19.暗躍の二人
三話連続投稿二話目です。
1580年12月29日 安土城蒲生屋敷-
俺は源次郎の案内で蒲生様の屋敷を訪れた。左兵衛大夫様も忠三郎も不在であり、家人の案内で奥の間に通されると、姫たちが子を抱えて待っていた。俺の登場に一斉に平伏する姫たち。なれない光景に頭を掻きつつ俺は勧められるまま上座に腰を下ろした。
「…お帰りなさいませ。旦那様。」
先頭を切って正室の茜が声を発した。これに合わせて他の四人が「お帰りなさいませ」と唱和する。俺は恥ずかしくて顔を真っ赤にした。
「う、うむ。」
辛うじて返事だけはするがその後何をしゃべればいいのか分からず黙り込んだ。
「大殿の命を救いし鬼面も、女房共の前では赤子同様か…傑作だな。」
太い声がして見ると二人の坊主が奥で笑っていた。
「梅岳殿、覚顕殿。」
嘗ては武田家で音に聞こえし猛将のお二人は年老いた隻腕の僧となった。俺が淀城主に復帰したことで摠見寺での任は解かれ、姫たちと蒲生家にお世話になっていた。
「此度は本当に世話になりました。改めて礼を申しまする。」
「礼には及ばぬ。戦に敗れ殺されてもおかしくない我らに生きる喜びを与えてくれたお主に感謝しとるのだよ。」
「ならばまた私をお支え頂けませぬか。」
「フフフ…儂らはこのように年老いた。できれば休ませてもらえればありがたいのじゃが?」
そうだよな。お二人とも六十はとうに過ぎている。いつお迎えが来てもおかしくはない。なのに無理矢理働かせるのも酷…
「じいじ!いなくなる?」
突然茜の膝に座っていた奏が悲しそうな顔をして声をあげた。
「いやいや、じいじはずっとここにおるぞ。……のぅ?」
奏に飛び切りの笑顔をみせて次に俺に視線を向けた。…俺は頷かざるを得ない。少しだけ二人の爺に殺意を覚えた。
話は新しい側室、梶のことになった。聞いていた通り妊娠していた。
「梶殿が殿のお側に着いた経緯もお聞き致しました。ご安心下さりませ。梶殿は私たちが全力でお世話いたします。」
茜の言葉に梶は静かに頭を下げた。見ると他の嫁たちも穏やかに梶の様子を見ている。…安心してよさそうだな。
「茜。梶とその子のことを頼むぞ。」
「はい。」
こうして姫たちとの面談は終わった。当然、大きくなった子供たちともおもいきり遊んだ。一緒に源次郎も遊んでくれて、二人してへとへとになって蒲生屋敷を後にした。
1581年1月1日 近江国安土城御殿大広間-
「おめでとう御座りまする!」
若くて精悍な声で始められ、続いて野太い声が響き渡る。整然と並んだ家臣一同が一斉に織田家を象徴する二人に平伏する。
信長様が満足そうに頷いて顔をあげるよう促した。一斉に顔が挙げられ、次の瞬間信長様の後ろにそそり立つ赤と黒の物体に目を奪われぎょっと驚いた。
俺が紅を全身に塗りたくって鬼面の上頬を被り大太刀を掲げている。弥助殿が自前の黒光の肌をさらけ出し鬼面の下頬を付けて大薙刀を構えている。
阿形の俺と、吽形の弥助。
そのインパクトは絶大であったようで、挨拶を行った三好様を苦々しく見ていた羽柴様も仰天した表情で俺を見ていた。
俺は全員を睨みつけるように見渡した。
昨年俺は不遇な一年を過ごした。何者かによって濡れ衣を負い領地まで召し上げられた。だが何故俺を狙った工作をしたのかが分からぬ。
俺を告発したのは明智様だが、俺を陥れたのは別人。…さて誰が一番俺を見て驚いているか……。
年賀の儀は粛々と進められていった。重臣からの挨拶に始まり、信長様が招待された要人からの挨拶に、各地から集めた芸に舞の披露と次々に進められている。俺と弥助はその間もずっと信長様の背後から全体をにらみ続けた。
宴が進み、終盤に差し掛かったところで小姓がすっと信長様に近寄り耳打ちした。すっと信長様の表情が一瞬消え、ざわついていた周囲が静寂に包まれる。勘九郎様が周囲を気にしながら信長様に声を掛けようとすると、すっと手が動いて勘九郎様の行動を制した。
「皆の者!京より二条様と鷹司様がおいでなされた!是非とも良きお言葉を頂きたいと思うが?」
これに羽柴様が直ぐに応じた。
「これは目出度き仕儀に御座ります!是非とも此処に及び奉るべく片付けまする!」
