10.上に立つ者
1582年1月29日 大和国須川の宿場町-
俺と梶は宿場町で一泊した。
…一泊しただけだ。
聞けば大和の浪人衆は紀伊に潜伏していたらしいが、三好様の紀伊討伐の話を聞きつけて大和に逃げ込んでいることが分かった。
「ではこの文を左近様に渡してくれ。俺はこの宿で待っているから。終われば一緒に小折に帰ろう。」
梶に手紙を託し、またしても俺は潜伏生活。しかし朝出ていった梶は昼過ぎには帰ってきて俺に抱き着いた。
「疲れました。足を揉んでくださいませ。」
甘える梶。俺は梶の頭を撫でて労う。足も揉んでやる。合間に左近様からの返事を読む。読んだ紙は直ぐに燃やした。
俺は、この大和の国主、三好様を今一つ信じ切れていない。これまで信長様の為に働き功も上げておられる。だが、どこかで何かを狙っているように思えてならない。かといって証拠もなく三好様を糾弾することなどできるはずもなく、だからこそ直接手紙を渡さずに島左近様経由で大和と紀伊のことについて具申させてもらった。これを聞くかどうかは俺の範疇外とし、何かあっても三好様の軍をあてにしないようにしておけばよいのだ。ただ毛利との繋がりがないように気を付けておこう。
「さあ、帰るか。だが、どうやって大和を抜けて尾張に戻る?」
「…やはり大和街道を抜けて長島に行き、そこから尾張に入るのが良いかと。」
それしかないか。俺は覚悟を決めると宿を出る準備をした。
翌日俺たちは宿を出発し、慎重に移動を行ったが、結局何事もなく長島までたどり着いた。拍子抜けしたというか、何かあってもおかしくないと思っていたのだが。
1582年2月2日 伊勢国長島城-
俺は再び梶とのあま…唯の一泊を行ってから、舟に乗り込んだ。ここで梶とはお別れだ。次の目的地は岡崎。会う相手は石川数正殿だ。彼は徳川家康の反逆行為に無理矢理加担させられていたのだが、乱終結後に信長様に謝罪して以降は西三河のまとめ役として松平信益様の筆頭家老として働いている。
西三河は嘗て織田家と争っていた土地柄でもあり、越前と同じく警戒する場所。それに俺に会うた時の反応も確認しておきたい。そんなことを考えながら舟で伊勢湾を渡り、鳴海に到着した。陸に上がって一息ついていると「生駒様」と声を掛けられた。
見ると勘九郎様の小姓、真田源次郎殿であった。小姓にしては少し恰好が薄汚れている…。俺は即座に周りを見渡す。
…いた。い、いやおられた。
慌てふためく俺の様子を見てにやにやするお方…と誰?
俺は気を取り直して近づきそっと囁いた。
「いったいどうして私が此処に来ることをお知りになったのです?」
勘九郎様は日除けの笠を被って顔を隠していたが口元ははっきりと見えておりにんまりと吊り上がっていた。
「鷹狩りの最中に梶殿を見つけてな。事情を聴いて楽しそうだと思い、そのまま来た。」
俺は源次郎を見た。気まずそうに頷く源次郎。ということは一緒にいるこのお方はお市様の御子か。…なんだ側に控えるのは黒田吉兵衛ではないか。
「で、岡崎に行って誰と会うのだ?」
俺は梶を恨んだ。と同時に哀れみもした。勘九郎様に俺のことを尋ねられて答えない、嘘をつくなどという無礼は梶にはできない。
「…付いて来られる気ですか?」
「場合によっては浅井市之助を使者として行っても面白かろう。」
「お、叔父上!」
市之助様が声を上げるが、そんなことで聞くような勘九郎様ではない。むしろ人の悪い笑顔で返してきた。…こういうところが信長様とよく似ておられる。
「わかりました。私が何を言おうと付いて来られると思うので、勘九郎様ありきで進めまする。」
「物わかりの良い家臣で助かる。」
そう言って勘九郎様は源次郎を見た。源次郎は俯いた。…日頃からもてあそばれているのであろう。ご愁傷様だ。
俺たちは身なりを整え、馬を調達して岡崎へと向かった。半日ほどで岡崎に到着する。途中で段取りを確認しあったうえでここまで来たのだが、城門前に到着した市之助様はガッチガチの表情だった。
「か、かいもーん!我は織田左近衛大将がかちん、あぁ浅井市之助である!御城主に取り次がれたし!」
…声は裏返ってるし、カミカミだし…使者としてのお仕事は初めてなのか?
