終章 1628年6月4日
本物語のエピローグになります。
「敵は本能寺にあり!」
この言葉は戦国の歴史には残らなかった。
私の生きた世界では、1582年5月、明智光秀が織田信長を討たんと挙兵したときに発したかもしれないが公に記されることはなく。織田信長は明智光秀を唆して反旗を翻した羽柴秀吉を討伐し、その後全国統一を成し遂げた。この時、信長の後継者である息子の織田信忠は軍事の全権を引き継ぎ、各地の武将を従えて天下に号令をかけた。後に軍権を嫡子に引き継がせ、自身は信長の後を継いで内大臣となる。
こうして織田家による軍事と政治の二面支配体制が確立された。
これは、私はこの織田から豊臣へと移るきっかけの事変を全力で回避したあと「どうやって全国を統括していくのか」を考えた結果である。
織田家による二面支配。安土の近衛府で軍事に関する権限を集約し、二条の内大臣府に朝廷および政に関する権限を集中させて、私もその要職について戦国時代の終焉に尽力した。その為、諸大名には随分と恨みも買ったことだろう。
これもひとえに我が主君勘九郎様の御為。私一人に怨嗟を集めることで織田政権が上手く流れるのであれば何の後悔もない。
乱世は終焉を迎え時代は偃武へと移り、既にご主君を含め、共に戦った仲間は他界し…俺は余生を持て余していいた。
「…書けた。」
ひとり呟いて私は筆を置く。
振り返ると上等な紙を巻いて束ねた筒が6本。手元にある巻紙で7本目…。
「思った以上に大作になってしまったな……。」
私は墨が乾くのを待ってきれいに巻き直し、7本をまとめて葛籠に入れた。
私が転生してから本能寺の変を回避するまでの日々を物語…。
後世の歴史家が見れば、度肝を抜かれるような話になるだろう。それから書いた物語は、時代の経過の中で紛失されないよう、久昌寺の蔵に預けよう。
「疲れた…。」
それからの私は急速に衰えて行った。食事の量も減り、歩くこともままならなくなり、言葉をうまく発することができなくなった。
「そろそろお迎えか…だが、後悔はない。」
私は世話係の女に葛籠について尋ねた。女は言いつけ通りに蔵の奥に収めたと答えると満足そうに頷いた。
-戦国の世に、未来から転生した人間がいて。
-歴史を塗り替えたという事実は人々を大いに沸かせるであろう。
-私がその場にいることができないのが、非常に残念だが。
1628年6月4日
物語を書きあげた津田恩信斎は息を引き取った。
彼の70年の生涯を綴った物語は、後世偶然発見され、世界中の人間に衝撃を与える物となる。著者である津田恩信斎の研究が盛んに行われた。
津田恩信斎:織田政権発足時の混乱を支えた名参謀。天下統一後は各国の財政をひっ迫もさせず潤沢にもさせず経済発展をさせた人物として評価を受ける。信忠の死後は全ての職を辞し、子に津田の名を引き継がせずにひっそりと暮らす。
死後400年が経過して、菩提寺であった久昌寺の蔵から七巻セットの「勘九郎物語」が見つかる。
その物語の内容が、余りにも当時の文化常識から逸脱したものであったため、日本中のみならず世界中を騒がせた。内容の虚実は未だに持って不明とされている。
なお、彼が愛用した大太刀“鬼喰らい”は国宝として山科津田記念館に展示されている。




