18.包囲網崩し
主人公の人斬りのお話です。
主人公は人を殺します。そしてそのことに今話だけでなくこの先ずっと悩むことになります。
大坂本願寺からの檄文が各地に届けられた。これより全国の一向宗門徒が織田家に対して刃向かうことになった。
ここ長島も一向宗門徒が蜂起した。だが、この門徒を束ねる願證寺証意はいない。家族と僅かな近臣を従えて長島城へと逃亡していた。長島城はすぐさま織田家に救援を依頼し、滝川一益隊と長野信包隊が長島に上陸した。尾張側の岸には織田信興隊が、伊勢側の対岸には滝川一益隊が豪族の決起を抑え込み、河内への街道を塞いだ。
願證寺は五千の兵と二万の一向門徒を抱えて孤立、長島城から八千の織田軍に城を包囲される形になっていた。
「おのれ!証意め!命欲しさにどこへ逃げやがった!」
頼旦は証意の部屋を荒らし回りそこら中の書を引き裂き、暴れに暴れていた。部下の制止も聞かず槍でそこら中を突いて壊しまくっていた。
「頼旦様、お気が済みましたら私の話を聞いて頂けますでしょうか。」
俺は暴れ狂う頼旦を前にじっと座って待っていると肩を大きく震わせた頼旦が暴れ回る無意味さにようやく気がついたのか槍を床に突き刺して座り込んだ。俺はさっと一枚の紙を手渡す。それは、俺が証意様宛に書いた書状。さっき脳筋の部下が拾って来た奴だ。
「このようなものが見つかりました。」
頼旦は紙の中身を読んでビリビリに破いてしまった。怒りで顔が真っ赤である。
「誰かが、証意と密談をしたってことか!?」
「はい…そして、その密談に基づきここを出て行ったものと思われまする。」
「どこへ!?」
「恐らく長島城…」
「おのれ!今すぐ長島城に総攻撃だ!」
「お待ちください!それは余りにも無謀です!それに万が一ここを奪われでもしては大坂におわす法主様のご期待を裏切ることになりまする!」
法主と言う言葉を聞いて、顔を青ざめた頼旦は返って我に戻ることができた。座り込んで思案し始める。だがすぐに「ぷしゅ~」という音が聞こえてきそうなくらい案が浮かばず頭から湯気を立ち上らせていた。考える力が無いのなら考えられるものに聞きゃあいいのにと心の中で毒づいて、俺は一歩前に進んだ。
「畏れながら。まず現状を法主様にご報告申し上げるべきかと。それから、門徒達に戦う術を持たせましょう。兵糧は十分に運び込みましたので、敵をできるだけ長く長島に留めさせれば敵の兵力を分散させることができます。こちらは門徒含めて二万五千を抱えております。できるだけ長島城にて多くの敵と対峙することで、他の戦場への貢献となりまする。」
俺の言葉に他の脳筋集団が肯く。「おうおう!」と騒ぎ出す。この場のリーダーは頼旦。表情もやる気になってきたようで笑みも浮かべた。
「忠信、貴様の中には何か策があるようだな。申して見よ。」
「は、長島城に攻撃を仕掛けましょう。城を落とす必要はございません。本願の士気の高さを見せつけ、援軍を呼び寄せるようにいたしましょう。それから…」
俺は次々と献策を行い、そのひとつひとつに肯いて、家臣に指示を出していった。部屋から一人減り二人減り残り十人を切った。…やばいこれ以上献策することがない。仕方がない。
「頼旦様、我らも動きましょう。まずは西に陣取る滝川軍です。」
「おう!」
頼旦様が立ち上がり、部屋から西側の川を見回した。暗闇に篝火の明かりが対岸にひしめき合っている。恐らく滝川左近様の軍。川を渡る船は既になく、向こうへ行くには泳ぐしかないか。…いや、竹槍を束ねて即席の船を作れば渡れないこともない。長島城は、頼旦の部下が兵を率いて向かっているので、そっちには逃げられない。…覚悟を決めよう。
息を吸う。
息を吐く。
繰り返して呼吸を整える。
背中の鞘についた接ぎ木を外す。音もなく鞘が外れて大太刀の刀身が姿を現す。
太刀を振るうだけ、新左衛門様、小平太様より扱かれて扱いは身体が覚えている。
覚悟は決まった。呼吸を整えろ。音もなく歩み寄れ。太刀を振るう間は行きを止めろ。天井に気を配れ。周囲に警戒しろ……。
ヒュン!
