7.恵瓊の野望
この物語を読んで頂いている皆さま
長らくお待たせいたしました。投稿再開です。
そして、このまま完結まで投稿いたします。
投稿前に何度も読み返しておりますが、誤植があるかもしれません。
平にご容赦を・・・
1581年12月14日 尾張国小折城-
俺は今、服喪中である。
年明けまで、喪に服せとの信長様のお達しで小折で静かな日々を過ごしている。
生駒家長様の位牌の隣に新たな位牌を並べ、毎朝祈りをささげる日々である。なんとなくやっていたことが習慣となってしまっていた。
今日も早朝から手を合わせてひとしきりお祈りすると寒さも多少は吹っ飛び、写経にも身が入るというものである。
淡休斎様の死後、京の街は表面上は穏やかながらも裏では公家衆や山城の国人衆が慌ただしく活動していた。情報は逐一甚助様から受けている。同時に京と堺を往復する商人の数も一気に増えた。…どうやら敵の諜報官は堺に潜伏しているようだ。堺の街の地図に商人の動きをトレースしていけば、自然とその潜伏場所がわかるであろう。
同時に安土と朝廷間での手紙のやり取りも増えた。初めはお悔やみの文からであったが、最近は要望事項やらを色々と並べているらしい。御台様からの情報だ。御台様宛に文を送り「信長様によろしく」などといった形で要求を述べているらしい。信長様が怒髪天になる姿が目に浮かぶ。
更には明智様と丹羽・蒲生様との交代が命じられた。今月中には軍勢を入れ替えるそうだ。雪の降る中大変なことだと思う。明智様の軍に加わっている与三郎の話では、京および本領の坂本に戻れることを大いに喜んでいるそうだ。
考え込んでいると梶が部屋に入ってきた。俺以外に誰もいないことをすばやく確認して側に座るとすっと折りたたんだ紙を渡した。
「…お疲れのご様子なので、日を改め伺います。」
当たり障りのない言葉を投げかけ立ち上がって部屋を出ていく。俺は何とも言えず苦笑してから紙を広げた。
「……ふむ…伊賀衆の動きが活発だということか。公家に彼らを雇うだけの銭は持っておらぬ。誰かが資金を提供していると考えるべき。今井宗薫様や安井道頓様からの連絡がない故、どこの誰が資金提供者なのかがわからんが…伊賀衆が公家共に付いて動いてるとなると厄介だな。奴らは先の大和仕置きのお陰で全国に散らばっている。下手をすればまたもや包囲網が行われるか……それはないか。そんなことをすれば織田家の結束が高まる。敵の目的は…織田家の内乱誘発…。」
そこまで独り言を言って俺は考え込んだ。
過去の経緯で家臣団の結束を弱め反乱を引き起こさせるのに邪魔になるのは家中でキーマンとなりえる存在。俺が考えているキーマンは、蒲生様、淡休斎様、そして鬼面九郎…。
決して自惚れているのではない。
相手は俺(鬼面のほう)を警戒している。それは俺が信長様や勘九郎様と親しいからではない。…俺の正体に感づいているからだと推測する。
このことから導き出される答えは…ひとつ。
恵瓊と名乗る男は、俺と同じ前世を持っている。どういう前世の内容かは知らんが、“本能寺の変”を知っておりこの時代でもそれを引き起こそうと動いている。
俺は部屋に飾られている大太刀に目を向けた。
鬼面九郎という武将は俺の前世に存在しない、恐らく恵瓊の前世にもいないであろう。そしてこの男が自分と同じ違う世界から来た人物だと考えた。自分が恵瓊として立身出世するには、“本能寺の変”で織田家が衰退し豊臣家の時代となり、“関ヶ原の戦い”で石田三成を裏切って東軍につけばよいのだ。
だが時代にそぐわぬ偉丈夫に大太刀を振るういで立ち。聞いたことのない名で活躍する俺が本能寺の変を回避させようとしていれば、さすがに気づくな。…「邪魔だ」と。
だが、今キーマンとなる3人は畿内にも近江にもいない。加えて明智様が近江にしばらく滞在することになったのだ。…絶好のチャンスだぞ。
さあ来い、恵瓊の名を騙る前世を持つ者よ。
お前が堺に潜伏していることはわかっているんだ。
1581年12月14日 河内国堺-
…こういう場合、“賽は投げられた”というのであろうか。山科淡休斎の死に続いて明智光秀の召喚、蒲生・丹羽の遠征。かねてからの計画を進めるには絶好の機会到来だ。拙僧が気にする“鬼面九郎”は関東旅行の真っ最中。この機を逃さじと畿内のあらゆる人物に伊賀衆、茶屋の手の者を接触させた。
もう後戻りはできぬ。…いやする気もなかったか。思えば、この世に生を受け、恵瓊として生きる決心をしたあの日から拙僧はこの日を待ち望んでいた。
安芸で廃業寸前の商家に生まれた拙僧は、ある日毛利の軍に攻め込まれ命辛々逃げ出してきた武士を匿った。武田信重の家臣と名乗った武士は拙僧と同じくらいの歳の子供を父に預けて命を落とした。
拙僧の家族も戦乱に巻き込まれて実家の安芸山本を離れることとなった。このとき拙僧の父は預かった子供を殺し、持ち物を全て奪う。そしてその中にあった手紙を読んで、安国寺という寺へと逃げ延びた。
やがて仏の道を歩み始め“恵瓊”と名乗ることになって、拙僧があの安国寺恵瓊を演じていることに気づく。そこからはがむしゃらだった。恵瓊の人生は未来の知識を持つ拙僧であればよく知っている。この乱世を生き延びるにはその知識をフル活用して立身出世することを望む。
だが歴史は拙僧の知る歴史からは大きく変る。織田家が異常に強い。将軍の権威など気にする様子も見せず毛利家を脅かしてきた。周辺諸豪族と結託して反撃するものの織田家の鉄壁の守りに大敗し、拙僧は一時毛利家を去ることにもなった。
おかしい、何か別の力が働いている。
そう感じた拙僧は徹底的に織田家を調べ上げた。そこで要所要所に名の上がる“津田九郎忠広”なる大男……。拙僧にはわかった。こやつこそ歴史の流れを変えている元凶だと。
こやつがいることで歴史が変わる。
織田家が天下を統一してしまう。
拙僧は再び毛利家に仕官し、本能寺の変を起こさせるべく明智光秀と羽柴秀吉に接触した。そして互いをライバルとして意識させ、信長への不信と天下への野望を植え付けることに成功はした。拙僧はここでじっとしていてもXデーはやってくる。年月をかけてそのための下ごしらえをしたのだ!
