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2.年賀の儀(後編)



 年賀の儀が始まった。



 最初の挨拶は丹羽様。本来は柴田様なのだが、越前出張中のために代わりに挨拶された。透き通ったよく通る声が広間全体に響き渡り、これに続くように平伏される諸将が挨拶された。


「皆の者…面を上げぃ。」


 信長様の声で一斉に頭が上がる。信長様は全員をじろりと睨むように見渡してゆっくりと笑みを浮かべた。俺は信長様の隣に坐する勘九郎様の後ろに控えその様子を見ていたが……魔王感ハンパない。


「皆の者…大儀である。」


 そう言って盃を持つと、素早く忠三郎様が酒を注いだ。信長様は盃をくいっと一気に煽り明智様に視線を向けた。


「今日は明智が凝った催しを用意してくれた。皆も存分に楽しめ。」


 明智様の合図で数人の女性が中央に進み出て広間の脇には奏者も現れ舞いが始まった。俺は酒瓶を持って一歩前に進み、勘九郎様の盃に注ぐ。勘九郎様がそれを飲むと、一礼して連枝衆の席へと進んだ。淡休斎様に注ぎ、隣に移動して三介様の前に進む、そして酒を注ぎ、三七郎様の前に進む。こうしてお一人ずつに酒を注いで回っていった。



 俺の仕事は酒を注ぐ相手を“観る”こと。



 酒瓶を傾ける相手を注視すると、その表情や仕草、雰囲気でこの場をどう思っているのか、誰を気にしているのかなどが見えてくる。

 例えば三介様は純粋に席を楽しもうと隣の淡休斎様に話しかけているが、淡休斎様は適当にあしらわれている。三七郎様は、筒井様、三好様の様子を伺っており、隣国の将を警戒されているようだ。その筒井様は落ち着きがない。怯えているようにも見える。逆に三好様は堂々としておられる。一度信長様を裏切っている三好様の方が落ち着きがなくなると普通は思うのだが…将としての器の差であろうか。とまあ、こんな風に今日集まった諸将の様子を観察するのだ。


「左京太夫。」


 ふいに信長様が声を出され、場は一瞬にして静まり返った。三好様が短く「は」と返事をすると、信長様が手招きされた。ゆっくりと立ち上がり信長様の前に進まれる三好様。その様子を見て顔を青ざめる筒井様。


「三好の残党どもはいつまで儂に楯突く気じゃ?」


 阿波三好家の当主である左京太夫様に一斉に注意が注がれた。だが、三好様は平然とした表情で信長様に一礼した。


「福島に籠もる輩はもはや三好家ではございませぬ。本領の阿波にいる父(十河一存)はあ奴ら(三好三人衆)との縁を切りたがっております。某に父の説得の機会をお与え下さりませ。」


「…貴様も儂を裏切り義昭と手を組んだではないか?」


「公方様の命に従うは武家として当然の事。…しかし、公方様が私欲に走り本願寺と手を組んだことを知り、公方様に従うことの過ちに気付き再び弾正忠様に頭を垂れた次第にござりまする。」


「ふん、強きものに従うのではなく、正しきものに従うと申すか?」


「は。」


「…いいだろう。阿波を服属させよ。その功を持って貴様を許す。」


「ありがたき幸せ。」


 会話が途切れ、信長様が無言で三好様の盃に酒を注ぎ、三好様も無言で一気に煽った。


「吉兵衛!」


 今度は村井様が呼ばれ信長様の前で跪いた。


「娘が年頃であったな?儂の弟、源五郎を婿にやる。所司代の子として鍛えてやれ。」


「はは!」


「源五郎!これより吉兵衛を父とし、京の治安維持に尽力せよ!」


「は、ははぁ!」


 慌てて長益様が平伏された。これでまた“織田”の名を持つお方が他家の養子となられた。……で、実はここまでは出来レース。事前に示し合わせていた段取りだ。ここからは、台本なしのリアルガチが始まる。信長様は誰にお声を掛けられるだろうか。


 明智様の合図で笛や太鼓の音が鳴り、踊り子たちの舞いが再開される。信長様の指図で忠三郎様が動いて上松義豊様が信長様の前に座られた。笛の音や舞いの足音で二人の会話は聞き取れない。俺はせっせと出席されている豪族衆に酒を注いで回り…相手の様子を観察した。

