5.仲間
1568年7月。
信長様が明智光秀と対面された。
正確には、岐阜の立政寺にて、信長様と足利左馬頭様との会見が行われたのだが、足利方の使者に明智の名があった。
俺と奇妙丸様は、丹羽様から届く文を見て、状況を大まかに把握しようとしていた。
信長様の命で奇妙丸様は暫く清洲にて領地運営または運営そのものを学ぶよう言われており、信長様がこれから進める上洛について、ほとんど関わることができなくなった。
そこで、丹羽様に無理を言って信長様のご様子を書いて送ってほしいと依頼し、丹羽様は毎日奇妙丸様宛に文を寄越してくれていた。
それを二人で繰返し読んで状況を頭に思い浮かべていた。
「無吉、この和田という男が、幕府側の代表なのか?」
「…恐らくは。しかし、細川様、三淵様、一色様、いずれも、足利幕府の名家の名に御座います。」
「あ奴らは、京から逃げて来たということか?…では今幕府はどうなっておるのだ?」
「ここに書かれた名の方々が要職に就かれていたかはわかりませぬが、恐らく機能していないと思われます。」
「では、父上は何故左馬頭様に手を貸して上洛されるのだ?
「…左馬頭様が将軍に就任され、織田家がこれを手助けすることで、将軍家、または幕府から便宜が図られるものと考えます。」
「将軍様、幕府の権威を得ようと言うことだな。だが父上はその権威をもって何をされる気であろうか。」
「それは…わかりませぬ。もう少し情報がほしいところです。」
「わかった。では畿内のほうだが、どういう状況だ?」
「はい、林様の話では、三好家で内紛が起こり、せっかく将軍宣下を受けた平島の左馬頭様が、京に行けない状況…だそうです。」
「何故、林のじいが知っている?」
「林様は古くから、尾張、近江の豪族の方々とやり取りをされています。京の情勢にもお詳しいはずです。」
「ふむ、どうすれば林のじいと……ん?」
気がつくと、他の小姓たちが俺達の周りに集まっていた。年長の丹羽源六郎様がじっと俺を睨み付けていた。
「…お前、何故にそんなに若様と親しいのだ?」
因縁を付けるように俺に近づく。俺はきょとんとしてしまったが、少し考えて納得する。小姓たちは俺の出自を聞かされていないのだろう。
「奇妙丸様、源六郎様に私の事について話をされましたでしょうか。」
そう言うと、奇妙丸様は合点がいったようで
「そうか、お前達には無吉をちゃんと説明してなかったのだな。」
奇妙丸様は、皆を座らせ、俺のことについて事細かに話をした。赤子の俺を拾い、吉乃様に育てられて女房館で過ごし、岩室様の師事を受け、生駒様にこき使われ、逃げられないように嫁まで貰った、と説明すると、皆驚いた表情をしていた。
「お、お前が“魔物に憑かれし餓鬼”だったのか!」
坂井久蔵様が大声を張り上げる。途端に奇妙丸様が扇子を投げつけられた。
「無吉は魔物なんぞに憑かれておらぬ!そう言うているのは佐脇藤八しかおらぬ!」
久蔵様は慌てて平伏する。源六郎様がそれを一瞥すると、もう一度俺を睨み付けた。
「吉十郎…お前は儂らに“様”を付けて呼んでいたが、これが理由か?」
「はい…私は“父無し子”です。ここに居られるどの方よりも身分が低いです。それを忘れてはならぬので…。」
「……これからは“どの”でよい。お前は若殿様に忠誠を誓う理由が儂らとは全く違い明確だ。儂らがお前からもっと学ばねばならぬのだ。…故に“様”などいらぬ。“殿”でよい。」
「どうした、源六郎?えらく謙虚に言うな?」
言われた源六郎様…殿は奇妙丸様に向き直った。
「若殿…儂らは、親父が織田家に仕えているから、ここに来たような者たちです。若殿への忠節ではなく、家の思惑で出仕しております。」
源六郎殿は最年少の池田庄九郎…殿をちらりと見た。相変わらず庄九郎殿はムスッとして黙っている。
「ですが、吉十郎は違います。明確に若殿への忠誠をもってこの場におります。儂らは…これからなのです。親父に言われました。「早く織田の御曹司様に忠誠を誓え」と。儂も親父の言った意味がわかりました。」
