20.新しき物語の始まり
1582年5月17日 山城国 二条城
坂本城から明智様の家族が到着された。明智様の流刑先は佐渡と決まり、上杉様のご一行と越後まで行くこととなる。これには前田様も同行を申し出され、それなりの大所帯となって二条城を出発することになった。
俺は出発直前の明智様に会いに行った。明智様は輿に両腕を後ろで拘束されたままで乗せられていたが罪人とは思えぬ凛とした表情で前を見据えていた。やがて俺に気づいて小さく微笑んだ。
「あの…お体に気を付けて。」
「吉十郎殿、お主には迷惑をおかけした。」
「全ては此度の企てをした恵瓊のせいです。多くの者が彼の者に騙されておりました。」
「…それを看破したお主は素晴らしい。」
褒めないでくれ。涙が出てしまう。
「私の無吉は天下一だ。こ奴の代わりなど居らぬ。……お主にも心を砕ける家臣がおればな…。」
後ろから声が聞こえて振り返ると勘九郎様が立っておられた。俺は慌てて姿勢を正した。
「明智家はいずれ赦免する。お主が生きている間ではないかもしれぬが。…その時までじっと耐え立派な武士を育ててくれ。」
勘九郎様からの思いがけないお声がけに明智様は何も言えなくなりやがて肩を震わせて涙を流した。勘九郎様はそれ以上は何も言わずその場を去っていく。
暫くして一行は二条城を出立したが、明智様はずっと二条城を見つめていた。
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“本能寺の変”は何とか回避できた。
私や亡き御台様、恵瓊が介入したせいもあって私の知っている歴史とは大きくかけ離れ、織田家は毛利家を下した後も順調に支配域を広げた。
少しだけその後の流れを語っておこう。
1582年9月、今川家は北條家の侵攻を受け降伏。
1582年10月、北條家は氏直の家督相続に異を唱える家臣による謀反が勃発。勘九郎様率いる織田軍が関東に進出しこれを鎮圧。北條家は相模、伊豆、駿河半国を残し、残りを織田家に割譲する。
1584年1月、兼ねてより準備していた新訳律令を発布。同時に帝より内大臣府開設の勅許を受領。
1583年3月、信長様は毛利家、長曾我部家を含めた総勢十二万もの大軍で九州に侵攻、同年秋には島津家を下し九州統一。
1584年4月、二条城に内大臣府を開設、合わせて安土に近衛府を開設。内大臣府は太政大臣の命に基づきあらゆる省に対して査閲の権限を持った。近衛府は右大将を公家より、左大将を武家から任命することを慣例とし、軍事の全権を担う。
1584年5月、内大臣府より奥州諸豪族に対し、上洛を命じられる。これに従わなかった南部、相馬、安東が近衛府より討伐令が発令される。
同年11月、南部家の降伏を最後に織田家による天下統一が達成される。
1585年1月、内大臣府より“改姓令”が発令される。国内の“オダ”、“ツダ”と名乗る者に対し姓を変えるよう通達。諸将はこれに従い、“オダ”姓は勘九郎様の長子一族、“ツダ”姓は私のみ名乗りを許される形となった。
私は天下統一に先立ち、“津田”の姓を再び与えられた。この名は世襲ではなく、内大臣府、及び近衛府の両府からの信任を得た者のみが名乗りを許され、またこれを得た者は、全ての領地を返上し、山科に居を構えることが命じられる。
…そう。
私はこの“津田”の姓を得ることにより、一気にその知名度を上げてしまった。
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1585年5月11日 山城国 淀城-
淀の城は昨年、改築が終了し城壁も二段構えの立派なものに替わり、西国諸国に対する防衛拠点としての装いを得ていた。城主は、俺…ではなく、池田将監元忠である。…庄九郎のことだ。
昨年、勘九郎様から“忠”の字を貰い改名した。今や近衛府に直属として万単位の兵を率いることを許された将軍のひとりである。
俺はこの城の一角に小さな屋敷を貰っている。そこには目立たぬように墓石を建てていた。今日はここに家臣を引き連れやって来ていた。
屋敷では咲殿と百丸、庄九郎が待っていた。
「出迎え、ご苦労…なこった。」
「お前こそ、忙しいのであろう。」
「ああ、夕方には山科に戻る。」
「そうか。お互い、ゆっくり飲み交わすこともできないな。」
「いいさ。この先お前と話す機会はいくらでもある。なあ翠?」
俺は庄九郎が抱きかかえる可愛らしい女の子の頬を突いた。キャッキャと喜ぶ翠。
庄九郎は多賀家から妻を娶り、女児をもうけた。そして俺の百丸と婚約を済ませている。そんな理由で咲殿はこの屋敷の主として百丸とともに淀で暮らしていた。
