表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/142

17.鬼面九郎

2019/07/17投稿再開しました。



 淀城。



 ここは三好家の重臣岩成友通が守る城であった。



 元々三好家が織田家に抗する為に籠もっていた城であったが、足利義昭様の檄に応じて三好家を離れていることが分かっていた。そして畿内大将を務める塙九郎左衛門様が「畿内の事変に対応するには淀の城は邪魔である」と判断され、攻め落とすことになった。

 平野郷の評定の間に集められた畿内軍の諸将。

 細川様、三淵様といった旧幕臣から、畿内の諸豪族がずらりと揃っている。そこで塙九郎左衛門様はよく通った大きな声で方針を説明された。


「既に城将の岩成友通には降伏の使者を出し、奴らは援軍のない戦を理解した上で降ることを拒否している。こうなれば下手な策は通じぬ。…力攻めを行う。意見を聞こう。」


 言い終えると一同を見渡す。細川様は目を閉じて腕を組まれた。三淵様も下を向かれている。やはり城攻め、しかも力攻めで行くとなれば先陣の被害は甚大であると思われたようだ。流石に先陣の名乗りは中々出なかった。それを確認した九郎左衛門様は俺に視線を送った。


「畏れながら…。」


 俺は九郎左衛門様の視線を合図に広間の隅から声を発した。俺への視線が一瞬にして集まる。


「城攻めではなく、野戦を仕掛けては如何でしょうか。玉砕を覚悟された相手であれば、誘いを掛ければ応じると思いまする。」


「…そう簡単に応じはせぬ。」


 三淵様が反対意見を言われた。何人かが肯いている。


「いえ、必ず応じます。御大将が自ら先陣に立って誘われれば。」


 俺の言葉に九郎左衛門様以外が驚いて身を乗り出した。


「貴様!大将を餌に敵を釣るつもりか!何かあれば何とする!」


 三淵様が大袈裟な身振りで大喝された。場が凍りつきその場にいる誰もが顔を伏せた。その中で九郎左衛門様はじっと俺を見つめている。


「御大将は私めがお守りします。…この、“鬼面九郎”が。」


 俺は静かに顔を上げ、鋭い角の光る鬼面を三淵様に向けた。その凄みにさすがの三淵様もたじろいだ。



 全ては、九郎左衛門様の御指示による芝居であった。


 力攻めの先陣を受ける諸将はいないと考え、皆が納得する形で戦を始めるにはどうすべきかと考えて打ち出された案がこれだった。


 大将自らが誘いをかけて敵を城から出陣させ、野戦にて討ち取る。


 大将に直接戦を挑んで散るのであればこの上なしと思わせられれば良いのだ。しかも城将、岩成友通は野戦を好む武将だと聞いている。大将と相打ち覚悟で城から出て戦う可能性は非常に大きい。

 しかし、それを諸将が承知するかどうか。そこで俺の出番である。と言っても鬼面の効力で皆を脅すだけなんだが。まあ、効果は絶大なようで、普段は古渡様の後ろに控えて睨み付けている男が、評定の場で睨み付ければ三淵様も言葉を詰まらせたのだ。…成功である。戦は大将の塙様が淀城に篭る岩成友通を城を出て戦うよう仕掛け、出てきたところを全軍で囲ってボコることとなった。



 織田軍は淀城を包囲した。


 淀城は、桂川と淀川の山間に築かれた山城ではあるが、すぐ側は湿地が広がり、2つの川を結んで幾重にも重なった水路が作られており、大軍が布陣しにくい地形であった。九郎左衛門様はワザと城に近い場所に布陣し、友軍を水路を挟んだ別の島に移動させて隙があるように見せた。(敵が本陣に向けて仕掛けた時にギリギリで間に合う距離)鉄砲で撃たれるのを防ぐ為に竹を束にしてまとめた分厚い盾を幾つか抱えた兵を引き連れ、大声で城内に向かって叫んだ。


