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8.再会

比叡山にて斬り合いを行った主人公はまたもうなされます。





 …頭がガンガンする。


 吐き気も酷い。


 人を斬ったせいだ。映画で見るような作られたシーンではない。生きている人間の身体から生き物のように吹き出す血を…全身は返り血で赤黒く汚れ、腹を斬られて内臓がずり落ちる姿を目にすれば、慣れていない者には生き地獄だ。


 柴田様の配下で大井某という男が、無理矢理寺に入ろうと俺達に斬りかかり、そこからは乱戦であった。瀬田衆の何人かが討たれ、大橋与三衛門も負傷した。俺も何人斬ったか分からん。…だが、寺には誰一人入ることなく、戦は終わりを迎えた。俺達は飲まず食わずで丸2日寺を警護し、帯刀様のお姿を見て、そのまま気を失った。


 意識を取り戻した時は法然堂の縁側だった。伝清殿が俺達を介抱してくれたそうだ。既に座主様は二人を連れて寺から去っており、俺は礼を言いそびれてしまった。


「座主様より言伝だ。…久しぶりに血沸き踊る武士(もののふ)を見た。私の心を躍らせるとはあっぱれ也。……だそうだ。座主様に御言葉を頂くとは羨ましい限りよ。」


 帯刀様に鞘で小突かれながら言われてもありがたくとも何ともない。俺は疲れもあって無言で会釈するだけであった。


 俺達は下山して山科に戻ったが、そこからは最悪であった。茜の顔を見て安心したのか倒れ込み、そこからは恐ろしい夢にうなされて、4日も寝込んでしまった。そしてその間に比叡山の件は片付いてしまっていた。



 比叡山にある寺はそのほとんどが破却となり、延暦寺の寺領は全て没収、延暦寺に加担した堅田衆も領地を召し上げられ、その歴史はいったん幕を閉じた。


 論功行賞は昨日山科で行われた。勲功第一は明智様で比叡山麓の坂本に領地を与えられた。続いて座主様を保護された帯刀様。皇子山がそのまま領地として与えられたそうだ。そして降将磯野様。かねてからの約束通り堅田を与えられたそうで、信長様、古渡様の御二人に礼を述べられている。柴田様、佐久間様、中川様も領地を与えられ、淡海周辺は益々織田家で固められ、浅井領は江北の一部だけに追いやられる形となった。

 延暦寺から高利で金を借りていた寺社、商人、大名たちへは信長様の名で「返済不要」の安堵状を送り、逆に周辺の有力寺社へは延暦寺の悪逆を書き綴った弾劾文書を送って牽制した。

 実際にこの戦いのあと、織田家に敵対する仏教勢力は本願寺以外は無くなっている。


 織田家は“守勢”を維持する上で最も邪魔な勢力を排除した。畿内に侵攻した三好軍は侵攻当初の勢いが無くなり、細川様、和田様によって抑えられている。摂津では織田方の兄、池田勝正を追放した池田知正が足利様に接近し、これを信長様に密告し摂津から追放した娘婿の荒木村重が摂津池田周辺を掌握して信長様に帰順した。平野郷は塙様の手腕により立て直しつつあり、その指揮権で堺も抑えられている。本願寺の抵抗も小康化し、畿内、近江、伊勢の一向一揆勢力が大人しくなった。本願寺と連動すると思われた甲斐武田だが、大量の米が運び込まれたという報告後、主だった報告が届いていない。