 次いで毛利様、姉小路様、香宗我部様と呼ばれ何やら会話をされる。そして公家衆が呼ばれ、寺社衆、更にはルイス・フロイス様とも会話をされた。


 この間、信長様との会話は太鼓や笛の音、踊り子らの舞いの音に邪魔され諸将にまでは届かなかった。偶然か意図的か……ワザとだな。さっきから明智様がじっと信長様を見ながら手で合図を送っている。明智様には指揮者の技能もお持ちのようだ。




 催しは京から呼び寄せた能芸者の舞いが行われ、信長様、勘九郎様も自ら舞いを披露された。そしてお抱えの相撲取りによる試合が中庭にて執り行われた。俺は明智様に手招きされ広間から台所に向かうと身ぐるみ剥がされまわしをつけられた。


「淡休殿が御所望だ。“鬼面九郎”として試合に出るのだ。」


 明智様にそう言われて、封印したはずの朱色の鬼面を渡された。おのれ古渡様!こうなったら優勝してやるからな。



 庭先に並んだ巨躯の一団。諸将からどよめきと歓声が上がり、その中に鬼面をつけた俺を見つけあちこちから「九郎」の名が聞こえた。俺ってそんな有名だったっけ?

 試合は一刻ほど続けられ、俺も四番ほど取り組んだ。結果は三勝一敗。信長様お抱えの超巨躯の力士にサバ折を食らって退場させられた。大盛り上がりだったようだ。試合はその超巨躯力士が全勝して信長様から太刀を与えられた。


 こうして二刻以上に続いた年賀の儀は相撲大会で最高潮に達して終了した。信長様の「大儀であった」のお言葉を持って閉幕し、上座の面々が退場。続いて連枝衆が退席し、これに上席の方々が続いていく。そして諸将が順々に広間を出て行って、重臣だけがその場に残った。と言っても、佐久間様は不機嫌そうな表情でとっとと部屋を出ていかれ、明智様は後始末の指示に台所へと向かわれ、この場には丹羽様、前田様、蒲生様、塙様、村井様、土田生駒様…そして九郎の面をつけたままの俺と忠三郎様だけだ。


「…滝川殿は来られませなんだな。」


「無理もなかろう、不安定な伊勢大和の抑えを任されておるのだ。大殿もそのあたりはよく分かっておられる。逆に自国を放って出席された筒井殿には見向きもしなかったであろう。」


 丹羽様と塙様の会話が続く。


「しかし、明智殿は見事な差配でしたな。特に最後は盛り上がった。」


「“鬼面”も出てきましたからな。」


 そう言って塙様は俺をちらりと見た。俺はさっと視線を躱す。その仕草に村井様が大笑いし、甚助様が頭をはたいた。


「あれだけ大殿の力士に派手な負け方をしたのじゃ。大殿からも褒美が出るじゃろうて。」


「ほほう…初めて間近で見るが中々の体躯。淡休斎殿も良い家臣をお持ちのようだ。」


 蒲生様がギラリと目を光らせ俺を品定めするかのように見つめた。見ると横で忠三郎様が悔しそうな表情で俺を見てる。


「…さて、我らも奥の間へ行きましょうか。大殿と若殿がお待ちです。」


 そう言って丹羽様がゆっくりとした動作で立ち上がられ、蒲生様、村井様がこれに続いた。


「某は越前に戻りまする。大殿にはよしなにお伝えくだされ。」


「又左、大殿はお主のことを許しておる。無理に距離を置かんでもよかろう?」


 引き上げようとした前田様を丹羽様は引き留めた。


「…かたじけない。だが、某が率先して愚直にお仕えせねば示しがつきませぬ。」


 前田様は頑ななようで再び一礼した。


「前田殿、今宵は我らと共に参られよ。大殿も貴殿のことを信頼しているとお示しになられたいのです。」


 重臣で年長でもある蒲生様に諭され、渋々の表情ながら、前田様も俺たちと一緒に奥の間へと向かった。

 御殿の大広間から部屋2つと渡り廊下を超えた先に佇む、通称“奥の間”。

 ここには、信長様と親しい側近しか近寄ることが許されておらず、警護の者もいない。部屋の大きさは20畳ほど。そんな場所に信長様、淡休斎様、勘九郎様、御台様、帯刀様が座っており、そこへ丹羽様、蒲生様、前田様、塙様、村井様、生駒様、俺と忠三郎様が入って静かに下座に腰を下ろして信長様からのお言葉を待った。