俺は一人目を袈裟斬りした。滑るように斬れた。そのまま太刀を左手一本で大きく左側に振り払う。坊官二人の顔が鼻下から斜め上に削がれた。何かグロいものが飛び出したみたいだが気にしてられない。
俺は振り払った刀の遠心力を利用して身体を横に一回転させて一歩前に踏み出し次の坊官を斬る。そのまま次も斬る。斬る。
異変に気付いた頼旦が振り向くが間髪入れず奴の首をはね上げた。残った身動きすらしていない坊官を薙ぎ払うように斬る。ただひたすら斬る。そして相手に反撃させる暇を与えず全員切り倒してようやく俺は息を吐いた。
人を斬った。
十人も斬った。
だが、感傷に浸っている場合ではない。
死体の服で太刀に付いた血を拭き取ると鞘に納めて素早く館を出た。蔵に向かい中から十数本の竹槍を持出し、麻紐できつく縛った。太刀も竹槍の束の中に入れて見えなくした。これに抱き付いて川に飛び込めば浮くだろう。
願證寺を抜け出た俺はひたすら長良川へと走った。途中に一向門徒が作った砦がいくつかあるが、今の俺は束ねた竹槍を運ぶ坊主にしか見えないはず。体力の続く限り走って川岸にたどり着くと、俺は僧衣を脱いで川に流し、竹槍の束を再度確認してから飛び込んだ。竹の即席筏にしがみ付いて対岸を目指して泳ぐ。
河の冷たさが感じられない。…というよりさっきから肌の感覚が全くない。なのに血の匂いが鼻にこびりついている。…初めて人を斬った。…殺したという感覚がないが体の震えが止まらない。
この太刀は切れ味が良いのか?滑るように刃が肉も骨も斬れた。館に居た者で生き残っている者はいないはず。誰にも見つかっていない。川を渡りきれば織田軍だ。助かる。助かるはずだ。…なのに怖い。先程から胸が焼けるように熱く、むかつきがひどく、何かが込み上がってくる。…慣れるしかないのか。こんなことで怯えていてはご主君を守ることなんてできん。
俺は川を横断しながら必死に自分を叱咤した。それでも込み上げてくる恐怖は治まることは無く、対岸に着いた時には震えで一歩も動けなくなってしまった。
朝日が昇り、川岸を見回りに来ていた織田軍の兵に見つかり、俺は連行された。
丁度、朝飯として湯漬けを準備している所だったようだ。ふんどし一枚の姿で陣幕の中へ連れてこられた俺は、見知った顔が確認でき安堵した。
「…懐かしの顔をこんなところで見るとは思わなんだ。」
床几に座り、椀を片手にした男が低い声で俺に話しかけた。
「お久し…ぶりに…御座います、左近様。」
よかった。ここは滝川隊の本陣であった…。安心が身体中に行き渡り、全身の力が抜けていく。
「…酷い顔をしてるのぉ。それに何故裸なのじゃ?長良川で倒れてたと聞くがどうした?」
「先ほどから質問ばかりに御座います。…左近様、出来ますれば、お人払いを…。」
滝川様は椀を矢盾を並べた机の上に置き、無言で周囲を見回した。何人かの武将が一礼して陣幕を出て行った。中には俺と滝川様と腹心の方のみとなった。
「これでよいか、吉十郎?」
俺は久しぶりにその名で呼ばれ、思わず笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。実は…」
俺はここまでの経緯を全て話した。大坂本願寺に潜り込み、長島への増援隊に組み込まれ、願證寺証意との密約で、長島城へと逃がし、下間頼旦ら十人の将を斬ったことを。…当然、左近様は大いに驚かれた。
「…しかし、大胆なことをやるものよ。恐れ入ったわ…。大殿が只ならぬ者と言うのも肯ける。では聞くが、願證寺には兵を率いる将は居らぬのだな?」
「何名かは居られると思いますが、二万もの門徒を率いるだけの将は居りませぬ。今は私の献策で数備えが長島城周辺で暴れておりますが、頼旦が斬られたことを知れば願證寺に引っ込むでしょう。あとは、長島に詰めた五千の兵と信興様の兵で囲ってしまえば無力化できます。」
「なるほど…彦七郎様(織田信興のこと)に伝令を走らせよう。…で、伊勢側はどうするつもりじゃ?」
「こちらは滝川様だけでは、抑えきれず一向宗側に旗を立てる豪族が出てくるでしょう。北伊勢の織田家に恭順している者を呼び寄せ、兵力を増強なされませ。」
滝川様は腹心の1人に顎で合図すると、さっと出て行った。
「もしかして、一向宗の蜂起の前に願證寺証意の名で我らに密書を送らせたのもお主か?」
俺は無言で笑みを返した。だが滝川様の表情は硬かった。
「追放の話は聞いて居おるが…お主のような男が織田家を裏切るとは思えぬ。…やはり生駒を乗っ取ろうとしていたと言う噂はでまかせであろうな。」
そんな話が出ていたのか…出所は伊藤盛清か藤八郎様であろう。
「生駒家はな…浅井家に情報を流していた罪で、取り潰しとなったのじゃ。」
…な、なんて?
