8.手柄を求めて
2019/08/28 誤字修正
越前からの撤退騒動から半月。
俺は、自分の屋敷で穏やかな日々を過ごしていた。相変わらず、子作り休暇からの復帰が許されておらず、俺の家では家臣たちだけが忙しく働いている。
特に孫十郎が俺の代わりに毎日登城して、他の馬廻衆と情報交換をしている。八衛門景佐は瀬田衆を連れて近江で開かれている楽市を視察しに行った。芝山翁鉄斎はどういう流れか慶次郎と与三郎に藁、籠の編み方を教えており、多賀勝兵衛は京に行ったっきりだった。
そして俺は毎日子作りをしている。
昨年までは、俺の前世での倫理観とか何とか言って避けていたのだが、今では日常業務のように励んでしまっている。…この時代に慣れてきている俺がいると思うと複雑な心境である。
そんなある日、孫十郎がどうでもいい情報を持ち帰ってきた。
「近殿がご懐妊されました。」
どうでもいい情報である。
近殿とは、元々嫁の福にくっついてきた女中であったが、実は実家である伊勢家の諸事情で近が伊勢家の娘で福は多賀勝兵衛の妹だったというもので、同僚の池田庄九郎が掻っ攫って(言い方に語弊がある気もするが)行ったという経緯があり、今でも茜や咲殿とも仲が良いのだが。
「旦那様、近殿が授かったと聞きました。」
…ほら、茜が羨ましそうな顔して俺に近寄ってきたではないか。もうどう転んでも“子作り”の話しか持って行けそうにない雰囲気をだす…。慶次郎、そんなところでくすくす笑うなよ。何なら茜たちに貴様の嫁探しをお願いしてもいいのだぞ。
「茜殿、咲殿、近殿への文をお書きください。後でこの孫十郎がお届けいたします。」
「まあ!では早速!」
そう言って、二人の嫁が立ち上がる。女中の考に先導されて部屋を出ていくと、孫十郎が寝転ぶ俺に姿勢を正して俺を待った。…何かあったようだ。慶次郎の藁をもむ手が止まった。
「十河一存が織田家に下りました。」
俺は起き上がって孫十郎の正面に座り直した。
「随分と時間がかかったな。」
「はい。条件に“大和への移封”があったようで、その詳細を詰めるのに塙様と細川様も出張られたそうに御座います。」
三好家の所領は左京大夫様の南河内に加え、十河家が支配している阿波、讃岐の三カ国に及ぶ。石高換算すれば三十万石くらいか。大和の方は四十万石で、実質加増にはなる。だが、筒井順慶が御しきれずに寺社衆が実効支配している国。そりゃ渋るわな。…孫十郎の話では、その鬼十河が今度堺で信長様と面会されるそうだ。何でも、大和への移封やら福島で抵抗する残党に対する後始末などの命を直接頂きたいということで、わざわざ信長様が堺まで出張ることになったそうだ。
「…慶次郎、堺に伝手はあるか?」
「些か心もとないかもしれませぬが。」
「かまわぬ。先に行って準備を頼む。二十ほど泊まれる場所を確保してくれ。孫十郎、慶次に銭を渡せ。」
「に、二十?…どうされるおつもりで?」
「いざと言う時に大殿をお匿いする場所を確保しておく。何事も無かったら、慶次郎、お前が好きに使え。」
「ちょ、ちょっとお待ちを!堺でそのような場所を確保って…我らの銭だけでは足りませぬ!」
「だったら、俺が貰ってきてやる。俺は与三郎を連れて京に行く。どうせ伊勢家に行く用事はあったのだ。ついでに勝兵衛と合流して平野経由で堺へ向かう。」
「…また勝手な行動を…。一応、庄九郎様に話して上には上げてもらいますからね。」
孫十郎は深いため息を吐きながら慶次郎に渡す銭を取りに部屋を出て行った。慶次郎が俺を見つめてる。何か言いたそうだ。
「…主殿、何か気になることでも?」
