11.霜台様お預かり
ようやく、織田対武田の話に差し掛かります。
1572年元日。
俺達瀬田衆はギリギリで堺津に戻ることができ、山科屋敷にて新年を迎えることができた。古渡様も帯刀様も明智様も岐阜に大殿への御挨拶で不在であり、山科の城番は新たに所司代となられた村井吉兵衛貞勝様が務められていた。
俺と茜は村井様に呼ばれ、二条近くの村井屋敷にて年賀の挨拶を行った。村井様は俺の面頬の下の素顔を知る数少ない人物で、俺に対して普通に接して下さる御方でもある。俺は吉兵衛様の御言葉に甘え、元旦を村井屋敷で迎えることになった。
村井様は俺に伊勢貞良様の奥方を紹介された。貞良様は、前の将軍、義輝様の代に政所執事を務められていたが、三好家によって更迭された。貞良様の死後、一族は若狭に逃れていたが、三好家と再び接触し、義栄様に仕え虎福丸様が御供衆として幕臣に加わることになった。しかし直ぐに信長様が義昭様を将軍とされ、義栄様も逝去されたことにより、行き場を失った一族は再び若狭へと逃れていたそうだ。
虎福丸様が元服するにあたり何とかして織田家と縁を結ぼうと奥方様の姉君にあたられる御台様に文を書き、御台様の勧めで俺を紹介されたという訳だ。
何の為にだろうか?
…貞良様の忘れ形見となった姫様を織田派の家で養ってもらう為か。(それが何で俺になったかと言うと御台様の所為なんだが)
当然“父無し子”であることも、ご主君と幼馴染であることも、俺が絶賛尾張追放中だと言うことも、このお方は御台様の文を通じてご存じで、それでも俺に娘を預けたいとおっしゃる親心に俺はNOとは言えず、村井様の勧めるまま、9歳の娘を嫁に貰うことになった。(○リじゃないのに……)
そして我が屋敷の住人が増える。
茜
亡き生駒家長様の娘で俺の正室。…11歳。
祖父江孫十郎秀綱
津島の神官、祖父江重秀様の子で俺の最初の家臣。
山岡八右衛門景佐
瀬田城主、山岡景隆様の弟。別名肉人間。
多賀勝兵衛貞持 ← New!
伊勢家に仕えていたが、現当主の貞為様の命で俺の家臣となった。…まあ、監視役だろうな。
近 ← New!
勝兵衛の姉。姫様の世話役的なお人。狐目の面長なお顔だが、決して悪くはなく、眼鏡が似合いそうな感じだ。
伊勢福 ← New!
伊勢貞良様の忘れ形見の姫様。…9歳。ぽやぽや感を醸し出すお子様で茜のことを「姉様!」と呼んで速攻で仲良くなってしまわれた。
この輿入れは内々で行われ、これを知る者は山科では古渡様、帯刀様、そして村井様だけで、普段から他の家臣と親交の少ない俺さえ黙っていれば俺に家族が増えたことは知らないままで過ごせそうだ。(…だから俺が選ばれたのか)
暫くすると織田家の有力家臣が岐阜から戻って来られ、京の街は普段通りの生活に戻った。俺はいつもの様に孫十郎と出仕し記録係になる。来訪の波が途切れた時に、古渡様が小声で呟かれた。
「新しい嫁はどうだ?」
引っかかりのある聞き方だが、主の質問を無視する訳にもいかず、「茜が妹のように可愛がっておりまする」と応えると、少し小首を傾け考え込むと「ふむ」と納得されたようで何事もなく政務に戻られた。俺は拍子抜けした感じではあったが、それ以上話を広げる気も無いのでこの話はそれだけで終わった。
二月に入ると畿内が慌ただしくなった。
前年に作り上げた“物の流れを監視する仕組み”はまだ活きており、これにより土田生駒衆を率いる甚助様から三好義継が頻りに物資を集めているという報告がもたらされた。古渡様がすぐさま若江城に使者を送って出頭を命じたが、病と称して使者とも会わなかった。そこへ大和の大物が古渡様を訊ねて来られたのだ。
