12.光秀更迭
俺はじっと明智様の目を見つめた。明智様の目は驚きに見開かれている。
「だ、黙れ!さようなこと誰が信じると思っておる!」
後方で喚く老体がひとり。
あれが斎藤利三か。明智光秀の腹心で最後まで主君と共にした忠義の士…それが俺の前世での記憶。
だが、この世界では私欲に走った愚かな国人の一人にすぎぬ。
「其方の主君は聡明なお方だ。もし俺の言葉に信じるに値しないものがあれば、俺は一刀の下に切り捨てられるであろう。…だが其方の主君はそれをせぬ。それはどこかに俺の言葉を信じるに足る出来事があったからであろう?」
「黙れ黙れ!儂が毛利と手を組むなど…」
「ならば、今宵大殿様がここ本能寺に滞在することを誰から聞いた?」
俺の言葉に明智様は黙ったままだった。代わりに斎藤利三がしわがれ声で怒鳴り散らした。
「誰でも知っておろうが!」
「…いいや、信長様がここに泊まることは、住職すら知らぬことなのだ。京に入ってからも複数の影武者を用いて幾つもの寺社に入ったのだが…貴方達は迷わず本能寺と妙覚寺を包囲なされた。」
斎藤利三は押し黙った。歯をぎりぎりと軋ませている。
「言わぬならこちらから言ってやろう。ここに信長様がおられると教えたのは…羽柴筑前守だ。」
今度はさすがに明智様も目を見開いた。思わず振り向いて斎藤利三を見た。
「明智様…どうなされた?何か思い当たる節でも?…まあよい、では羽柴秀吉は何処から情報をてにいれたか?それは我が主君左近衛大将様の小姓衆がひとり、蜂須賀彦右衛門家政からじゃ!」
去年から彦右衛門の行動はおかしかった。そして密かに阿賀月衆に監視させていたのだが、案の定、堺でとある商人と接触していることが分かった。その正体は安国寺恵瓊だということも分かった。集められた情報は茶屋四郎次郎を通じて播磨にもたらされていることもわかった。俺はその事実を此処にいる者共に説明してやる。
「…斎藤とやら、己の所領を守るために主君に事の全容を隠して秀吉と通じたる事実…既に証拠もそろっておる。これでも認めぬか?」
「黙れ!代々守ってきた土地を都合で奪われ見知らぬ土地に追いやられた我らの気持ちが!」
「そもそも!土地は幕府が守護に命じて管理し、お主らは守護の命でお預かりしているだけのもの…それを長き戦乱により幕府の力が失われ勝手にお主らが自領としただけにすぎぬ!…織田家が幕府に変わって帝から土地の管理を任されたからには、これに従うのが道理!…貴様らは私欲に走っただけにすぎぬ!」
「黙れ黙れ!」
喚きながら斎藤利三が弓を引いた。俺は素早く苦無を投げつけ弓を持つ腕を傷つけた。周囲が騒然となるが俺は素早く声を張り上げた。
「皆の者これ以上動くでない!動けば帝に逆らう逆賊としてその首跳ねられると思え!」
俺の声で周囲がざわつく。俺はそんな周囲の様子を無視して明智様を見る。
「明智様…全軍に下知を。……既に京の周囲は明智様の軍を凌ぐ数で囲っております。」
更にざわつく。明智様は俺を暫く睨みつけていたが、やがてすっと目を閉じて考えに耽った。
「殿!今すぐこ奴を殺し、全軍で西から出れば丹波に戻れます!そこで兵を整え…。」
「既に西は池田様、丹羽様の軍が待っておりますぞ。」
そんな軍はない。はったりだ。だがこの状況では通用するはず。
「黙れぃ!」
「貴様こそ黙れ!既に詰んでおるのだ!俺を此処で殺そうが西門に全軍で向かおうが、貴様らが本能寺に入った時点で全ては決しておるのだ!織田家に反旗を翻した逆賊としてな!」
俺の言葉は境内に集まる数百の兵が静まり返る。そこへ新たな来訪者が本能寺の表門から入ってきた。
「静まれぃ!某は京都所司代の村井貞勝である!某に無断で市中に兵を引き入れた不届き者は何処や!」
老齢ながら活きのいい声が響き雑兵どもを追い散らしながら中央まで進んできた。…よくもまあこの大軍の中を少数で突っ込んできたもんだ。
