18.信長様との再会
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男は暗い牢屋から出され、細川様によって接収された屋敷の庭に座らされていた。
汚れた体は洗われて衣服も整えられ食事も与えられ、だが両手両足は縛られた状態で地面に座らされ縁側から睨み付ける甲冑姿の美丈夫に頭を垂れていた。
やがてもう一人甲冑姿の男が現れて美丈夫の横に座った。美丈夫が僅かに会釈する。
俺はその様子を取り巻きの兵の一人として見ていた。…鬼の面頬を付けて。
「面を上げよ。」
後から来たもう一人の将、塙九郎左衛門様の声で男がゆっくりと曲げた腰を正した。九郎左衛門様が男の顔をまじまじと見つめ一息吐いた。
「確かに見覚えがある。小折生駒の盛清だ。」
九郎左衛門様の声に周囲がざわついた。美丈夫の細川様が手をあげてそれを制すと九郎左衛門様が話を続けられた。
「織田家から逃亡の身である貴様が淀の城で牢に繋がれていた理由を述べよ。」
「織田と敵対する者として、各国の大名から兵糧や銭を借り受け、三好家に流していたが…裏切られた。」
九郎左衛門様の言葉を正面から受け聞いていた男は表情を変えることなく淡々とした口調で答えた。
「裏切られたとは?」
「…将軍様が降伏されてしまっては、ここ(淀城)が次の標的になるから、野田まで撤退すべきと進言したが聞き入れられず、何人か募って逃げる算段をしていたところを捕えられた。」
「共に逃げようとしていた仲間に裏切られたというのか?」
「そうだ。」
会話はそこで一旦切れた。俺は淀城周辺の現状を思い起こす。ここに篭もる三好勢が仮に城を捨てて逃げた場合にどうなるか。既に周辺は織田派の拠点で埋まりつつあり、ここから野田まで無事に逃げ延びるのは難しい。海老江の和田様が取り巻いているしな。…いや、本願寺が動けば可能だったかもしれない。だが、本願寺も土田生駒のせいで兵糧不足が深刻化しており周辺諸国に救援を求めている状況…三好に手を差し伸べる余裕があったかどうか。そうなると城を捨てて逃げるより、籠城して一戦しメンツを保ったうえで降伏する方が無難だと思う。だから盛清の意見は受け入れられず、逆に拘束された。
「私は逃げるよりも、ここに篭もって我らと対峙する方が選択肢が多かったと思うがな。貴様は裏切られたのではなく、貴様が裏切ろうとしていたのを未然に防いだだけだと考えるが?」
縁側に座る九郎左衛門様は盛清の言葉を否定された。九郎左衛門様の言葉は俺と同じ意見のようだ。盛清もそれは理解していたようで九郎左衛門様から視線を外した。
「…だが、俺は織田家には捕まりたくはなかった。」
「当然だな。捕まえたら有無を言わさず殺せと触れが出ておるからな。」
盛清はため息をついた。観念している表情だ。
「なら殺せ。」
「…貴様は岐阜へ送る。」
「断る。」
「貴様の意思など関係ない。」
「嫌だ。」
「貴様はこの者の帰参に役立ってもらう。」
「は?」
九郎左衛門様が俺を手招きした。俺は一礼してから二人の間に進んで盛清を睨み付けた。
「ふん、山科の鬼面か。初めて見るが噂通りデカい図体よの。」
吐き捨てるような物言い。商人としての物腰の低さも失われている。俺は伊藤盛清とはこんな男だっただろうかと感じた。
「そうか、この男には初めて会うたか。…そんなことは無かろう。貴様は尾張で何度もこ奴と会うておるはずじゃぞ?」
「知らぬわ、こんなデカい図体の…男…など…!?」
盛清は否定しようとしたが、途中で何かに気付いたようだ。
「ま、まさか!?」
盛清の顔が青ざめる。俺はゆっくりと面頬を取り、盛清に俺の顔を見せつけた。俺の顔を見た盛清は青ざめた顔をだんだんと紅潮させ鼻息を荒くさせた。
「貴様か!何故に貴様は俺の前に立ちはだかる!貴様さえいなければ俺は生駒の…」
勘違いも甚だしい。俺は貴様の前に立ちはだかった覚えはない。勝手にお前が俺をライバル認定して俺を貶めて自滅しただけではないか。
俺は唾を飛ばして喚き散らす盛清の胸ぐらを掴んだ。周囲がざわついたが俺はお構いなしに拳を握り締めた。