「…何じゃ、忠三郎も来たか。まあよい。お前も今年から加わること許す。」


 部屋の隅で平伏していた忠三郎様は床に頭をこすりつけて返事する。それを見た信長様は大きく頷き…前田様に目を向けられた。前田様は軽く頭を下げる。


「犬、もはや貴様は権六の代理も務める重臣だ。もっと堂々と振るまえ。」


「…は。」


「まったく…権六の下に付けた輩は皆愚直になりおって…。何のために越前前田を名乗らせていると思っている?」


「……。」


 信長様の言葉に前田様は押し黙ってしまった。信長様は周囲の表情を見てやや魔王感を露わにして舌打ちした。


「この際だから皆にも申し伝える。織田家はこの先もっと大きくなる。だが肥大していく領地を任せられる譜代は増えぬのだ。」


 なるほど。俺は信長様が家臣達に別家を立てさせる理由に納得した。任せられる譜代家臣がいなければ、その土地の国人に任せるしかない。だが任された国人の忠誠心は譜代に比べると低く、ちょっとしたことで周辺諸国へと揺らぐ。それを防ぐために譜代家臣から有能な子息に別家を立てさせ地方へと配属……。親族は地方の豪族と婚姻を結んで地方領主ごと家臣化…。別に昔から権力者がやってきた方法だが、これに“戦”を加えることで領地の拡大は更に加速される。故に譜代家臣の数を増やさねば経営が追い付かないのか。

 …で、前田様は別家を立てられたということは、譜代家臣として地方領主に置くつもりでいる…信長様から信頼を得ている何よりの証拠ではないか。


「大殿のお考えに我ら感服仕りました。一人でも多くの譜代を育てるよう邁進いたします。」


 そう言って蒲生様が頭を下げると皆がそれに倣う。前田様も深々と頭を下げた。信長様は前田様の頭を軽く叩くと前田様は涙を流して頭を床にこすりつけた。


「又左衛門殿、貴方の忠義は介様はよおくご理解されています。これからも忠義に励みなさい。」


 御台様が言葉をかけられると、更に大声で泣き始め。さすがに御台様も「あらあら」と苦笑した。信長様は案の定というか前田様を蹴り上げて一喝した。


「泣きわめくな!女々しい!」


「申し訳ございませぬ!」


 前田様はすぐさま起き上がって平伏しなおした。滑稽だったのか御台様が「ぷっ」と吹き出し、淡休様が大笑いされた。前田様は勘当以降ずっとわだかまりを抱えておられたようだったが、ようやくそれが解けたご様子で泣きながら笑っておられた。





「では、皆の意見を聞こうか。」



 全員が再び座り直し、信長様の声で“裏年賀の儀”が始まった。


「まずは勘九郎、貴様に与えた“(みち)”はどうなった?」


 上座に腰を下ろした信長様の魔王度が120%を超えた…ような声で勘九郎様に問いかけた。勘九郎様は信長様の鋭い眼光を平然とした表情で受け止め、静かな口調で答えた。


「はい、大和街道を除いて順調です。」




 大和街道。



 つまり、筒井順慶の治める国である。




鬼面九郎:主人公の別名です。京にいた頃の名、“津田九郎忠広”が常に朱鬼の面を被って古渡信広に仕えていたことからこう呼ばれていました。


村井貞勝:織田家臣で京都所司代を務めます。史実では娘を織田信正に嫁がせており、織田家中でもかなりの地位だったと言われております。最期は二条城で織田信忠と共に討ち死にします。


前田利家:若い頃に信長の寵愛する同朋衆を惨殺し出奔します。その後帰参許されるまで二年熱田で浪人生活をしていました。帰参は許されましたがその後の出世に大きく影響したと言われています。


筒井順慶:興福寺に属する有力宗徒で大和四家に名を連ねるほどの勢力を持つ。父、順昭が早世しわずか二歳で家督を相続するが、三好家の侵攻、味方の鞍替えなどによって影響力が著しく低下しました。本編で「順慶の治める国」と記述していますが、実際は全く治まっておりません。


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