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7.比叡山焼き討ち(後編)

2019/08/28 誤字修正



 比叡山から帰って来た俺達を茜が迎えてくれた。どうやら色町に行ったものと勘違いして、泣き腫らしており、目が真っ赤であった。帯刀様のご正室の(きょう)様が説明してくれたようで、それでも茜は俺の胸をどんどんと叩いて自分の感情をぶつけてきた。俺は優しく頭を撫でてから素直に詫びた。



 後ろの二人(孫十郎と庄九郎)の視線が痛いのだが、我慢せねばなるまい。



 1571年8月。信長様は天台座主覚恕法親王の下山を待たずして、比叡山への侵攻を決断した。岐阜に古渡様と丹羽様、明智様が呼び出され、戻ってきた古渡様は苦々しい表情で此度の戦について説明された。


 全軍の総大将は信長様。五千の兵を率いて京見物を装って8月18日に出発される。


 横山城を守る木下藤吉郎様、長比城を守る池田勝三郎様が8月19日に近江の一向一揆勢を蹴散らして小谷城を包囲した。後詰に松尾山城の斎藤新五郎様、佐和山城の丹羽五郎左様が出陣し、浅井家は居城に押し込められた。


 8月21日に山科に到着した信長様を明智様と古渡様が迎えられた。8月22日には柴田様、佐久間様、中川様、竹中様が各々与力を引き連れて山科に入られ、二万五千の兵が集結した。



 織田信長  五千

 古渡信正  五千

 明智光秀  五千

 柴田勝家  三千

 中川重政  三千

 佐久間信盛 三千

 竹中重治  三千

 森可隆   三千


 帯刀様は本陣となる皇子山(こうしやま)城に入り、森様は宇佐山で後詰に回るため、実質は一万七千の兵が比叡山に入る予定。古渡様は山科で京への抑えにまわされた。



 古渡様は、8月の出兵は反対されたそうだ。座主様が下山されてから攻めるべきと主張したが、座主が居られるからこそ警戒を解いており今が好機と言って信長様は古渡様の主張を退けた。古渡様でさえ主張を退けられるともはや誰も意見を言う者はなく、黙って従うのみとなり前代未聞の座主様のおわす比叡山への攻撃が始まった。



「九郎……。玄以を連れて再び叡山に向え。せめて法親王様だけでも御救いする必要がある。責めは儂が全て受ける。行け。」


 信長様が山科に到着される前日に俺は古渡様から再び密命を受けて屋敷を追い出され、再び坂本へと向かった。今度は少しばかりの手勢を率いての入山である。

 前田玄以様、大橋与三衛門、池田庄九郎、山岡景佐殿、祖父江孫十郎と清州衆瀬田衆百名ばかりである。玄以様は僧衣の上から胴鎧を着こみ、完全武装で山を登り始めた。意外だったのは、俺のイメージでは前田玄以様は武芸はからきしと思っていたのだが、若い頃の玄以様はやんちゃくれのようで、今も先頭を切って登られている。与三衛門も庄九郎も毛利新左衛門様に鍛えられており文句を言わず登って行くが、景佐殿は三分の一ほどの辺りでへばってしまっていた。玄以様が「川侍(・・)の膂力とはそんなものか!」と叱咤されしぶしぶ足を動かしている状況であった。


 俺達の目的は、信長様の比叡山攻略に際し、座主様に危害を及ばぬよう座主様を護衛すること。玄以様を連れて行くのは座主様との交渉を行うため、古渡様は座主様を庇護することを諦めておらず、俺が失敗した説得を同じ僧侶の玄以にさせて見ようと言うお考えだった。(初めから玄以様にさせればよかったのにと愚痴を言いそうになったが、古渡様が俺を期待して命じられたのに失敗したので黙って従うことにした)

 先日とは異なり、日中の登山で夏の暑さもあってその速度は非常に遅かった。既に山の麓では織田軍が集結しつつあり、明日にでも押し寄せてくるはず。あまり時間がなく、かと言ってここで置き去りにすると、攻め寄せてきた織田軍に誤って殺されてしまうかもしれない。俺は一人の脱落者も出さず、且つできるだけ早く山頂に向かわなければならないという難題に直面し、焦っていた。


「孫十郎。」


 俺は殿(しんがり)の祖父江孫十郎を呼び寄せた。


「俺と庄九郎は玄以様をお連れして、先に寺へ向かう。お前と与三衛門は足軽共を叱咤しながら後から来てくれ。」


「はい、心得ました。」


「言っておくが、織田軍に追いつかれれば問答無用で斬り殺されるからな。…念の為に()は準備しておけ。」


「はっ。」


 俺は孫十郎に念押しして、玄以様と先へ進んだ。庄九郎が後ろから無言でついてくる。まずは玄以様を山の上にある寺(名前がまだ不明)にお連れすること。次に寺を守備すること。最後に瀬田衆と合流すること。こう優先順位を付けた。いつ織田軍が侵攻開始するか古渡様から聞かされていない以上、一刻も早く上に行かなくては。俺は疲れた足を叩き、上を目指した。