「本願寺だ。誰が主導でやっているかが不明だが、最近の本願寺は情報操作をして我らに仕掛けてきている。それに対して村井様も生駒様も塙様も対抗できていないのが現実だ。そこに大殿が畿内に来られるとなれば、何かを仕掛けられると考えるのが普通だ。」
そうして俺はまたもや独断行動に走ることになった。孫十郎や茜が心配するのは分かるが、俺が一番心配しているのは“信長様の不慮の死”だ。これだけ“俺”という遺物の介入によって、俺の知っている歴史とは異なった世界で、1582年を待たずに信長様があの世に連れて行かれてしまう可能性もあるのだ。そんな「本能寺の変の全力回避」は本末転倒である。なので、信長様に何らかの異変が起こる可能性があるものは徹底して自分で回避していく。
そう決めたのだから。
勘九郎様への文を孫十郎に託し、俺は与三郎を共に京へ向かった。三日掛けて山城国に到着すると、山科館に向かう。アポ無しなんで会えるかどうか不安だったが、警護の兵が俺のこと(正確には俺の着けてる鬼面のこと)を覚えてくれていたようで、中に案内してくれた。連れて行かれたのは新しく建てられた茶室。中に入ると、高そうな茶道具が並べられており、俺にとっては落ち着かない雰囲気を出していた。
二人で待っていると俺たちが入った襖とは別の襖から淡休斎様が入ってきた。
「ほう…津田与三郎を連れてきたということは、伊勢殿に伺うつもりかな?」
入って早々、与三郎を睨みつけて俺の行動予定を当ててきた。…何か隠居されてから雰囲気が変わった気がする。
「よくお分かりで。」
不安そうに俺に視線を送る与三郎をよそ目に俺は平常心で答えた。
「儂の“西野衆”を甘く見るなよ。畿内のことは大体把握しとるし、特に幕府に仕えていた輩についてはしっかりと動向を確認しとる。」
西野衆のお力は越前で拝見させていただきました。俺が見てきた商人衆の中で一番怖い集団ですわ。
「実は…この者を連れて、畿内の戦に推参しようと思いまして。……ただ、越前の件もあるので、淡休斎様のお口添えを頂けないものかと…。」
「断る!」
即答ですか。
「貴様は勘九郎の家臣だ!貴様の勝手な振る舞いを儂如きがどうこう言う…」
俺にすり寄りぶん殴ろうとして淡休斎様の動きが止まった。俺の朱色の鬼面に気づいたようだ。
「今の私は“鬼面九郎”こと津田九郎忠広に御座ります。」
「……津田の名は捨てよと言ったはずだがな。それに貴様は人を斬った後はひどい状態になるではないか?何を企んでおる?」
淀城での俺の活躍は織田家内で何故か知れ渡った。敵将を馬ごと槍で貫くというド派手な戦いが衝撃的だったのであろう。とにかく鬼面の武者がすごいという噂はそこそこ知れ渡っている。
その鬼面があちこちの戦に出没してド派手な活躍ができれば、俺の存在は敵にも知れ渡る。もちろん本願寺にもだ。朱色の鬼面を被る山科淡休斎の将…その長大な大太刀の餌食となった者は数知れず。みたいな感じで広がれば、やがて気付くはず。
長島願證寺が一夜にして無力化された事変のことに。そして、ある日ふらりと大坂本願寺を訪れた坊主を受け入れていたことに。
これで俺に怒りの目が向けられたら重畳。奴らの諜報部隊(どんな奴らかは知らないが)を俺に集中させることができれば、西野衆、土田生駒衆、清州伊藤衆といった我らの諜報部隊が行動しやすくなる。
「…貴様如きにそこまで本願寺が振り回されるとは思えぬが、一石を投じる手立てとしては良いかもしれぬ。…だが、暫くは清州に戻れなくなるぞ。子作りはどうした?」
茜の方が、もう少ししたら“月のもの”が来ないと騒ぐと思う。
「ふん、儂の名を書いた書状を持って暴れ回るのだ。儂の名を汚すような振る舞いは許さぬぞ。」
今日一番の脅しに与三郎は泡を吹きかけている。俺も失敗すれば首ちょんぱは覚悟の上だ。
