14.美濃・奥三河の戦い(中編)
武田家との東美濃での攻防、まだ続きます
武田勝頼の美濃侵攻から一月が経過した。
当初は武田軍の優勢で陣取りが行われたが、織田軍が逐次援軍を追加投入したことにより、兵力においても陣取りにおいても織田軍優勢となった。その間に何度か両軍の武力衝突が行われたが、いずれも小規模なものに留まり、互いに決定的な一撃の無いまま対陣し続けている。これは織田軍の作戦通りであり、武田軍には焦りの色が見え始めていた。
織田軍のほうはと言うと、勘九郎様と堀様の差配により、うまく敵の動きを封じ込めていた。これは明智様が堀様の指示に従って軍を動かして敵の足止めに大きく貢献していることによる。堀様と明智様であれば、家内の地位的には明智様のほうが上である。しかし、明智様は堀様の指示に文句も言わず堅実にこなしているお蔭で何の問題もなく武田軍と対決できていたのだ。
問題は羽柴様のほうで発生した。
羽柴様は勘九郎様とあまり共にしたことがなかった。このため、勘九郎様のことは織田家の御嫡男であっても“まだまだ若造”と考えていたようで、最初の段階で勘九郎様の差配に大いに口を出してしまったのだ。お蔭で周囲から“若殿に刃向かう不届きもの”という評価を受け、一時孤立した。俺は羽柴様の下に伺い、素直に非を詫びるよう進言し、羽柴様もこれを受け入れ勘九郎様に謝罪した。勘九郎様はこれを受け羽柴様をあさま山の山縣軍への先鋒として最前線に回し、羽柴様は犠牲を出しながらも山縣軍を引き付ける役目として大いに貢献した。
その間俺たち馬廻衆は勘九郎様と堀様との間を何往復もする伝令役を繰り返した。
一方徳川領に侵攻した武田軍のほうは、別所街道で徳川家康と激突し、激しい戦闘の末、双方が一千以上の兵を失ってそれぞれが後退した。また奥三河で挙兵した奥平貞勝の軍は、三河入りした水野・池田様の軍のけん制を受けて思うように行動が取れず、武田軍と合流するために遠江方面へと向かった。
そんな中、徳川三河守様から、信長様宛に書状が届いた。信長様は西三河の安定化のために、鳴海まで出張ってきており(さすがに岡崎入りは家臣に止められたそうだ)、徳川方使者の酒井忠次と対面した信長様は即答して使者を追い返した。
「そもそも遠江は儂の裁可もなく領有された土地。そんな土地を守るために織田家が出張る理由はない。西三河の守備と岡崎三郎殿の安全確保は約束するが、それ以外は三河守ご自身の器量でもって対処されるが良い。」
確かに徳川家の遠江侵攻については、信長様の怒りを買っており、家臣を何人か処分させたうえに西三河国境の土地を割譲させられている。
酒井忠次は清州にいる信康様にも会うことを許されずにつまみ出された。徳川家は事実上、嫡男を人質に取られた格好となり、単独で武田家に対抗せざるを得なかった。
武田軍との対峙も三月目に差し掛かろうという時だった。内外で動きがあった。
1つは奥三河の奥平貞勝の軍が北上してきたため、堀様率いる岩村守備軍は作戦変更を余儀なくされた。
“守勢”から“後退”へと作戦移行である。岩村城周辺の田畑から作物を全て収穫し、飯羽間城まで後退した。三河との国境にある漆原城が奥平貞勝の手に渡り、岩村城までのルートが開けてしまったからだ。これにより無理して岩村城を死守するのは危険と判断し、織田軍は後退した。
だが、北上した奥平軍は漆原城で進軍を停止した。理由は不明だが、空になった岩村は秋山信友によって占領され、拠点を確保できた秋山信友は、兵を北へと向けた。…勘九郎様が守る苗木城に向けてである。兵数はおよそ八千。馬場信春が率いているようで、この軍が苗木に到着すれば、勘九郎様も“守勢”から“後退”に転じなければならなかっただろう。
だが馬場軍八千は突如西へと転進した。
