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11.武田襲来

誤字報告をたくさん頂いております。

余りにも多すぎてまだ全部見切れておらず、自己チェックの甘さにショックを受けております。

ですが、皆さまのご意見、ご感想、誤字報告を今後ともよろしくお願いいたします。



「くははははははは!!」


 広間に御主君の甲高い笑い声が響いた。


「笑い事では御座いませぬ!目の前の景色がぐにゃぐにゃ歪んで見えて前も後ろも右も左も分からなかったのですよ!」


 俺は大袈裟に悲壮な声で言い返した。


「それで済んだのだから良いではないか。」


「そ、それはそうですが…。」


 御主君にそう言われて俺は口ごもった。


「若殿様、九郎殿も堺で有名に成りはりましたぞ。なんせ大殿様自らふらふらの九郎様を引き連れ歩きはりましたからなぁ。」


 今井兼久が両手で口を押えて笑いをこらえながら説明した。広間に集まった方々がどっと笑う。


「“あの鬼面が泥酔して”か…私も見たかったですね。」


 半兵衛様が言うと皆「儂も儂も」と盛り上がった。




 俺は慶次と孫一殿を連れて清州に帰還した。



 堺で痴態を晒すことで信長様より野田城攻めの件、雑賀党の件、官位の件についてお許しを得たのだが…慶次は「暫く堺に行きたくない」と落ち込んでしまい、俺も得たものよりも失ったものの方が大きくて釈然としないまま、勘九郎様にご報告を行った。

 広間には、林様、平手様、松永様、竹中様、斎藤様、そして馬廻衆と今井様が集まっていたのだが、全員が笑ったのだ。…あの平手様もだ。


「ふん…さすが大殿に目をつけられているだけのことはあるわ。」


 と皮肉るところは相変わらずだが。だがこれに孫一殿が応戦した。


「お目に掛けられていると思うがの。」


「なんだと?貴様誰の許しを得て物を言っとる!?」


 平手様がすぐさま言い返すが、勘九郎様は手を挙げてそれを制した。


「甚左衛門、良い!…雑賀孫一と申したな。私もその名は聞いている。お主ならこんな奴ではなくもっといい家に仕えることもできるのだぞ?」


 孫一殿は姿勢を改めた。


「俺は先程の通り、礼儀も弁えぬ田舎侍。九郎殿の下で自由にさせて頂くのが性に合うております。」


「他の雑賀の者は本願寺に従うておるが?」


「雑賀党は銭次第で己の腕を誰にでも貸しまする。…ですが、本願寺は銭ではなく信仰で雑賀を取り込み始めました。今大坂に残っている連中は一向宗の者ばかり。父重意(しげおき)亡き後は銭の切れ目。兄義兼などは里に戻っております。」


「なるほど。では重意殿の後を継ぐのはその義兼殿になるか?」


「兄では雑賀党全てをまとめることはできないでしょう。なんせ俺のような偏屈者ばかりにございますから」


「ではお前の呼びかけに応じて我らに付くことは?」


「…禄しだいでしょうな。」


「ふむ…分かった。差し当たっては様子見としよう。畿内の優先順位はまだ本願寺だ。それと…。」


 一拍おいて勘九郎様が一同を見渡した。


「父上が本格的に近江への移住を計画しだした。既に近江の領地替えが進められており、権六と八郎右衛門それに半羽介が近江の所領を没収された。」


 ついに来たか…安土への移住。それにしても家臣の領地を召し上げて移動とは大胆。柴田様と佐久間様はまだ自領があるけど中川様は尾張の領地も既に無いから…どうなるの?


「八郎右衛門殿は一族郎党追放になったのです。」


 斎藤様の言葉は、馬廻衆の顔色を変えた。彼らは元々尾張・美濃の有力者で中川様とも知り合いである。更には稲葉家、坂井家、佐久間家、森家は信長様の直臣だ。明日は我が身と考えるのも当然だ。


