9.武田蠢動
比叡山焼き討ちのイベントが終了し、畿内は一旦落ち着きを取り戻しました。
物語は、主人公の日常から始まります。
朝。
「九郎様、お迎えに上がりました。」
障子の向こうから、男の低い声で俺は目覚める。
今までは孫十郎が俺の起きるのを見計らって若々しい声で挨拶するのだが、今は厳つい声で毎朝決まった刻に状況に関係なく声を掛けてくる。
俺が茜と最中だったらどうするつもりだ?…そんなことはまだないけど。
と、不健全なことを考えながら布団から起きて障子を開ける。
そこには、肉人間…ではない、景佐がごつい身体を丸めて座っている。
毎朝こいつの姿を見ていると、不機嫌になってくる。肉々しい身体で憎々しいと感じる。
「おはようございます。九郎様」
「…うむ」
景佐は俺の家臣になった。思ってた以上に忠義に厚く礼儀を重んじる男で、最初は俺のことを「殿」と呼んでいたのだが、ガラではないので呼び方を変更するよう命令し、そこから言い争いになって「九郎様」に落ち着いた。孫十郎がこう呼んでいるから仕方がないと思うも、こそばゆい。
衣服を整え山科の屋敷に登城すると、俺達の控室前の庭で孫十郎が槍の稽古をしていた。延暦寺攻めの際に毛利新左衛門様に手ほどきを受けたようで、ここんとこ毎朝練習をしている。…昔は俺も扱かれたなぁ…なんて回顧していると、
「九郎様、おはようございます。」
孫十郎は俺に気付いて稽古を中断し挨拶をする。俺は片手を上げて返事をして庭から部屋に入って行く。
平穏な毎日。
比叡山が織田家の支配下になった後は、京の街は平穏になった。
相変わらず、古渡様に面会される人は多く、今日も朝から面会予定が組まれているが、記録係以外の仕事は俺には無い。二人の家臣も俺が仕事している間はこの部屋で待っているだけである。9月に入り日差しは多少弱くはなったがまだまだ暑く、男だらけで暑苦しい日々の俺にとっては、そろそろ女中くらい雇ってもいいのでは考え始めるこの頃である。
俺が仕事している間、茜は何をしているかと言うと毎日恭様のお世話をしている。…というか先日生まれた姫様を見に行っているだけのような気がするが。
そう、帯刀様に御子が生まれたのだ。元気な女の子で“満”と名付けられたそうだ。…俺はまだ見ていない。というか帯刀様もまだ見ておられない。まだ穢れ祓いが済んでいないので、男は近付いてはいけないのだ。茜も隣の部屋から眺めてるだけらしく、毎日俺に満姫様の可愛らしさを報告して来るほどだ。
…何が言いたいかと言うと、茜が“子供欲しいモード”になっているということだ。俺の方は年齢にそぐわず成長しており、子作り準備はできているのだが、茜の方はまだ子供…。俺の前世の記憶にある倫理観が邪魔をして、流石に子作りはまだ無理である。だが、毎日夜になると「子が欲しい」と言い始め、何とか言いくるめて朝を向かえると「お迎えに上がりました」と起こされて…。
……平穏な毎日であった。
昼過ぎ。
山科邸に騎馬武者と荷車の一団がやって来た。先頭のひと際立派な馬に跨った男は見覚えがあった。偶々山科邸の門前を掃き掃除していた俺達は、一団に向かって挨拶をする。…なんで俺達が掃き掃除しているかというと、内密の話とかで古渡様がなんとかっていう公家の屋敷に行ってしまわれ暇だったからだ。
挨拶をした俺達に馬上の男は口上を述べた。
「堀久太郎である!大殿の代理で参った!古渡三郎五郎様に御目通り願いた…ん?」
口上の途中で俺に気付き、馬から身を乗り出した。
「……その鬼の面頬…。山科の面頬小姓、九郎忠広殿ではござらぬか?」
俺の名は面頬と共に伝わっているのか?