それは、堀様の軍が籠る飯羽間城への突撃だった。さすがの明智様、堀様もその有様を見て震撼した。こちらは堀隊三千、毛利河尻隊二千、明智隊三千に初陣の神戸隊三千。もちろん全軍を城内に入れることはできず、神戸隊を城内に入れ、残りは野営していた。もちろん簡易的な砦は構築しているが、移動したてで防御力は期待できない。
「堀様!してやられました!すぐにでも武並山に兵を登らせ迎撃の体制を!」
俺は南東に見える山を指さして叫んだ。
「明智殿、城の守備をお任せしたい!我らは鉄砲隊を率いて武並山に登る!」
そう言うと、大急ぎで陣幕を出て行った。明智様は周辺地図を睨みつけ兵の配置を考えている。
「明智様…。」
俺は思わず明智様に話しかけた。
「河尻隊を川沿いに北から回り込んで背後に回らせろ。毛利隊は我らと城の南の尾根沿いに兵を移動させ、弓で応戦できるようにするのだ。若殿様の馬廻衆は苗木に報告に走れ。」
俺と庄九郎は並んで返事すると、すぐに陣幕を出た。馬に乗ろうとしたところで、孫十郎がやってきた。今回の戦では、孫十郎、八右衛門、慶次郎、与三郎、孫一を連れて来ていた。普段は堀様の周囲で雑用をさせていただのだが、堀様が鉄砲兵を連れて出て行ってしまわれたので、ここに残っていた。
「九郎様、孫一殿が勝手に堀様に付いて行かれました。「罠の臭いがする」と申しておりました。」
俺は馬に乗りかけた体を戻した。
「庄九郎、悪いが苗木にはお前ひとりで行ってくれ。」
「ま、まさか!お前山に登る気じゃ!」
「鉄砲隊は接近戦に弱い。孫一殿の言葉が真実であった場合、敵は我らが山に陣を構えることを想定していることになる。恐らく堀様が山に登った時点で進軍の方向を変え全軍で山を駆け上がるやもしれぬ。そうなれば鉄砲兵では何もできぬ。心配するな。明智様にご報告して兵を借りてくる。苗木への伝令は任せた。」
そう言って、俺は陣幕に駆け戻り、明智様から五百の兵を借りることができた。山での戦ならばこのくらいの数がちょうどよいはずだと言って、三宅弥平次という男に「鬼面九郎殿の指示に従え」と命じた。
庄九郎を見送った俺は、三宅弥平次殿と慶次らを引き連れ武並山へ急いだ。馬場軍は飯羽間城の東二十町ほどのところまで進軍していたのだ。敵からは見えないように南回りで武並山の東側へ回り込めば、馬場軍の横腹を突くことができるはず。俺は五百の兵を四列陣にして回り込んだ先の草むらに潜ませるよう孫十郎に指示した。
武並山を迂回して草むらに出ると、馬場軍が飯羽間城に向かって進軍する姿が見えた。敵は三本の帯状になって真っすぐ城に向かって進軍していたが、そのうちの一本が川沿いの道に方向を変えた。それは河尻隊が敵の背後に回るために進む道に繋がっている。そして残る二本がそのまま西進し、一本が南へと方向を変えた、…やはりこちらの動きが完全に読まれていた。敵はこの山に鉄砲隊を配置することを正確に読んでいたのだ。ご丁寧に先頭集団には竹束を持たせその背後は槍兵である。
ダダーンと銃撃の音が鳴り響いたが倒れる武田軍はわずかであった。
「九郎様!このままでは山腹に張り付かれてしまいます!突撃の御命令を!」
与三郎が飛び出そうとしているが俺はその腕をぐっと抑えた。
「まだだ。ギリギリまで引き付ける。確実に横槍を入れねばならんのだ。まだ待て!」
武田軍は更に迫ってきた。鉄砲を上から撃ち下ろすが効果は低く武田軍の進軍が止まらない。既に武田軍は竹束の第一陣を先頭に山を登っており、第二陣の長槍の部隊が俺たちの前を横切ろうとしていた。
「九郎様、今です。」
孫十郎が小声で合図するが、俺は首を振った。
「まだだ。槍隊は所詮雑兵。横槍を入れても戦局に影響を与えられぬ。…狙うはその後ろだ。」
俺の言葉に八右衛門が槍隊の後方に目をやる。そこには騎馬に跨る将の姿があった。
「大将を狙いますか!…しかしここまで進軍してくるかわかりませぬぞ。」
慶次郎が嬉々とした表情で言うが、俺は表情を引き締める。