 1571年8月23日夕刻。織田軍は銀閣寺、佐和山、皇子山から一斉に比叡山へと雪崩れ込んだ。叡山の境内に入る幾つかの山門を制圧すると、参道沿いに並ぶ色町に一斉に火を放った。まだ多くの人が行き交う参道を封鎖し、放火する。人々は悲鳴を上げて逃げ惑い、衣服に火が燃え移ると奇声を発してのたうち回った。参道を封鎖する織田軍に向かって逃げて行った者は鉄砲や弓矢で撃たれ、山の方へ逃げた者は次の参道を封鎖する別の織田軍によって斬り殺された。

 織田軍は麓から徐々に参道を封鎖していき、その度に多くの人々が逃げ遅れて、火に焼かれ鉄砲で撃たれ矢で射られ刀で斬り殺された。

 腐敗した勢力とこれに群がる者共への苛烈なまでの鉄槌。後世語り継がれるであろう阿鼻叫喚。それが徐々に山頂に向かって迫ってきたのだ。


 俺達は、何とか織田軍よりも先に座主様がおわす寺に到着した。そこは延暦寺東塔でも東の端にある“法然堂”という寺院で、他の東塔の寺院より一回り小さいものであったが立派な建物には違いなく、俺は外から声を張り上げて呼びかけた。


覚恕法親王(かくじょほっしんのう)様!織田軍が攻めてまいりました。どうか我らに従いお逃げ下さりますよう!」


 俺の声を聞いて、伝清(でんせい)が中から現れ、木の焼ける臭いを嗅いで顔をしかめた。


「伝清殿!我らを信じて共にお逃げ下さいませぬか!」


 俺の言葉を聞いて躊躇いの表情を見せた伝清。しかし、直ぐに座主様が中から出てきて俺を睨み付けた。


「…いつぞやの武士(もののふ)か。もう遭わぬと思うていたのだが。そんなに私を織田家の元に連れて行きたいのか?」


「そのような悠長なことを言っておられません!織田軍は直ぐにでもここまでやってきます!早くお逃げ下され!我らは座主様が求められる場所にお連れ致します故!」


「ならば…私はここに居る!」


 天邪鬼すぎる!俺はぶん殴りたい気持ちを何とか抑えた。


「法親王様!初めてお目に掛かります。美濃前田の僧、玄以と申します。此度は山科の古渡様に無理を言ってこの者共とまかり越して御座います。」


 玄以様が俺の隣に平伏し座主様に御声をかけた。座主様は玄以様の衣服を見て目を細める。


「何用か?」


「数年前に私は修行僧として叡山を訪れました。そのころから叡山に住まう僧は堕落し、欲にまみれており…私は直ぐにここを立ち去りました。」


「…で?」


「この現状は天台宗を修る僧であれば誰もが知ることに御座ります。そしてその座主はこの現状を変えうることのできる唯一の御方と信じておりました。」


「……。」


「ですが、私の調べた限り貴方様は座主となられても何一つ行っておりませぬ!」


 玄以様がまさかの弾劾!俺は慌てて「玄以様!」と怒鳴った。


「この者の話を否定される前に御身のこれまでの行いをご否定なされませ!でなければ釣り合いが取れませぬ!」


「待たれよ!玄以様、戦場に立ち会うておかしくなられたか!座主様に何たる物言い「黙れ!」」


 俺は玄以様に一喝された。


「座主様、今からでも遅くは御座いませぬ。延暦寺のため、天台宗のため、次の座主様のため、我らに従われませ!」


 玄以様の話を聞いた座主様はニヤリと笑った。悪意のある笑み。


「私はここに居る。私が助かるかどうかは私が決める事ではない。…全ては御仏が決める事。」


 そう言うと奥へと消えて行った。それを見た玄以様は両拳で地面を殴りつけた。


「玄以様、そのお怒りはご尤も。されど今はここをお守りするのが最優先!間もなく瀬田衆がここに到着します。瀬田衆には織田の旗を持たせております。それさえここに建てれば安全になるはず。」


 俺の言葉に玄以様は歯ぎしりをしながらも肯いた。よほど座主様の態度に腹を立てたらしい。それにしても玄以様も中々のお人だ。


 やがて織田軍がやって来た。瀬田衆ではない。どこの隊の者か分からず、身構えたままの問答となった。


「ここは我ら古渡の分隊が守りし寺である!ここにおわすは前田の玄以殿である。貴様らはどこの隊か!?」


 俺の声に相手が反応した。


「我ら佐久間信盛の隊である!この旗がその証拠!貴様らこそ旗が無いがどこの隊か!」


 戦闘中は各々が何処の所属なのかを示すために旗印を持って行動する。やって来た一隊は佐久間様の家紋である「三つ引両」の旗と「織田木瓜」の旗を背負っている者が一人いた。…こちらは敵に見つかるとヤバいからそんなの持ってきていない。


「…貴様ら何奴か!」


 向こうはここまで戦をしてきた輩で気も立っており今にも斬りかからんという勢いだった。庄九郎が勇ましくも玄以様の前に立ちはだかった。だが俺も庄九郎も丸腰。…どうする?