「源六郎、私はお前の父に会うた事がないが、お前の父は良いことを言うの。お前達のこれからの忠義に期待する。」
奇妙丸様のお言葉に、皆が平伏した。
…俺は勘違いしていたのかもしれない。「本能寺の変」を意識する余り、奇妙丸様にばかり意識が集中していたと思う。
先代当主、織田信秀様は尾張守護の下の、守護代の更に下の奉行職を務める御方であった。それが、津島、熱田の財力を背景に周辺国人のリーダーとなり、守護代からも戦時の大将として抜擢されるなど、カリスマもあって尾張国内では強い影響力を持っておられた。
それが、まともな引継ぎもできぬまま急死され、信長様が弾正忠家を引き継いだとき、独立、あるいは鞍替えをする国人が続出した。守護代家も新たな当主信長様を見下し、お家存続の為に別の子息を当主に挿げ替えようとする輩もでた。
それを一つ一つ撃破し、実力で屈服させ、または排除して、尾張を再び1つにまとめられたのは、信長様と幼少から共に過ごしてこられた側近たちの忠義。
…ならば、奇妙丸様…いや将来の信忠様に、「本能寺の変」を回避する為に必要なものってのは、俺だけではダメで…俺と同じ目的を持つ仲間が必要なんじゃないか?
俺は両手を付いた。
「皆様にお願いしたき儀が御座います。」
言いながら、深く頭を下げた。
「大殿様は、足利左馬頭様を伴い上洛しようとされています。…しかしその途上には、六角家や、三好家、北には朝倉家など織田家に与しない大名家が多くあり、上洛のさなかに命を落とすやも知れませぬ。」
大橋与三衛門殿が勢いよく立ち上がった。だが、それを源六郎殿が座るように目くばせする。俺は与三衛門殿が座るのを待って話を続けた。
「我らがやるべきことは、上洛を目指す大殿様をお守りすることではございませぬ。…大殿様の代りに奇妙丸様がいることで、織田家は安泰であることを内外に知らしめることであると…考えております。我らはまだ若いです。学べるものは何でも学んでください。私は半兵衛様から軍配、軍略を学びます。毛利新左衛門様から剣術を学びます。服部小平太様から槍術を学びます。林様から算術を学びます。謀術を学びます。…それでも足りませぬ。…だから、皆様の御力をお貸しくださいませ!」
俺は言い終えると更に深く頭を下げた。暫く沈黙が流れた。
暫くして与三衛門殿が口を開いた。
「俺は…今この刻ほど、若殿様にお仕えして面白いと感じたことはない。親父は俺にここでご奉公して箔を付け、津島十五党の党首としてふさわしくなれと言われたが…そんなものはどうでもいい。ここに居る方が面白そうだ。…吉十郎、お前が誰かなんてのは忘れてやる。お前の思いに乗ってやろう。」
団平八郎殿がこれに続く。
「右に同じ!」
稲葉彦六郎殿がすっと前に出た。
「…俺は降将、西美濃の出身だ。…それでも構わぬのか?」
「奇妙丸様は出自を問いませぬ。」
「ならば、やってやろう。」
荒尾平左衛門殿が続く。
「俺は…ただ若殿様に付いて行けばいいと思っとったから……俺は考えるのは苦手じゃぞ。それでもいいのか?」
「はい。」
坂井久蔵殿が立ち上がる。
「…親父が知ったらなんというか…だが、俺も面白いと思うてしまった。吉十郎、俺も力を貸そう。」
蜂須賀彦右衛門殿はまだ幼く、俺に対して目をキラキラさせていた。
「…吉十郎殿、私は貴方に付いていきます!」
そして、最年少のムスッとした少年が無言で肯く。
そこで奇妙丸様が笑われた。
「無吉といると飽きぬ。私は幼き頃から体験してきた。今もそう思う。先ほどの問答なんかは楽しくて仕方がない。お前達にもわかってもらいたい。…そして私に付いて来い!さすれば、主上にもお会いできるやも知れぬぞ!」
皆が盛り上がった。ガタリと衾の向こうから音がして、平八郎殿が素早く戸をあけると…半兵衛様がおられた。全員と目が合い、気まずそうに半兵衛様は頭を掻いた。。