「お、おい九郎!」
九郎左衛門様が立ち上がったが俺は無視して盛清の頬を殴りつけた。
「ぷべしっ!」
盛清は意味不明な声を発して倒れ込んだ。折れた歯が地面に転がっている。顎の骨も逝ってしまったかもしれんな。だが、その程度で済んだことを感謝しろ!…そう心の中で叫んでから、塙様、細川様の方を向き一礼した。
「…これで私の復讐は終わりました。後は全て塙様の御沙汰にお任せいたします。」
そう言って俺は再び面頬を付けて庭の隅に移動した。……取り囲む兵がさっきと違って俺の周囲だけ空洞ができた気がするが気のせいだろう。
俺達が淀城を攻略して周辺地域の安定を図っている頃、信長様は二つの偉業を為された。
1つは越前守護の朝倉家を滅亡せしめたこと。そしてもう1つは江北の勇、浅井長政の篭もる小谷城を奪取したこと。この偉業に畿内にいた将で従軍したのは明智様のみ。しかも明智様は朝倉を追いかけての越前侵攻に際して近江に留まりもしもの場合の退路確保役として、戦そのものには加わっていない。また奇妙丸様…じゃない、勘九郎様の尾張下四郡の兵も出ていない。尾張上四郡、美濃、近江の兵で事を成したということだ。史実では織田軍は弱いなどと言われていたが、そんなことは無いものだと感嘆する。
で、小谷城落城だが、史実と異なる点が2つ。
1つは長政の父、久政が落城間際に逃亡したこと。もう1つは長政の息子2人の助命が認められたこと。
久政の逃亡先は不明である。既に近江一帯は織田家の支配下にあり、加えて若狭越前も不可。逃げる先は西か東しかないのだが、放っておいても問題ないとされた。そして長政の御子は御台様が引き取られたそうだ。…これは御台様に訳をお聞きした方がいいだろう。
そして本題。
細川様に連れられて岐阜城に登城し、罪人伊藤盛清への謁見が行われた。立会人として、千秋様と氷室様(旧名:祖父江)が控える広場に盛清は座らされた。盛清は猿轡を噛まされて息苦しそうにふごふご言っている。周囲の将の目は殺意に燃えており、きっかけ一つで斬り殺されそうな状況であった。流石の細川様もこの状況に苦笑された。
そして……。
小姓に囲まれて大股で廊下を歩く男の姿。
信長様だ。3年振りにお見かけするが…魔王度合いがレベルアップしている気がする。
信長様が縁側まで来ると小姓の一人が草履を取り出し、これを履いてチラリとこちらを見ると視線を移して二人の神官の間まで大股で進む。全員が平伏しその様子を一瞥すると、用意された椅子に腰を下ろした。
辺りが静まりかえる。先ほどまでふごふご言っていた盛清ですら黙り込んでいる。その盛清を信長様はギラリと睨み付けた。
「これより、熱田大明神の御名の下、罪人伊藤盛清の刑を処する。…盛清、貴様は熱田、津島の神々に許しを請いて刑を全うすべく一切の発言を禁止する。」
千秋四郎様が抑揚のある声で皆に聞こえるように言い渡す。…この時代の裁判は不条理だ。神官が言い渡す刑は絶対である。そこに大名すら口を挟んではならない。
だが……。
「四郎、こ奴の刑は何だ?」
普段は甲高い声が特徴の信長様の声は地を這うように低くうねるように耳に届いた。
「は、河原にて磔を…。」
千秋四郎様がやや怯えるように答えると信長様は「ならぬ」と答えて立ち上がった。
…そこからは俺の目には全てがスローモーションだった。
後ろに控える太刀持ちから刀を受け取り、鞘を抜き捨てて盛清の側に歩み寄ると、大喝と共に一閃、素早く喉元に刃先を突き刺し刃先を首の後ろから突き出すとそのまま地面に勢いよく突き刺した。首の後ろから突き出た刃は地面に突き刺さり、一瞬にしてこと切れた盛清を刀ごと地面に叩きつけた。
信長様は返り血を浴びた衣を脱ぎ血を拭うと血まみれで息絶えている盛清に向かって投げ捨てた。余りの光景に誰も動くことができず、ただ茫然とふんどし姿の信長様を見つめているだけであった。
「着換えを寄越せ。」
信長様の声に我に返った小姓が慌てて駆け出し、その動きによって、俺を含めた周囲の者達が慌て始めた。