おそらくこれは集団心理的なものと俺は思う。万を超す大軍で囲っている中を百騎足らずで堂々と進まれても恐れる必要がない。故にどうなるのかと様子を伺ってしまい、結果的に何もできずになる。…確かにこの程度の人数、明智様の号令一つで弓の的だ。
「明智殿!これは如何なる仕儀か?」
村井様に声を掛けられ明智様はわずかに首を動かしたが押し黙ったままだ。村井様は明智様に問い質すのをやめ、「これはどういう状況だ?」と言うように俺を見た。
「明智様が家臣に唆され毛利に向けるべき兵を率いて本能寺を襲撃いたしました。織田内大臣様の御命を狙ったようですが、この通りここは無人に御座ります。…その首謀者ですが、そこにいる斎藤利三なる者に御座ります。」
「な!ふ、たわけた事を!」
実際にはこれに加担しているのはあ奴一人ではない。美濃時代から明智様に臣従する美濃衆ほぼ全員が関わっている。だが、村井様の前で利三一人を首謀者とすることで、残りの奴らに「自分は助かるかも」という心理が働く。予想通り逆上して俺に切りかかろうとした斎藤利三は他の家臣によって取り押さえられた。相変わらず明智様は黙り込んだままで、弥平次殿はそんな明智様を守らんと周囲を睨みつけていた。
「明智様…何か申し開くことは御座いますか?」
俺はできるだけ静かな声で明智様に話しかけた。明智様は暫く黙っていたがやがてゆっくりと息を吐きだし刀を弥平次殿に渡して座り込んだ。
「やはり儂は昔を懐かしむ輩に付け込まれていたのか…。」
寂しそうな声…だが、俺は明智様の言葉を否定した。
「いいえ、貴方が心のどこかで将軍家による幕府再興を望んでいたからです。故に家臣の謀に対しても気づかぬふりで過ごし、羽柴秀吉の不審にも目を瞑っておられた。」
「……そうかもしれぬな。儂は…大殿、若殿の目指す世に惹かれておらなんだ。」
やっぱり…。
「武家は源氏の血を引く頭領のもとで傅く者…義昭様を推戴して京を治めたまではよかったが、義昭様に天下を静謐に導く気概がなく、大殿と私欲の事で仲違いをする始末…。だが義昭様追放後の次の“公方様”について大殿は無言を貫かれた。「全ては今の天下を壊してからだ」と…。」
信長様は明智様に自身の天下統一ビジョンをお話されていなかった。だからこそ明智様には織田家の軍事行動や政策が好き勝手な行動に見えてしまい、不満や愚痴を溢す公家衆や国人衆に寄り添いだしたのだ。
「吉十郎、お主には大殿の目指す先に何が見えておる?」
明智様は懇願するような目を俺に向けた。俺は正直に答えた。
「実は、某も信長様が目指す天下は見えておりませぬ。…しかし征夷大将軍という古臭い役職など新しき世には不要だということははっきりと理解しております。」
明智様は俺の言葉を繰り返した。
「…征夷大将軍が…古臭い?」
「もはや将軍の権威では全国の領地を持つ武家どもに号令をかけることはできないのです。…それは公家に対しても寺社に対しても同様です。だから信長様も勘九郎様も新しい権威を生み出そうとされているのです。」
新しい律令の編纂のことについては伏せておく。この状況で言っても話が拗れるだけだし。
「…新しき権威…か。なるほど。ならば今の官位職に実務に沿った価値を添えれば武家衆はこぞって官位の獲得に躍起になろうな。…大殿はそこを目指しておられるのか?」
流石は明智様。わずかな情報だけで正解を導き出されておられる。その情報を手にする機会、努力を怠らなければ、信長様に信頼されるお方になったやも知れぬ。
「明智様、此処は大人しく御捕まり下さりませ。我が主勘九郎様は明智様を高く評価されています。決して悪いようには致しませぬ。」
明智様は暫く考え込んでいたが、やがて小さく頷いて見せると弥平次殿に命令した。
「全軍、戦をやめて投降せよ。妙覚寺の日根野殿にも本能寺に来るように説明せよ。」
弥平次殿は刀を明智様に預けると、村井様に一礼して走っていった。弥平次殿が門から出ていくのを見送ってから村井様はこちらに歩いてきた。