「半兵衛、いつからそこにいた?」
奇妙丸様が尋ねると、一礼だけして半兵衛様は答えた。
「初めから。……いや実に面白う御座いました。お二人の問答もそうですが、小姓たちの心の変わりようが実に小気味よい。…軍配に感情は不要で御座いますが、忠義に心は必要なのだと思いましたよ。無吉殿が私を家臣にしたいという理由もこれで合点がいきました。」
半兵衛様のくちから“無吉”の名が出ると、小姓たちは俺を見た。俺は恥ずかしくなって誰とも目を合せないよう平伏し続ける。
「先ほどの問答ですが、上洛の為の兵は国内外からかき集めるでしょう。ですが、武田は恐らく何も出しませぬ。江南の六角は三好と事を構えることを嫌い、協力しないでしょう。…上洛のための最初の敵は六角になると思います。…問答に私も加えられませ。話は更に広がると思います。」
奇妙丸様が嬉しそうに肯いた。
「わ、若殿!俺も加わりたい!い、いや横で聞いているだけでいい!」
源六郎が言うと、我も我もと他の小姓が奇妙丸様に迫った。
「わかったわかった。明日から、皆ここに来い。」
小姓たちは大喜びだ。だが俺は間髪入れず口を挟む。
「その後は、剣術槍術の稽古です。その次は写経です。」
「あ!?稽古!?も、毛利様とか!?」
「はい。あのお方はお強いですよ。」
「しゃ、写経は!?我らに坊主になれと?」
「字を覚えて下さい。文を読んだり書いたりするのに必要です。」
「毎日か?」
「はい。私はそうしております。」
全員の顔が強張った。そこに刻限通りに毛利新左衛門様が庭から顔を出された。
「吉十郎殿、参ったぞ。…今日はこ奴らも相手すれば良いか?」
「はい、宜しくお願いいたします。」
俺が頭を下げると、皆は腰を浮かせた。庄九郎殿が真っ先に部屋を飛び出した。これに他の小姓たちが続き、あっという間に誰もいなくなった。状況が飲み込めない新左衛門様は呆気にとられている。
「無吉!あ奴らの稽古は明日からだな。」
「…どうでしょう。新左衛門様を恐れて、来ぬかもしれませんよ。」
「では、私があ奴らを捕まえて連れて来ましょう。」
半兵衛様が面白そうな表情で答えた。奇妙丸様が笑った。釣られて俺も笑った。
信長様、貴方様が奇妙丸様に求められていることができそうな気がしてきました。これが正解かどうかはまだわかりませぬが、仲間たちと共に、成長したいと思います。
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1568年8月-
信長様は、江南を統べる六角家に上洛軍に加わるよう説得するが、当主六角承禎はこれを拒否。説得を粘るも交渉は決裂した。これにより、上洛の為の六角征伐が決定する。
同年9月-
上洛軍を編成し、岐阜を出発。その数は、江北、尾張、美濃、三河より集め6万に上る。
途中、立政寺により、左馬頭様に挨拶を行い、江南へ進軍。
六角の本城、観音寺城とその支城、箕作城を包囲。佐久間隊、丹羽隊、浅井政澄隊などの尾張の軍勢だけで箕作城を攻め落とす。六角承禎は織田軍に恐れを成して観音寺城から逃亡した。
この間、私を含む小姓衆は、毛利様、服部様にひたすら扱かれる日々を過ごしていた。
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左馬頭:室町時代においては、次期将軍が就任する官職として扱われておりました。足利義昭は1566年に叙任しておりますが、14代将軍、足利義栄も1567年に任官しております。朝廷は次期将軍候補の両方を任官させ推移を見守ったようです。
六角承禎:近江守護の大名で、京にも影響力をもった人物。1565年に弑逆された足利義輝もたびたび六角家の庇護を受けていたそうです。
観音寺城を脱出した後は、伊賀の国人と手を結び、主にゲリラ活動で反信長包囲網の一翼を担ったそうです。




