19.母吉乃(後編)
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1566年元旦-
三人だけの二度目の正月を迎えた。
早朝に清洲から料理と文が届けられ、奇妙丸様や茶筅丸様、徳姫様の文の内容を肴に少し酒も飲んだ。
吉乃様は少しだけいつもより食事を取られ、私も舞殿も元気になると喜んだものだった。
だが、歴史と言うものはそう簡単には変わらないものなのだろうか。…吉乃様のお身体は確実に最期の刻へと向かっていった。
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「無吉殿、これはうちの畑で採れた大根だ。うちのかーちゃんの愛情込もっておる。…吉乃様に食べさせてくれ。」
そう言って、木下様が籠いっぱいの野菜をくれた。木下様は頻繁にここを訊ねてこられ、米やら野菜やら味噌やらを届けてくれた。
「藤吉郎様、小一郎様、いつもありがとうございます。」
小一郎様から渡された籠を落とさないように抱えながら俺はお辞儀をした。
「なに、無吉殿のためじゃのうて、殿の大事な奥方様のためじゃ。」
「ははは、わかっております。ですが、礼を言わずにはおれませぬ。」
「無吉殿、私が納屋まで運んでおきましょう。」
小一郎様がそう言って私から籠を取り上げ、納屋へと向かった。その様子を見送ってから木下様が小声で俺に話しかけた。
「皆心配しとる。丹羽様も、池田様も、塙様も河尻様も蜂須賀様も言うとる。」
「…佐脇様もですか?」
「くはははは!あの方はもっと酷い。「吉乃様の“穢れ”が祓えぬのは“魔物の子”のせいじゃ!」と吹聴しとる。」
木下様に釣られて俺も笑った。“魔物の子”か。…確かに、未来を知る俺は魔物かも知れん。
「皆様によろしくお伝えください。」
小一郎様が戻って来られたのを見計らって、俺はもう一度お辞儀をした。俺を心配してくれる人がいる。それは俺にとって活力にもなる。早く吉乃様の病を治して差し上げねば。
だが、俺の思いとは裏腹に、吉乃様の容体は一向に回復しなかった。
5月に入り、吉乃様の容体は悪化した。動かない下半身が上半身を支えることはできず、吉乃様は寝たきりになった。
人は身体を動かせないと、圧迫により部分的な壊死を起こす。俺は舞様と毎日吉乃様の身体を動かし、壊死を防いだ。
だが…。日に日に吉乃様のお身体は痩せ衰えていった。恐らくご自分でもわかっておられるだろう。そう長くはない事を。舞さんも夜中にしくしく涙を流しているところを見た。だが、3人ともやがて訪れる死について触れることはなく、淡々と日々を過ごした。
俺に出来ることは最早何も無く、ただ、ただ少しでも長くお側にいようとするしかなかった。
5月末…………。
日が傾き、西陽が離れにあるこの部屋の中まで赤く照らし始めた。舞さんが食事の準備をするため、席を立つ。
「吉乃様、今日は木下様より頂いた椎茸を使って粥を作ります。…いつもより味が出て美味しいと思いますので。」
「…わかりました。少しだけですが…食べましょう。」
「はい!」
舞さんは元気な返事をして台所へと向かった。その様子を見送った後、吉乃様は俺の方にゆっくりと顔を向けた。
「…今日は夕日が…眩しいですね。」
「そうですね。吉乃様、眩しいなら障子を閉めましょうか?」
俺は立ち上がろうとしたが、吉乃様がゆっくりと首を振った。
「いいわ。…もう少し、眩しさを見ていたい。」
そう言うと、じっと庭から見える夕日に照らされた景色を眺めた。俺はその様子をずっと見ていた。…穏やかな顔をされている。
「無吉。」
「はい。」
「…夕日がゆうっくりと…地に沈んでいきます。」
「…。」
「まるで…私の“穢れ”が身体中に染み渡るように。」
「吉乃様、それは違います。夕日のようにゆうっくりと“穢れ”が祓われているのです。」
「そうね…そうだとよかったわ…。でも、もうわかっています……。」
吉乃様は首を動かし天井を見つめた。俺は吉乃様の身体を動かし、仰向けにした。…何かを言いたいが何も出てこない。
「…この一年……此処での暮らし、本当に…楽しかったわ。」
吉乃様は布団から細い手を出された。
「吉乃様。」
俺は、その手を両手で握りしめた。
「無吉………いつになったら、私を“母”と…呼んでくれるの?」
「……母上。」
「……はい。」
「母上……母上、母上、ははうえ!ははうえははうえははうえははうえははうえ!!!」
「ふふ……何度も呼ばなくても「呼びまする!」」
「この言葉で…この俺の声で母上のお身体が元気になるのであれば、何度でも呼びまする!今までお呼びできなかった分、何度でも何度でも枯れるまで呼びまする!」
「……ありが…とう。」
「ははうえ!ははうえ!ははうえ!ははうえ!ははうえ!ははうえ!ははうえ!ははうえ!ははうえ!ははうえ!……母上!」
ふうふうと盆に載せた粥を口で拭いて冷ましながら戻ってきた舞さんは、泣きながら「ははうえ」を連呼する俺を見つけ、盆を落とした。
慌てて駆け寄り、手を握りしめて「吉乃様!」と呼びかけるが返事は無く……。
何度も呼ぶが応えることは無く。陽が沈むと共に俺達はようやく声を出すのを止めた。
夜。
息遣いのしなくなった吉乃様を前に、二人は座って呆然としていた。何も考えることもできず、目の前で安らかな表情で眠る吉乃様を見つめていた。
やがてダタダタと床板を蹴る様な足音が聞こえ、障子がバンと勢いよく開けられた。…誰が来られたのか見上げなくともわかっている。その御方は荒い息遣いで声を張り上げた。
「類!」
我を忘れたかのように吉乃様の側に駆け寄り、そのお顔に触れられた。
その手、その指の動きは、最愛の者に触れる愛おしさが溢れだしており、指先は何度も眉を…鼻を…唇を撫で、妻を失う夫の悲しみを表すかのように細かく震えていた。
人は死してその人への愛情の深さを確かめると言う。信長様も吉乃様への愛情を自身で確かめておられるのか、何度も何度も吉乃様の顔に触れられていた。
どれくらい刻が経ったであろうか。
信長様がずっと無言で吉乃様を見つめておられた。まるで、心の中で吉乃様と会話されているかのようで。
そして、区切りをつけるかのように大きく肯いてお顔から手を離された。一度立ち上がり、衣服を正して俺達の正面に座り直し…何も言わずに頭を下げた。
堰を切ったように舞さんが大声で泣きはじめ、俺は舞さんを落ち着かせようとその手を握るが…それ以上は何もできなかった。
信長様は…舞さんが泣き止むまで、ずっと頭を床に付けられた。
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1566年5月30日
生駒吉乃、永眠。
私の母であったことをここに記す。
養子も、実子も、そして“父無し子”も分け隔てなく愛してくれた吉乃様に捧げる。
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吉乃様の葬儀は、生駒家の近親のみで質素に行われその身は菩提寺である久昌寺に埋葬された。
そして俺と舞さんはこの寺で一年間喪に服すこととなる。