「敵の大将を狙う。それがこの局面では最も効果的だ。皆、大将がここまで来てくれることを祈ってくれ。」
俺はそう言うと通り過ぎる槍隊を横目にじっと様子を伺った。山頂からは鉄砲の音が聞こえるが、悲鳴は聞こえてこない。状況は確実にこちらが劣勢になっていた。そうしているうちに敵の主力の隊が城の正面に到達した。そして歓声とともに味方の本陣への突撃が始まった。悲鳴と怒号がこだまする。ここからは見えないが恐らく激しい打ち合いが行われているのであろう。俺の全身を恐怖が駆け巡る。…後でたっぷり苦しんでやる!今は俺に勇気を!俺は必至に自分を叱咤した。
やがてチャンスは到来した。
敵の騎馬武者の部隊が槍隊に続いて前進し始めた。恐らく、このまま武並山を占領しようという魂胆らしい。恐らく山頂の堀様の鉄砲隊が崩れだしたのだろう。俺は周囲に合図を送った。五百の兵が槍を握り締め、俺が出す次の合図を待った。
俺は立ち上がって声を張り上げた。
「かかれぇええ!」
四列に並んだ五百の兵が立ち上がり槍を構えて、前を横切ろうとしていた騎馬隊に一斉に襲い掛かった。皆が奇声に近い叫び声を上げる。先頭は与三郎、その後ろに慶次と八右衛門が続く。そして俺もその後ろから大太刀を抜いて騎馬隊に駆け寄った。
第一陣が襲い掛かる。そして左右に流れた第一陣の後ろから第二陣が突きかかった。この二撃で隊列が大きく崩れ、大将の姿が俺たちの正面に現れた。
馬場美濃守信春。
武田信玄時代の重臣であり、猛将としてもその名を轟かせている。
「こしゃくな…。」
信春が槍を片手に俺たちに襲い掛かった。慶次郎が朱槍を構えてこれに対峙した。重い一撃が慶次を襲い、慶次の動きが止まった。強引に押し返すと続く二撃目が慶次の頭を掠めた。兜が遠くまで飛ばされていく。
「貰ったぁあ!」
信春の三撃目が慶次の胸に襲い掛かった。側にいた与三郎が自分の朱槍を振るい信春の一撃を弾いた。その勢いで槍が真っ二つになった。与三郎は驚愕の表情になり、動きが止まった。
「おのれ!」
信春は弾かれた槍ごと体を回転させ、今度は与三郎に向かって横から槍を振った。八右衛門は咄嗟に信春に体当たりをかました。巨体がぐらつき槍を手放してしまうが倒れることはなく、逆に八右衛門を拳で殴り飛ばした。
「貴様らはなかなか良い面構えじゃ!その首を取って後で名を聞いといてやる!」
そう吠えると信春は刀を抜いて三人に切りかかった。
俺は無我夢中だった。信春と三人の間に体を滑り込ませ、敵の一撃を大太刀で防いだ。信春の振るった刀が折れ、空中を舞った。信春は折れた刀を見て大太刀を見て俺を見てニヤリと笑った。
「…その鬼面…。その大太刀…。貴公が畿内で噂の“鬼面九郎”か。」
「美濃守ほどのお方に知って頂けるとは光栄。」
「傾いた者がいると思うていたが、なかなかの剛の者よ。…血がたぎるわ!」
信春が一歩下がって新たな刀を取り出し構えた。俺も三人を下がらせ大太刀を構える。老将は大太刀を背中に隠すような構えを見てニヤリと笑うと二、三歩前に進んで刀を振り上げた。その瞬間に俺の大太刀が斜めに振り下ろされ、老将の鼻スレスレを横切った。
俺が大太刀で挑む理由。それは腕力に任せた鋭い振りで普通の太刀よりも早く間合いもより遠くまで届くというもの。馬場信春はギリギリでこれを避けた。俺は舌打ちした。
「今のはさすがに驚いたぞ。」
信春は一歩引いて身構えた。今ので相手は俺の間合いを測られたから、不用意に切り込むことはしないだろう。俺はこれで打つ手なし。膠着状態が続けば俺たちのほうが不利。一刻も早く信春を退かせて全体を退却に追い込まねば、俺たちは力負けする。
「兵力で物を言う戦の時代に、貴様のような男と対峙できるとは思わなんだ。…さあ打ってこい!斬り返してやる!」
魔王モード250%に匹敵する威圧だ。膝が笑う!…静まれ!静まれ俺の膝!
