4.越前の乱
注:本話で起こる越前の争乱は史実と大きく装いが異なっております。
信長様の命令で柴田様率いる二万五千の兵が越前から撤退した。金ヶ崎城に前田様、天筒山城に不破光治様を残して完全撤退である。越前の守護代は桂田長俊(旧名:前波吉継)とし、越前国内の動向監視として、淡休斎様直属の西野衆がばらまかれた。
俺は勿論「子作り休暇」中で越前を含めた各所の状況については、祖父江孫十郎と山岡八右衛門がどこからともなく情報を仕入れて来て報告を受けていた。
後から知ったのだが、孫十郎は父氷室重秀様より数名の家臣と神人を、八右衛門は兄の山岡景隆様より瀬田衆を受け継いでおり、彼らが各地域を回って情報収集しているそうだ。働いているなら俺から禄を出さねばと言うと「大丈夫です。ちゃんと吉十郎様の俸禄より出しておりますので」と言われた。俺は銭のことは全て孫十郎に任せている。多分孫十郎が居ないと何にも出来ないんだろうと考えちょっと悲しくなった。
もう一人の家臣、多賀勝兵衛には彼の伝手で京に行ってもらっている。幕府の消滅により、京には浪人が増えているからだ。活きのいい若手を掴まえ家臣にしようというつもりだ。今は休暇中だが、子ができたら馬車馬のように働かされるはずだ。それに俺の目的を達成するためには少しでも苦楽を共にできる家臣が欲しいというのもあった。
この日、二人の来客があった。一人は勝兵衛の紹介状を持って。もう一人は…滝川様の紹介状を持っての訪問だった。偶然二人がかち合ったようで、俺は二人同時に会うことにした。
「津田与三郎重久と申す。槍には些か自信がござる。京で二条城の警護として足利様に仕えておったが…」
与三郎という男が自分を売り込む説明をしているのだが、俺の神経はもう一人の男の方に向いていた。
「…是非とも某を雇うて下され。」
与三郎が頭を下げた。…やっと終わったか。ほとんど聞いてない。勝兵衛の文には屋敷の警護に適任と書かれている。五月蠅そうだが一先ず雇おう。
「して、そちらの御仁は?」
俺はもう一人の壮年の男に声を掛けた。史実通りなら年齢は四十一歳。一気に家臣の平均年齢が上がるんだが……どう見ても二十代にしか見えん。
「前田…慶次郎にございます。」
声も若い。…おかしい。
「幾つになるか?」
「二十六にございます。」
1548年生まれになる…俺の知ってる史実とは違うのか?
「私に仕官する理由は?」
「御存知の通り某の父は荒子前田の利久になります。…某は荒子前田を継ぐために滝川家より養子となりました。しかし、母との間に実子ができ…」
なんと!
「荒子にいると跡目争いになると思い、越前へと向かいました。」
そう言えば前田様が越前前田家を立てる際に荒子から数名の家臣が又左衛門様の下に参じたと聞いたことがある。
「ですが、そこでも反りが合わなかったようで…伊勢の主家の下に戻りました。しかしながら実父益氏には嫌われてしまい…一益より吉十郎様を紹介いただきました。」
衝撃の事実!前田慶次郎の実父は滝川益氏!…確か益氏様の御年五十くらい?…であれば子の年齢が二十六は納得の範囲…いやいや、実際の慶次郎は仕官先をたらい回しにされているという不遇。そう見ると少し疲れた表情にも見える。…いやいやあの慶次郎を家臣にできるのは俺的にはおいしい!
