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2.西国の動向2

三話連続投稿の二話目です




 1581年6月6日 丹波国 亀山城-


 主に呼ばれた斎藤利三は足早に天守へと向かった。


 先ほど近江からの使者が来たと聞いている故、呼ばれた理由は内大臣様からの新たな命についてであろうと思っている。またも我らを蔑ろにするような難題ではなかろうかと思われる。また我らが主がお心を迷わせることになるのではないかと心配だ。そもそも源氏の血を引いてもおらぬ輩が日の本に号令をかけるなどあってはならぬのだ。

 そんな思いを秘めた利三は天守への急な階段を上った。


「殿、斎藤内蔵助(くらのすけ)に御座います。」


 利三の声に反応して外を眺めていた男が振り向いた。表情が暗く、思い悩んでいるようであった。利三にはそう見えた。


「先ほど内大臣様からの使者と話をされたと聞きました。」


 利三の言葉に男は頷く。男は上座に置かれた座布団にゆっくりと腰かけた。白髪交じりの頭ではあるが背筋も伸びており肉体的には精悍さが伺える。が、顔には深く皺が刻み込まれ老け込んだように見える。


「またもや京に戻るよう…命を受けた。」


 利三はその主の一言で全てを察した。このところ、京の警備と山陰の攻略を短周期で繰り返しさせられている。その度に殿は軍勢を引き連れ日数をかけての移動で銭ばかりが出ていく始末。堺の商人との取引、あるいは借財で何とかされているが、殿に返すあてなどない。今井宗久あたりが内大臣様に訴えようものならどうなるか。進言するなら今であると決断した。


 利三は上座の男に向かって両手をついて頭を下げた。


「殿…またもや銭が必要になりまする。しかし堺からこれ以上借りるのは危険でしょう。某にあてが御座います。京への用向きの件、一切の取り仕切りを某にお申し付け下さりませ。」


「……当て…と申したが、それを聞かせよ。」


 主の鋭い視線が利三に向けられる。


「実は某、ある坊主を通じて羽柴小一郎殿と懇意にしております。」


 “羽柴”の名を聞いた主の視線がさらに鋭くなった。怒りに体も振るわせ始めた。だが利三は怯むことなく言葉を続ける。


「小次郎殿の口利きで会合衆との取引も便宜を図って頂いておりました。」


 主は目をかっと見開いた。怒りで手を震わせておられる。明智軍のこれまでの活動に費やした銭が羽柴家の便宜で集められていたと思われたようだ。だが震わせた手が徐々に落ち着いていく。主は大きく息を吐きだすと利三をもう一度睨みつけた。


「私は知らなんだが、明智家の財政は羽柴殿のお力を借りねば立ち行かぬ状況であったか?」


「……残念ながら、内大臣様からの命をこなすには費用が掛かりすぎておりまする。加えて公卿どもへの援助に丹波衆への施し…。羽柴殿や原田殿のように商人を味方にしておかねば、やがてご自身が枯れ果ててしまいまする!」


「ならば私に相談して然るべきであろう!」


「貴方様は我らを再び美濃へと導く希望に御座りまする!そのような方にこれ以上苦労を背負わせることなど…」


 言いかけて利三は涙を流した。


 忠義……と一言で片づけられるものではないが、斎藤利三は真剣に主である明智光秀を崇拝し、心配し、その助けにならんと、独自で行動した。だがそれは光秀が目指している天下の為ではなく、美濃復帰の為の行動になっていたのだ。


 …この者とは天下を語ることはできぬ。


 明智光秀は物悲し気な表情をしたが、それ以上涙を流す斎藤利三を怒ることもできず、彼に銭の調達を任せて下がらせた。利三は喜びの表情で頭を下げると天守を降りて行った。


 再び一人になった光秀は大きくため息をついた。


「…儂は…誰の為に天下統一を目指しているのであろうか?…織田様のため?公家衆のため?家臣のため?……。」


 自問して自答が浮かばず、光秀は天井を見上げた。


「…誰の為かと問われれば答えられぬ。…だが、確実に言えることは、このまま織田様に天下を取らせ給うは天下万民の為にはならぬ。織田様は近江に新しく武士の世を作り、一部の商人や武家に特権を与えて政を動かそうとされている。その為に既設の権力者を弾圧し追い込み、そして滅亡せしむ…。」