「儂は平野郷代官にして、此度の戦の大将、塙九郎左衛門直政である!岩成殿に告ぐ!公方様への義理は果たされておる!これからは織田家に義を尽くすべし!」


 城のあちこちから鉄砲の筒が対象を狙っていた。竹束を抱えた足軽が大将の左右を覆う。俺は九郎左衛門様の横に控えいつでも馬を反転させて尻を蹴られるようにしていた。


「…返事はなしか。」


 暫く待っても言葉が返ってこないことにため息を付いた九郎左衛門様は俺に目で合図して、馬首を返して自陣へと引き返した。俺と竹盾足軽はそれを見届けると正面を向いたまま後ろへと下がった。



 城の正面に岩成友通が兵を展開できる広さを開けて九郎左衛門様の軍が陣取る。左右の川を渡った先に織田軍の諸将が兵を並べた。何時でも渡河して敵軍を囲えるようにしている。九郎左衛門様は城から矢が届かぬ辺りに立ち城を睨み付けた。

 城側から見れば、攻め手は野戦を望んでいることが丸わかりらしい。しかも、先陣に大将自らが立っている…。岩成友通がこれをどう受け取るか、諸将は川向こうで固唾を呑んで見守っていた。


 やがて城門が開き、馬に乗った武者が数騎出てきた。中央には煌びやかな兜をかぶった武者が居る。…岩成友通であろう。数騎が暫く前に進むと後ろから槍を持った足軽兵が現れ左右に展開した。その様子に緊張感が一気に高まった。


「塙殿!」


 中央の武者が大声を張り上げた。


「まさか我に野戦を挑むとは思わなんだ!織田にも中々の将がいるものよと感心致す!我に死に場所を与え賜ん事を感謝する!…これより駆け引きなど一切無用。只ひたすらに駆け抜け華々しく散らんと欲す!我が散りし後は貴殿に任せる。」


「承ったあ!」


 九郎左衛門様の腹に響く声。そしてそれを合図に一斉に弓兵が矢を番えた。既に川向うの諸将は一刻も早く戦場に合流せんと渡河を開始していた。岩成友通は左右の川を見ると刀を抜いて高々と掲げた。


「…来るぞ。」


 九郎左衛門様が俺にだけ聴こえる声で呟いた。その声に俺は反応して槍を握りしめて前に進んだ。太く朱に塗られた2間ほどの長槍を前方に向けて構えると矢盾のすぐ後ろに控えた弓兵が弓を構えた。



「すすめぇ!」


 岩成友通の声が響き、砂埃と歓声と共に地響きが響き渡った。先頭は騎馬に跨った岩成友通が刀を振りかざして駆けている。十数騎が固まって真っ直ぐに突き進んで来た。

 心の臓に叩きつけるような轟音に足が震えるが、俺は唇を噛み締めて気を引き締めて槍を構えた。


「放てぇ!!」


 弓頭の声に反応し幾百もの矢が敵に放たれ、俺の頭上を飛んで迫りくる敵の騎馬武者へと吸い込まれた。悲鳴が沸き馬上からバタバタと人が倒れていく。岩成友通にも何本か矢が刺さったが突撃の勢いは落ちることなく、こちらに迫ってきた。


「きぇえええ!」


 奇声のような叫び声を上げて迫る騎馬武者を冷静な目で見つめつつ、俺は槍の穂先を敵方に向けて地面に降ろし、背中の大太刀の鞘を外した。



 呼吸を整える。


 相手の距離を測る。


 今だ。


 迫る岩成友通の動きに合わせ置いた槍を持ち上げると刃先が走る馬の首に突き刺さり、そのまま突き抜けて岩成友通の腹に食い込んだ。槍に勢いを殺され前のめりになった岩成友通に俺は大太刀を振るい一閃で首を落とすと、周囲の騎馬武者にそのまま襲い掛かった。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 私は“吉十郎忠輝”の名で戦に出た記憶はほとんどない。私のもう一つの名前“九郎忠広”での活躍のほうが戦場では有名であった。


 淀城の合戦は、全体の戦局から見れば普通の局地戦でしかない。だが、私はここで大将の岩成友通を始めとする27もの首級を上げ、最前線で敵の猛攻を受け止めた剛の者として畿内に轟かせた。