そう言って下座の膳を片し始めた。それを見た明智様が怒気の表情を見せながら言い返した。
「既に宴は終りを迎えつつござる!もてなしの膳もなく左様な場所にお迎えせんは非礼なり!ここは日を改めてお会い致すべし!」
二人は互いに睨み合った。傍から見れば一触即発である。しかし二人の話には一切触れずに信長様は手を前に伸ばされた。
「……二条様鷹司様をここへ。」
言い争おうとしていた二人は同時に信長様を見る。一人は嬉々として、一人は憮然として見返ると次席へと戻った。他の家臣たちは様子を伺うべく黙っていた。やがて膳が用意され、信長様と勘九郎様が座する前に並べられる。そこへ小姓の案内で二人の公家が大広間へを入って来た。
公家を相手に頭を下げず自分たちを見据えている信長に、下座に置かれた膳。二条昭実の表情は大いに引き攣った。足を止め、肩を震わせながら周りに座する家臣たちを見回す。
「…どうなされた?さあ座られよ。」
穏やかな口調で信長様は二人に着座を促す。鷹司信房が入って早々に俺と目を合わせてしまい、恐怖で震えていた。俺と弥助が無言で動き出して信長様を睨みつける二条様に身振り手振りで着座を指し示した。途端に二条様も二人の大柄な赤黒の鬼面に怯え始めた。
「どうなされた?これは敵から我らを守護し給う仁王を模しておる。儂の敵ではない貴殿らは怖くはなかろう。さあ座られよ。」
二人は思わず一歩引いた。自分たちは自覚している。信長と敵対しているということを。それ故信長が逆らわぬよう此度の安土訪問は帝の親書を持っている。相手もそれは分かっているはず。だのにこの仕打ちが解せぬ。態々金剛力士像を用いて下座に座らせるとは!?……と思われたかわからないが、二人の公家は恐る恐る用意された下座に座った。そして肩を震わせながらも頭をさげた。
周囲の家臣一同は驚いた。…いや憤っている者もいる。当然だ。信長様は先の内大臣。二条昭実は関白昇進間近の公家である。家格も違う。何より主上の代理人ではないのか。だが信長様が発した次の言葉で息を飲んだ。
「二条殿は昨年の自らの行動の弁明に来られたそうだ。…なんでも儂の首を取ろうとした“柳生”と申す浪人と会うていたそうで。…貴方のような高貴なお方が素浪人と密会。直後に儂の暗殺未遂…。これでは弁明なくば処罰の対象となるのは必定。…ここでお話を承りましょう。」
二条昭実は辛うじて倒れるのを踏ん張った。だが鷹司信房に至っては青ざめた顔で目の焦点も合っていない。
「わ、私は知らぬ。その者は徳川の使者と申していたから会うたまでじゃ!」
「…織田と徳川は戦の最中であった。何故、報告しなかった?」
「私は奴から何も貰うておらぬ!じゃから報告など不要であろう!」
二条昭実は奇声に近い声で反論する。
「では何故馬揃えの決行に反対された?」
「しゅ、主上をお騒がせ奉る行為と考えたからじゃ!京は刀を持った武士にまだ恐怖しているのだ!」
「ではこの件には主上は関係していない…ということでござるな?」
信長様の切り替えしに二条昭実は言い澱んだ。鷹司信房は顔を上げることもできずブルブル震えている。役者が違うとはこのことであろう。主上の権威を傘に言いくるめるつもりでいたのだろうが、信長様には通じず逆に窮地に追い込まれたのだった。
信長様は何故二条昭実と柳生厳勝との繋がりを知っていたのか。それは瀬田衆のおかげである。近江、山城、摂津に跨って水運業に食い込んでいる一族には通常の商家には流れてこないような情報も拾うことができるようで、過去にも何度か信長様の命を受けて暗躍している。
その彼らが俺を陥れた輩の捜索をする過程で公家の動きを見張っていたに過ぎないのだ。
だが織田家の息のかかった商家にばかり気を取られていた公家衆はその裏で暗躍する瀬田衆には気づかず密談を見られてしまったのだ。
俺と弥助が再び信長様の前に入り込み、ワザとらしく大きな音を立てて一歩踏み込んだ。
「ひいぃ!」という悲鳴が聞こえ、鷹司信房が頭を床に擦り付ける。二条昭実もたじろぎその表情を青く変えた。
「…二条殿、儂は今一度主上に“御馬揃え”について奏上致す。貴殿におかれては何卒お口添えを。」