 光秀はこぶしを握り締めた。


「利三の考えに乗るのはあまりいい気はしないが、天下万民のため…儂が天下を手にした後に朝廷にその全てを返還致そう。」



 決意。



 ただそれだけだが、たどり着くまでに多くの時間を要した。天下を狙うとはそれほどに大それたことなのだろうと光秀は思った。



 だが光秀は知らない。


 重臣である斎藤利三の背後には羽柴秀吉と密接につながる恵瓊という僧がいることを。





 1581年6月19日 山城国 淀城-



 支城の増築が終了し、本丸の改修に取り掛かった。川の合流する中州に1つ各々の対岸に1つずつ、計3つの支城が堀と土塁の二重の壁に囲われている。中州の支城からは両岸の支城へ矢玉が届く距離にあり、両岸の支城を攻める敵は中州の支城から死角になる位置からしかできず。その死角には大きな櫓を設置している。あとは本丸の周囲に水堀と空堀で覆えば俺の考えた城は完成する。


「あと半年はかかりますかな。」


 絵図面を見つつ、横にいた孫十郎が説明した。俺は無言で頷く。半年であれば大きな変が起こると思われる日までには間に合う。果たしてそれでよいのかと言われればわからないのだが、これ以上工期を縮めることは難しい。


「問題ない。西には羽柴様と明智様がおられるのだ。西国諸侯もそう易々と此処までは攻めては来ぬ。」


 俺は一応真っ当な返事をしたが孫十郎は不審そうな表情を俺に向けた。


「……そうですか。私はその羽柴様と明智様を目的として淀の防備を固めていると考えていたのですが…。」


 さすが孫十郎だ、鋭い。…いや此処にいる奉行どもは俺の意図をわかっているのであろう。長く俺の家臣として共にしているのだ。俺が羽柴様と明智様の動向を注視させているのだからそう考えても当然だ。阿賀月衆にも西国の諸侯を中心に調査を命じている。いやがうえにも羽柴様と明智様に目を向けるであろう。


「孫十郎、弥八郎。」


 二人が返事する。


「内大臣様は新しい国造りをなされようとしておられる。我らはそれに向かって日々邁進している。…では“新しい国”とはどういうものかわかるか?」


「それは内大臣様が足利家に変わって武家の棟梁としてこの国を治めることと思うておりまする。」


 孫十郎は即座に答えた。俺は首を振る。


「ということは内大臣様は将軍になるおつもりはないと?」


 弥八郎が聞き返した。俺は頷いた。別に信長様から直接お聞きしたわけではない。だがこれまでの信長様の言動行動と側におられる御台様の知識からすれば、信長様は今以上の官位を受けるつもりはないと考えている。つまり、武家の最高位を“正二位内大臣”と定められるはず。つまり職務上は武家は公家よりも下…を示されている。だが実務上は政務を近江に、軍務を美濃に集められており、所謂神事と統治を分離なされようとしている。だがそれは別に征夷大将軍でも可能。信長様が将軍にならない真の目的は?


「律令制度の部分的な改め……か。」


 俺の呟きを聞いて弥八郎は驚いた表情を見せた。この時代、特に全国の荘園を私物化した武家衆には律令は通じないところが多い。官位令に基づく官職は自称する者も多く、またそれを取り締まる組織も存在しておらず、他の令もこれに従う武家は少なく独自で法を制定する大名もいるほど、朝廷と幕府の力が弱まっていた。


 全国の武家を力のみで従わせるのは長続きしない。法で従わせる必要がある。


 ならば新しい法を作ればよいのか?法を一から作成するのは非常に時間がかかりすぎる。


 ならば今の法を今の公家武家に合うように作りかえればよいではないか。




 俺がたどり着いた答えはこれだ。多分あってる。そして法の編纂はおそらく既に始まっている。ここのところ、丹羽様、村井様、山科様のご活躍が聞こえてこない。京でご静養中とも伺っている。美濃に至っては、取次家と玄以様が何度も京に向かわれている。


「…京へ行く。供の用意をせい。」


 俺の言葉に孫十郎が少し考えてから返事した。


「我らは普請があってここを離れられませぬ。鉄砲衆の鈴木殿に言って何人か用意致しましょう。」


 鉄砲衆の鈴木…俺が本願寺との戦の最中で家臣にした雑賀衆の一団だった。本体は京の警備として服部一族と共に所司代に与力している。が、分隊は重秀の親族にあたる鈴木義兼が淀城警備の任にあたっていた。



 翌日早朝に城門に向かうと、待っていたのは分隊の長、義兼であった。


「芝山殿(孫十郎のこと)が厳重な警護をお願いされました故、某と別動組を二組ご用意いたしました。京では本能寺にお泊り頂くよう手配しております。」


 鈴木義兼は暑苦しい雑賀衆の中で異彩を放つ文官肌の男で堺、京にも顔が利く。今回も素早く段取りを取って昨日の内に先触れを出していた。しかも本能寺だ。一度は見てみたいと思っていたのだ。グッジョブだぞ、義兼!




