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19.再会




 坂本から宇佐山城への撤退を完了した竹中半兵衛重治は、宇佐山城の守備を森三左衛門可成とその子、傅兵衛可隆に任せ、五千の兵を引き連れ美濃松尾山城に引き上げた。

 彼らを迎えたのは、横山城の城番を任されている木下藤吉郎秀吉と、長比城の守備についている池田勝三郎恒興であった。二人は涼しい顔で帰って来た半兵衛に一礼して引き連れた兵を受け取り、指示を与えていく。半兵衛が率いた五千は彼らの兵であった。木下隊から二千。池田隊から二千。そして松尾山に控える斎藤新五郎利治から一千。これらを借り受けて、江南を駆け抜けて森隊への救援に向かったのだった。木下隊は横山へと引き上げ、半兵衛は勝三郎と共に松尾山城内に入る。幾つかの指示を出した後、御殿で待つ主君に報告に向かった。


 半兵衛の主君にあたる織田奇妙丸は、御殿の大部屋で上座に座り、半兵衛の到着を待っていた。左右には小姓の丹羽源六郎氏次、大橋与三衛門重賢、森勝三長可、池田庄九郎元助、そして島田弥右衛門秀満が控えていた。やがて荒尾平左衛門成房に伴われて半兵衛、勝三郎、新五郎が大部屋に入ってきた。三人は甲冑を着たままの姿でカチャカチャと音を鳴らしながら歩いてくると、主君の前でゆっくりと座る。そして両の拳を床に付けて平伏した。奇妙丸は満足げな笑みで肯いた。


「半兵衛、ご苦労であった。」


 主君の労いの言葉に真ん中に座る細面の青年が「は」と応えた。


「御主君の方に何事もなく、一安心致しました。…守備兵の7割を救援のために引き連れましたので、内心は冷や冷やしておりましたが。」


 そう言うと、半兵衛は顔を上げて笑った。


「絶対に攻めて来ぬという確証があったから、私に献策したのであろう?」


「戦に絶対などありませぬ。もし敵に猪突な将がいれば、攻めて来たやも知れませぬ。…故に大殿へのご挨拶する間も惜しんで戻って参りました。」


「よい。父上には私から話して私が叱られよう。勝三郎も新五郎叔父上も大儀であった。兵権はそなたらに返そう。」


 奇妙丸の言葉に二人は同時に頭を下げた。



 7月に起きた阿波三好軍の攻撃は、当初織田方有利であった。織田信長は阿波三好と袂を分った松永隊を引き連れ、落城した古橋城から逃げて来た三好義継と畠山昭高を保護すると、そのまま阿波三好に襲い掛かり、敵を野田城、福島城まで押し込めた。後は兵糧攻めで弱らせればよいだけであったが、ここで状況が大きく変わる。大坂本願寺が阿波三好の救援のために蜂起した。

 一向宗(浄土真宗本願寺派)の門徒は畿内、加賀を中心として北陸東海中国に広がっており、これらが11世法主、顕如の檄文に応じて織田家に反旗を掲げたのだ。これにより浅井、朝倉家は軍が増強され、東伊勢に新たな勢力が立ち上がり、畿内の一向宗の国人達が織田家に刃向うこととなり、織田信長は一気に窮地に立たされた。

 伊勢長島には、織田信興、長野信包、滝川一益が向かい、江北の守備として木下秀吉、池田恒興、斎藤利治が兵を整え、江南の抑えとして、柴田勝家、中川重政、佐久間信盛が残り、古渡信広が京を守護した。当に織田軍の全軍が各地に散らばっていた。

 9月に入り、浅井、朝倉軍が近江を南下し、森隊が坂本で迎え撃った。初戦は森隊が勝利したが、その後比叡山から僧兵が援軍に入り、森隊と援軍に駆けつけた織田信治隊が全滅の危機に陥る。しかし、竹中隊が駆けつけ敵を蹴散らし、宇佐山城に撤退すると、戦況は膠着した。



「半兵衛、左近(滝川一益のこと)から文が届いた。…面白いことが書いてあるぞ。」


 奇妙丸が手紙を半兵衛に投げるとそれを両手で受け取り、開いて読み始めた。途中で紙を広げる手を止め、肩を揺らして笑い始める。側に控える小姓たちはどうしたのかとじっと見守っていた。一通り読み終えて綺麗に畳んだ手紙を小姓に渡すと、大声で笑い出した。


「吉十郎は、まことに面白き男に御座りますな。」


 半兵衛の口から“吉十郎”の名を聞き小姓たちが慌てて手紙にかぶりついた。


「無吉は初陣を済ませたようだな。」


「…初陣と呼んでも宜しいのでしょうか。…されど本願寺の将を屠ったことは事実。大手柄だと考えまする。」


「一応、千秋と祖父江に相談してみるが、これだけでは功績としてはまだ足らぬのであろうな。…それに小折生駒の件もある。文には古渡の叔父上のところに向かったそうだが…。」