「…また恐ろし気なことをするの。たった一騎で明智殿の軍を足止めするとはな。」
「いえ、恐ろしくてたまりませなんだ。ほれこの通り、膝が震えております。」
「カカカッ!幾度も死線を越えたる貴様も明智殿軍は実に恐ろしきか!…明智殿、貴殿はもう少し吉十郎の恐ろしさを理解せんとな。こ奴の恐ろしさは大太刀の技量でないぞ。その冷徹なる智謀じゃ。お主をおびき寄せるために主君を囮に使う…そんなことを一体だれが考えよう?」
「……確かに。この者のことは昔からよく知っていたつもりであったが…。」
座り込んでいた明智様は俺を見上げた。
「…儂はお主に対して、一歩も動けなんだ…。」
明智様はふっと笑みを浮かべられた。
こうして本能寺と妙覚寺に押し寄せた乱は終わった。被害は本能寺本殿の消失のみであった。
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1582年5月10日の夜明け前に起こった騒動は日の出と共に終結した。
本能寺を囲った八千の兵と妙覚寺を囲った六千の兵は一旦武具を放棄して二条城に集められる。明智様の直臣与力の者共は主だったものを拘束して城内の牢屋に放り込まれた。
この騒動の前後に京を出ようとした者は老若男女問わず捕らえられた。中には秀吉宛、恵瓊宛の密書を持った者もいたという。
村井様の知らせを受けた原田様が10日の夜半に恵瓊の隠れる堺屋敷に押し入りこれを捕らえた。
そして羽柴秀吉の陣へは斎藤利三の名で書いた偽の密書が届けられ、5月の12日には四万を超す大軍が淀城に押し寄せた。
羽柴秀吉としては、京を占拠しているであろう明智光秀と決戦するにあたり、どうしても邪魔になるこの城を落としておく必要があった。
私は淀城に籠城し、信長様と勘九郎様が援軍として到着するのを待てばよかったのだ。ただそれだけのはずであった。
私は本能寺から淀城へと移動し、秀吉を待ち受けた。そして淀城を囲った羽柴軍の様子に圧巻したことを覚えている。
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「殿の御到着に御座る!」
門兵の声であちこちから家臣たちが集まってきた。本能寺炎上によるすすを被ったままの俺を見てさすがに心配したが、
「明智様のほうはうまくいった。あとは明日にでも来る羽柴様のことだけだ。」
と言うと歓声をあげた。
その夜、これからはまともに食事もできないであろうことを考慮して、城内にいる二千の兵に酒を振舞った。俺も主だった家臣を集めて宴席を開いた。
「旦那、我等はここで何日生き延びればいい?」
空気を読まない孫一が直球質問をしてくる。
「四日…いや五日持ちこたえれば、信長様の軍が到着する。」
俺の答えに木村常陸介が追加で質問する。
「ですが、織田軍の大半は羽柴軍をおびき寄せるために遠くに出張らせているのでしょう?三万もの大軍を相手にできるだけの兵力は何処から…?」
「明智様の軍をそのまま再編し、堀様、細川様の兵を加えて進軍なされる。二万くらいにはなろう。」
「それでも敵のほうが多く、勝てないのでは?」
今度は津田与三郎が心配そうに聞いてきた。
「実は兵力というのはそれほど重要ではない。信長様と勘九郎様が生きていることを知らしめるのが目的なのだ。」
相手は織田家のトップ二人が死んだと思って、その弔い合戦を装って京を制圧しようと考えている。お二人の生存を羽柴様が知れば、京に行く目的は失われ、羽柴方に従う諸将も戦う理由を失う。それを説明することで皆は納得した。
「羽柴様の本体は一万ほど。十分に戦えますな。」
孫十郎の言葉に俺も頷く。
「だから、我等は城の門を固く閉ざし、新しく築いた出城も活用して羽柴軍を引き留めればよいだけだ。」
皆は笑顔を見せた。…明日からは大変だ。だがこれで全て終わる。俺は杯を掲げた。
「皆に武運を。」
皆がこれに倣う。
「殿にご武運を。」