松永久秀様。別称、霜台様。
霜台様は僅かな供を連れて登城された。屋敷が慌ただしくなり、俺は大広間の準備ができるまで控えの間にご案内する役として、霜台様をお迎えした。
霜台様は面頬の俺を見て、一瞬驚かれたが直ぐに静かな表情に戻り、俺の後をついて来られた。案内する部屋に入り、部屋の中央に坐すると廊下に控える俺をじっと見た。
齢七十に達するほど高齢の御方とお聞きしていたが、背筋はしっかりとしており、歩き方も壮年のものだった。…だがその眼に覇気というか生気と言うモノが感じられず、何処か遠くを眺めているような雰囲気。霜台様にお会いするのは二度目だが、その様子が全く変わっていない。
「…前にどこかで遭うた気がするが?」
突然霜台様に声を掛けられ、俺は思わずびっくりしてしまった。そしてその表情が霜台様の質問を肯定してしまっていたようで、霜台様がわずかに笑われた。…前に遭うたのは元服前の餓鬼の頃…。今は鬼面頬を付けているのに…一体どうやって気付かれたのか。
「…岐阜で奇妙様にお会いした時か?」
…ビンゴ。てかどんな記憶力してんだ?もうびっくりしすぎて表情を殺すこともできませんわ。
「よくお覚えになられているようで。」
「…年寄りはどうでもいいことほど覚えているものでな。」
「霜台様はあの時から全く変わられておりませぬ。」
「年々皺が増えておる。」
「…ご隠居を考えておられまするか?」
「……何が言いたい?」
「ご無礼を。霜台様ほどの御方が山科の古渡に何の御用かと興味を持ちまして…。お忘れ下さりませ。」
「その眼は事情を知っている者の眼だ。…若いのに頭の回転も速そうだ。…儂から何を聞き出そうとしている?」
俺は再び霜台様と目を合わせた。相変わらず覇気の無い目…。なのに全てを見透かそうとしている雰囲気を漂わせてくる。…こういう御方は扱い辛い。そう言えば林様と似たような目だとふと思う。あのお方は何にこだわって今の当主様に忠義を尽くすことができぬのか全く持って理解できぬ。それほど桃巌様の時代が良かったのか…。
そうか。
林様と霜台様は同じ気持ちなのか。
先代の当主を懐かしみ、当代の当主には忠義を尽くしきれず、かと言って他にやることも無く、ただ何となく過ごされて…。よし、聞いてみよう。
「霜台様、差支えなければお教えください。先の修理大夫様は…どのような御方であられましたか?」
俺の質問が意外だったのか一瞬呆気にとられた顔をされた霜台様であったが、直ぐに表情を消して答えられた。
「儂の全てであったわ。」
俺はこの答えで確信した。
やはりこの御方は、今の時勢に求めるものがなく、昔の時勢を懐かしんでおられる。流れに乗って織田家に臣従はしているが、あくまで自分の忠義を向ける先は亡き先代三好当主様であり、以外の者には見向きもしておられぬのであろう。故に信長様より大和の寺社衆を纏めるよう命令されているが、未だにまとめきれず、筒井や井戸、興福寺といった有力寺社衆は織田家に臣従していない。
ではそのような御方が何故古渡様に遭われようとされているのか。…気になる。
「…儂が何故ここへ来たのかが気になるので御座ろう?」
…図星。俺はこのお方が苦手かもしれない。
「は、はは…顔に出ておりましたか。面目御座りませぬ。」
「儂は昔から人の心の内が良く見えておったからな。だが、今となっては煩わしいものよ。」
受け答えがしにくい。今の話に俺は何と応えれば良いのか見当つかん。…古渡様、早く来てくれ!