「織田家の下で働いていては報われぬと、浅井家に乗り換えようとしていたのだ。」
「家長様がそのようなことをするはずが御座いません!」
俺は声を荒げて言い返した。
「誰も八右衛門殿のことは言っておらん。…盛清じゃ。あ奴が生駒家を浅井家と結びつけたのじゃ。当主が幼いことを良いことに家臣共が好き勝手にやり出してな。盛清の伝手で浅井家と通じおった。」
「小折は、小折はどうなりましたか?」
「…没収じゃ。幼い子らも土田生駒の者が引き取った。一族の大人は磔にされたがの。…だが盛清だけは逃げ押せた。」
俺は地面を殴りつけた。
俺を愛してくれた家長様の小折が…
俺の大切な姫様の居られた小折が…
もう涙は枯れ果てたと思うていたが…悲しくなると泣けるものなのかと唇をかみしめた。
2~3日滝川様の陣で療養させて頂いたあと、俺は京に戻ることにした。滝川様からも京の古渡屋敷にて謹慎するよう注意を受けたからだ。今の俺は織田家から追放を受けている身で、俺の事情を知らない者が俺を見つけた場合、織田家に通報するかもしれん。下手をすれば命を狙われる可能性もある。そうなってしまうと信長様も千秋様も体面上俺を守る態度はできなくなる。そうならないよう木下様が段取りを組んで京まで案内してくれたのにそれも無駄にしてしまう。
俺は反省して大人しく京に戻ることにした。人を斬った感触が手に残っている俺は、暫くうなされそうだとも思っている。
いずれにしても、伊勢は滝川左近様が抑えられそうなので、俺は別の場所で包囲網崩しを考える。恐らく摂津か大和になるだろう。
その前に古渡様に謝らなければ。
俺は滝川様にお礼を言うと、河内へ向かう街道を西へと向かった。
~~~~~~~~~~~~~~
1570年9月-
伊勢長島で蜂起した一向門徒は織田軍によって願證寺に押し込められた。住職の願證寺証意は事前に織田家へ庇護を求めて逃亡しており、伊勢における一揆の旗頭のない状態で周辺豪族からの参加も援助もなく、蜂起当初から孤立した。織田家は長野信包、織田信興の八千で願證寺を包囲し、一年後に降伏を受け入れた。
同月-
浅井朝倉軍が三万の兵で淡海を北岸沿いに南下した。近江宇佐山の城主、森可成は坂本まで撃って出るが、延暦寺からも僧兵が出陣し、北と西から坂本に雪崩れ込まれた。京から織田信治隊二千が加勢に向かったが、浅井朝倉軍はこれも飲み込むように包囲した。
この時信長様は、摂津で三好三人衆と対峙しており、援軍を出す余裕はなく、森可成様、信治様は風前の灯となっていた。
だが、ここで突如南から五千の軍勢が延暦寺の軍に襲い掛かった。長蛇の陣で敵陣を突破したかと思うと偃月の陣へと変えて僧兵の集団を切り崩した。逃げ惑う僧兵によって浅井朝倉軍の陣形は乱れ、一気に膠着状態に変わり、ボロボロだった森隊信治隊を収容して軍勢は宇佐山城へと引き上げた。
竹中半兵衛重治。
この者の差配で動く軍は十万の敵をも切り裂くだろう。
私の知らないところで、もう一つの包囲網崩しが行われた。
半兵衛様のご活躍を知ったのは、私が古渡屋敷に戻ってからであったのだが。
~~~~~~~~~~~~~~
1570年は次々と反信長を掲げてあちこちで挙兵するため、イベントの多い年です。
史実ではこんな感じになります。
1570年 4月20日 越前へ侵攻。
4月25日 敦賀郡の各城を攻撃
4月26日 金ヶ崎城落城。
4月27日 浅井長政裏切り
同日 金ヶ崎城からの撤退(朽木越えルートで撤退)
4月30日 京に撤退。従うは10人程度。
5月 9日 岐阜に戻る。
5月11日 朝倉景鏡を総大将とする大軍を近江に進発。六角氏と連携して挟撃
6月 4日 六角軍が野洲河原の戦いで柴田勝家、佐久間信盛に敗れる。
6月15日 朝倉軍が越前に帰陣
同日 堀秀村・樋口直房が調略により信長に降る。
6月21日 信長が虎御前山に布陣
6月24日 信長が小谷城とは姉川を隔てて南にある横山城を包囲
6月28日 未明に両軍激突(姉川の合戦)
7月21日 三好三人衆が摂津中島に野田城、福島城を築城
8月17日 三好三人衆が三好義継の古橋城を攻撃
8月26日 信長、天王寺に布陣
9月12日 雑賀衆、根来衆が織田方の援軍として着陣
同日夜 石山本願寺が三好方に参戦。
9月16日 浅井、朝倉軍が近江に出陣
宇佐山城主・森可成は交通の要所である坂本を先に占領して街道を封鎖
9月18日 延暦寺が参戦
9月20日 森可成、織田信治、青地茂綱が討死
9月23日 信長、京に撤退。
9月24日 比叡山に籠った浅井朝倉軍を包囲。
10月 伊勢長島の願証寺が蜂起。六角義賢が南近江で挙兵
11月 木下・丹羽が六角を撃破
12月13日 朝廷と足利の仲介で講和
本物語では、既に坂本での戦いを切り抜け、願証寺が無力化されました。
これで森様、信治様、信興様、そして古渡様の生き残りが決定しております。
この後も史実と異なる流れが進んでいきます。




