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4.物資の流れを追え




 生駒甚助様の指示で、約百名ほどの土田生駒衆が畿内に散らばった。その範囲は丹波、播磨、河内、大和、摂津、和泉とかなり広範囲に及ぶ。本当は伊賀と淡路にも人を送りたかったらしいが、淡路は荒くれ者が多くて危険と判断し、伊賀は豪族共の監視が厳しく潜入が難しいと判断してやむを得ず外したそうだ。

 後は米問屋の伊藤衆から横領米を怪しそうな堺の商人に売りつけ、何処へ流れていくか追っていくだけだそうだ。

 甚助様は三好家によって落城し放置されていた河内交野(かたの)城に情報収集拠点を置き、浅井新八郎政澄様を城番として一千の兵で守備についた。これで織田家の畿内で海老江、四天王寺、枚方、山科に続く5つ目の拠点として機能することになった。防衛兵力はそれほどではないが、物資を集積している枚方と連携することで防衛力はそこそこで有事の際には大和からも援軍を得られる。ここで6か月を目途に情報収集する。…けど俺は交野城から出ることは許されず、生駒衆からもたらされた情報を聞いて絵地図の製作を命令されていた。



 ここに引き篭もらされて既にひと月経った。未だ有益な情報が得られず、畿内の物流絵地図は殆ど描けていない。


「…甚助様、今日はまだどなたからも文が届いておりませぬが。」


 俺はため息交じりに甚助様に愚痴を言うが、甚助様は鼻息一つを返すだけで無言で文を書き続けていた。書いているのは大殿への報告だと思われるが、報告するほどの情報は得られていないはず。どんな内容を書いているのか気になって覗きこもうとしたら、墨の付いた筆で顔を撫でられた。


「な、何をされるのですか!」


 俺は懐から手ぬぐいを出して顔を慌てて拭いた。甚助様はむすっとした顔で俺を睨み付けた。


「儂が大殿と何をやり取りしているかは、お主には教えられぬ。お主の役目は地図を作ること。それ以外の情報は何も教えぬ。」


 甚助様の物言いに俺は手ぬぐいで顔を拭いながら反抗の目で見返した。甚助様は拳骨を俺に食らわした。


「勘違いするなよ。お主は古渡殿の義息としての地位ではあるが、実のところは新参者…山科でも只の記録係なのじゃ。ここで儂とは異なる手柄を立てねば周りからは認められぬぞ。ここで報告を待つだけでなく、頭ひねって考えろ。」


 墨の付いた筆を振り回され俺は部屋から追い出された。…考えろと言われても、城から出ることを禁止されているのにどうしろと言うのだ?…仕方なく俺は面頬で顔を隠して城内を歩き回った。土塁沿いにぐるっと一周することで甚助様が言われていることがわかった気がした。すれ違う人が俺を見て、余所余所しい挨拶をしてきた。俺とすれ違った後でヒソヒソ話をする者もいる。あからさまに挨拶しない者もいた。

 山科にいた頃は、屋敷と古渡様の間を往復するのみで、食事や身の回りのことは孫十郎や茜がやってくれていたから、周囲からどう見られていたのかわかってなかった。…こうやって古渡様から親しい者から離れないとわからないというのは、俺がこれまで恵まれ過ぎていたと言うことか。


 俺は大きく深呼吸した。気持ちを切り替えるのに深呼吸が癖付いている。


 それからは俺は積極的に行動に出た。登城すると全ての人に挨拶し、訪れた者とは一言以上の会話を行い、文を届けた使者とも見てきたことを覗うようにした。


「九郎よ…何か思うところがあるのか?儂の部下共がお主を気味悪がっておるぞ?」


 甚助様に呼ばれ、屋敷を訪れると開口一番聞かれた。このひと月、俺が積極的に話しかけるのを城の者は気味悪がっているらしい。俺は肩を震わせて笑った。


「このなりで、やたらと喋るのは気味が悪いですか…なるほど、おっしゃる通りです。」


「…おおよそ反省しておる様には見えぬな。…で何か掴めたか?」


「は、出所不明の兵糧が野田やら木津やらに流れ込んでおるそうです。」


 俺の回答に甚助様が目を細めた。


「…我らの撒いた餌以外に三好、本願寺に手を差し伸べている輩がいると?…ありえぬ話ではないな。で、出所は判っているのか?」


「いえ、それを調べるには新たな人手が必要に御座ります。」


 甚助様は考え込んだが、妙案が浮かんだようで手を叩いた。


「瀬田衆にさせて見るか。」





 近江国瀬田。


 淡海の南端から流れ出る瀬田川(京では宇治川と呼ばれている)に大きな橋を掛けて東岸に城で居を構える国人衆を、“瀬田衆”と呼んでいる。属に“瀬田の唐橋”と呼ばれる大きな橋は、古より大きな戦が起こる度に焼き払われ。瀬田の城主となった者が修築を繰り返していた。