 対外的には足利家の家臣の立場を取る信長様は、形式上の主君である義昭様に延暦寺戦勝の報告を行い、労いを受けている。


 一先ずは落ち着いた状態となったが、俺は知っている。


 10月には武田が動き出すことを。

 翌年には松永久秀が敵対することを。

 秋には美濃岩村が武田によって襲われることを。


 そして信長様と足利様の決別。本願寺の再蜂起。


 まだまだたくさんイベントがあるのに…俺は前世の感覚が残っている為まともに奉公することも出来ずうなされていた。



 人を斬る感触。



 人の血を浴びる恐怖。



 人が死ぬ間際の断末魔。



 戦闘で味わう恐怖は、前世の感覚を持つ俺には苦痛であり、悪夢の根源だ。


 熱を帯び、眠ればうなされ、耳鳴りが止まず、落ち着く場所がない。




 …いや唯一の落ち着く場所はここか。




 茜の膝の上。



 茜の膝で横になり、髪を梳いてもらうことが安らぎだ。茜も俺の心の内を分かってくれているようで、俺が落ち着いて眠るまでずっと膝枕をしてくれる。


 そんな毎日を過ごして10日が経った。



 今日も茜の膝枕で心の落ち着きを図っている所に祖父江孫十郎がやって来た。


「古渡様がお呼びです。」


 俺は寝返りを打って茜の腰に抱き付いた。


「旦那様、山科の父上のお呼びです。」


 そう言って俺の額をペシペシと叩いた。俺は茜に無理矢理起こされ、しぶしぶ古渡屋敷へと向かった。


「…何用であろうか?」


「心当たりないと申されますか?…まったく、いつまで出仕されないおつもりですか?」


 孫十郎は文句を言ってきたが無理なモンは無理だ。俺みたいな“転生者”が一日中真剣で殺し合いなんかしてみろ。心が壊れるぞ!今は安らぐ必要があるのだ。…と言いたいところだが、悪いのは俺なので無言を貫く。


「…2~3発は覚悟為されませ。」


 孫十郎の突き放す物言いに俺は不安な表情のまま、古渡様の待つ大広間へと足を運んだ。




 広間には池田庄九郎が控えており、更に数名の小姓が平伏している。大橋与三衛門は先に清洲へ引き上げたそうでこの場にはいない。その代わり山岡景佐殿が下座に座っていた。更には中座に帯刀様が怒りの篭もった視線を俺に向けている。俺は一度帯刀様に平伏してから下座へと向かい、景佐殿の隣に座った。


「九郎!貴様は前に座れ!」


 帯刀様は怒鳴り声をあげ、俺は景佐殿に会釈をして前に座った。


 暫くして古渡様が来られた。…木刀を持っていた。広間に入り上座を乗り越え俺の前まで来ると木刀を思い切り振り払った。木刀が俺の左腕に食い込み、俺は座ったまま仰け反った。古渡様は木刀を放り出し呻き声をあげる俺の顔を蹴り上げた。一瞬跳んだ意識を何とか引き戻して俺は平伏し直した。古渡様は俺の髪を荒々しく掴んで引き上げ俺を睨み付けた。


「10日も何してた?」


「…熱を出して寝込んでおりました。」


「茜の膝の上でか?」


「…そこしか落ち着く場がなく…」


「たわけが!」


 俺の顔が床に叩きつけられた。相変わらずひどい仕打ち。俺はじっと耐える。古渡様は大股で上座に戻られ大きな音を立てて座った。俺も衣服を正し座り直す。…さすがの庄九郎が真っ青になってる。景佐殿も震えてる。…古渡様、やりすぎです。


