4.秀吉と隆景
お待たせいたしました。
三話連続投稿の一話目です。
1581年7月2日 美濃国 岐阜城-
俺は瀬田で八右衛門と合流して岐阜へと向かった。途中小折に立ち寄るため、伊賀から伊勢に抜ける道を通ったため、予想以上の時間をかけた形での登城になった。孫市たちを別の間に待たせて、俺は謁見の間へと急ぐ。既に半兵衛様と玄以様が座られており、俺のすぐあとに池田庄九郎がやってきた。
「吉十郎、何処に行ってたのだ?」
庄九郎は別に怒っているわけではなく不審な表情で俺を見ていた。
「池田殿、話は殿が来られてからだ。」
玄以様に窘められ、むっとした表情で庄九郎は下座に座った。俺も庄九郎の隣に座る。暫くすると小姓を引き連れて我が主君が姿を現した。
「無吉、お前は大事の前になると必ずいなくなるな。」
俺は慌てて頭を下げた。“大事”とは何か、まだわかっていない。
「殿、吉十郎はまだ聞かされておりませぬ。」
半兵衛様が説明する。俺は内容を聞いて正直驚いた。
関東の大半を治めていた北條家は織田家に屈服した。それを見ていた関東諸将は織田家になびくわけでもなく、北條家の切り崩しにかかり始めた。北條家に臣従して浅い国衆を調略し始めたそうだ。…織田家にとってはその動きは既定路線だったため特に問題ないのだが、この動き自体が北條家の周辺全般に渡って行われているということだった。普通は示し合わせもなく国衆たちが大国相手に調略など行わない。つまり誰かが後ろで糸を引いているということだ。
上野の真田安房守様からの報告によると駿河の商人の動きが活発になっているとのことだった。
「…今川が今更北條に何を?」
俺は考え込む。すると半兵衛様がこう答えた。
「恐らく北條と一戦交え、引き分けか勝利を得たうえで我らに降伏する気でしょう。」
半兵衛様の発言にご主君は頷く。
「問題は今川家に関東の国人衆を動かすほどの人物がいたか…ということになる。」
勘九郎様の発言はこの場にいる全員を唸らせた。
「そう言えば他の方々は?」
俺の素朴な質問に玄以様が咳ばらいをしつつ答えた。
「斎藤殿を筆頭に軍務を担う面々は各地に散っておる。旗本の内、ここに残っているのは池田殿と蜂須賀殿だけである。」
「彦右衛門はどうされました?」
「昨日より腹を下したとかで療養しておる。」
「つまり動ける者が無吉と庄九郎しか居らぬということだ。」
俺は嫌な予感がした。
「つまり駿河へ向かえと?」
俺の言葉にご主君は微笑んだ。
「庄九郎を行かせようと思っていたのだがな。ちょうどよく無吉が来たと聞いてな。」
俺は考え込んだ。関東の件は気にはなるが、できればこの一年は京周辺に身体を預けておきたい。
「吉十郎、気になることがあるのか?」
俺の様子を見て庄九郎が聞いてきた。
「…ああ、やはり毛利が気になる。明智様と羽柴様で対峙されてはいるのに戦がなさ過ぎて…」
俺はしゃべりながら様子を伺う。
「う~ん…実は某もそれが気になっておりましてね…。」
半兵衛様が俺に同調した。その半兵衛様を見てご主君の表情が鋭いものに変わる。
「…羽柴、明智、毛利の中で密約があるとでも?」
「わかりませぬ…が意図的に毛利との直接の戦を避けていると考えております。それは逆もしかり…。」
俺もそう思う。そうでなければこんなに戦が長引くとは思えない。
「羽柴様、明智様の陣営には私の知己がおります。それぞれの様子を聞くために西国へ行くのをお許しください。」
「で駿河はどうする?」
俺は黙り込む。案無し。個人的には西だ。組織的には東だ。半兵衛様、助け船を!
