15.第三者現る
淀城の南西、石清水八幡宮の鎮座する山の中腹に甲冑を着込んだ一団が見えた。
その一団に最も近かったのは南の出城を囲っていた池田知正率いる摂津衆であった。そしてその集団が掲げる旗印を見て、判断に迷った。
「三階菱に釘抜紋」
それは大和国主三好家を示す家紋であるが、池田知正は彼らが敵なのか味方なのか判別できなかった。
「筑前守殿に確認せよ!」
配下に指示を出し、出城への攻撃の手を緩めて様子を伺うことにした。
やがて次々と八幡宮に現れた一団に気づき、皆同様に判断に迷っていた。
「鬼面の殿からは何も聞いておらぬ。かといって敵の慌て様を見ても増援でもなさそうだ。…それに我らは此処にいて出城を死守する以外何もできぬ。三好様の兵は無視せよ!」
守兵のほうは単純だった。敵の増減にかかわらず守ればよいのだ。孫市も孫一もそう判断して三好軍の存在は忘れ去った。
だが、羽柴軍はそうはいかなかった。敵かもしれぬ一団に背を向けることは危険である。次々と総大将に確認を取るための伝令が走り出した。
そして三好軍到来の報は本城内で敵の侵入を防いでいた生駒吉十郎にも届いた。
「は、旗印は…三好軍です」
孫十郎の上ずった声に吉十郎も判断に迷った。事前に加勢の連絡を受けていれば良かったのだが、何の前触れもなくの登場に、吉十郎自身も敵なのか味方なのか判断ができなかった。
「孫十郎!直ぐに真意を探れ!」
吉十郎の声に孫十郎が反応して走っていく。邪魔をしようとした前野長康を前田慶次郎が引き留めた。
「…貴様の相手はこの儂だ!」
その声に蜂須賀彦六郎と津田与三郎は一騎打ちに戻った。吉十郎は孫十郎を見届けてから敵の駆逐に意識を集中させた。
一方、摂津衆からの報告を受けた羽柴秀吉は仰天して飛び上がった。
「誰か大和に調略を掛けたか?」
秀吉の問いに誰もが首を振った。
「もしや、恵瓊殿が…?」
恐る恐る小一郎が言うが、石田三成がこれを否定した。
「恵瓊殿が大和の諸将と通じているという報告は受けておりませぬ。…三好殿が独断で動いていると見てよいと思いまする。」
「我らに味方する為か?吉十郎に味方する為か?」
秀吉の問いに三成は黙った。秀吉は三成を思い切り蹴った。
「今すぐ味方に引き入れよ!」
三成は慌てて平伏し、陣幕を駆け出て行った。その様子を見ることもなく秀吉は軍配を地面に叩きつけていた。そこへ蜂須賀小六が入ってきた。
「吉報だ!我が義息が敵将の誰かを討ち取った模様。…これで敵の士気は下がったものと思われる!」
小六の声は弾んでいた。それを聞いた秀吉は飛び上がって喜んだ。
三好軍の出現に隠れ櫓で戦う両軍はやや混乱していた。これを好機と見た蜂須賀彦六郎は攻勢に出た。温存していた兵を櫓横の抜け穴から城内に突入させ、自身も津田与三郎に斬りかかった。吉十郎は急に増えた敵兵に対処するため与三郎から離れた。主君が自分の視界にいないことに気づいた与三郎はあたりを見回す。そして主君の背中を見つけた瞬間、左腕に焼けるような痛みを覚えた。次の瞬間には自身の視界が暗転した。
敵兵を切り倒す為開けた場所に移動した俺は体を反転し槍を構えた。そして愕然とする。
目の前に見えたのは与三郎の首が飛ぶ光景であった。
「与三郎!」
名を呼ぶが首無き体は答えるわけもなく前のめりに倒れていく。その後ろから蜂須賀彦六郎の姿が現れた。
「敵将を討ち取った狼煙を上げよ!派手に叫べ!前野殿!目的は達しました一度引きますぞ!」
そう言うとさっさと引き上げていく。慶次郎と対峙していた前野長康もすっと身を引いていった。だが俺には二人を追いかけていく力が入らなかった。
「与三郎!」
駆け寄ろうとした俺は八右衛門に邪魔された。
「どけ!」
「殿!此処はお引きくだされ!」
「与三郎を置いて行けるか!」
「後でお拾いくだされ!今は敵とも味方とも分からぬ三好様の軍への対応のためお戻りください!」
八右衛門の膂力で俺は隠れ櫓から引き離された。敵はその隙に一気に撤退した。
宇治川の東にある湿地。
長い葦に囲まれた地に膝まで泥に浸かった兵がいた。数はおおよそ二千。率いるのは大和国主、三好左京大夫義継。敵に見つからぬように馬にも乗らず身を屈めて川の浅瀬を渡っていた。彼らを先導するは若武者である。
名を柳生五郎右衛門宗章。
織田左近衛中将信忠の小姓として仕える大和出身の若武者である。
「…三好様、これより先は隠れるものが御座いませぬ。」
五郎右衛門は振り向いて義継に話しかけた。義継は頷いた。
「五郎右衛門、礼を言う。」
「…生駒殿には“御恩”が御座います。それを返すのみです。」