「半羽介には新たに近江の石部が与えられた。あすこは甲賀と京を結ぶ街道沿い。対甲賀党として働くよう言い渡されておる。」


 勘九郎様の言葉に佐久間甚九郎が厳しい表情で頷いた。甚九郎を見るに相当厳しいことを信長様から言われたのだろう。


「父上の移住に伴い、美濃は私のものになる。…そこで我らも配置換えを検討しているのだ。」


 勘九郎様の考えはこうだった。


 まず兵を率いる将としては、斎藤様、水野様、河尻様、毛利様、服部様、前田様に、源六郎と甚九郎、勝三が加わった。源六郎は隠居した父に代わって岩崎城代として働いていたが、正式に家督継承を認められたそうだ。甚九郎は異動となった父に代わり鳴海城主となり、佐久間別家を立てた。勝三は近江に居を構えた本家から離れ金山に別家を立てることが許されたそうだ。勘九郎様の話では俺たちには順次領地を与えて別家を立てていくらしい。…ん?勘九郎様と目が合った。


「…お前は、子ができるまで全てお預けだ。」


 分かってはいたが、その言い方は何か悲しい。…だが大丈夫。茜は月の物が来てない。もう暫くしたらちゃんと調べてもらって妊娠していると言われるはず。


「…で、我らに与えられた沙汰の内、大和街道は目途が立ちました。次なる目的は?」


 大和街道に関することは、三好様が新たに国主になられることで、大体の見通しがついてきた。残るは東海道と中山道であるが…。



「武田が動き出した。近い内に戦を始めるつもりだ。」


 皆の表情が切り替わった。斎藤様が一歩前に進まれた。


「武田の件は某から説明しましょう。甲斐に潜ませた商人衆から連絡があったのです。米やら武具やらがやたらと行き来していると。そこに木曾殿から密書が届けられました。大殿が不在のため清州に回ってきて若殿様が確認されております。」


 そこまで言って斎藤様が勘九郎様に視線を向けた。


「うむ。武田領内に信玄死去と新たなる当主勝頼への誓詞提出の儀が回っているそうだ。」


 周囲がざわつく。やはり信玄公は史実の通り亡くなられていた。噂はあったのだが早々に勝頼の名で公表したか。


「暫くは武田家臣への接触は危のうございますな。」


 平手様が言うと勘九郎様も大きく頷いた。


「それに、戦を仕掛けるとなると、相手は関東ではあるまい。我らであろう。…問題はどこから攻めてくるか…。」


「駿河経由で掛川か、奥三河か、再び美濃か。」


 半兵衛様が呟くと林様が応じた。


「奥三河では武田派の徳川家臣が行き来しております。一番可能性が高いかと。」


 ここで会話が途切れ沈黙が続いた。


 俺は史実を思い返した。

 武田家は幾度も織田家と衝突した。だが、衝突の目的は武田家の上洛ではない。この世界でも武田家が上洛を目論んでいるという噂を聞かない。では何のために織田家と戦をするか。


 恐らく自家の武威を示さんがため。


 特に代替わりした大名は家臣団からの忠誠を得んがために戦でその武威を周囲に示すことをしたりすると聞く。


「…若殿様、恐らく武田は…美濃苗木、もしくは岩村辺りから来るものと思われます。」


 半兵衛様が静かな口調で声を出した。見るとその表情にいつもの笑顔はなく、苦渋の表情になっている。


「半兵衛にしては自信なさげだな。」


「はい。林殿の報告の通り、武田は徳川の武田派と何やら画策しております。ですが、これと武田勝頼との繋がりが見えませぬ。…故に此度の武田軍の目的が徳川への圧力なのか、我らに対峙することでの武威を示すものなのか判断が尽きませぬ。」


「で、それでも“美濃”と口に出した理由は?」


「私らしからぬ判断ですが……武田勝頼の気性です。」


 納得。半兵衛様は戦略を考えるときには極力人の感情を排除して考えるお方。それが今回は感情を読んで報告した。そしてそれに皆が納得の表情。それだけ武田勝頼の気性が荒く、自身の武威を示すことを優先すると思われた。





 美濃岐阜。



 女房館の縁側に、男女が佇む。

 男は女の膝に頭を置いて寝転んでいる。

 女は扇で寝転ぶ男を優しく扇いでいる。


 男はこの城の主、織田弾正忠信長。女はその正室、濃の方であった。信長は濃の方の膝の上で、大層な箱から取り出した木片を見つめた。それは朝廷に圧力をかけて切り取りさせた蘭奢待の香木であった。


