
…ま、まさか半兵衛様に何かあったのか!?
「よし、ここからは半兵衛の策で“守勢”を進める。この策は小細工の分類だ。持って一月。皆も気張れ。」
勘九郎様は諸将を激励すると各自に指示を出していった。半兵衛様はご健在であった。空城を構築するために出払っていただけだった。…では誰に何があったのだろうか。すごく気になるが、今は軍議の最中。俺はじっと膝をついたまま勘九郎様の諸将への指示を聞いた。
敵は岩村城に一定の兵力を残して、こちらに向かうと想定される。恐らく中津川沿いに北上してくるであろう。これに対し、織田軍はその周辺に空城を構築する。既に半兵衛様が兵を率いて向かっており、大小十ほどの土塁と旗指物を立てただけの陣を作っている。遠目には織田兵が陣を張って待ち構えているように見えるが、すぐに見破られる。
同様に勝頼本陣の周辺にも空城を作る。敵は最初は警戒するであろうが、すぐに兵が配置されていないことに気づき、その意図を探ってくるであろう。そこで、我らは中津川本陣と苗木城から撤退するそぶりを見せる。実際に五千ほどをここから移動させる予定だ。敵がこれに食いついて苗木城に群がろうとすれば、迎撃し、これを機に撤退の動きを見せれば、足止めして兵力と食料を消耗させる。その拠点として、敵に看破された空城を利用する。
しかしこれは小細工の部類で、敵が空城を先に壊して回られると作戦は中断せざるを得ない。そうなった場合は全軍で苗木に籠っての我慢比べに突入するというものだった。
全ての説明を終えると勘九郎様が立ち上がって、俺を呼んだ。
「無吉、ちょっと来い。」
無吉と呼ばれたことに戸惑いを感じながらも俺は勘九郎様の側に移動し、跪こうとして腕を引っ張られて陣幕の隅へと連れて行かれた。
「…庄九郎の内室が息を引き取った。」
勘九郎様の言葉に俺は全身の力が抜けた。近殿が!?確か懐妊されて茜がすごく喜んでいて、庄九郎も池田様も喜んでおられて…。流産したというのか!な…なんということだ。俺はよろめく。勘九郎様がすぐに俺の腕を取って支えた。
「しょ、庄九郎は今どこに?」
「清州に行かせた。…だが心配だ。無吉行ってきてくれぬか?」
「し、しかしここのことは…」
「お前ひとりなどどうにでもなる。何なら孫十郎たちは置いていけ。…私は庄九郎のほうが心配だ。…だが諸将の前ではそんなことは言えぬ。無吉、頼む。」
勘九郎様のお願いに近い指示を受け、俺は陣幕を出た。外では孫十郎らが待っていた。俺は全員を呼び寄せ、小声で勘九郎様に言われたことを説明し、皆はここに残って他の馬廻衆の助けをするよう言いつけた。孫十郎が心配そうに俺を見た。
「孫十郎、孫一殿にはようく言い聞かせよ。あやつは俺以上に勝手な行動をとるからな。」
「…畏まりました。」
「慶次、無謀な行動は慎めよ。」
「…主殿以上の無謀なことなどできませぬよ。」
これ以上言うと俺の心が痛む気がしたので後のことを孫十郎たちに任せて、清州へと急いだ。
清州へは馬に乗って半日の道程。俺は日が暮れる前に清州に到着し、まず自分の屋敷に戻った。案の定、茜と福姫がわんわん泣きながら俺に抱き着いてきた。侍女の考が着込んでいる鎧を脱がしてくれているが、考も目を真っ赤にしていた。明らかに泣き明かした様子。
「…多賀勝兵衛は?」
「…伊勢様をお迎えに行っております。」
俺の質問に考が答えた。
「二人は庄九郎の屋敷へは?」
二人の姫はふるふると首を振る。考を見たが考もまだ伺っていないようだった。俺は三人を連れて庄九郎の屋敷へと向かった。屋敷では既に咲殿が家内の手伝いで屋敷に行っており、俺が来たという知らせを聞いて玄関まで走ってきて俺に抱き着いた。同じようにわんわんと泣く。それを見た二人の姫がまたわんわん泣き出した。
「庄九郎は?」
「…奥の部屋で近殿に寄り添っております。」
咲殿の返事を聞いて俺は屋敷の中に上がった。奥へと進み部屋の襖を開けた。