「殿、挨拶はそれくらいにして…。」
咲殿が家に入るよう促す。俺は百丸を抱え上げ屋敷に入った。屋敷の縁側からは墓石が見え、俺はその前に座って酒と杯を静かに配置した。
「…毎年…とまではいかぬが、今年は来てやったぞ。」
そう言って、俺は酒を杯に注いだ。
墓の下には、段蔵殿、孫一殿、与三郎以下淀城籠城戦で俺と供に戦った家臣が眠っている。慶次郎が俺の横に腰掛け、花を添えた。
「…殿、酒だけでは味気ないですぞ。」
反対側に孫十郎が座る。そして汁椀と香の物を置いた。
「酒だけでは腹は膨れませぬ。」
三人で笑う。
「…すまないな。他の者は忙しくて来れんかったが、土産話はたくさん持ってきた来たから。」
そう言って俺は近況を墓に向かって語った。
1585年12月26日 近江国 安土城本丸御殿-
近衛府左近衛大将直属の将軍位の面々が揃っていた。通常は、近衛府直轄の城にて軍務をこなしているが、年賀の議を前に集まったのだ。
やがて信忠が入室し、一同が平伏する。
「始めようか。」
言いながら上座に座る信忠。筆頭の位置に座っていた竹中中務丞重治が口を開いた。
「此度、大将が安土城主に御成りあそばして初の年賀の議に御座います。全国から多くの大名が祝賀の言を賀詞奉らんと賑わうものと思われます。」
半兵衛は言葉を区切って主君を見た。信忠は無言で前を見つめている。
「…またご主君による安土での初めての年賀…邪魔をしようとする輩は出てくるでしょう。」
「そのために全員を呼び寄せたのか?」
信忠が不満そうな口調で言うと半兵衛はすぐさま否定した。
「近衛府の将軍全員を集めたるは、諸侯への近衛府の威厳を見せつける為に御座います。安土周辺の警備は雑賀衆と近江衆で賄うことで問題ございません。」
「威厳…か。私としては未だ秩序の収まらぬ各国へ目を光らせるほうが重要だと思っていたのだがな。」
「恐れながら、此処に集いし者共は各一揆の鎮圧を行いつつ他のこともできる者共に御座います。」
「なるほど。…で、既に委細は定まっておるのであろう?」
「はい。…唯一つ、“津田吉十郎”殿のお披露目を除いては。」
「無吉はどうした?まだ到着しておらぬのか?」
「遅れております。二条の御方に止め置かれたとも聞いております。」
「二条の御方」と聞いて、信忠は胡坐をかいてため息をついた。
「父上も困ったものだ。」
この時、半兵衛は津田吉十郎の到着が遅れていいる原因をはっきりと知っていた。吉十郎は半兵衛宛てに手紙を寄こしていた。そこには「次の左大将について内大臣様に申し上げる」と記されていた。半兵衛は内心汗を掻いていた。
“次の左大将”とは織田信忠の後を継いで近衛府に君臨するお方。候補としては塩川長満の娘、鈴が生んだ三法師か正室の松姫が今年生んだ松法師か、はたまた次男の信雄か三男の信孝か…。吉十郎のことだから突拍子もない案で進言するに違いないと考え、汗を掻いていた。
「まあよい。いずれにしても無吉には諸大名の列席する中で挨拶してもらう。来た時に説明すればよかろう。」
「はは。」
半兵衛は平伏して返事をした。
1585年12月26日 山城国 二条城御殿-
俺は二条城の主に呼び出された。呼び出された理由も聞いていて、半兵衛様にも安土に行くのが遅れることも伝えた。
さて、勘九郎様の後継者をどうするか。
信長様は2年以内に内大臣の職を返上する予定にされている。次の内大臣は勿論勘九郎様だ。そうなると左近衛大将が空白になる。…で、そこに誰を据えるか。
「…なんだ?案を持って此処へ来たのではないのか?」
考え込んでいると上座に座る信長様から声を掛けられた。俺ははっとなって顔を上げる。
御殿の大広間の裏にある小部屋。普段は小姓の控えとして使われている小部屋だが、今日は信長様と御台様と俺の三人だけで入っている。
「はい…流石に山科から此処までの間で考え尽くせる内容では御座いませぬ故。」
「で…あるか。」
「ですが、恐らくこれが最上と思う案が御座います。」
俺の答えに目の前の人物の魔王度が上がった。
「言ってみよ。」
「まず、左大将は松法師様が元服なさるまで空位とします…。」
俺は考えた内容を説明した。
左大将は嫡子である松法師様に引き継がせるために空位にする。これでは現右大将である西園寺実益様の専横を許すことになる。そこで、右大将をけん制できるだけの力のある者を左中将に任命する。候補は三名。近江に地盤を持つ蒲生氏郷…忠三郎だ。二人目は摂津方面に影響力を持つ池田元忠…庄九郎だな。三人目は尾張・伊勢に基盤を築きつつある浅井信政殿。三人とも信長様、勘九郎様に近い存在で実力も申し分ない。…問題は誰にするか。