 そこまで言うと、側に控える島田秀満を見た。心得たように秀満は一礼する。


「若殿の仰せの通り、護衛を付けて古渡様の下にお届けいたしました。」


「ご苦労。」


 奇妙丸の言葉にニカッと笑って秀満は応えた。島田は最初こそ主君である奇妙丸を舐めた態度で仕えていたが、その才覚が目覚め始めるといち早くこれに気づき、やがて真剣な面持ちで若殿に仕え始めた。今は清州の縁の下を支える奉行職をほぼ担っており、彼の推薦で若くて有望な官僚系の部下を多く抱えていた。


「あ奴!なんでこんな無茶苦茶なことを!」


 源六郎が声を荒げ、奇妙丸はそちらに目を向けた。与三衛門と源六郎が手紙を持って憤慨した表情をしている。奇妙丸はくすりと笑った。


「普通は誰もこんなことなどせぬよ。あ奴だからこそ思いつき、行動し、結果を出しやがった。…そう考えれば私は頼もしい男だと思うが。」


 小姓衆の中で年長の源六郎は主君を正視した。


「若殿、あ奴は、我ら小姓衆の中では最も命を大切にせねばならぬ男です。」


「無吉は今は牢人ぞ?」


「あ奴の居場所はここです!」


「何故お前がそこまで言う?」


「あ奴は若殿にとって無二の友だからに御座います!」


 源六郎の言葉に奇妙丸は大笑いした。


「私は、お前達も“友”と想いたいのだがな。」


「そ、そんな恐れ多い!」


 慌てて源六郎は平伏する。流石にこれを見ていた半兵衛も笑い始めた。勝三郎や新五郎は腹を抱えている。見かねて勝三郎は源六郎に話をした。


「儂も若い時は大殿の友として野山を駆け巡った。今でもふとしたことでそれを思い出し、大殿と酒を飲むこともある。…小姓は主を守る家臣ではあるが、時には友として馬鹿を言い合うことも必要ぞ。」


 池田勝三郎の言葉に小姓共は困惑しながらも肯く。半兵衛はそれを羨ましそうに見て笑っていた。



 10月に入り、奇妙丸はこれ以上清洲を離れて行動していると父親である信長の叱責を受けかねないと考え、守りを叔父の斎藤利治に委ね、尾張へと帰って行った。これと入れ替わるように京から織田信長が松尾山城に戻り、今回の森隊救援に際する勝手について不問に付する書状を書いて清洲へと送った。木下秀吉や池田恒興は主君の怒りが息子に向かなかったことに安堵するが、信長の表情は険しく、岐阜城に戻るなり奥へと引っ込んでしまい、数日姿を現さなかった。





 10月2日。


 俺は、滝川様の陣を離れ、伊賀を迂回するルートで京へと向かった。途中で美濃に戻る信長様の一団を見かけて慌てて隠れ、誰にも会うことなくなんとか大津まで到着したが、ここで熱に冒された。小さな寺を見つけ、銭を渡して、泊めてもらうが、夜には食事ができぬほどの高熱を発した。



 俺は毎夜うなされている。


 忘れようとしても、赤黒い血が飛び散る様が目に焼きつき、眠れずにいた。この熱は睡眠不足からくる疲労。わかっているのだが、眠ることができない。それが毎晩続けばぶっ倒れる…実際にぶっ倒れたんだが、本当にヤバい。何とかしてあの光景を忘れたい。そう思っても目を閉じればまぶたに焼き付いているのか直ぐに切り刻まれた血だらけの死体を思い浮かべ、胃の中が逆流した。



 一夜明けて、幾分すっきりした俺は住職に礼を言うと、京へ向かった。あの後意識を失ったお蔭で睡眠もとれ、顔色も良くなった。だが夜になればまた悪夢にうなされるのかと思うと辟易した顔になる。こんな調子では、京に戻っても古渡様の御役に立つことなどできない。…この世では人の命を奪うのは日常。だが、前の世を覚えている俺にとっては、どうしても受け入れられない。…だが受け入れなくては生きていけない。