「静まれ!まずは罪人の死体を片付けよ!」
氷室様が声を発し、取り巻きの男達が盛清を恐る恐る片付け始めた。信長様は無言である。細川様と俺はじっと信長様の沙汰があるまで動かずに待っていた。この場を取り仕切るはずだった千秋様が気まずそうに氷室様と目を合わされた。氷室様が無言で肯くと意を決したように口を開いた。
「大殿…場所を変えた方がよろしいかと。」
信長様は無言で立ち上がり、草履を脱いで縁側に上がるとすたすたと奥へと消えて行った。
「兵部大輔様もこちらに来られませ。…はあ。近頃の大殿は偉く不機嫌で…。こ奴の復帰によって多少は変わるかと思いきや…神事までもこのように蔑ろにされるとは…あ、いや、今のは忘れて下され。」
千秋様は疲れた顔で愚痴を言うと重い足取りで俺達を屋敷へと案内した。
……独裁者。
俺はその言葉が脳裏に浮かんだ。
織田家が大きくなればなるほど、その権力が当主たる信長様に集中していく。それは俺が阻止したいイベントへと繋がっている気がして今の信長様に大いに不安を感じた。
盛清粛清の後、改めて案内された場所は御殿の一番奥にある小さな部屋。信長様が配下の者と内密な話をされる時によく使われる部屋だそうだ。
既に丹羽様を筆頭に何名かが待っており、細川様と俺は下座に座って会釈した。やがて信長様が来られて上座に勢いよく座る。…機嫌はよろしくない。先ほどの件を引きずっている。「面を上げよ。」の言葉で話が始まるが、細川様が戦勝報告をしようするのを「既に聞き及んでおる。報告不要。九郎左衛門には良しなにと伝えよ。」で終らされてしまった。
「それより兵部大輔、朝廷の様子はどうなのだ?」
更に話題も変更。
「は、兼ねてよりこちらから打診していた官位については概ね了承頂くことができました。」
「重畳なり。」
「それと塙様へ名跡を下賜頂くよう勧めております。」
「よい、任せる。…して無吉。」
細川様との会話を強引に終わらせて信長様は視線を俺に向けた。
「…畿内で随分と暴れたそうじゃないか」
俺は頭を一段と低く下げた。
「鬼面九郎、と言えば泣く子も黙るとか。」
「お耳汚しに御座います。」
「一段と大きくなり追って…。」
「只の大飯ぐらいに御座います。」
「三郎五郎は貴様を褒めておったぞ。」
何を褒めていたのか言ってくれないので返事のしようがない。
「そんなお前を養子にしたいと言う輩もおる。」
池田様の頭が揺れた。信長様もそれに気付かれた。
「勝三郎、こ奴は只の大飯食らいらしいぞ。良いのか?」
池田様が身体の向きを信長様に向けて一礼した。
「某もこの男を気に入って御座います。本家は次男に任せ、元助とこ奴で若殿を盛り立てていければ…。」
池田様がもう一度頭を下げられた。信長様の表情は穏やかであった。俺にはそれが気味が悪い。何かを無茶振りを言い渡される気がする。
「勝三郎の娘を娶り、“池田”を名乗るべし。これを帰参の条件とする。」
それは、古渡様の養女である茜と離縁せよ、ということではなかろうか。
それは俺にとっては究極の選択に思えて倒れそうになった。
海老江の和田様:摂津守護を拝領した和田惟政の前線基地に当たります。和田様は三好三人衆が阿波から畿内に襲撃し野田・福島に籠った後、ずっと海老江城で対応しております。
…もちろん、信長様の命を受けて、守勢に回っております。
伊藤盛清:架空の人物で、主人公を追放の憂き目に合わせた張本人。小折生駒に仕え江北方面に人脈のある商人であったが、生駒家相続という野心で浅井家に通じ、あっさりとバレて尾張を逃亡しておりました。
浅井久政:史実では、小谷城で自刃しています。
長政の息子2人:史実では信長に殺されてます。
氷室重秀:旧名、祖父江重秀。津島の神官職で、同じ神官職でもある氷室家の名を継いだそうです。
千秋四郎:信長とは幼い頃からの友人だったと言われています。史実では桶狭間で死亡しているので、オリジナル武将と言ってもいいかもしれません。
細川兵部大輔:この頃から、信長様の命をうけて朝廷、公家衆との調整役を行うようになっていきます。




