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6.山科の最後

三話連続投稿の三話目です。

もう少し書き進んでありますが、キリがいいので続きはまた別日に投稿させていただきます



 ~~~~~~~~~~~~~~


 本能寺の変直前の各国の動向はわかりにくい。ここで詳しく記録しておくとしよう。



 まずは東国だが、

 越前の前田利家様と越後の上杉景勝様は、来るべき出羽陸奥への出兵に備えて街道の整備を進めていた。既に奥羽諸将との接触は始めており、その複雑な婚姻関係であることを知って頭を悩ませていたと聞いた。また、上杉家は完全に織田家に臣従しているわけではなく、上杉領内では織田家に対する反発が大小発生しており、北陸方面の軍は領内安定のための活動が断続的に行われていた。

 相模の北條家は西国への出征の任を解かれ、大急ぎでの立て直しが行われていた。しかし今川家の計略により、関東諸将はおろか家中の関係もぎくしゃくしており、この対応に追われていた。


 続いて織田家本領である。

 甲斐、信濃、駿河、遠江、尾張、美濃は支配体制を大きく変更した混乱が収まっておらず、兵を率いる将と国内を統治する将との連携が不足しており、関東へのけん制を行うべく上野、武蔵を中心に兵を配置しているが想定通りの活動ができていない状態であった。要は組織変更の過渡期にあたり、最も活動に制限がかかっている時期であった。


 そして畿内以西である。

 伊勢、大和は三好義継様指揮のもと、紀伊の残党を討伐すべく戦線を南に向けており、四国は相変わらず消極的な伊予侵攻に信長様が怒り心頭しており、明智様と蒲生様でとりなしている状況であった。

 羽柴様はようやく備中攻略に本腰をいれ、備前に兵力を集中させており、山陰側は信長様の命で明智様が畿内に召喚されているため停滞していた。これに対し丹羽様、細川様が入れ替わって兵を率いる準備を進めている。



 この時期、京で事変が起こった際に即座に行動可能な軍は河内の原田直政様の軍だけであったと記しておく。



 そして、この状況は私と養華院様が意図して作り上げた状況であり、織田家を陥れようとしている者の思惑と合致したことによる状況であった。


 ~~~~~~~~~~~~~~



 1581年10月4日 山城国 淀城-


 淀城へは、周囲に気づかれないペースで城内の兵糧武具を蓄積させている。費用は原田様から用立ててもらっている。兵は池田の義父殿から援軍を頂けるように調整済。京の様子については甚助様から流してもらうようにした。


 準備はできている。


「…ですが、殿がここに籠ったままで問題ないのでしょうか?」


 孫十郎が素直に質問する。


「各方面の軍の動きについては阿賀月衆から連絡を貰っている。更に御台様からも情報を頂いている。」


「旦那はそのご身分にそぐわないご交友がおありで…。関心というか呆れます。」


「吉十郎様は赤子の頃より内大臣様、御台様から面倒頂いているお方。家中の古株の方々からもよくして頂いています。当然です。」


 孫十郎が孫一に言い返すと弥八郎が失笑した。


「そのようなお方自体が希少です。…まあだからこそここにいる面々も各々の思いがあって殿にお仕えしていると思っておるのですが。」


 皆が頷く。俺は気恥ずかしくて頭を掻いた。



 今の俺の家臣団は後世から見ると誰もが羨むものであろう。


 家臣筆頭に芝山孫十郎秀綱、淀城代に本多弥八郎正信、軍務方として前田慶次郎利益(鬼面九郎に扮して東国漫遊中)、津田与次郎重久(明智軍に貸出中)、山岡八右衛門景佐、多賀勝兵衛貞持(四国から帰還)、雑賀孫一重秀、平井孫市義兼、服部半蔵正成、内務方として日下部兵右衛門定好、木村常陸介重茲、隠密方として阿賀月段蔵。この中で俺の計画を聞かせていないのは慶次郎と与次郎のみ。