「与三郎殿、聞けば其方は幕府に仕えておったとか…私は、家臣の家臣に過ぎぬ身。それでもよろしいのか?」
「かまいませぬ。」
「ふむ…。慶次郎殿、御実家は北伊勢を領し神戸様や北畠様にも物申すことのできる織田家の重臣。私はそれよりもかなり格下となるがよろしいのか?」
「一益はいずれ若殿の右腕となられるお方と言っております。」
「相分かった。お二人の任官については、勘九郎様にお伺いして決定いたす。今日はこのまま帰られよ。」
勘九郎様からは、気に入った者がいれば家臣にするがよいと言われているが、一応お伺いしておこう。後で滝川様とか前田様とかと揉めるのも嫌だし。
と言う訳で、孫十郎たちが集めた情報の報告も含めて登城しようと屋敷を出ると……二人の浪人は門の前で待っていた。聞けば、帰る場所も無いのでここにいたそうだ。…そうだよな。俺が悪かった。仕方がないから、芝山翁鉄斎に二人の部屋を依頼し、清州城へと向かった。
城に到着すると早馬がやってきた。俺はさっと道を譲り早馬の様子を伺う。乗っていたのは忠三郎様だった。ということは岐阜からの文だ。
「吉十郎殿!」
忠三郎様は俺がいることに気付き声を掛けてきた。
「き、貴殿は休暇中では、な、なかったか?」
別に顔を赤くして聞くことではないと思うのだが、初心なお方だ。…いやいや忠三郎様も相様というお方がおられるでしょう。
「勘九郎様に報告する儀が御座いまして…忠三郎様は大殿からの文を持ってこられたのですか?であれば先にどうぞ。」
「忝い。」
そう言って一礼すると先に門を潜ろうとして、振り返った。
「貴殿も共に参られよ。この儀…貴殿の意見も聞きたい。」
そう言うと俺の手を掴み鼻息も荒く城内へと連れていかれた。
御殿に通され、俺は忠三郎様の横に控えて勘九郎様を待った。やがて勘九郎様が源六郎と与三衛門を伴って現れ上座に座られる。二人は俺が控えていたことに一瞬びっくりした様子だがすぐに表情を変えて中座に座られた。
「火急の知らせと聞いたが。」
勘九郎様の声に忠三郎様はすぐに返事をして懐の文を差し出した。与三衛門が受け取り勘九郎様に渡すと中身を素早く読んで二人に文を渡した。
「忠三郎は中身を聞いているか?」
「は!越前の寺社衆が朝倉の旧臣と組んで守護代を襲ったと聞いております!」
文が俺のところに回ってきたので、文章を目で追った。それにしても柴田様が撤退されてから一月で行動を起こすとは…守護代はよほど人望がなかったと見える。
「それで、無吉は何故ここにいる?」
「偶然、門で吉十郎殿を見かけました故、某の判断でここまで同行願いました。」
「忠三郎様とは別で情報を手に入れまして…それと私の家臣になりたいと申す者が来まして…ご相談に参りました。」
勘九郎様は小首をかしげた。だがすぐに言葉を返した。
「先に相談とやらを聞こう。越前の件は誰が対応するかは既に決まっている。」
「では…」
俺は仕官に来た二人の素性を説明した。慶次郎の名を聞いたときは与三衛門が顔を引きつらせていた。だよねぇ。慶次郎の義父は勘九郎様家臣の中でも中の上くらいの位置にいるお方ですし。
「わかった。慶次郎の件は私から利久に言っておこう。与三郎については伊勢殿に確認しておけ。」
「は。」
よしこれで慶次郎は何とかなりそうだ。…だが問題はここからなんだよな。
「では、私が手に入れた情報ですが……本願寺の坊官が何人か越前に入ったようです。」
皆の表情が一気に変わった。俺は情報を手に入れた経緯と自分の予想を手短に説明した。
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1574年2月-
越前守護代の桂田長俊が一乗谷城にて討ち取られた。襲ったのは旧朝倉家臣を中心とした百姓衆であった。百姓たちを扇動したのは在地の寺社衆。朝倉統治の頃は別段圧政を敷いていた訳ではないので、百姓たちからの評判は悪くなかったのだが、朝倉滅亡後の桂田のやりようは百姓たちに反感を買っていた。それは寺社衆も、他の朝倉旧臣も同様に思っていたようで、織田軍の撤退を見計らって越前奪還を企てたのだ。しかも、本願寺と手を組んだことにより規模は大きく膨れ上がり、一乗谷城は再び落城となった。
だが、越前衆は過ちを犯した。
一乗谷を奪還後、放射状に周囲の拠点を奪っていったがすぐに問題が発生し、一揆衆寺社衆は越前衆とは別に籠城せざるを得なくなった。
それは食糧問題である。
本願寺は隣国加賀で膨れ上がる食料飢饉の問題を解決すべく越前の騒動に介入してきたのだった。
一向門徒は越前衆と合流すると掻き集めた物資を横取りして九頭竜川中流の中角に移動した。物資を奪われた越前衆は奪還を試みるが二万の宗徒による反撃に会い、しかもその最中に百姓衆に食料を奪われたことを知られ、多くの百姓が越前軍から離脱し、越前奪還のための侵攻すら出来なくなって、一乗谷周辺地域で籠城せざるを得なくなった。
