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11.本能寺にひとり



 1582年5月2日-


 俺は淀城に居た。


 食事をしながら家臣に最終的な指示を出す。


 後に此処は戦場となるはず……三万を超える大軍勢が押し寄せてくる。


 なぜ知っているか。


「…吉十郎殿、何故このような大事を近江に報告しない?」


「別に官兵衛殿の決死の脱出を蔑ろにするつもりではござらんよ。…今お主のもたらした事実が明るみになれば羽柴様は軍団ごと毛利家に鞍替えし、明智様は配下の家臣たちに裏切られるだけ。ここは発覚を遅らせ引き返せない状況まで持っていくのが得策。」


 黒田官兵衛は俺の表情を見て狼狽していた。…よっぽど俺の顔が悪魔のように見えたのだろう。


「し、しかしそれではこの淀が西からの大軍にさらされるのでは!?」


「…そうだ。そう仕向けたのだ。」


 官兵衛は面食らっていた。


「実は随分前から羽柴様のことは怪しんでいた。そして背後に毛利家がいることも。これにより明智様が踊らされていることも。…勿論証拠はない。だが、確実にわかっていた。」


 俺は官兵衛に汁椀を差し出す。


「お主が知らせてくれたおかげで、敵の実行タイミングが正確に把握できたよ。」


「じ、実行たい…みぐ?」


 黒田官兵衛は姫路で偶然にもどこからかの使者と密談をする羽柴様を見かけた。半信半疑で会話を聞いていたが、やがて毛利明智と連携して上洛する算段であることが分かった。池田家への兵糧無心と称して播磨を脱出し、一目散に淀に駆け込んできたのだ。


「官兵衛はこのまま播磨に戻り何食わぬ顔で羽柴様に従軍せよ。」


「しかしそれでは!」


「大丈夫だ。俺がこれから近江へ行く。…お主は播磨に残る妻子を守るのだ。」


 官兵衛は勢いをつけて汁を掻き込んだ。もぐもぐと口を動かしてごくりと飲み込むと立ち上がった。


「…羽柴様は…どうなるのでしょう?」


「羽柴様は毛利家と通じてしまったのだ。言い逃れはできぬ。だからこそ…毛利家に益が出ぬように御さねばならぬ。」


「そのために此処を?…皆、納得しておるのですか!?」


 官兵衛は周囲を見渡した。弥八郎を始め皆黙々と飯を掻き込んでいる。


「官兵衛、お主は播磨に戻れ。そして羽柴様の上洛に従軍し、土壇場で戦場を離脱するのだ。…さすれば羽柴軍に動揺が走る。」


「しかし黒田の軍勢程度では…。」


「安心なされよ。我らは時を稼ぐだけに御座る。その間に我が主が全てを収め、大軍を率いて救援に駆けつけて下さる。」


 弥八郎は落ち着いた様子で答えた。これに皆も頷く。官兵衛は恥ずかしくなったようだった。座りなおして飯を一気に放り込んだ。


「…吉十郎殿、某は播磨に戻ります。……ご武運を。」




 黒田官兵衛により、羽柴様の謀反計画が俺に知らされた。それは同時に明智様の謀反計画の露呈ともなる。官兵衛が聞いた話は、


 信長様、勘九郎様が京に少ない護衛で滞在しているところを襲い、逆賊を討ったと声を上げる。織田家勢力圏内は京を中心にして多くの兵が外へと広がっている状態で、京を占領した明智家を討つには機内への転進が必要となる。羽柴家は、誰よりも早く…いや京で事変が起こる前に転進し、逆賊明智家を討つ。


 という内容だった。


 俺が前世で知っているのと同じように進んでいる。関係者が微妙に違うのと、首謀者が自分の知っている歴史と同じ流れを起こさせようとしている転生者であることの違いがあるが。


 …いや、この事変は俺の知っている“本能寺の変”とは違う。なぜなら、この事変では、決して信長様も勘九郎様も死ぬことはないからだ。




 俺は、近江へと急いだ。




 1582年5月5日-


 所用を済ませて、瀬田に到着した。そこで俺は明智様と出会った。数名の家臣を引き連れ、消沈した様子の明智様であった。俺は下馬して挨拶をする。だが明智様は俺には目もくれず無言で横を通り過ぎていった。取り巻く家臣たちは俺に敵意の目を向けて通り過ぎていく。