「そこにいる景佐から申し入れがあった。」


 お構いなしに古渡様は話し始めた。景佐殿が慌てて頭を下げた。


「前にも言うておったが…景佐からも正式に貴様の家臣になりたいと言ってきおった。……物好きな者もいたもんだわ。」


 俺もそれには同意する…がなんでだ?俺はちらっと景佐殿を見やるが平伏したままで表情は見えなかった。


「…どうする?」


 古渡様を俺を睨み付ける。


「景佐殿につきましては以前にお聞きしております。されど……ありがたいお話なれど、私には禄もなく」


「何を言っておる?貴様の禄は孫十郎が管理しておるであろう。…孫十郎。」


「は、古渡様より100石頂いております。」


 はい?そんなに!?俺の意外な表情に古渡様が小首を傾げた。


「古渡様、九郎様は最近まで私が家臣であることを知らなかったご様子。…古渡様から言われたのではないのですか?」


「……いや、茜に説明するよう言うておいたのだが…。」


「茜さまは、何も聞いておられぬご様子です。」


「う、うむ?」


 古渡様は考え込まれた。…どうやら行き違いがあるようだが…。


「と、とにかく貴様にはちゃんと扶持がある!家臣にするのか!?」


 強引に話を戻したようだが、恰好がつかないな。…だが、近江の名家と繋がりが出来るのは悪くない。ここはありがたくお受けしよう。


「畏まりました。今日より山岡八衛門景佐を家臣と致しまする。」


 俺の言葉に景佐殿が平伏した。物好きな男だ。出仕する度に殴られるような男に何故仕えようと思ったのか後でじっくり聞いてやろう。


「九郎、此度の活躍、大殿にも報告しておる。大殿は「フン」と鼻で笑っておられたが、嬉しそうな顔をされていたぞ。」


 帯刀様は困った顔をしながらも笑顔で俺に教えてくれた。


「既に事の元凶、伊藤も居らぬ。貴様を遠ざけようとしていた生駒の連中も甚助に吸収された。まあ三郎の小姓衆に貴様を嫌う者がまだおるが、そろそろ良いのではないかと儂も考えておる……なあ奇妙!」


 古渡様は広間の奥に控える小姓衆に向かって声を掛けた。…「奇妙」と。


 俺は振り返る。


 平伏する小姓の一人がゆっくりと頭を上げる。


 俺の思考が止まる。


 相手がにこりと微笑んだ。




 思いがけぬ再会。



 そこには、小姓の恰好をした奇妙丸様が居られ……俺の驚愕する顔を見てクスクスと笑っておられ。


 変わらぬ笑顔に俺は涙を流した。



「…きびょおばるざばぁあ」


 声にならぬ声に若きご主君が答えられる。


「相も変わらずだな、無吉(・・)。」


 どっきりではないかと周囲を見渡すと庄九郎と帯刀様が平伏されていた。…間違いない。



「お…お久しゅう…ぐ、ご、御座り…ます!」


 色々な思いが込み上がるが、辛うじて言えた言葉。もう涙が止まらない。もう嗚咽しか出てこなかった。


 奇妙丸様は俺の様子を見て微笑むと、すっと立ち上がって前に出てこられた。俺の側まで来て軽く俺の肩に触れ、そのまま上座まで向かわれた。


 一同が平伏する。


 奇妙丸様は古渡様の隣に座られた。


「叔父上、もう少し無吉を眺めておきたかったのですが。」


「ふふ、儂は気が短いのじゃ。」


「父上ほどでは御座いませぬが。」


「あ奴と一緒にするな。」


「…嬉しそうですね。」


「当たり前じゃ、こ奴のこんな姿など滅多に見れぬ。」


「叔父上もお人が悪い。」


「じゃが、奇妙も満足したであろう。三郎の奴に気付かれる前に清洲へ戻られよ。」


「分かっております。」


 奇妙丸様が古渡様と会話をされた後、俺の方に向き直された。


「…九郎忠広。」


「は、はは!」


「延暦寺での働き…あっぱれである!」


 俺は無言で頭を床にこすり付けた。溢れ出る涙を堪えようと歯を食いしばるがどうにもならず、ひたすらに頭をこすり付けて奇妙丸様に無言のお礼を述べ続けた。



後で聞いたのだが、庄九郎が清州に報告したら奇妙丸様がすっ飛んで来られたらしい。





…あいつ「若殿さまには黙っておく」とか抜かしていたが、全然黙ってねえじゃん。




…だが庄九郎、礼を言うぞ。




山岡景佐:主人公の家臣となり、モブじゃなくなりました。


奇妙丸様:未だ元服の儀が執り行われず、幼名のままです。史実では1573年に元服いたします。

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