「如何にも九郎に御座います。堀様ほどの御方がどうして私の名を?」
「そうか、貴公が九郎殿か…お初にお目に掛かる。お噂は大殿や古渡様よりお聞きしておる。文も拝見させて頂いた。達筆で文章も非常に読みやすく、一度はお会いしたいと思うておった。……で何故そのような方が箒を持っておられる?」
久太郎様の言葉に俺は視線を箒に移した。そして引きつった笑顔を見せた。
「…実は主様は外出中でして…暇を持て余して…まあ、その」
「…暇潰しと言う訳ですか。」
久太郎様は豪快に笑った。
茶と菓子を屋敷内の女中にお願いをして俺は久太郎様を客室にご案内した。同行していた兵たちは孫十郎の案内で別の宿舎へ向かった。運んできた荷車は客室から見える庭に置かれている。…三台もある。気になりつつも久太郎様を中座に導き、自分は渡り廊下に座った。
「九郎殿。我と話をせぬか?」
…大丈夫かな。そもそもこのお方が生駒吉十郎という餓鬼を見知っているかどうかが分からん。下手に話の相手をしてバレると面倒事になるやも…けど断るのも失礼だ。……仕方がない。
「は…では、失礼いたします。」
俺はそう答えて部屋に入り、下座に腰を下ろした。久太郎様の舐めるような視線が少々怖い。
「ふむ、随分と逞しい身体をお持ちの様だ。筆捌きから細面なのかと想像していたのだが。」
「恐れ入ります。」
会話の方向性がなんとなく危ない気がする。何やら尻の穴を狙われている雰囲気。気を引き締めねば。
「出身は何処でござるか?」
これは嘘をついても言葉使いですぐばれてしまうので正直に答える。
「尾張に御座います。」
「…ほう。」
「とある寺で修行をしておりましたが、破却され流浪の末に京で古渡様に拾うて頂きました。」
「修行僧で御座ったか。なるほど達筆なのも肯ける。…して何処の寺か?住職はどなたかな?」
鋭い質問だが、顔を伏せ両手を付き「そこはどうかご容赦を」と柔らかく拒絶した。久太郎様は手を顎にあてて小首を傾げた。
「言えぬ事もあるということか。まあよい、可能であればその御住職に我も筆を習いたいと思ったのだが…そうじゃ、貴公の文に一つ気になる言葉があったな。」
どの文だ?最近はいっぱい書いているから見当が付かん。
「古渡様からの報告に武田の事について書かれておった。あれは何処からの情報なのだ?」
それか。文を書くときに古渡様に「気になることがあるようなら追記しておけ」と言われて、書いたっけ。
「…古渡様に御座り「貴公であろう?」」
…分かってるなら聞くなよ。
「どのような内容で御座いましたでしょうか?」
「…分からぬ訳ではあるまい?」
「久太郎様…私は古渡様の右筆に御座います。久太郎様と言えど、主の文の内容をおいそれと口に出すことなど出来ようはずも御座いません。」
俺の応えに久太郎様は微笑まれた。
「この程度では無理であったか…まあ合格かな?」
…試してやがったか!気に食わない性格だ。俺の中で好感度が下がっていく。
「大殿が嬉しそうに喋る男故、少々嫉妬紛いに試させて貰うた…失礼致した。ここからは本音でお話いたそう、まず用向きでござるが、帯刀様の御息女誕生の祝いを持って参った。」
ほーあの荷車がそうか。
「お二人ともご不在ならば文を残そうと思う。…代筆を頼めるか?」
何が本音で話そうだ?代筆を頼んで俺の書く字を確認しようと言う腹じゃねーか。俺は立ち上がり紙と硯と筆を用意すると、水も使わず墨を磨った。当然磨れるはずもなく、適当に磨ったふりをして筆にすれてない墨を含ませ、準備した。
「準備できました。御口上を。」
久太郎様は訳が分からず、一先ず口上を述べ始め、俺は筆を紙に滑らせていき、途中で久太郎様が噴き出した。
「わかったわかった!我の負けじゃ!降参する。」
「どうして私を試そうとされるのです?」
久太郎は姿勢を正し、表情を引き締められた。
「…“武田は駿河の海を狙うている”…。貴公の書いた文章だ。“今川”ではなく、“海”と書いたのが気になる。」
…鋭いツッコミだ。流石久太郎様。
「消去法に御座います。」
「…ショ、ショウキョ?」
「はい、戦には目的があります。武田は特に目的を達する為の手段として戦を上手に行います。」
久太郎様は肯かれる。
「ご存知のように武田は痩せた甲州だけでは兵力を維持できぬと信濃の大半を支配下に致しました。豊富な金を使って民を養う力も付けられました。…されど、その金が枯れかかっております。」
久太郎様が表情を変えられた。