庄九郎が布団の前に座っていた。じっと虚空を見つめている。俺は何も言わずに静かに庄九郎の隣に座った。そしてしばらく無言で横たわって眠る近殿を眺めた。庄九郎はちらりと俺の姿を確認してわずかに頭を下げた。俺も頭を下げ、近殿のお顔を見た。…顔の色がかなり白い。恐らく出血がひどかったのであろう。吉乃様の場合は、何とか一命をとりとめたが、マヒした体は元には戻らなかった。近殿の場合は、命を落とすほどの出血だったようで、この時代の出産の恐ろしさを改めて感じた。だが近殿がもう動かない身体なのだと思えず、素直に手を合わせることができなかった。
目を閉じると近殿との思い出が蘇る。そして悔しさが込み上げる。…だがどうすることもできずただ近殿の顔を見るしかなかった。
「…姫たちを連れてきている。近殿に会わせてやってくれないか。」
「……ああ。」
庄九郎は短く返事をすると、一歩引いて座りなおした。俺は、襖をあけて茜、福姫、考を中に入れた。福姫が真っ先に近殿の側に寄り抱きしめた。「姉様、姉様」と連呼して泣きじゃくった。茜は多少冷静になれたのか、そんな福姫をあやしている。考は只々近殿に向かって床に頭をこすりつけるように平伏していた。
庄九郎にかける言葉が見つからないまま、日が暮れ俺たちは一旦屋敷に戻った。その後伊勢様が到着されたとの知らせを受け、俺は再び池田屋敷に向かった。
屋敷に着くと庄九郎が出迎えてくれた。
「伊勢様は?」
「近と対面している。」
その後は無言になった。やはり会話が続かない。こんな時、なんと言葉をかけるべきなのか。
「……吉十郎、俺は…どうすれば良いのだろうか?」
庄九郎がつぶやく。
「どうすれば…て、そりゃあ、近殿を弔って「違う!」お、おい」
俺は憤る庄九郎を見やった。
「違うんだ吉十郎。俺は池田家の嫡男だ。家名を残すためには!…だが心の整理が!」
庄九郎は混乱していた。まあそうか。池田様は三河に従軍しており、帰っては来れぬ。自分が池田家の当主として対応せねばならぬと気持ちばかりが焦っているのではなかろうか。
「庄九郎、まずは近殿の弔いだ。訪ねて来られる方々に御礼を申し上げ、滞りなく葬儀を済ませてやること。…全てはそれからなのではないか?」
庄九郎は力なく頷いた。
「勘九郎様から“庄九郎を頼む”と言われている。俺も一緒にいてやる。今は戦のことも忘れろ。」
俺は庄九郎を抱き寄せた。
庄九郎は泣いた。
恐らく、近殿が亡くなられてからずっと張っていた気がほどけたのだろうか…ひどいくらいの男泣きであった。
戦の最中でもあったため、葬儀は質素に執り行われた。池田家と懇意にしている周辺の国人、畿内の諸侯からお悔やみの書状を頂戴し、池田家の菩提寺である龍徳寺に埋葬された。
そして全てが終わって後に、東美濃に出陣していた勘九郎様たちが清州へと帰ってきた。俺と庄九郎は真っ先に城門へ向かい出迎えの挨拶を行った。
「庄九郎、無吉、そこで待っておれ。平手の爺に報告したら汗を拭って着替えてくる。」
それだけ言うと、さっさと城へと入っていった。暫く織田軍の行列に頭を下げていると、丹羽源六郎、大橋与三衛門、団平八郎がやってきた。彼らは庄九郎の姿を見つけると、兜を脱いで小脇に抱え、一礼して庄九郎の前を通り過ぎた。馬廻衆には近殿のことは知らされているようだ。庄九郎はただひたすら通り過ぎていく馬上の兵たちに頭を下げていた。やはり自分がこの戦から途中で離脱したことが悔しいのだろう…拳は固く握りしめられていた。
一刻ほど経過して、勘九郎様が馬廻衆を連れてやって来た。皆で池田邸へ向かい、近殿のために拵えた仏壇に手を合わせた。その間、庄九郎は床に額をこすりつけるようにずっと頭を下げていた。
「…庄九郎、暫くは喪に服せ。」
「…は。」
「無吉は庄九郎の代わりに出仕せよ。」
「は。」
「ん?…そうか、戦の結果を聞かせてなかったな。このような場で説明することを許せ。」
「お伺いいたしまする。」
勘九郎様は武田家との戦の結果について説明された。半兵衛様の策は途中で看破され、空城は破却されたため、全軍を苗木城に集めて最後の“守勢”に移ったが、その間に武田軍は退却したようだった。ただ、岩村城には秋山信友が居残っており、織田側としては、岩村以南を武田・奥三河衆に奪われた格好となった。