信長の低い声が床を這って二条昭実に届く。昭実は黙るしかなかった。だが信長様は優しく何度も語り掛けた。その間、俺と弥助が交互にのぞき込んでは睨み続け、最後には真冬なのに汗水垂らしながら「承った。」と返事した。
昭実は悔し涙を流して顔をくしゃくしゃにした。藤原五摂家の一人として帝の傍で権勢を奮う一族が大勢の前で下座に膝を突かされ詰問を受ける。屈辱を超えた屈辱に耐えきれず流したその涙は居並ぶ諸将の目にどう映ったであろうか…。
1581年1月2日 近江国安土城羽柴邸-
夜更け過ぎに殿が帰って来た。
ご気分すぐれずそのまま床に入ってしまわれ、年賀の儀の様子をお聞きすること叶わず…。
翌日は朝から不機嫌なご様子で、言葉を掛けようとした権兵衛殿は椀を投げつけられ、何も聞けずじまい。
しかし、小一郎様との密談の後は気色も幾分和らぎ、佐吉殿や紀之介(大谷吉継のこと)殿に指示を出して姫路に戻る準備は始められた。
この安土滞在によって某は確信した。
やはり殿からは、遠ざけられている。…だが疎まれているようには感じられぬ。同様に仙石権兵衛殿も遠ざけられているのも分かっている。
その理由は分からぬ。
某と権兵衛殿の共通点……。
……久保田吉十郎殿。
やはり、我が殿は何かしらを為さんとされている。そしてその謀りの中心には貴殿がおられることは間違いないですぞ!
1581年1月2日 近江国安土城明智邸-
「殿、昨日は如何に御座いましたか?」
「…散々であった。まず、三好殿が家臣筆頭として挨拶なされたのが納得できぬ。大和の平定には尽力されたが我らに比べると酒一滴程度のこと。毛利を追い詰めんと日夜戦を繰り返す我らと比べるほどもない。」
「なんと。我らは蔑ろにされたので御座いますか。」
「それに!…二条家に対するあの仕打ち。帝を敬うべき武家のなさり様とは思えぬ。大殿はお主の言う通り本当に変わられた。」
「…美濃を平定されたときから感じておりました。あの者は権威とお家柄の大切さをまるで分っておりませぬ。」
「大殿は公方様を追放されてから特に家柄を蔑視されておる。重視までは不要だが、蔑ろにすることはできぬ。」
「しかも大殿の周囲には羽柴殿を始め素性の分からぬ者ばかりが集まっておりまする!」
長い沈黙。
主君を煽るように不満を口にしていた男の口端がわずかに歪む。主君はその男の変化に気づくことなく天井を見上げて何かを思案していた。
「…此度の件で公家衆は織田家による御馬揃えを承認されるであろう。儂はその馬揃えに一番手となれるよう働きかけよう。さすれば筑前殿に差を付けられるであろう。儂に従う国人衆も更なる忠義を見せてくれるであろう。」
男が両手をついて平伏する。
「御意に御座ります。」
男の主君、明智日向守光秀はその言葉に頷きながらも曇らせた表情のまま立ち上がり部屋を出て行った。男は光秀の足音が遠ざかるのを確認してから、ゆっくりと顔を上げた。
音もなく障子が開き、古びた袈裟を着た坊主が中に入って男の横に座った。
「明智様はまだ迷われておる。」
男の言葉に坊主が頷く。
「大丈夫に御座ります。斎藤殿があと一年このまま明智様にお仕えしていれば、必ずや立ち上がるでしょう。」
坊主の言葉に斎藤と呼ばれた男は頷いた。
「我らが在りし日の美濃を取り戻すには明智様が旗頭となって信長を倒す必要があるのだ。我らに天下の統一も、武家による政も必要はない。必要なのは、先祖伝来の土地なのだ。」
斎藤利三は力説した。坊主はそれをにこやかに見守っていた。
茜:久保田吉十郎の正室で父は生駒家長の娘。子は奏(♀)、介丸(♂)
福:多賀貞持の妹で、吉十郎の側室の一人。子は竹丸(♂)
咲:池田恒興の娘で、吉十郎の側室の一人。子は百丸(♂)
留:九州の名族久保田家の生き残りで吉十郎の側室の一人。子は力丸(♂)
梶:阿賀月段蔵の養女で、吉十郎の側室の一人。妊娠中。
瀬田衆:主に淡海の南端に掛かる瀬田大橋の改修を担ってきた大工衆。転じて水運業で近江、山城、摂津に大きな商圏を持っている。現在は山岡八右衛門が棟梁として信長直轄の隠密活動を行っています。
斎藤利三:明智光秀の腹心です。何やら良からぬ企みを持っているようです。
坊主:???