淡休斎の書状を頂いた俺たちは京に入り、所司代様の屋敷に向かった。途中で与三郎は俺が預けた訴状を見ながら不安そうに尋ねてきた。
「吉十郎様…。」
「今は九郎だ。」
「く、九郎様。その…何でこのようなことを?」
「欲しくなったのだ。」
「はい?」
「勘九郎様をお守りするのに必要な地位を得るための手柄が。」
「し、しかし今でも若殿様の御側で…。」
「ただ側にいるだけだ。何の権限も無い。」
「しかし、自ら危険を冒すような…。」
「危険は承知。…だが得られるものも大きい。」
与三郎はため息を突いた。どうやら俺と言う人間が思っていたのと違っていたようで、なんか消沈している。
その後与三郎との会話は散発的ながらも続き、そうこうしている内に所司代屋敷に到着した。偶然にも細川様が出てこられたところに出くわし、声を掛けられた。
「吉十郎殿!…斯様な場所でお会いするとは思わなんだが…所司代殿に?」
俺が周りを気にするような素振りで曖昧な返事をすると、細川様は子供のような笑みを浮かべて、家臣たちに待つよう指示して俺を連れて屋敷に戻ろうとした。
「良いのですか?がっかりさせてしまうかもしれませぬが?」
「お主のやることにがっかりしたことなど一度も御座らぬよ。」
そう言って涼しげな笑顔を見せると俺と与三郎を引き連れ屋敷の奥へと入っていった。…この方の笑顔は癒しの効果があると俺は感じた。
細川様が俺を連れて戻ってこられたことを受けて会談の部屋に戻ってこられたが、その表情は明らかに不機嫌であった。
「面白き者と出会うてしまいましたので、再び押しかけてしまいました。」
村井様の態度に苦笑しつつ細川様が頭を下げると村井様も呆れた表情で答えた。
「…兵部大輔殿もこ奴に甘い顔をされていると痛い目に遭いますぞ。」
「それが面白いと思うてしまいましたからな。しかも与三郎を伴って立っていたのです。」
村井様が与三郎に目を向けた。与三郎が頭を低くする。…与三郎って京じゃ名のある武家なの?って疑問が沸いた。
「浪人生活に飽いたところで、吉十郎様の仕官の話を頂きまして。」
「津田殿、貴殿ほどの武功を持つ者ならばこんな奴よりもっと地位のある武家の下で働けるぞ…良いのか?」
与三郎はちらりと細川様と目を合わせた。そして照れ臭そうに笑う。
「それが…面白いと思うてしまいました。」
細川様が笑っていたが、村井様は益々呆れ顔になっていた。
村井様の話では、朝廷に“蘭奢待の切り取り”を所望したことで、公家衆が大慌てになっていることを聞かされた。色よい返事が貰えぬことから細川様も乗り出して圧力をかけており、周辺の豪族に助けを求めているらしい。だが豪族衆は信長様の真正面に立つのは避けたいと考えているようで公家衆を適当にあしらっており、西園寺様や九条様は大慌てだそうだ。
「で、吉十郎、儂になんぞ用か?」
村井様の質問に、俺は畿内で“鬼面九郎”として暴れ回ること、不測の事態に備えて堺に慶次郎を向かわせていることを説明した。村井様は慶次郎と密かに連携することに承諾され、細川様は俺たちを客将として受け入れてくれることを約束頂いた。
そして本題である。
「村井様、私にも官位と言うものを頂けますでしょうか。」
村井様も細川様も飲みかけた白湯を盛大に吐き散らした。
官位:日本の律令制において、朝廷で働く官人に付与する「位階」と「官職」を総じて意味します。別名としては「官位相当」ともいうそうです。平安初期は官位にも官職にも役割と意味がありましたが、戦国時代では権威と序列を表すものでしかなくなっていました。それでも任命されれば、箔が付くとして有力武家は献金などをして官位を手に入れたそうです。(金に困っていた公家衆は、官位を名家だけではなく朝廷に貢献する武家に与えて暮らしていたとも)