「歴史は繰り返されるのだ。」
拙僧は目を閉じた。これより瞑想を行う。心を無にしただその日がやってくる事を仏に祈ろう。
…信長と信忠が同日に命を落とす日を!
1582年1月1日 尾張国小折城-
広間に妻子一同が集まり挨拶をした。淡休斎様を偲び頭を下げるだけの挨拶。…しかし改めて見ると壮観だ。皆美人だし、子もかわいい。俺にははっきり言って勿体ない。早く全てを終わらせて各々の家名を継げるようにしてやらねばと思う。
「吉十郎様、どうかされましたか?」
挨拶に対して何も言わない俺を不思議に思って茜が訪ねてきた。
「いや、この子らが将来家名を背負って織田家に仕えることを想像していたのだ。」
「まあ、お気の早いことです事!」
留が嬉しそうに笑って答える。
「アタイは別に池田の名を継がせるつもりは…。」
ほほを膨らませて咲が言うが俺は首を振った。
「皆には実家の名を名乗らせるつもりだ。俺も子らが皆元服したら、隠居し仏門に入ろうと考えている。」
皆の表情が改まった。ただ事ではないと感じたのだろう。代表して茜が背筋を伸ばして聞き返してきた。
「吉十郎様のなされること、お止めする謂れは御座いませぬ。されど理由をお伺いしとう御座います。」
俺は説明した。
俺の出生については皆知っている。武家でも公家でも商家でもない。そんな人間が官位を持ち、織田家の中枢で信長様からも勘九郎様からも信頼を得て仕えている。はたから見れば嫉妬の的なのだ。ましてや多くの子を成して繁栄しようものなら将来の禍根に繋がる。故に俺は俺一代とするのだ。俺の役職も俺の異名も俺の領地も。
そうすれば、この先武家公家以外で織田家中枢に仕える者が現れたとしても、俺という存在にならってその者の地位は一代限りとなる。
皆は納得した。そこまでして織田家に仕える必要があるのかと嘆きつつも俺の意思を理解してくれた。
「今の話、伊勢家でしかと記録いたしましょう。父上は日頃から旦那様の役に立つことをしたいと申しておりました。」
福があどけない笑顔で答える。
「それはありがたい。では京に行ったときにご依頼致そうぞ。」
福は嬉しそうに顔を赤らめた。
「京へ…ということはこの後予定が御有りということですか?」
梶が目ざとく聞いてきた。
「うむ。越前、若狭、近江、河内、伊勢と渡る予定だ。」
長旅である。ふた月ほどかかるであろう。もちろん供もなしだ。目的は各地に散らばる有力諸将の様子を確認するためだ。
「大和へは?」
梶が質問を続ける。俺は首を振る。
「大和の地は俺にとっては危ない。此度は遠慮した。」
「…誰か向かわせましょうか?」
「梶が信頼できるものを用意しておいてくれ。時期が来たら文を託す。」
「ア、アタイも信頼できる者を用意…」
「咲殿、其方にはここでこの子らの世話を頼むぞ。皆、一番咲殿に懐いておるのだ。」
「う、うん、そうだけど…。」
「では咲殿にも頼み事をしよう。俺のあの大太刀を磨いておいてくれ。」
咲殿は目を輝かせた。
「お任せ下さい!」
咲殿を見て留姫が大笑いする。
「咲様はよほど旦那様の御役に立ちたいと見えます。されど逆に汚してしまっては大事。妾もお手伝いさせて頂きまする。よろしいですか?」
「そうだな、留姫もよろしく。」
俺の言葉に咲は膨れた。またひとしきり笑いが起きた。
最後の出張だ。これが終わって尾張に帰ってくる頃には起こっているはずだ。