「…儂もだ。あ奴には“恩”がある。…それを今返さずして何時返すかと己に問うたら…だが命令違反ではあるぞ?」
「承知しております。」
「わかってやっているのが一番よくないのだがな。」
義継の言葉に五郎右衛門はむっとした表情を見せた。
「…三好様、これ以上は見つかります。」
「む、そうだな。五郎右衛門、ご苦労であった。」
義継は案内役の柳生宗章を下がらせると、首まで浸かって宇治川を渡り始めた。甲冑を着込んだままの渡河…さほど距離はないが一歩間違えば流されてしまう。だが、義継に続いて次々と三好兵が渡河を始めた。柳生宗章はその異様な光景をじっと眺めていた。
「……ご主君、お許しくだされ!やはり某も渡りまする!」
譫言のように呟くと彼も三好軍と共に川を渡りだした。
屋敷内に連れ戻された俺は八衛門の腕を振り払って座り込んだ。どう考えても怒りが込み上げてくる。
「…状況を言え!」
俺の怒鳴り声にすぐさま孫十郎が跪いて答える。
「羽柴軍は隠れ櫓から一度撤退致しました!狼煙が上がっていることから、何かしらの連絡を行ったものと思われます!おそらく一刻内に今まで以上の兵力で攻撃してくるものと!」
俺は弥八郎を睨みつけた。弥八郎も直ぐに跪く。
「表門、裏門は既にボロボロにて皆を内曲輪まで下がらせました!次の攻撃が凌げなければ城内になだれ込まれます!」
続いて兵右衛門を睨む。
「八幡宮に現れた隊は旗印から三好左京大夫殿の軍になります!数はおおよそ五百!動きはありませんが出城に張り付いた敵軍をけん制しております!」
「誰が指揮しておる!」
「…不明に御座います!」
俺は舌打ちした。その音は雰囲気を悪くする。更に拳で床板を叩きつける。辺りは静まり返る。
「…与三郎は?」
「…某の手の者に探させております。まもなく戻ってくるでしょう。」
山岡八右衛門が答えた。
「……戻って来たら此処に寝かせてやってくれ。」
俺の言葉に皆が頭を下げた。雰囲気は更に重くなった。
そこへ伝令が走ってきた。
「羽柴軍の一部が桂川を渡り大山崎のほうに向かっております!」
「どこの部隊だ!」
「は!おそらく黒田家と思われます!三千ほどが離れて行きます!
俺は拳を強く握りしめた。官兵衛の仕業だ。これに誰かが追随してくれればいいのだが。
「他の隊の動向を確認せよ!」
はっと勢いよく返事して伝令は出て行く。入れ替わりに傷だらけの男が入ってきた。
「段蔵殿!」
俺が真っ先に駆け寄り倒れそうになる阿賀月段蔵殿を支えた。
「はは…申し訳ござりませぬ。隠れ櫓が敵に見つかっているとは露知らず…このざまに御座ります。」
「よい!それでもあすこを突破してやってきたということは何かあったのであろう!申せ!」
「は、はい。村井帯刀様…無事に安国寺にて親王様を保護されました。…この報は京で待機されている内大臣様にも伝わっているはず…です。」
そうか、信長様は親王様の安否を確認するために、出兵を遅らせていたのか。…庄九郎、忠三郎のやつ、言ってくれてもいいではないか。
「相分かった。其方の役目は終わった。今は休まれよ。」
段蔵殿は安心した表情を見せて意識を失った。多賀勝兵衛が段蔵殿を抱えて部屋を出て行く。また入れ違いに伝令が走ってきた。
「申し上げます!隠れ櫓から再び敵が!」
伝令の言葉を聞いて俺は力任せに床を殴りつけた床板が激しく折れて俺の腕が床下にまで届いた。
「慶次郎、孫十郎は俺と共に此処にいる兵を全員引き連れ直ぐに向かえ!八右衛門は表門だ!裏門はこのまま忠三郎と庄九郎に任せる、勝兵衛が戻って来たら表門に向かわせよ、兵右衛門、弥八郎は出城側に注力せよ!」
俺の素早い指示に皆が一斉に動き出した。そして一気に場内が慌ただしくなった
隠れ櫓の攻防は激しさを増した。羽柴軍は工夫を使って穴の拡張を進めており、並行して大量の足軽がなだれ込んできていた。散乱している死体の山が辛うじて敵味方を隔ててはいるが、乱戦状態である。俺はまずその乱戦の中に斬り込んで自軍有利な状況を作り慶次郎にバトンタッチして後方へ下がって指揮に回った。孫十郎は隙をついて櫓の上へと駆け上がり矢を射かける。そして城外の様子を確認して驚いていた。
「殿!敵軍はおよそ五千!」
…孫十郎の報告は正直絶望だった。隠れ櫓に回した兵力は三百程度。半日も持たない。こんなことならこの抜け道を埋めておけば良かったと後悔する。かと言って逃げる先があるわけじゃない。戦うしかなかった。向こうは新手が次々と。こっちは満身創痍。俺の中では万策尽きていた。
「羽柴軍に襲い掛かる一団あり!旗印は…ありませぬ!」
孫十郎からの報告は俺を混乱させた。