「お三方とも任命されてはいかがです?」
御台様がぽつりとつぶやく。これに信長様は手を叩いた。
「そうだな。どうせ今の中将である新五郎は内府に移るのだ。三人とも任命してもよかろう。」
……あっさりと決まった。だが課題が全て解決しているわけではない。権力の集中、腐敗を防ぐために内大臣府、近衛府の重要職は極力世襲させないようにする。その為には次の近衛府幕僚を育てなければならない。
「ふむ…それで進めようか。今の話はまだ他言無用だ。」
ようやく信長様との密談も終了した。そして俺には次なる試練が待っている。
年賀の議での諸大名への挨拶。
俺という存在が全国に知れ渡るのだ。さすがに声も震えるかもしれない。
だが、織田家の天下を維持するには必要なこと。
それが“本能寺の変”を全力で回避した俺の次なる目標だから。
1586年1月1日 近江国 安土城近衛府大広間-
「おめでとうござります!」
近衛府幕僚の筆頭である斎藤左近衛中将利治殿が挨拶をすると、広間の左右に居並ぶ諸将、諸大名が一斉に平伏した。西園寺右近衛大将実益殿の挨拶から始まり、勘九郎様の御言葉を聞く。…心臓が高鳴っていく。
「…今日よりこの近衛府が皆の治める国々を守りせしめん。何かあれば全国に配置した近衛府直轄の中将、少将らが兵をもって事を収めるであろう。これからは国内で何かあれば遠慮なく申し出てほしい。」
勘九郎様の御言葉に皆が一斉に頭を下げる。
織田家による全国の統一後、守護職は廃止された。また全ての官途状が無効とされ、新たに朝廷の名の下に発給することになる。ここに列席する諸将はいずれもなんらかの官位を朝廷より受領し、新しき律令制度のもとで織田家の配下と位置付けられる者たちであった。東北は南部、伊達、九州は島津、龍造寺など名のある諸侯の当主が参列している。皆癖のある連中で、織田家が隙を見せれば噛みつくことも想定されるのだ。
「では、ここでこの者を紹介する。私の腹心であり、近衛府のみならず、二条の内府にも顔の利く者で、少なからず皆も世話になるであろう。…覚えておくがいい。…無吉。」
勘九郎様は俺に視線を向けた。同時に列席の方々の視線が俺に集中する。
俺の新たなる役目は“第二の本能寺の変”が起きないよう諸大名の力を削ぐこと。
軍事は国主から引きはがし、近衛府に集中させ、各国の軍備費を他に回させる。生産力の増加に資金を費やすよう仕向け、余分な資金を持たせぬようにする。大名間で談合や裏取引が行われぬよう取り締まりの強化など、挙げていくとキリがない。
そして断行する施策の多くは大名たちから恨みや怒りを買うであろう。
その役目が…俺なのであり、“津田”の名乗りを許される条件である。
俺は上座に一礼して立ち上がり、前に進み出て列席の方々を向いて座りなおした。そして深く頭を下げる。
「…列席の御方々に置かれましては初めて御意を得ます…“津田弾正尹忠輝”と申します。」
俺は自分の名を告げると一度頭を下げた。大名たちの多くは初めて見る顔に不思議そうな表情をしている。…三好様が笑いを堪えておられる。俺は頭を下げたまま懐に手を入れた。
「既に此処に居られる幾名は御承知のことと存ずるが…我が名はもう一つあり申す。」
俺は顔を上げた。下座が一気にどよめく。それもそのはず、俺は鬼の面頬を付けて顔を上げたのだ。
「その名は…鬼面九郎……。この名であればご存じの方も多かろう。」
鬼面の顔に視線が集中する。凝視する者、怒りの感情を露わにする者、恐怖に引きつる者、様々だ。
「戦多き世は終わり申した。これからは各々が治める国を富むために尽くす時代に御座る。…近衛府は戦をするための府に非ず…戦にならぬよう武をもって制する府に御座る。何事かあれば我に相談されたし。我が目は、近衛府の目であり、内大臣府の目でもある。…今後とも宜しゅう………。」
俺は再び頭を下げ、元の位置に戻った。
俺の…いや、私の第二の物語の始まりである。
本編はこれで最後となります。
あと一話、終章を投稿すれば、本物語は完結になります。
ここまで読んで頂いた皆様、本当にありがとう御座いました。
作者としては時間をかけすぎたと思わんばかりの長期となりました。
ですが、初めて完結作品を投稿できたことは嬉しい限りです。
内容については、不十分な描写や前後の文脈に繋がりがない箇所など、読みかえせば読み返すほど
「書き直したい」という衝動にかられます。
しかし、それでは次の作品を考えることができません。
というか、考えているのですが・・・・
終章投稿後に、次の作品の一話目だけ投稿いたします。
是非、読んでくださいませ。
無吉殿、お疲れさまでした。