「う~ん…西国は商人衆同士で繋がりのある土田生駒衆に任せたいと思うのですが。」
俺は半兵衛様を睨みつけた。その瞬間にご主君が大笑いをした。
「はっはっは!無吉はよっぽど毛利のことが気になるようだな。…わかった。庄九郎、悪いが梁田衆を引き連れ駿河に入ってくれ。後から無吉も行かせる。」
庄九郎が頭を下げた。
「無吉、西国への調査を許可する。だがひと月だけだ。それ以上かかる場合は土田生駒衆に引き継がせる。我らが重視すべきは東だ。西は父上の範疇だ。」
「はは!ありがとうござりまする!」
俺は床に額をこすりつけるように頭を下げた。半兵衛様は不満げな顔で俺を睨みつけた。
「殿は吉十郎に甘すぎます。」
玄以様と庄九郎は大きく頷く。
「此度はその甘さを利用させて頂きたく…。」
「ほほう、どう儂を利用するのだ?」
ご主君は嬉しそうに半兵衛様の話に食いついた。
「はい、吉十郎には東国漫遊の旅をして頂こうと思うのです。」
俺は「ん?」と聞き返した。ご主君も同様だった。
「吉十郎は馬備えの一件でその名が知れ渡っております。…ああ鬼面九郎のほうですね。そしてあの鬼面が主君の許しを得て東国に向かっている…と噂になれば…。」
「皆が東国に注目する。そうすると関東も西国も監視の目が緩む…?」
「そこまではならないと思いますが、攪乱することはできると思います。」
「何のために?」
「吉十郎と、池田殿の活動に気づかれぬように…です。」
「我らはそれほどまでに見張られている?」
ご主君の質問には玄以様が答えた。
「殿…意外とこの国を出入りする隣国遠国の商人がおりまするぞ。何時、何処で、誰を見たなんて情報はすぐに出回ってしまいます。」
玄以様の言葉にご主君は小さく頷いた。
「それを逆手に取って情報を攪乱しようというのが半兵衛の策じゃな?」
「はっ。ただ、吉十郎はこの姿ですからな。効果があるかどうか…。」
「夜道を進む大柄な男として広めればよいのだ。それなら無吉の代わりをできる者はおる。」
「では、私は“鬼面九郎”ではなく“生駒吉十郎”として西国へ行きまする。」
こうして、俺は西国行き、庄九郎は東国行きとなった。この時俺は彦右衛門のことについて何も言わなかった。
いや、言えなかったと表現するほうが正しいのだろう。
1581年7月6日 播磨国 加里屋城-
俺は阿賀月衆の手引きで西国街道を西進し、少し道を外れて加里屋という地に来た。後に赤穂と呼ばれるこの辺りは廃城寸前のボロボロの館があるのみで集落は廃れてしまっている。護衛役の山岡八右衛門、阿賀月段蔵と三人で館を訪れとある武将と密会していた。
「…しかし随分と荒んでいるな。」
「再建の計画は大谷殿が立ててはいるが…何分にもこの状況…戦以外は何も進んでおらぬ。」
「戦も進んでおらぬとみているが?」
「…我が主は何を考えておるのか……。宇喜多様の降伏を受け入れてからは、何かにつけて毛利攻めを後回しにしておられ、大殿から何度も叱責を受けておられる…。宇喜多様に備後の調略を任せておられる故であろうが、信用しすぎではないかと思う。」
よほど不満が溜まっているのか相手は拳を握り締めて力説した。
「その宇喜多様には最近お会いされましたか?」
段蔵が相手の顔を覗き込むようにして問いかける。相手は首を振った。
「某は街道の警備が担当…。軍の中核から外れておる。某だけでなく播磨衆は悉くはじき出されておる。前線の様子などわからぬよ。」
相手の男は目を伏せた。俺は消沈した相手の方に手をかける。
「今は播磨衆に妙なことを起こさせぬようしっかりと束ねておくのだ。それと、権兵衛は如何した?」
