20.元服
久昌寺。
小折城の南西に位置するこの寺は、代々生駒家の当主が眠る菩提寺である。
先代の当主、家宗様の隣にまだ新しい石墓があり、俺は毎日その前で経を読む生活を一年続けた。
尾張と美濃の争いは激しくなり、失った東美濃を取り返すために、斎藤家は執拗に戦を仕掛けたが織田家はこれを撃退し、負け戦が込むと斎藤家からは人心が離れていく。
寺の外は戦乱の世で日々どこかで戦が行われるような殺伐とした世界だが、ここは刻が止まったかのように平穏で静かな暮らしである。
もちろん、ぼうっと過ごしているわけではなく、朝起きて境内を掃き、質素な食事に読経、そして槍の稽古。
この時代、寺と言えど武装する必要があり、何処の寺でも用心棒のような役割の僧が居たようで、俺も稽古を付けて頂いていた。
あれから一年。
服喪期間はとうに過ぎていたが、己が納得できる形でここを去りたかった俺は、一年かけて、母、吉乃様を弔った。
舞さんは出家し宗舞尼と名を改め、この寺で余生を過ごされるそうだが、俺はここを出る。…俺を待っている方がおられるのだ。
俺は日中の仕事を終え、一日の終わりに吉乃様の墓を参る。墓に向かうと…今日は先客が居た。誰かと思い近づくと、懐かしの顔であった。
「…新助様。」
俺の声に気づき、振り向いて農民面の顔がくしゃりと笑った。
「お久ぶりに御座る。」
新助様は俺に会釈をし、そして身体を横にずらした。そこには俺のお会いしたかった方が座って手を合わせていた。
「…無吉、遅いぞ。いつもこんな刻まで母上様を待たせておるのか?」
振り向きもせずに俺が来たことを肌で感じられるのか、手を合わせたまま、文句を言ってきた。
「申し訳ありませぬ。仕事もせずに此処へ来ると吉乃様に怒られる気が致しまして。」
「ははは!確かにそうだ。…では経を読んでくれ。母上がお前の経を聞きたいと言ってる。」
そう言って立ち上がり、俺に場所を開けた。
「畏まりました。拙い読経ではございますが…奇妙丸様も共にお読みください。」
そして二人で吉乃様の墓の前に立ち、声を合わせて経を読んだ。…奇妙丸様との、実に2年振りの再会である。
経を読み終え、二人で立ち上がると、奇妙丸様は俺を見上げた。この2年で俺は身長が伸びた。この時代の大人は五尺(150cm)前後であり、11歳になられた奇妙丸様は四尺に届かぬあたり…俺は大人と変わらぬ五尺で、大人顔負けの身体つきになっている。
「…大きくなりおって…。」
「ははは…木偶の坊と言われぬよう気を付けまする。」
「ふふ、皆がお前を見てびっくりするぞ!」
「皆息災でありますか?」
「うむ。…ああ、徳が…三河に嫁いだのだ。」
吉乃様の御息女、徳姫様。今年の5月に三河の岡崎松平信康と婚姻した。まだ幼子同士で、所謂政略結婚である。俺は未来の知識でそのこともその後のことも知っているので、余り驚かずに淡々と答えた。
「それはそれは。良き伴侶になることをお祈りします。」
奇妙丸様は俺が驚かなかったことで頬を膨らませた。
寺に戻ると、住職が宗舞尼殿と茶と菓子を用意して待っており、奇妙丸様は菓子を美味しそうに頬張った。茶を一気に飲むとぷはっと息を吐き出し、口を拭う。宗舞尼殿が元気な奇妙丸様のお姿に嬉しそうに目を細めながら、茶を継ぎ足した。
「先ほど生駒家の使いが来られまして。無吉は小折城に来るように家長様が仰せです。」
茶を入れながら宗舞尼殿は俺に用件を伝えた。
「…そうか。いよいよか。」
奇妙丸様は家長様の用件をご存知のようだ。
「何ですか?」
俺の質問に奇妙丸様は「行けばわかる」と言ってにんまりと笑った。宗舞尼殿も人を食ったような笑みを向けている。…なんだ?だが、奇妙丸様は何も教えてくれず、「清洲で待っておる」と言って、新助様を連れてサッサと帰ってしまわれた。
俺は急かす宗舞尼殿に一抹の不安を覚えながら、僧衣から出仕用にこしらえた裃に着換え、小折城に登城した。
部屋に案内され、下座に座って待っていると、家長様が弟の久道様、叔父親重様、その御子親正様、姫様を伴ってやって来られた。生駒一族勢揃いである。…たしか親重様って信長様の母君と同族の土田の出で、先々代の養子となって信長様に仕えた御方。
「おほん!」
俺がぼうっと一族を眺めていると家長様が咳払いをされ、俺は慌てて平伏した。
「…しかし、大きゅうなったな。」
「ただの大飯食らいに御座います。」
「ふん、只の大飯食らいに上総介様直々の命を出すか。」
親重様が悪態をつくが、俺を嫌ってではなさそうだ。目が笑っている。
「何用で…御座りましょうか?」
「うむ…無吉、お前の元服と祝言じゃ。」
「おいおい、祝言が先じゃろ?」
「どっちでもええ。」
「いいえ、祝言を先に挙げさせます。物事は順序が大事です。」
きりっとした表情で久道様が反論されているが、俺は話が付いていけない。祝言てどういうこと?誰と?