 だが兵力は敵に警戒させないためにギリギリの千五百。親父殿の増援含めても三千に満たない。これで西から攻めてくるであろう万を超す敵を足止めせねばならぬのだ。


「段蔵殿、権兵衛殿の行方はわかったか?」


「…残念ながら。家中では羽柴様の叱責を受けて出奔されたとの噂に御座います。」


 結局、仙石殿は行方知れずで既に家督と所領は次男の秀範に継承されている。


「東国のほうは大丈夫ですか?」


 弥八郎が話題を切り替えた。


「庄九郎からは特に連絡はない。」


「庄九郎様はこのことをご存じなのですか?」


「ああ。あいつには言っておかないとかえってうるさいからな。」


「他に美濃方でご存じなのは?」


「まだ居らぬ。…最終的にはご主君と半兵衛様にはお伝えする。」


 ここまで会話して弥八郎は首を捻った。


「そこまで秘匿されるとは…誰か気になるお方でも?」


 流石は本多正信だ。いい推理をしている。


「証拠はないが怪しい者はいる。」


 弥八郎は天井を見上げて考えた後、納得したかのように頷いた。


「では、殿への文については全て一旦我々のほうで検めさせて頂きます。」


 俺は頷く。


「お前たちの采配に任せる。…くれぐれも京の動きと備前、播磨の動き、それから、堺・平野の動きをについて注意を怠るな。それと我らは囮だ。見つかったとしても何食わぬ顔して続けろ。それだけ甚助様の生駒衆が暗躍できる。」


 皆が一斉に頭を下げた。躊躇のない対応に俺の表情は曇る。“見つかっても何食わぬ顔で”というのは、“とらえられた場合でも堂々として死を選べ”と言っているようなものだ。こんな俺に命を掛ける価値があるのだろうかと自問してしまう。


「では、俺は小折に戻る。」


 俺はそれだけ言うと、護衛の小姓を連れて尾張に戻った。



 1581年10月12日 和泉国 堺-


 川沿いの大通りから路地を曲がり、奥へと進む。そこには堺では一般的な大きさの屋敷があり、甲冑を着た門兵が近づく男を見つけ、身構えた。


 だがすぐに警戒が解かれ、会釈を受けた。男は無言で門兵のよこを通り過ぎて屋敷の中に入った。屋敷の入り口にはやはり甲冑を着込んだ兵が立っているが直ぐに姿勢を正して会釈する。男は黙って通り過ぎると奥から刀を差した眼光の鋭い武士が迎えた。


「…何かあったか?」


「京からの知らせです。お取次ぎを。」


 男は懐に入った折りたたまれた紙をちらりと見せた。武士のほうは無言で踵を返して手で合図した。男も同じく無言で屋敷に上がって武士に付いて行った。奥の座敷で茶を点てていたのは商人風の衣装に頭髪を剃った装い。やってくる二人を見つけるとゆっくりとした所作で姿勢を正した。


「何かあったようですね。」


 男は商人風の男の声に反応して息を整えてから懐の紙を差し出した。商人風の男は紙を受け取ると黙ってこれを広げ視線を動かした。読み終えると湯を沸かせている炭の上に置く。紙はあっという間に燃え尽きた。


「…山科卿のお命が危うい……。彼の者が消えれば、京への影響力を持つ者が大きく変ります。明智になるか、村井となるか、はたまた山科卿の後を継ぐ誰かになるか。…いずれにしても織田家の重鎮、山科淡休斎が死ねば、京の公家共は動き出すでしょう。」


 紙を持ってきた男は引きつった笑いを商人に見せた。わずかに怯えている。


「茶屋四郎次郎殿、京の御父上に言伝を。…公家と明智の動きを逐次ご報告下され、と。」


「はは!」


 男は平伏した。そして急いで部屋を出ていった。護衛の武士も元の位置に戻った。商人風の男は再び茶道具に身体を向けた。


「…ふふふ。鬼面九郎は関東で動き回っていると聞く。今のうちに計画を進めて信長と信忠が京に来る理由を作るのだ。後は光秀を暴発させればよい。それまでは、拙僧はここで敵の動きに合わせておけばいいのだ!」




 1581年10月25日 山城国 山科館-


 静かに寝息が聞こえる。風通しを良くした部屋の中央に敷いた布団に老人が横たわる。数人の男女がその老人を囲んで様子を伺っていた。


 山科淡休斎危篤の知らせを受けて密かに四人の男女が山科館に集まった。村井信正とその正室、生駒信輝とそのご正室の四人である。淡休斎の実娘である信正の正室“恭”はほろほろと涙を流していた。