俺はそう思って吉兵衛を見た。心此処に在らずといった表情で市之助様を見つめていた。…勘九郎様が笑いをこらえきれずに肩を震わせている。岡崎城の門番も四人の従者を従えた若武者に驚き、一気に慌ただしくなった。
少しして応対の者が現れ俺たちを導き入れた。四人は下馬し市之助様を先頭に城内へと入っていく。相変わらず市之助様の動きがぎこちない。廊下に入ったところで市之助様の後ろを歩いていた三人が止められた。
「従者の方々は此処へ…。」
と勧められたが、市之助様は「この者らも同席させて頂く!」と強い口調で言うと応対の者がすっと手を引いた。…市之助様、目が怖くなっておりますぞ。
奥の部屋まで案内されると、既に一人の白髪交じりの男が座って待っていた。
石川数正……。
俺の目的の人。
市之助様が石川殿の正面に座り、俺たちはその後ろに座った。
「主は直ぐに参ります。暫しお待ちを。」
そう言って石川殿が頭を下げた。俺は石川殿をじっと見つめた。頭を上げた石川殿と目が合う。そして俺が誰なのかに気づく。一瞬表情を変えるも平静さを装い視線を外した。
だが少しして何かに気づいたように目を見張る。顔を上げて俺以外の従者の様子を伺った。
バレるのは時間の問題か。
「松平殿はまだで御座るか?」
不意に市之助様が声を掛けられ石川殿は再び頭を下げた。
「今暫くお待ちを。」
俺は石川殿の顔をじっと見つめる。表情が硬い。気づかれたかもしれん。この後石川殿がどうでるか…だ。
そして松平信益様が入ってくる。入ってくるなりぎょっとして驚いた表情を見せたが直ぐに平静を装い上座に座った。
「お待たせ致した、使者殿。」
「お初にお目に掛る…浅井市之助に御座る。」
「おお!清州の方(市姫のこと)の…織田家の御一門にも連なる方の来訪とは…さも重要な事柄に御座ろう。…お聞き致しましょうぞ。」
…松平様は気づいている。視線が市之助様ではなく、その後ろに伸びている。
「毛利への攻勢を強める。ついては松平殿には二千の兵をもって長島まで出陣されたし。」
市之助様が口上を述べられる。発音がおかしかったがまあいいでしょう。…吉兵衛、心配そうな顔するな。
「…二千で宜しいか?我らは五千まで出せますぞ。」
「それでは西三河を守る者がいなくなる。我が主の話では二千で良いそうだ。」
このやり取り、本来ならばおかしい。勘九郎様直轄の軍団は軍務と政務を分けた。そして松平様は政務担当。故に遠方への派兵の命令を出すことはない。だが主からの命令、しかもその本人はこの場にいる。そのことに気づいている松平様はどう解釈されるのか。…石川殿が横やりを入れてこないところを見ると石川殿も後ろの勘九郎様に気づいており様子を伺っているのだろう。
「二千の兵は大々的に出陣で宜しいか?」
松平様が不意に質問された。…中々いい質問だ。しかし市之助様はどう答えていいかわからず、後ろの気を窺っている。
「…尾張からは丹羽が、美濃からは遠山が、信濃からは木曾が、それぞれ兵を率いて長島に集まります。松平殿に置かれましても雪解けを待って…派手に進軍をお願い致しまする。」
勘九郎様が床に両手をついて市之助様の代わりに口上を述べられた。なるほどそう来たか。元々帯刀様を安芸に送り届けるために九鬼水軍をと考えていたが、それでは九鬼水軍の動きがバレたときに説明がつけられない。加えて勘九郎様と帯刀様の仲の悪さを広めたいのにこのお二人で何らかの行動はよくない。そのカモフラージュの為に東国の監視に支障のない地域からの派兵か。流石は勘九郎様。…でその口上に松平様も石川様も驚いている。ついでに言うと俺以外が驚いている。
「あ、相分かった。長島への出陣、しかと承った。」
驚きの表情を見せながらも、松平様は了承された。石川殿は…俺と勘九郎様の様子を伺っている。市之助様はどうしていいかわからずあたふたしてる。…しゃーない。