「ならば、金に代わる民を養う力を手に入れようと考えるのが常套です。そのための次なる侵攻先と考えて甲斐信濃周辺で当てはまらない地域を消し込んでいくと…。」
「それが海か…。確かに津を手に入れれば、交易による利益が莫大…。だが貴公は何故金が枯れつつあることを知った?」
「掘り師の流れです。特殊な技能を持った職人は何処の国でも重宝されます。そういった職人の動きを見ればどこの国で何が起きつつあるか予想ができます。」
「貴公は掘り師が甲州に流れているのを知ってそう考えたのか?」
「いえ、その掘り師の何割かが国許に戻っていることから、“新たな金山を探したが見つからなかった”と判断いたしました。」
「だがそれだけでは…」
「はい、そこで目に付けたのが大殿の政策に御座ります。」
「大殿の?」
「津で活動する商人を支配下に置き、海を使った交易に御座います。海のない甲州では中々思いつかない発想にございますが、もし武田内に海を知る者が居れば…」
「信清か!?」
正解。彼ならば、信長様を例に挙げて海を手に入れるよう進言可能のはず。そうなると海を手に入れるのに最も易き場所は駿河一択である。義信廃嫡により、今川との縁も切れており既に国境では小競り合いも起こっている。北條を何とかすれば難しい話ではない。そこへ来て顕如からの要請。武田信玄は顕如の要請を理由に関東から米を買い込んだに違いない。そしてそれは温存しておき……。
「ほう…武田が米を集めたのは、我らに兵を差し向けるためではなく、駿河に進出する為と申すか九郎?」
突然声を掛けられ俺と久太郎様は振り向いた。そこには帯刀様がニヤニヤして立っておられた。
「おお帯刀殿!此度はおめでとうございまする!」
久太郎は大袈裟な手振りで祝辞を述べるが帯刀様は大した興味を見せず、上座に座られた。
「堀殿、父はまだ戻らぬ。代わりに私が用向きを聞こう。」
久太郎様は表情を改める。…ほうほう、祝いの品の運搬はついででございましたか。食えぬ御方だ。
「大殿は古渡様と権六様との仲を憂えております。」
「…やはり、叡山でのいざこざが尾を引いておったか。」
聞けば叡山の戦いの中で、柴田様の兵が古渡様の兵に斬り殺されているらしい。……俺じゃねーか。で柴田様はそのことを古渡様に詰問して、逆ギレされたそうだ。そんなことになってるとは知らなかった。
「父も潮時かもしれぬと申しておった。織田家の結束を高めるため、古渡の名を消すのが良かろう。」
帯刀様の言葉に久太郎様が頭を垂れる。俺はどういうことか理解が追いつかなかった。
「九郎、武田はいつ動きそうだ?」
「は?は、はい、遅くとも本格的な冬に入る前に決着をつけようとすると思われます。詳細は小田原の動きを見張っていればわかるかと。」
「ふむ、小田原へのけん制が成れば、駿河に攻め込むか…。堀殿、この件は武田の動きが落ち着いてからのほうがよいかと思うが?」
「我もそう思いまする。」
「では、父にはそう申しておく。…大丈夫だ。父は若い頃と違い、権力に興味を示しておられぬ。織田家は大殿と奇妙丸様の下で結束を固める。私も誰かの婿養子となって名を変えよう。…九郎、お前も“津田”の名を取り上げるからな。」
俺は訳が分からず平伏する。後で冷静に考え、織田家臣の結束を高めるために、信長様に最も近い親族を中枢から遠ざける話をしていたと理解する。…がその話をしていたのは、古渡様の養子と信長様の小姓頭というのが凄い。俺は淡々と会話を続けられる二人をただじっと見つめるしかなかった。
~~~~~~~~~~~~~~
1571年11月-
甲斐守護の武田信玄は、北條との条約が結ばれたことを機に駿河へと侵攻した。同時に徳川家康が遠江から駿河に侵入し領内を荒らした。武田との密約で駿河に侵攻したと思われ、御主君は家康に詰問された。三河衆の武田寄りの家臣が何人か放逐され、織田家と徳川家の同盟バランスが大きく織田家に傾いた。そして、これ以降徳川家に対する見方が大きく変わり、やがて内部分裂を引き起こすことになる。
私は家康と直接関わることがなかったため、全て御主君からお聞きしたことではあるが、「三河の狸」と揶揄するのを聞いたことがあった。
いずれにしても武田家がついに動きだし、その刃に今川家が掛かり、徳川家も掛かろうとしていた。
~~~~~~~~~~~~~~
堀秀政:「名人久太郎」と言われていたそうです。その由来は家臣を扱うのがうまく、また何をやらせても卒なくこなしたからだそうです。