「九郎様!お待たせいたしました!瀬田衆、山科古渡信広様の命により法然堂の守護にまかり越しました!」


 孫十郎の声がして見ると背に「織田木瓜」の旗印を背負い、尾根下から這い上がって来たところであった。見れば大橋与三衛門と山岡景佐殿が死にそうな表情でなんとか上がって来ており、俺はこっそりほくそ笑んだ。


「おお!間に合うたか!祝着至極!」


 俺の声に孫十郎が肯き、瀬田衆が持ってきた箱から例の物を取り出して両手で抱え込んで走って俺に手渡した。…俺的にはそこは孫十郎が投げつけてそれを俺がはしっと受け取ってという雰囲気だったんだが…さすがに孫十郎ではこれは重くて投げられなかったか。俺は受け取った大太刀を背負い、手を後ろにまわして接木を外した。するりと鞘の下半分が抜け落ち、上半分がぱかりと開いて刀身が露わになった。俺は柄を両手で握って刀を構えた。


「佐久間隊の者よ!我らは古渡様の命を帯びここをお守り致す者なり!下手に手を出さば…この大太刀がお主らの首を刎ね飛ばす!」


 佐久間隊の男たちは後ずさった。そこを狙って山岡景佐殿が遠吠えをすると、我先にと逃げ出した。景佐殿はその様子を見送ってから俺に視線を移してニッと笑った。


「……山科に鬼の面頬を付けたる怪僧あり。その背に四尺を越えし大太刀は如何様(いかよう)にして抜きたるものか。……山科周辺ではそのような噂を耳にしておりました。まさか私がこの眼で見るとは思いませなんだが。」


「景佐殿、噂は噂です。今見ていることは明日には忘れましょう。それよりも今は、ここに来る雑兵共から寺を守ることです。」


 俺はそう言い返して微笑むと景佐殿はフンと鼻で笑い返して俺の横に並んだ。そして槍をしごいて周囲に気を配った。


「この戦、生きて帰ったならば…一献願いたい。」


 俺はまだ未成年なんだけど、ここは受けるのが流儀だと考え、了承した。

 寺の中では、経を唱える座主様と山火事と戦場に響く声に震える女。そして震える両手で槍を握りしめ入り口に立つ若い男。俺達は少ない人数で寺の周囲をぐるりと囲い、逃げてくる女子供、僧兵を追い返し、駆け上ってくる織田軍に刃を向けた。



 ~~~~~~~~~~~~~~


 1571年8月23日-


 織田軍により比叡山への攻撃が行われた。

 延暦寺は、寺領でもある比叡山、岩倉に加え、坂本、堅田など、京の北東部一帯を勢力下に置いていたが、この戦いで、その全てを失った。叡山の参道で営んでいた人々はもちろん、延暦寺にいた高僧、上人たちも撫で斬りの対象として粛清され、天台宗の総本山としての全てを失った。


 辛うじて天台座主の覚恕法親王(かくじょほっしんのう)は難を逃れたが、織田家の庇護は受けず、戦の後、播磨へと向かわれ、行方知れずとなった。供は世話役の下女と護衛の修行僧のみであったという。


 そして、この戦で織田家は新たな問題を抱えることになる。


 古渡織田三郎五郎信広様と、柴田権六郎勝家様。


 連枝衆筆頭と重臣筆頭。


 二人の織田家ナンバー2争いの火種を作るきっかけとなったこの戦。…私はまたしても人を斬ったことによる高熱のせいで、そのことを知るのはもう少し先のことである。


 ~~~~~~~~~~~~~~



覚恕法親王:第166代天台座主。在任期間は二年ほどですが、延暦寺の敵対行為を追及されて甲斐に逃亡されています。


快:架空の人物です。


伝清:架空の人物です。


山岡景佐:瀬田城主、山岡景隆の弟で史実では本能寺の変後に羽柴秀吉に付き、関ヶ原後は徳川家康に付いた世渡り上手な御方です。…モブのはずです。


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― 新着の感想 ―
[一言] 人殺しして毎回発熱するなよ情け無いし、戦国時代に来て何やってんの倫理感とかアホじゃないの!熱によつて大事な事に対応出来なかったとか、毎回言い訳ばっかり全然面白くない、ワクワクしない作品だな。…
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