だが、越前騒乱はここからが泥沼であったことを記憶する。越前国と食料を求める集団は複雑に絡み合い、織田家にもしこりを残した。
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越前の蜂起の知らせを受けてから十二日経ってようやく織田軍二万が岐阜を出立した。既に丹羽軍五千が金ヶ崎に到着しており、明智・羽柴軍の一万も西近江路を北上している。柴田軍もすぐに出立できるよう準備をしていたはずだが、家臣同士のいざこざにより遅れたらしい。
柴田様と淡休斎様との確執。
始まりは延暦寺の時の古渡隊と柴田隊の衝突なのだが、それ以降も信長様の重臣として互いに意見の不一致があったそうだ。
「叔父上も権六も頑固だからなぁ。」
出陣の報告を聞いた勘九郎様は大きくため息をつかれた。隣で半兵衛様が苦笑されている。
「いずれにせよ、我らは清州からは動かぬ。我らは武田への抑えの役も担っているからだ。ここで全軍を北に集結させては何かあったときに対応できぬ。」
勘九郎様の決定に全員が頭を下げた。これにより、越前の争乱については我らは報告を聞くのみとなったのだが、俺的には不安はあった。
軍団長クラス同士の共闘は何かしらの問題を生み出していく。今のところ独立した軍団の編成を許されているのは勘九郎様と塙様のみだが、柴田様、明智様、羽柴様はほぼ軍団長と言っていいくらい。それらが信長様なしで軍議を開いてうまくいくだろうか。
「…無吉、どうした?気になることでもあるのか?」
勘九郎様に声を掛けられ俺は現実に引き戻された。
「当ててやろう。吉十郎はあの3人が仲良く軍議でまとめられるかどうかを気にしているのであろう?」
横から半兵衛様が口をはさんだ。人の機微に疎い半兵衛様でも分かるのか。
「吉十郎、もう一つ言い当ててやろう。私は感情というものに疎い訳ではないぞ。逆に戦というものをより多く学んだが故に戦場での感情というものに敏感なのだ。…此度の戦、我らも何かしらの痛手を負うやもしれぬ。」
苦笑…というより苦い表情。半兵衛様も重臣クラスの関係性を危惧しておられる。ここは何かしらの手を打つべきではなかろうか。
「勘九郎様…私に明智様、羽柴様へ文を書くことをお許しくださりませぬか?」
勘九郎様は俺の顔をじっと見てやがて大きくため息をつかれた。
「無吉…書いてもよいが、そのことで明智も藤吉郎もそのことをより意識してしまうことになるぞ。例え此度の戦は明智と藤吉郎が一歩引いて上手くまとまっていったとしても、次は?その次は?」
…言い返す言葉がない。
「織田家の重臣ともあろう者が個人的な感情で内部分裂するようであれば、所詮それまでの男。重職からはずして別の者にやらせるだけじゃ。」
おっしゃる通りです。分かっています。ですが…
「…それに、お前はまだ出仕できぬ身じゃろ?だまって屋敷にて子作りに精を出すのだ。……そう言えば新たに家臣を探していると言ったな。……その名目で清州を離れるなら…許可するぞ?」
俺は頭を上げた。目の前に悪い顔をした勘九郎様がニンマリと笑っている。俺が公的に動くことは織田家の後継ぎという立場もある勘九郎様はOKとは言えない。だが、俺が家臣探しでたまたま立ち寄った越前でたまたま明智様や羽柴様と会話するのであれば、いくらでも取り繕うことは可能か。見れば塩川様も平手様も黙認の表情だ。
俺はもう一度若い御主君に頭を下げた。
「それでは任を解かれている私は屋敷に戻り、子作りと家臣探しに励みとうございます。」
俺は、清州城を辞して屋敷へと足を運んだ。御主君の言いつけを守り、茜と咲を抱いて子作りしてから出発しよう。明後日か…5日後には越前に到着できるな。
俺は自分自身を振り返る。
前にも自分に言い聞かせたではないか。“本能寺の変を回避するのに、御主君の側にいる必要はない”と。
桂田長俊:旧名は前波吉継といい、朝倉家の重臣でした。織田家の朝倉討伐時に真っ先に降伏し、越前の案内役を務め、朝倉滅亡の一役を買った。史実でも朝倉家滅亡後の守護代に任命され、他の旧朝倉家臣から反感を買って殺されます。
津田重久:足利義昭の家臣で、幕府滅亡後は明智光秀に仕えて本能寺の変では明智軍の先鋒を務めております。その後は豊臣秀吉の家臣となる本物語の主題に関わる武将です。
前田利益:戦国好きにはたまらない人物で、同時に謎の多い人物でもあります。史実では1533年くらいの生まれであろうとされていますが、その場合実父とされる滝川益氏とは5歳くらいの年齢差しかないため、作者なりにいろいろと調べて年齢を本編の通りにさせていただきました。
柴田様と淡休斎様との確執:延暦寺の時の古渡隊と柴田隊の衝突は主人公の吉十郎が直因です。