 現在の当主は山岡景隆。川並衆と同じく川運業も営んでおり、京周辺の地理にも詳しいらしい。

 先の戦でも、宇佐山城への救援に駆けつけており、織田家大城郭図の一郭を担っている。生駒甚助様はこの国人衆を新たな物見衆として働かせようと考えた。




 …で、俺は甚助様に拉致られて瀬田城まで連れてこられた。城に入ると部屋に案内され、甚助様の後ろに控えて待っていると、見た顔の男が厳つい男を伴って現れた。二人は上座には座らず、甚助様の前に座られた。山岡家は佐々木氏の流れをくむ名家だが、今は佐久間様の与力として瀬田を預かる身。その辺は弁えているようで、信長様の直臣である甚助様を立てておられる様だった。


「山岡景隆に御座る。こちらは我が弟、景佐に御座る。」


 二人が揃って頭を下げる。


「丁重な挨拶痛み入る。」


 甚助様も礼を守って挨拶された。この間俺は空気になって様子を覗う。直ぐに話し合いが行われ、信長様の許可を得て、瀬田衆に一働きしてもらう旨を説明した。山岡様は、「織田の大殿さまのご下知なれば、喜んで働きまする。」と承諾された。そして隣に座る肉人間…もとい景佐様が瀬田衆を率いて一時的ではあるが甚助様の旗下に入った。




 そして俺は、何のために連れてこられたかが分からないまま瀬田城を後にした。




 交野城に戻った俺は、耳で集めた情報も踏まえて、土田生駒衆が畿内各地から収集した情報を元に、物流地図を描き始めた。モノの流れを地図に描き足していけば、何処が重要拠点なのかが瞭然になるはず。

 二日掛けて巨大な絵地図が出来上がった。広間に置いて、上から俯瞰的に地図を見下ろし「うん」と大きく肯いた。


 出来上がった地図は河内の一点に向かって伸びるものとなった。



 我ら織田家は畿内の各拠点への物資の運搬は、枚方に蓄積した物資を在地の商人に護衛を付けて渡して運搬させている。商人達は物資運搬のための独自の技術、知識を有しており、織田家はそのノウハウを利用し対価として護衛兵を付けた。商人側としても織田家の護衛が付くというメリットもあり双方がWin-Winの関係が成り立ったため、この手法で各地に物資を届けている。

 ただ商人たちは織田家の物資を運搬するだけでは商売が成り立たない為、枚方から平野郷(ひらのごう)を経由したルートで移動し、平野郷で売買を行ってから運んでいた。


 そしてあざとい商人は同じ手法で三好家、本願寺家からも物資を預かり、各地へと搬送している。阿波本国若しくは他国から受け取った物資は平野郷を集積地として各地に運ばれていた。平野郷は堺に次ぐ規模の自治都市で平野七家による合議制で運営されており、織田家が畿内に進出した際も、割と早くに恭順していたため、それほど注視してはいなかった。だが、平野郷に出入りする商人は平野七家の意を汲むものばかりではないようで、儲けるために、織田家と敵対する家とも商いを行っていたようだ。


「…こりゃあ、平野商人がごっそりと減るなぁ。」


 俺は思わずつぶやいてしまった。…それくらい大事(おおごと)だ。

 俺は沈痛な面持ちで出来上がった絵地図を持って生駒甚助様に会いに行った。



 甚助様も俺の作った地図を見て大きくため息を吐かれた。やはり平野郷が関わっていたというのは想定外であったようで、眉間に皺を寄せて地図を眺めている。


「…平野七家は知っていると思うか?」


 ようやく絞り出した言葉は平野郷の領主たちのことだった。俺は首を振った。


「彼らは領内の管理を合議制で行っております。出入りの商人どもが何処と取引しているかまで細かく把握できていないのでしょう。…自治領の大きな欠点とも言えます。」


 俺の言葉に甚助様は肯かれた。織田家のように中央集権型で管理している訳ではなく、上からの指示が徹底できないのが合議制の欠点だ。いずれにしても畿内屈指の名家も何らかの処罰を受けざるを得ない。