 以来、戦場へは朱色の鬼の面頬を付け先陣で朱色の豪槍、大太刀を振るう者としてその名を大きく轟かせることになった。


 人は言う。「味方の先に立つは“朱槍を持ちたる金剛力士”なり」と。


 人は言う。「敵の先に立つは“慈悲を持たざる鬼面九郎なり”と。


 私が立つ陣によってこれほど意味の異なる別名で呼ばれるとはと述懐する。それだけ“九郎忠広”は戦場では恐れられたということだ。



 生涯で上げた首級の数など覚えてもおらぬ。だが、戦に出る度に熱にうなされる病だけは隠居するまで直らなかったと記述する。


 ~~~~~~~~~~~~~~



 合戦は最初の攻撃で岩成友通が討ち取られたため、一部の武士を除いて直ぐに降伏し、乱戦とはならずに終結した。しかし、岩成友通配下の武将の討死覚悟の突撃に少なからずの被害が出ており、塙一族にも死者が出たそうだ。

 俺は戦場を血まみれになって駆け回り、降伏を報せる太鼓が鳴り響き周囲に敵がいないことに気付いてようやく座り込んだ。いや倒れ込んだというのが正解だろう。

 孫十郎が俺を見つけて駆け寄って来て肩を担いだ。山岡八右衛門が俺の朱槍と大太刀を重そうに拾い上げた。


「血糊でべとべとに御座りますな。これはさすがに手入れが必要でしょう。九郎様一時お預かり致しますぞ。」


 そう言って本陣に引き上げていく。…味方の兵に対して両手で掲げて「敵将を討ち取りし九郎忠広が武具である!」と声を張り上げて通るのは止めて欲しい。後で注意しておこう。それよりも今は休みたい。

 俺は孫十郎の肩に捕まり、淀城へと向かった。単にそっちの方が休む場所として近かったからなのだが、そこで細川兵部大輔様にお会いした。


 細川軍は渡河の最中に敵の先陣が殲滅したことを確認して、本陣への救援ではなく敵城への攻撃行動に切替え、淀城への一番乗りを果たしていた。城将などおらず城からの攻撃は疎らであり、直ぐに城門は開けられ占領できたそうだ。城内の人間を次々と捕えていき、女子供を含めると百名ほどの捕虜になった。そしてこれらを地下牢に閉じ込めようとして、思いがけぬ人物がいた事を細川様から告げられた。





 伊藤盛清。





 曾て、主を貶め、俺に罪を着せ、織田家を裏切った元商人。



 奴は、淀城で三好勢によって捕えられ地下牢で虜囚に身にやつして俺の前に現れた。




 以前に山科でその名を聞いた時ほど、復讐の炎は湧き上がらなかった。疲れていたせいもあったが、この時は細川様のお話を静かに聞けるほど落ち着いていた。


「ひと月以上は捕えられておったであろう、かなりやつれておって観念しておるようだ。我らの詰問に素直に応じておる。…九郎殿、会うて見るか?」


 細川様から話を持ちかけられ俺は肯いた。孫十郎が心配そうに俺を見ている。


「孫十郎、大丈夫だ。連れて行ってくれ。」


 孫十郎が不安そうに細川様を顧みた。細川様は無言で肯き城の中に入られた。俺が細川様についていこうとしたので渋々歩き出した。


「何かあれば身を挺して貴方様を縛り上げますからね。」




 それが捕虜に会いに行く男に言う言葉か?と俺は悲しくなった。




岩成友通:三好三人衆の一人。松永久秀と同等の三好家内での出世頭と言われていますが、その出身は不明です。三好長慶の死後、義継の後見人として三好家内で権勢を振るっていたそうですが、モノの本では政治的手腕もなかなかであったと書かれています。本物語では幕府に忠義を尽くす武門一辺倒のようなキャラにしています。


細川藤孝:三淵晴員の次男で細川元常の養子となり、長じて従五位下・兵部大輔に叙任されます。名門細川家の家督を継いだエリートです。明智光秀と共に織田政権に降ってからは、光秀の与力として活躍しますが、家格で言えば彼以上のエリートは織田政権にいないほどの人物で、実際にも少なからず彼のお蔭で光秀は出世できたと言われています。


伊藤盛清:本物語の創作人物です。生駒家長の弟、久通の家臣でした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