 こうして俺は淀から再び京へと向かった。昼過ぎには本能寺に到着し、所司代の村井大隅守重勝様の接待を受けた。


「先触れを受けて少々驚いた。会いたい面々の名を見てどういうことだ?と思うたわ。」


 酒を注がれながら村井様は俺を睨みつけた。


「…鼻の利く者であれば所司代様の動向を怪しむのは当然でございましょう。」


「昔のように“帯刀(たちわき)”で良い。だが、関わっている者を言い当てるようなこの手紙の記述…服部や雑賀共が流しているのかと思われるぞ。」


「半蔵殿や孫一殿は何も知りませぬ。私は内大臣様の動き、京の動き、公家共の動きから推測致しました。」


「そんな推測で儂らが何をしようとしているかを言い当てることができる者などお前しかおらぬ!……が、良い機会だと思う。義父(おやじ)殿もお前に会いたがっておった。明日、山科の別邸に行け。答えはそこにある。」


 そう言うと、所司代様は自分の酒を煽った。俺も酒を一気に煽る。確かに法の編纂にたどり着くことができるのは前世の知識を持つ者だけだと思う。織田信長が考える天下布武。しかし、力だけでは成し得ぬ偉業。敗北、屈辱を味わい、たどり着いた先が“新たな統治”であり、それこそが我が主君のお役目となるのだが、その手段として、既得権益の撤廃と新たな権益の創出、そして今までとは違う体制作りとこれに合う法作りである。だが律、令の改編など誰が思いつくであろう。少なくともこの時代の者には及ぼぬ考えだ。それこそ人に知られれば神をも恐れぬ所業と言われかねないのであろう。だからこそどのように編纂しようとしているのかが知りたい。だが今は帯刀様との会話をゆっくりと楽しもう。


 注がれた酒を飲み干すこと十数度。…所司代様は帰られた。「無吉はこれほど酒に強くなっていたとは」と愚痴をこぼしていたが。



 今日だけは酔えぬ日なのだ。



 6月20日。



 一年後の明日、信長様と我が主君、勘九郎信忠様がなくなられるのだ。


 酔ってなど…いられぬのだ。






 …やはり、丹羽長秀は仮病であったか。しかし山陰攻略によって得られるであろう名声を捨ててでも京に留まった理由。山科卿の動向、所司代の動き……公家の動きに織田家家臣の動き……。


 信長は、天下を統一後にその全てを信忠に譲ろうとしている。しかも信忠には新しい組織作りをさせている…。なんと“武”と“治”を分かつ体制?…それでは他の大名や公家がおとなしく従うと思えぬ。特に九州は名門だらけの国だ。どうする気だ?





 ……くくく…。そうか、信長には拙僧(・・)と同じく未来を知るブレインがいる。権力基盤の世襲化と永続化のために、今ある法を変えるつもりのようだ。この時代の者どもからすれば禁忌に近い所業。だが、天皇とよしみを通じ、律令に詳しい公家を抱き込んで正規の手続きで編纂をすれば、武力に頼らず全国の大名たちを従わせることが可能。織田家とすれば東西で一家ずつ生贄を用意して震え上がらせた状態で朝廷から法改正を通達して幕府に変わる新しい体制に組み込ませれば、足利幕府に変わる織田政権の完成だ。


 …だが、織田信長が法を改めようとしていることを何も知らない者が知ったらどうなる?


 信長に対する見方が、不信となるであろう。やがてそれは不満と結びついて嫌悪に変わり、憎悪へと昇華する。


 信長は明智に殺され、明智は羽柴に打ち取られる。そして羽柴を脅かす徳川はもういない。その時こそ拙僧の活躍する時ぞ!

 今まで散々辛酸を舐めさせられたのだ。勝って戦国の世を謳歌するのだ!





 あとは鬼面九郎という私と同じ(・・・・)未来の知識を持つものを殺せばいいのだ。



明智光秀:この時期は山陰方面の軍事司令官として西側諸国人との交渉を担当。同時に公家衆統括を任されており、京と丹波を往復する日々を過ごしている。財政難に見舞われている。


斎藤利三:美濃出身の国人で明智家の家老。主君を憂い密かに羽柴家と通じており、資金提供を受けている。本人はその銭は全て明智軍の運営費用に充てている。


芝山孫十郎:生駒吉十郎の家臣。本来は小折生駒城代の任を受けているが、屋敷の改築を生駒衆、瀬田衆に任せ、淀城改築を行っている。


本多弥八郎:生駒吉十郎の家臣。淀城代の任を受けており、吉十郎の軍師の役目も担っている。


村井大隅守重勝:通称帯刀(たちわき)。村井貞勝の娘を娶り、所司代の職を注いでいる。金ヶ崎に自領を持っており、山科淡休斎の縁者でもある。


拙僧:誰かは読者の皆様ならわかると思います。


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