「…仙石殿は殿の旗本衆に交じって備中に行っておる。…止めておけと言ったのだがな。どうしても殿の真意を知りたいと言って…。」
俺は段蔵を見た。段蔵は俺の意を読み取り考え込んでいたがやがて小さく頷いた。
「官兵衛殿、また会いましょう。お主の懸念…我らも感じておる。また連絡する故、今は姫路で待っていてくれ。」
官兵衛は悔しそうに頷いた。史実と違いこの男は羽柴軍団の中でハブられている。阿賀月衆の調査で分かった。その理由が、直接信長様と会話されているからということだが…黒田家は織田家の直臣であり、羽柴家に与力している組織のはずだ。官兵衛は羽柴様の直臣を願い出ようとしておったが今はそれも有耶無耶になっている。
今の話では播磨の国衆全体が羽柴家の中枢から遠ざけられているみたいだ。…その理由とは?…詳しく調査が必要だ。それと備中に向かった権兵衛のことも気になる。
俺たちは官兵衛殿に別れを告げて更に西進した。
1581年7月4日 備中国 片島城-
高梨川の畔にあるこの城は、城というよりも川岸に盛土を施した大きな物見櫓という雰囲気を見せている。普段は羽柴軍の見張りとして十名程度の小早川直轄の兵が詰めているが、今宵は側近衆や鉄砲衆など五十人余りを引き連れ隆景自らが入城していた。周囲に警戒の兵を配置して新しい床板を敷いた部屋で待っていると、老齢の男が音もなくやってきて、「連れてきたぞ」と一言だけ言うと隆景の表情を見る間もなく引き返していった。そばに控えていた若い側近が刀に手をかけたが隆景はすぐに制した。
「村上殿は我らの家臣ではない。あのような態度、別に問題ない。」
主君に制され悔しそうな表情で一礼すると側近の男は刀を元に戻して座りなおした。それを待っていたかのように“村上”と呼ばれた老齢の男は派手な陣羽織で着飾った小男を伴って再び現れた。
「俺の役目は此処までだ。後は俺の知らぬところで好きにしな。」
そう言うと派手な男を置き去りにサッサと部屋を出ていった。その様子を目で追っていた派手な小男は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「なんとも冷たい態度で御座ったなぁ。道中もほとんど会話ができず、どうなることかと思っておりました。小早川殿、あの者はいつもああなのですか?」
「何時もは礼儀を欠かぬ態度なのですがな…此度の役目はどうしても嫌だったようで。某もできればこの役目は受けたくはなかったのですが。」
「仕方が御座いませぬ。恵瓊殿は吉川殿の監視を受けており、某と交渉ができそうな御仁は妥当者がおらぬとあらば…。」
小男は人懐っこい笑顔で隆景を見返した。隆景は訝しむ。これだけ嫌々会っていると言うているのに嫌な顔一つ見せずに平然と下座に座るこの男…。器を計りかねると感じていた。
「こちらも余り時間があるというわけでは御座らぬ。早速本題に入って頂こう…羽柴筑前守殿?」
名を呼ばれて嬉しそうに笑みを返す小男。その目は決して笑っては居なかった。
「……今後の天下について……織田家が打倒された後のことです。…恵瓊殿から聞かされておりますでしょう、小早川左衛門佐殿?」
池田庄九郎:信忠の旗本衆の一人で主人公の同僚。池田摂津守恒興の長男だが、後継ぎは弟の輝政に任せて新たに「馬寄池田家」を起こした。
竹中半兵衛:史実とは異なり病を克服して信忠軍の軍師的な立場で仕えている。
前田玄以:信忠軍の外交担当官として戦時の祈祷担当として平時のご意見番としてマルチに活躍している。
黒田官兵衛:羽柴家の与力として播磨国衆を束ねる立場ではあるが、羽柴軍の中枢からは遠ざけられている。西国の情報収集担当として阿賀月衆と繋がっている。