「ご安心なされませ。我が殿はその武威を西国に見せつけんが為に長島から鉄甲船を使うつもりに御座ります。松平様に置かれましては御ゆるりと船上のひと時をお楽しみ頂ければと存じます。」
俺が念押しする。「戦の予定はないですよ」と。
「ただ、舟に強い者をご用意なされませ。」
勘九郎様が追加する。石川殿が豪快に笑った。つられて松平様も笑われた。
「瀬戸内の海の船旅か。誠に持って楽しみで御座る。…雪解けの季節が待ち遠しいわ。」
そう言って石川様がまた笑った。その表情には緊張の色は見えなかった。
使者は役目を終えて岡崎城をでる。俺と勘九郎様は納得のいく内容に満足顔。源次郎と吉兵衛はわけもわからず混乱した表情。市之助に至っては納得いっておらずふくれっ面である。
「市之助、此度の打合せの真意が読み取れるようになれば、お前も一国の主となれる器になろうぞ。」
勘九郎様は市之助様を労うように肩を叩く。
「叔父上…私には晴れやかな松平殿の表情の意図がわかりませんでした。」
「源次郎、吉兵衛はわかったか?」
二人は残念そうに首を振る。勘九郎様は俺を呼んだ。…説明せよってことか。
「上に立つ者は例え雑兵であろうとも命を掛けることには慎重にならねばなりませぬ。…松平様は領地管理を任された代わりに軍権のないお方。派兵については別の意図があると解釈されました。そして派遣した兵の命は安全であることを聞いて、この出兵は瀬戸内まで行かないとご理解されたのです。」
三人は頷く。
「そして派兵に別の意図があるにも関わらずその意図を追求せず晴れやかな表情で承知下さったことで、我等も松平様を信頼して諸事を任せられると判断したのです。」
三人は一斉に勘九郎様を見た。勘九郎様は笑った。そして馬に跨る。
「早く帰るぞ。また監物がうるさくなる。」
俺もやるべきことを全て終えたので勘九郎様に付き従った。他の三人はまだ顔が曇っていた。
「市之助、源次郎、吉兵衛。今織田家に何が起こっているのか……それを知る者は少ないながらおる。だが、織田家を守る側として知っているのか、織田家を陥れる側として知っているのか、その見分けがつかぬのだ。」
源次郎があっと叫び慌てて口を塞ぐ。
「源次郎はわかったようだな。私は家臣たちを試さねばならぬのだ。そして誰を信用し誰を疑うのか常に見極めて進まねばならぬ。」
そう言って勘九郎様が俺を見た。だがすぐに馬を走らせた。
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後年、勘九郎様は覚書を残されていた。
私がそれを見たのは勘九郎様の葬儀の後である。
新しい“近江大臣”から呼び出され大層に丸められた書物を渡されると…確かに勘九郎様の字で九つの覚書が記されていた。
そのうちの1つに、
「安土の天守に立つ者は、おおよそ家臣を信じるなかれ」
とあり、続いて、
「只一人、全幅を寄せる者見繕うべし」
とあった。
この覚書は、近江大臣が次の大臣に位を譲る際に必ず引き継がれることになる。私が覚書を見たのはこの一度きりだが、歴代の大臣は何かにつけてこの覚書を見ることになるのだろう。
武家の頭領としての心構え…。
勘九郎様は信長様から位を譲られて備わったわけではなく、もっともっと前から備わっていたのだと、私は過去を振り返って考える。
信長様もそのような勘九郎様を早くに気づいておられ、「全てを任せるに足る者なり」と潔く身を引かれた。
織田政権の初代は信長様であるが、最も輝かしい功績をあげられたのは勘九郎様に他ならないと記しておこう。
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あの時、勘九郎様が俺を見た理由は勘九郎様が旅立たれてからその意味を理解することになる。