 俺は明智様一行が通過するのを待って、再び馬に跨り安土へと向かった。


 安土の御殿では、明智様に変わって饗応役を務めた堀様が俺の取次にあたった。


「よく来た。奥の間で大臣様と大将様がお待ちだ。」


 そう言いながら俺を案内する。到着した部屋には既に主要人物は全員揃っていた。


 信長様、御台様、勘九郎様が襖を締め切った部屋で談笑していた。


「おおよそ、親子の団欒を装う風景では御座いませぬ。」


「確かに暗く締め切った部屋では、交わす言葉も辛気臭いわ。」


 俺の言葉に信長様は相槌を打って軽く笑った。


「ここへ来る途中、明智様にお会い致しました。」


「どのような様子であった?」


「はい、思いつめていた様子です。」


 俺の答えに信長様は腕を組んで荒い鼻息をした。そして悲しそうな表情を浮かべた。


「…十兵衛も不運な男よ。あ奴も抱え込まずに儂に相談にさえ来てくれれば、如何様にもしようがあったのに。」


「介様…それは言っても栓無きこと。今は次の算段に移る話を…」


 感傷に浸ろうとした信長様を御台様は窘められた。一呼吸おいて勘九郎様が話を始めた。


「今、兵部大輔の手引きで帝に拝謁する準備を進めております。この話は公家共にも漏れております。」


 勘九郎様の言葉に信長様と御台様が頷く。


「これに伴い、父上と私の京までの道程も母上の伝手で漏らして頂きました。」


 御台様が僅かに笑みを浮かべた。


「後は手はず通りに我らが京に入り、明智を迎え撃つ。」


 勘九郎様は力強く言い、詳細を説明された。


 この作戦は勘九郎様が立案し、信長様御台様の承認を得て、細川様と堀様が実行されているそうだ。最終的には京に侵入した明智軍を堀様と細川様の軍で囲う算段となっているそうだが…


「で、無吉、この作戦…お前の見立てではどうだ?」


 勘九郎様は俺に振ってきた。明らかに俺にダメ出しを貰うことを期待しておられる。そんなに俺が一人で秘密裏に行動していた結果を聞きたいか。


「まず、毛利家が持つ切り札についてご説明します…。」


 俺はこれまで得てきた情報を全て説明した。


 毛利家は帝が織田家に味方した場合を考慮して複数の公家を抱き込んで帝が織田家から毛利家に鞍替えしていただく段取りをつけている。その為に安芸に帝の血を引くお方を匿っている。まずこの切り札をつぶすために帯刀様に動いてもらっていること。これに来島村上家の協力を取り付けていることを説明する。

 次に畿内の兵力分散だが原田様池田様は瀬戸内の抑えのため畿内に兵力を寄越さないように仕向けていること、大和の三好様は旧大和国人衆の反乱が予想されるため兵を動かすことができないこと、伊勢の兵は明智様やこの反乱に加担した者どもを尾張方面に逃がさないよう警戒させているため、動かせないことを説明した。

 つまり、本当に細川様と堀様の兵だけで明智様の軍を抑える必要があるのだ。史実通りならば明智軍は一万四千……抑えることはできない。


「…で、どうするつもりだ?」


 信長様は嬉しそうな表情で続きを促す。


「作戦はこのまま進めます。…この作戦、漏らしている者が内部におります。」


 俺はひときわ暗い表情を見せて話を続けた。





 1582年5月7日-


 信長様と勘九郎様は少数の小姓を引き連れ安土を出発された。念のために別で行動することとし、護衛として蒲生忠三郎殿、堀久太郎様が二百の兵を率いて同道した。

 瀬田で一泊し、翌日は山科で一泊。かなりゆっくりとした旅程で9日にお二人は京に入った。信長様は本能寺に入られ、勘九郎様は妙覚寺に向かわれた。




 5月10日暁更(ぎょうこう)