 しかし人間とは考えれば考える程、あらぬ方向に考えが向いてしまうものだ。頑張って忘れようとすればする程、鮮明に光景を思い出しては気分を悪くしてしまっていた。



 数日かけてどうにか京の古渡屋敷に辿り着いた。門番は俺のことを覚えていたようで、俺を見つけるなり慌てて他の者を呼び、手荒に俺を確保した。


「主様のお達しに御座る。多少痛めつけても良いから逃げられぬように致せと。これもお役目!ご無礼仕る!」


 そう言って俺は縄に括られ、牢屋に放り込まれた。暫くすると若い武士がやって来た。男は俺の前で立ち止まるとニコニコした顔で俺に話しかけた。


「これで二度目に御座います、吉十郎()。」


 見上げると、見覚えのある若い男が覗きこんできた。男は牢番から鍵を預かり、自ら開けて中に入ってきた。そして俺を縛る縄をほどき、俺の前に座り込んだ。


「…孫丸様。」


 俺は男の名を呼んだ。男は岐阜城で信長様の小姓を務めていた祖父江孫丸であった。


「今は、祖父江(そぶえ)孫十郎秀綱(ひでつな)と名乗っております。つい先日、京での役目を仰せつかって古渡様の屋敷におります。」


 なんと、小姓から元服して仕事を与えられているのか。…出世したのかと俺は嬉しそうに微笑むと、両手をついて頭を下げられた。


「今、古渡様に使いを出しました故、もうしばらくここでお待ちを。」


 ここまで俺に丁寧にされる孫丸様…孫十郎様の真意を俺はまだ理解していなかったが、勝手に出て行ったのは自分であるため、牢の中で待つことなど苦にはならなかった。俺はその間に孫十郎様に現在の情勢についてお伺いし、状況が織田家にとって良くない事を改めて理解した。





 俺が牢屋に入れられて2日後、古渡五郎三郎信広様が戻って来られた。古渡様は、先日挙兵した延暦寺へのけん制のために、銀閣寺にまで兵を出していたが、孫十郎様の文を受けて急きょ戻って来られたのだ。

 俺は、孫十郎様と接見する部屋に入る。女中が数人頭を下げて座っており、古渡様はまだ来られていない。俺は中央に座り姿勢を正して古渡様を待った。

 暫くすると甲冑の音が聞こえる。俺は両手をついて平伏した。ガラッと障子が開く音が聞こえガシャガシャと甲冑のこすれる音が近づき、ドカッと思いきり蹴られた。俺は吹っ飛び床に転がったが直ぐに平伏し直す。


「申し訳ございませぬ!!」


 古渡様は俺を鋭く睨み付けた後、上座に座った。走ってきたせいもあり息が荒いが大きく深呼吸を繰り返して呼吸を整えた。


「…今ので、許してやる。だが次は無いぞ。」


「は!」


 俺はすぐさま返事する。信長様と同じく気が変わればすぐその場で首ちょんぱも辞さない御方だ。俺は這いつくばるように平伏した。


「何度も言うが、貴様は織田家を追放された身だ。今のままでは貴様の居場所はここにはない。…故に名を変えろ。儂の娘をやる。ちょうど尾張から娘を一人養女に貰ったところだ。…(アカネ)!」


 部屋の隅に控えていた女中のうち一人が平伏したまま一歩前に出た。


 明るい柿色と薄い桃色で染められて活発そうな着物を纏い、幼げな指で手を付いて頭を下げていた。


「尾張で父母を失い、路頭に迷うところを奇妙が助けられ、見目も悪くない故、儂が養女に迎えた。貴様にくれてやる。」


 俺は顔を上げ、“茜”と呼ばれた養女を振り返り見た。彼女の姿を見た俺は固まった。





 …あの着物の生地、見覚えがある。




 昨年、京で買った物だ。…(ヒメ)様のために。




 娘が顔を上げた。


 俺は目を見張る。



 小折の城で俺に微笑んでくれたその顔がそこにあった。幼さが残る顔に薄っすらと涙を浮かべた少女があの時と同じように微笑んだ。



「……吉十郎…様。」




 俺は娘の声を聞いて、我を忘れて立ち上がり、娘に跳びついた。


「姫様!姫様!…ヒメ!ヒメ!ヒメ!」



 俺は正座する姫様に馬乗りになり、両腕でその細い身体を抱きしめた。



 俺の突然の行動に、周りはびっくりしたであろう。だが、俺にはそんなことなどどうでもよく、ただただ姫様を抱きしめたかった。


「済まぬ!申し訳ござらぬ!俺はお義父上を!俺は生駒の名を!俺は姫様を!」


 込み上げてくる言葉をただ並べて口にするのが精一杯であとは痛いと思われる程きつく抱きしめて泣きじゃくった。



「ちっ……こんなものを見せつけられるために儂は戻って来たのかい!」


 古渡様が毒づくが、俺にはその言葉は耳に入らず、ひたすら姫を抱きしめていた。








祖父江秀綱:孫丸の名は史実に有りますが、諱は分からず仕舞でした。よってそれっぽく名付けさせて頂きました。


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