「…こんな物が“天下の名香”と呼ばれ重宝されているとは…。」


 信長は手に持つ木片をいじりながら呟いた。


「介様、物そのものには価値など御座いません。そのものの価値を高める者が誰なのかによって価値が決まります。」


 濃の方の回答に信長は不機嫌そうな顔をすると、膝の上から起き上がって、木片を木箱に仕舞った。


「分かっておる。儂も会合衆を使って茶器や壺に途方もない価値を付けさせ、功臣への褒美に見合うものにしたのだ。…この先、褒美として領地を与えることが難しくなるのは必定。故にこれに替わる褒美として茶道を利用するのだ。この蘭奢待も(いにしえ)の時代にそうやって無意味な価値を付けられたのであろう。…儂には理解できぬが。」


「十分に御理解されているではありませんか。」


 そう言って濃の方は信長を引き寄せるとまた自分の膝に頭を乗せた。信長は何も言わず濃の膝に手を置く。


「…ですが、これからです。主上の香木を拝領することで、主上がお認めになられた武家となった訳ですが…周辺諸侯は直ぐには靡きませぬ。」


 濃の方は扇を畳み、信長の額に乗せた。


「諸侯は織田家に跪くでしょう。ですが、武家の意地というものも御座います。一度は刃向かい体面を保とうとするでしょう。目的は己の意地を貴方様に見せしめること…損得抜きで苛烈なものになることをお覚悟成されませ。」


 扇を信長の額にぐいと押し付け厳しい口調で言うと、すぐに表情を緩めて扇を投げ捨てた。信長は怒る訳でもなくじっと濃の方を見つめた。


「……お前は、儂の進む先に何を見ている?」


 濃の方はじっと見つめる信長とは視線を合わせず、庭先の木々を見つめたまま呟くように答えた。


「妾はこれまでも、これからも介様の少し後ろで微笑んでいたいのです。」


「ふん……「隣」と言わないのが憎たらしい。それほどの知略を持ちながら女子(おなご)であることが悔やまれるわ。……いや、女子だからこそ、儂のものと思うべきか。」


 信長は濃の方の膝の上で寝返り、その顔を彼女の腿に(うず)めた。






 1574年5月4日-


 武田勝頼を総大将として、一万六千の大軍が美濃苗木周辺に出現した。

 同時に秋山信友率いる八千の兵が美濃岩村に襲い掛かった。

 更には、穴山信君の軍が奥三河に進出し、周辺の国人衆が徳川家から離反したと連絡が入った。


 俺は勘九郎様から救援を求める伝令として伊勢へ向かうよう指示され、すぐさま清州を出立した。清州軍は水野様と熱田衆を残して全軍で美濃へと出陣された。俺は半日で北伊勢の神戸城に到着した。名を告げるとすぐに城内に案内される。皆が甲冑姿の俺に驚いていた。


「武田軍、美濃に侵攻。神戸様率いる北伊勢衆におかれましては速やかに出陣し美濃におわす勘九郎信重様の軍と合流されたし!」


 三七郎様の表情が強張った。何せ思いがけぬ初陣であったのだ。


「相分かった。皆の者支度をせよ!」


 三七郎様の号令に神戸家臣が呼応し、神戸城も慌ただしくなった。既に桑名城の滝川様は周辺国人に触れを出し、二千の兵で出陣された。神戸家は三千を集めての出陣になるはず。…その大将としてはやや心もとないが。…ん?なんだ俺を見つめる懇願の目は?ひょっとして側にいろって言ってる?





今井兼久:今井宗久の息子で堺の商人です。


あの平手様:平手政秀の子で久秀のことです。史実では父が自害したことで信長とは距離を置いており、出仕の命が下っても息子の汎秀を行かせるほどだったそうです。


鈴木重意:雑賀党の棟梁と言われています。別名鈴木佐大夫とも言われていますが、重意と佐大夫が同一人物かどうか定かではありません。史実では1585年まで生存しています。


鈴木義兼:別名平井孫一と言われています。


中川重政:早くから信長に仕えていた武将ですが、史実では柴田勝家と領地の利権争いで問題を起こして改易されています。


佐久間信盛:有名な折檻状を突き付けられるのは時間の問題のようです。


森長可:森可成の次男。(以前どこかで三男と書いてしまった記憶があります。ごめんなさい。)


神戸信孝:信長の三男で神戸家の養子となりました。思いがけない初陣となりガチガチになっております。

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