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大和国主、松永弾正忠久秀様は、息子の右衛門大夫久通が旧主三好義継と共謀して織田家に反逆したことを受けて単身で山科館に出向き、質となられた。織田家に恭順の意を示していた大和の軍勢が寝返ったことで家中は動揺した。既に松永家と足利・本願寺家が結びつく可能性を見つけていた(神峯山寺経由の物資輸送の件)にも関わらずこれを見過ごしていたことは、古渡様も悔しがられた。既に世捨て人となられていた久秀様は質としての価値はさほど無かったが、古渡様は織田家としての度量を見せるために丁重にもてなし、また三好義継にも寛大な応対で織田家に降伏するよう呼びかけた。
結局三好義継は本願寺との折り合いが上手くいかず、ひと月ほどで織田家に降伏し、自ら信長様に謝罪を行ったが、久通は多聞山城に篭もり織田軍五千の包囲を受け降伏した。
久通は、出家して大和を追放され、改めて久秀様が城主として任命され、三好争乱は落ち着いた。
私の知る史実とは異なり、未だ三人衆が福島城に篭もっており、三好家当主が早々に本願寺と喧嘩別れして織田家に舞い戻って来た。そして久秀様が心を閉ざしたまま大和国主に返り咲いた。
この時、私は数年後に起こる再離反と爆死事件が本当にこの時代でも起きるのかどうかが全く読めず、再三「大和に注意すべし」と古渡様、明智様に申し上げていた。
後に我がご主君に相伴衆として仕えることになる道意様(松永久秀の出家号)には本当に冷や冷やさせられたことは記しておく。
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古渡様との会談が終わり、霜台様は、このまま山科館に留め置かれることになった。所謂人質である。世話は何故か俺になった。嫌とは言えず承知はしたものの、どう接すれば良いのかわからず、古渡様が退出された部屋で霜台様と再び二人きりになった。
「…儂の部屋はどこになるかな。」
「私の住まいの隣の小館をお使いください。外出時は必ず、私に声をおかけください。無断で出られた場合は古渡の名でもって捕えます。後程世話役の侍女を向かわせます。」
「…相わかった。」
抑揚のない言葉を交わし、俺達は部屋を出ると小館へと向かい、霜台様を案内した。霜台様は無言で館に入られ、警護の兵が周囲を取り囲み、その日は終わった。
翌日からは、早朝から俺の館にやって来て、山岡八右衛門と碁を打つようになった。
……もう一人家臣が増えたような感覚で、俺はとても複雑な気分だった。
四月になり、畿内の状況が一変した。
征夷大将軍、足利義昭様と信長様の敵対がついに表面化した。
1573年4月、足利義昭様は、二条城で挙兵し、多くの幕臣がこれに同調した。信長様は明智様を総大将とし、義昭様に同調しなかった細川様等の幕臣を与力につけ、万の兵力を用意してこれにあたらせようとした。だがその兵力は山城に駐留することはなく、東美濃へと向かわされることになった。
武田家が遂に動き出したのだ。
信長様は、美濃への抑えとして、明智様の主力を美濃金山城へと向かわせた。近江からは、佐久間様が三河方面へと向かい、畿内の兵力は古渡様、帯刀様、森様、塙様、土田生駒様を糾合しても一万に届かぬ兵力が分散して城郭網を形成するかたちとなった。
伊勢貞良:足利義輝の時代の政所執事。義輝謀殺事件の時に一緒に殺されたとも、解雇されたとも書かれており、史実は曖昧です。
虎福丸:後の伊勢貞為。義昭の御供衆となりますが、政所執事は弟の貞興が継承されたようです。晩年は著述に専念されたとあります。
祖父江孫十郎秀綱:津島の神官、祖父江重秀の子。諱は作者の創作です。
山岡八右衛門景佐:瀬田城主、山岡景隆様の弟。史実では、最終的に徳川家に仕えた世渡り上手な武将です。
多賀勝兵衛貞持:架空の人物で、京極家に連なる多賀家の一族という設定です。
多賀近:架空の人物で勝兵衛の姉と言う設定です。
伊勢福:史実では名は残っておらず、福と名付けました。史実では、池田元助の正室です。
松永久秀:大和国主で、家督を息子の久通に譲っていましたが、信長の命で当主に復帰します。史実では、茶釜と一緒に爆死するまで当主を務めておりますので、この辺は少し史実と異なります。主人公を介して信忠に仕える予定です。