 辺りは暗く、静まり返っている。


 暫くして小刻みに歩く音、甲冑の擦れる音、人馬の息づく音が聞こえ始め、やがてそれは俺のいる周囲全てから聞こえるようになった。


 四方の門がこじ開けられ、槍を構えた兵が飛び込んでくる。開け放たれた部屋に一人佇む俺を見つけ、思考が停止したように立ち止まる。兵の背中にはためくは明智家の家紋…。


「き、貴様!何奴!」


 俺を最初に見つけた兵が恐怖に怯えながらも槍を構えて声を張り上げた。俺は愛用の大太刀を握り締めゆっくりと立ち上がるとあらん限りの声で怒鳴った。


「明智十兵衛!無吉が一人で待っておる!堂々と姿を見せえぃ!」


 俺の大声に境内に入ってきた雑兵どもが一歩引きさがった。それでも勇敢な何人かが俺に近づいた。敵が射程に入った途端、俺の大太刀がうなりをあげて振られ音もなく首が飛ぶ。


「…雑兵どもよ、貴様らの大将が此処に来るまでそこで待っておれ。」


 そう言ってじろりと睨みつけると、周囲の兵たちは逃げ腰気味に俺の太刀が届かぬ範囲まで後ずさった。こんな時、何人かは無謀な者がいるものだ。俺に見えないように近づいてきたが、俺は振り返りざまに袈裟斬りに処す。部隊長らしき男が何やら命令をだそうとしたが、苦無を投げつけ額に命中…。

 門からは次々と甲冑を着た兵が入ってくるが、誰も俺に近づこうとはしなくなった。



 周囲が明るみ始める。


 陽の光ではない。木の焼ける音が聞こえる。…火を放ったか。これを合図に何人かが俺に切りかかってきた。俺は相手の太刀を最小限の動きでかわし、短刀で首筋を切り裂く。血しぶきを上げ倒れていく雑兵たち…。早く来い光秀。お前の部下が死んでいくぞ。


 炎は周囲を明るく照らした。…見えているだけで百はくだらないか。俺は再び周囲を睨みつけ声を張り上げる。


「どうした光秀!無吉は一人ぞ!」


 先ほどからぱらぱらと無謀に飛び込んで来る輩がいる。俺はそれらを一太刀で切り伏せていた。やがて立派な甲冑を着た男が現れる。…俺はその男に見覚えがあった。


「弥平次殿、貴方と刃を交わすつもりはありませぬ。…できれば、御大将が此処に来るまでそのままお待ち頂けぬか?」


 明智弥平次秀満はゆっくりと刀を抜いて俺に刃を向けた。


「吉十郎殿、一つ問いたい。この寺に大罪人、織田信長はおられるか?」


「“大罪人”か…そのような御方は居られぬ!…だが、その理由も俺が何故ここにいるかも御大将が来れば説明しよう。…早く呼べ。」


 弥平次はたじろいだ。主君より“明智”の名を頂戴するほどの剛の者であったが、俺の迫力に思わず立ち止まってしまった。


 そして暫くぱちぱちと燃える音だけが響いていく。




 一際歓声が上がって正面の門から数人の立派な甲冑を着た一行が入ってきた。俺はその中の一人を見据えてじっと睨みつけた。男は途中で周りの者を止まらせ、一人でずんずんと近づき、弥平次の隣まで来て立ち止まった。


「…来てやったぞ、吉十郎。」


 俺はまず大太刀を下に向け一礼した。


「このような場でも礼儀を重んじるか。」


「…それが武士としての誇りに御座る。」


「なるほど。某に話があるとか…。」


「…聞けば己の無能さを悔いることになろう。それでも聞くか?」


「…ここまで来て何も聞かずにその首を跳ねるのももったいない。」


 明智様はそう言うとわざと俺の大太刀が届くところまで足を進めた。弥平次が慌てて明智様の前に立ちはだかったが、明智様に後ろに控えるよう言われ、刀を抜いたまま明智様の後ろに立った。


「さあ、聞こうか。私は後悔などせぬよ。」


「では、全てをお話したうえで、大殿様勘九郎様がおわす場所を教えて進ぜよう。」




「斎藤利三という男が…毛利家に通じていたことをご存じか?」



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