 話はそれだけではなかった。俺は、京から北東に伸びる一本の線を指さした。それを見た甚助様は顔色を変えた。線は二条と比叡山を結んでいる。


「……これが本願寺に手を差し伸べている輩か?」


 長い沈黙の後、土田生駒の当主が口を開いた。俺は肯首する。


「比叡山から二条へ。二条から高槻へ。高槻から本願寺へ。…どうやら、別の寺を経由して運び込んでいる様子です。」


 甚助様は大きくため息をついて、扇子を取りだすと自分の頭をペシペシと叩いて考え込んでしまわれた。





 ~~~~~~~~~~~~~~


 1571年4月-


 生駒親正様は岐阜へと足を運び、信長様に2つの報告を行った。


 1つは、平野郷が、三好、本願寺への物資集積地になっていたこと。これは平野七家が直接関わっている訳ではなく出入りの商人が欲を掻いてやっていることであると添えて報告した。それでも信長様は衾を蹴破って怒りを露わにされたという。


 そしてもう1つは、延暦寺が摂津高槻にある神峯山寺経由で本願寺へ物資を提供していること。我らは将軍様が延暦寺と本願寺の2つの仏教勢力を持て余すと考えていたのだが、このような形で2勢力と協力体制を整えるとは思ってもみなかった。


 さすがの信長様も報告の瞬間は呆気にとられていたという。この寺は歴史も古く、周辺武家からも手厚く保護されている。代表的な庇護者は…松永久秀様であった。


 史実を知る私にとっては、松永様が絡んでいる可能性を直ぐに考えたものだが、三好家と袂を分ち織田家に臣従していたはずの松永様が、これに関わっている可能性など、露ほども考え及ばなかったようだ。

 私は松永様反逆の可能性を生駒様に示唆してはいたが、生駒様はこれを信長様に報告はしなかったそうだ。……そしてそのことを強く後悔された。


 ともあれ、この報告を機に、織田家は比叡山への攻撃へと大きく傾いていった。


 ~~~~~~~~~~~~~~





 信長様の命で、平野郷制圧のための軍が編成された。明智様を大将に、細川様、塙様、坂井様の総勢八千が、交野城から平野に向かって進発した。


 出発の刻は夜半。平野には明け方に到着する。東と北から一気に街に雪崩れ込み、平野七家を含む全ての商家を抑える手筈になっている。

 だが俺はこの軍には参加していない。俺は古渡様より密命を受け、一人で比叡山に忍び込まなければならなくなった。


 天台座主、覚恕(かくじょ)法親王様にお会いする為である。


 覚恕様は、主上様の弟君にあたられる御方。“父無し子”の俺が簡単にお会いできる相手ではない。つまり夜陰に乗じて強引に面会するのだ。


 何のために?



 …比叡山に籠もる悪僧共を討ち取るためにだ。覚恕様にお会いし事の詳細を理解してもらい、密かに比叡山から脱出させて、焼き討ちを実行するそうだ。焼き討ちの実行時期は俺に掛かっているとまで言われた。……ハンパないプレッシャーである。





 …俺、生きて帰れないかも知れない。




山岡景隆:江南の有力国人です。史実では織田家内でも重臣クラスだったようです。

山岡景佐:織田家⇒豊臣家⇒徳川家と仕えた武将だそうです。


二人はモブです。


瀬田衆:古くから瀬田の唐橋の修築と、川運業を営んできた脳筋集団だそうです。実際に山岡家が牛耳っていたかまではわかりませんでしたが、本物語では山岡家の配下とさせて頂きました。


平野七家:坂上田村麻呂の時代より平野の地を領有する由緒正しき家柄・・・と言われています。あの安井道頓もその一家だそうです。


神峯山寺:大阪府高槻市にある、天台宗のお寺で1000年以上の歴史を持っています。

古くから、畿内の武家の信仰が厚く、楠正成や松永久秀が手厚く保護していたそうです。

本物語では、物資横流しの中継地として登場しますが、史実にはそんな事実はございません。

(実は作者は高槻生まれなので、神峯山寺は子供のころから知っている思い入れのある寺です。

なので、このような形で寺の名を出すのにはかなり躊躇致しました)


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― 新着の感想 ―
[一言] 転生者の設定にする意味が無い、全然歴史知識使わないし、直ぐにビビるし、言い訳が多いし、吉乃の看病に関しても血が足りない訳だから増血作用のある物を食べさせる事をすれば良かったと思うし、歴史知識…
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