だが実情のところは、武田軍はかなりの物資を消耗しているようで、暫くは打って出ることはないだろうというのが半兵衛様の見解であった。念のため、斎藤様と半兵衛様が苗木に残り、岩村を奪われた遠山友忠様は、岩村奪還まで清州にて面倒見ることとなった。
そして肝心の遠江で家康と対峙した武田軍は、勝頼の撤退の知らせを受けて浜松への攻撃を断念したようで、糧食を根こそぎ奪って退却したらしい。家康は兵力不足から追い打ちをかけることを断念したようで、三河は徳川軍の惨敗となった。
結果、武田軍は織田軍と戦った本隊は消耗戦を強いられて戦略的撤退となり、徳川軍と戦った穴山信君の分隊は糧食を奪い、且つ奥三河衆を味方に引き込む勝利を収めた。
勘九郎様の説明を聞き、俺と庄九郎は一礼した。
「武田は織田・徳川連合に勝利したと言ってよいだろう。…だが此度の戦、勝頼と重臣穴山信君との間に溝を作ることができたと思う。」
確かに武田家から見れば、穴山分隊の戦功は著しい。重臣であり、連枝の筆頭でもある穴山信君は勝頼にとって煙たい存在になるだろう。
「同時に我らと徳川家の溝も顕在化した。」
一同が頷く。
「幸いなことに、我らは信康殿を保護することができた。奥三河の反乱に対抗する名目で岡崎に勝三郎を配置できた。妹の五徳とその子供らをこちらに向かわせておる。」
話を言い終えると、勘九郎様は庄九郎の側までやってきて肩を叩いた。
「今は心を休めよ。池田元助が活躍すべき時はこの先いくらでもある。お前ひとりが気張るな。ゆっくりと内室を弔うのだ。」
庄九郎は再び平伏した。
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1574年8月-
武田家との戦いは終結した。
だが、これは武田家の滅亡に向けての前哨戦でしかない。翌年、御主君は東美濃奪還の兵を掲げ、秋山信友を打ち取っている。そして武田に寝返った奥三河の豪族、奥平貞勝は再び武田家から離反する。
しかし、臣従先は徳川家ではなく織田家となり、信長様は奥三河の安定を図るため、藤姫様を孫の奥平貞昌に嫁がせるのであった。
この時、茜は妊娠4か月、咲殿は妊娠3か月であったが、それをご報告できる状況にはなく、加えて私は堺に矢銭を要求しに恥を掻きに行ったため、直接ご報告ができたのは10月に入ってからだったことを記憶している。あれは本当に怒られたものだ。
だが、この戦い…勘九郎様にも大きく精神的な負担を強いられていたようで。
勘九郎様は、とうとう己の心を癒すために、というか欲望に負けたというか…侍女をお手付になられたのだった。(ここは詳しく書き記そう)
塩川長満様の御息女、鈴様は長満様が清州の奉行衆になられてから、勘九郎様の身の回りを世話する侍女衆の一人となられた。
勘九郎様は、ずっと松姫様のことを想われており、侍女衆の誰にも手を付けずにずっと過ごされていた。しかし、とうとうお優しい鈴様に絆されて、思わず心を許されたようで、しかもお堅いというか律儀というか、事を成した翌日にわざわざ長満様のお屋敷に足を運んで詫びを入れたそうだ。長満様は平伏される勘九郎様を前に大慌てになられたそうで…。
1575年1月-
かくして勘九郎様は鈴様を側室に迎え入れられた。この時、信長様の許しを得て名を“勘九郎信忠”と改められた。
「無吉、私は名を改める。お前の名から一字貰うぞ。」
“池田吉十郎忠輝”から“忠”の字を。
武家社会で家臣から一字を貰うなどありえない。だから“信忠”の由来はどこにも記録されていない。
だが当時の信忠様の御家来衆は知っている。
自分が最も信頼する家臣の名を自らに付けたことを。
それは私にとって、これ以上にない名誉であったことを記録する。
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伊勢近:伊勢貞良の娘で伊勢貞為の姉に当たります。実名はわかりませんでした。史実では、池田元助との間に二人の子を設けています。
塩川鈴:塩川長満の娘で、史実でも信忠の子、三法師を生んでおります。
奥平貞昌:奥平貞勝の孫で、史実では徳川家康の娘を娶り、奥平信昌と名を変え徳川家の重臣となります。