目を白黒させていた俺の前に7歳になられた姫様がすっと来られて俺の前に座った。
「無吉は、私の夫になるのです。」
そうはにかみながら言うと丁寧にお辞儀をされた。
「え、ええ!私が…姫様と!?」
「いやか?」
平伏した体勢から顔だけを上げ、俺を見上げる姫様。可愛らしく…幼女趣味のない俺でもくらくらくる。
「い、いやそういうわけではなくて、突然と言いますか…まだ早過ぎると言いますか…。」
「無吉、お前は奇妙丸様の家臣になりたいのではないか?なるには元服せねばならぬぞ。元服するには儂の子にならねばならぬぞ。儂の子になるには姫を妻とせねばならぬぞ?」
何その三段論法は?宗舞尼殿が意地悪く笑っていたのはこのことか!?どうしよう?お受けするしか手がないこの状況、俺には余りにも唐突過ぎて素直に「はい」と言えない。
しどろもどろの俺に家長様は止めの一言を加えた。
「これは、類の遺言でもあるのだ。」
俺は身体を固くした。吉乃様の御遺言…俺の為に吉乃様は…。俺は腹をくくって姫様に相対した。
「姫様、私は“父無し子”に御座います。そのことで苦労を掛けるやも知れませぬ。…それでもよろしいですか?」
姫様はこくりと肯いた。
「無吉が優しいことは知っておる。私は無吉が好きだから…苦労など苦労と思わない。」
姫様の返事に肯き、俺は家長様に身体を向けた。
「不束者ではございますが、何卒ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げまする。」
俺が平伏して家長様が大きく肯かれた。
吉日を選んで、俺は姫様と祝言を挙げる。二人ともまだ子供なので形式だけの祝言でもちろん初夜もなし。そして翌日から清洲に出任するため、いきなりの単身赴任である。
そして…。
生駒 吉十郎 長宗
吉十郎は吉乃様より一字を頂戴し、諱のほうは信長様と先代当主家宗様から一字ずつ拝領した。
俺に烏帽子を被せた家長様は俺の姿を見て満足そうに肯いた。
「吉十郎、これよりそなたは生駒家の者として働く。清洲にて奇妙丸様の小姓として仕えるだけでなく、生駒家の栄華のためにもその身を捧げよ。」
「はい、お義父上。」
「……なんかこそばゆいの。」
照れる家長様を新鮮な気持ちで俺は見つめた。
こうして、俺は元服し、嫁も貰い、名を与えられ、新たな生活を始めることになった。
俺は感謝する。…この時代に来たことに。
俺は感謝する。…奇妙丸様に出会えたことに。
そして俺は感謝する。このような幸せを与えてくれた母、吉乃様に。
生駒姫:生駒家長の娘。史実では生まれは1566年になります。しかしそれでは祝言を挙げられないので、勝手ながら生まれを前倒ししました。
生駒久道:生駒家長の弟です。…それ以上はわかりません。
生駒親重:土田一族の出身と言われています。
生駒親正:親重の子で、信長、秀吉、家康の3人に仕えた文官肌の武将です。分家ではありますが、最終的には宗家にとって代わって生駒の名を継承します。
次話より第二部、生駒長宗編になります。