老将の圧力に屈しかけて自分を叱咤していると、突然すぐ近くで歓声が上がり、武田軍の雑兵が二人の間に割って入ってきた。俺と老将は咄嗟に刀を引いて雑兵どもを避ける。どうやら織田軍の横槍でパニクった奴らが逃げてきたのだろう。俺は雑兵をやり過ごし、老将の姿を追った。
「まずい!織田の援軍が来たぞ!に、逃げろぉお!」
「逃げろ逃げろ!!」
歓声に交じって悲鳴のような声が聞こえた。あれは孫十郎の声だ。あ奴め…はったりかまして騎馬隊を退却させようとしてやがる。三宅弥平次殿率いる第三陣、第四陣を突撃させやがった。
「うわぁあ!増援だ!」
「囲まれるぞ!」
「に、逃げろぉお!」
冷静に見ていれば、突撃してきた兵の数の少なさに気づいたであろうが、第一陣第二陣で隊列を崩されていた武田の騎馬兵は恐れをなして馬を引き始めた。
今がチャンス!
俺は、多少無謀でもいいので馬場信春に駆け寄り大太刀を振るった。老将は体を捌いてこれを避け斬り返してきた。それをはじき返す。また打ち返す。二人は刀の振り合いになった。さすがの老将も焦りの色を見せた。
老将は俺との打ち合いに集中せねばならず、大将として指揮することができずに、山に群がった武田の兵が徐々に後ろへと流れ始めた。そして鉄砲の一斉射撃が山の上から鳴り響いた。それは正確に騎馬隊の足元に撃ちつけられ馬が激しく暴れだした。ナイスだ孫一殿!
「慶次!やれ!」
俺は槍を構えていた慶次たちに合図を出した。慶次と与三郎と八右衛門が朱槍を騎馬隊に向けてぶん投げた。三本の槍が稲妻のように風を切って飛んでいき馬上の兵に突き刺さった。
「う、うわぁああ!!!」
騎馬兵は逃げ出した。そしてそれを見た周囲の雑兵どもも逃げ出す。そこからは連鎖反応であった。俺と打ち合いながらその様子を見ていた信春が舌打ちした。
「…折角の一騎打ちを自ら台無しにするとは興ざめよのぉ。」
「ではこのまま打ち合いましょうか。」
「…いや、残念じゃが儂もこのまま退却させてもらう。」
「そうして頂けると助かります。」
「ふふふ…だが貴様の顔は覚えたぞ。」
いいえ忘れてください。
老将、馬場信春は崩れた隊列の最後尾で押し寄せる織田兵を払いのけながら退却した。俺たちは離れていく武田兵を確認して、その場に座り込んだ。一歩も動けぬほど体力と気力を使い果たしていた。
飯羽間城の戦いは織田軍の辛勝だった。
双方一千以上の犠牲を出す乱戦となった。この戦は武並山に鉄砲兵を配置することを読まれた時点で敗色濃厚であったが、俺の率いた横槍隊による四連突撃で敵軍の中心であった騎馬隊を混乱させることに成功して何とか退却に追い込んだ。
俺はまたもや無謀な一騎打ちをやってしまった。しかも相手は歴戦の猛将、馬場信春…。慶次と与三郎と八右衛門の三人が軽くあしらわれたほどの強者。よくぞ無傷で終わらせたと褒めてやりたい。
だが戦はまだ続いている。陣取りにおいてはまたもや劣勢となった。早く次の手を打つため、苗木の御主君へ御報告に向かわなくては。
俺は堀殿の書いた文を受け取り、孫十郎たちを引き連れ、苗木城へ向かった。
馬場信春:武田四名臣の一角として有名です。史実では長篠の戦いの中で討ち死にしてしまいます。
三宅弥平次:後の明智秀満です。…が主人公は気づいていません。