「父上様…父上様…。」


 淡休斎の手を握り締めか細い声で父を呼び続けていた。反対の手は淡休斎によって命を助けられ養女となっていた“茜”がしっかりと握りしめていた。


 吉十郎と帯刀はその隣で顔を見合わせてため息をついていた。死を迎えつつある義父に対して多少の悲しみはあった。だがそれ以上に気がかりなのは大事な時期にこの京から淡休斎の影響力が失われることへの懸念であった。かと言ってその話をここでするわけにもいかず、じっと互いの正室の側に座って様子を見ていた。


「ふ…複雑な顔をしとるの…二人とも。」


 しわがれた声を聴いて四人が一斉に横たわる老人に顔を向けた。見ると、わずかに目を開けて微笑んでいた。


「お父うえ!」


 恭が思わず淡休斎に抱き着いた。


「帯刀、む、娘を…。さすがに苦しいわ。」


 帯刀は慌てて恭を抱きかかえた。恭に顔を拭くようにと手ぬぐいを渡して下がらせる。そして落ち着いてから淡休斎が二人の義息に声をかけた。


「貴様らが…考えておるのは…儂がいなくなった…後のことであろう?」


「…はい。」


「ふふふ…公家共が自家安泰のために…次なる京の支配者を…求めるであろうな。」


「はい、そしてその求めに応じて織田家中の関係が悪くなるでしょう。」


「…奴らは、誰に…助けを…求めるかの?」


「明智、羽柴、三好、北畠…あたりかと。」


「いい線だな…。だが…幾人かは濃殿を通じて…三郎にも接触するであろう。」


「そうなれば、内大臣様が勘九郎様を引き連れ帝に会おうとされるでしょう。」


 吉十郎が身を乗り出して答える。


 理屈は簡単だった。公家衆は騒ぎ立てるのが上手い。独自の連絡網で畿内から全国の諸将に対して連絡を取ることができる。当然帝に対しても奏上することも可能だ。それを抑えていたのが淡休斎であり、彼が指揮していた西野衆である。だが淡休斎がいなくなってしまえば公家衆は蠢動する。それを全て抑え込むには村井甚助貞勝、村井帯刀信正だけでは難しい。

 ならば織田家のツートップが直接帝と話をして公家共に耳を貸さないよう説得する必要がある。


「…無吉、お前はその状況を…敢えて作ろうと…しているのではないか?」


 遠くを見つめるような目で淡休斎は吉十郎を見た。吉十郎は黙って一礼する。


「危険な賭けではあるが…現実の見えていない公家共を…一掃するには…良い案だ。」


「義父上…某は無吉の案には賛成できませぬ。京に兵がなさすぎます。」


「…鬼面九郎は…東国で活躍しておる…そうじゃの?儂の調べでは…幾人もの商家が東国の様子を…伺っているそうだ。」


 淡休斎は話題を変えた。そしてその言葉に帯刀は気づかされた。


「……影武者!?」


 その言葉に淡休斎はにこりと微笑んだ。






 ~~~~~~~~~~~~~~


 1581年11月1日、織田家の重鎮として家中にも朝廷にも睨みを利かせていた山科淡休斎が息を引き取った。

 本来ならば長島の一向門徒との戦で命を落としていたお方は…私の命を救い、私の最愛の茜を救い…いや多くの戦乱から民百姓、商家をお救いなされた。


 目を閉じれば今でもそのお姿が浮かんでくる。…何度も殴られ、蹴られ、怒鳴られた。


 織田家への貢献度も絶大で彼を慕う者も少なくなく…山科館に淡休寺を建立して手厚く弔われた。



 淡休斎様は我が目標であったと記しておく。


 ~~~~~~~~~~~~~~





茶屋四郎次郎:史実では徳川家に仕え、御用商人として京で権勢を振るった豪商になります。本物語では堺を訪れた男は二代目の清忠になります。


山科淡休斎:織田信秀の庶長子で、信長の異母兄にあたります。信長が家督継承時には反旗を翻していたこともありました。尾張統一後は名を“古渡”と改め織田家の重臣筆頭として主に京周辺で活躍し、支配域拡大に伴って体制が盤石になると出家して“淡休斎”と名乗りました。若き主人公を殴る蹴るなどの愛情表現で鍛え上げ、最後まで主人公を気遣っておりました。


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