15.五人目
三話連続投稿(二話目)です。
1580年11月22日 近江国摠見寺-
俺は再び四方を高い塀に囲まれた屋敷に戻ってきた。今度は池田の親父殿が手勢を連れて周囲を囲っている。屋敷の中には俺と加藤段蔵、現武田家当主である盛信の重臣、小山田有誠が座し、前田慶次郎と津田与三郎の二人が急に備えて段蔵の傍に控えている。見届け人として森蘭丸が庭から監視している状況だった。
何をするのか?
加藤段蔵の尋問である。
何を聞くのか?
段蔵の一族を引き込む価値があるかどうか…である。
この世界に転生して、俺の認識と大きく違っていたことの1つだが、この時代、忍者は横行していない。情報収集は専ら商家若しくは商家に仕える武士の仕事であり、諜報に特化するために商人になる武家もいる。国と国を歩き回るのに商人が最も適しているからだ。伊賀とか甲賀とかは、忍者ではなく、武家・寺社・公家と古くからの強い結びつきを持った取次人のような存在だ。
だが、この加藤段蔵は“忍”だ。忍者は横行していないが存在はしている。織田家にはそれにあたる者はいない。(梁田衆がそれに近しいが)つまり信長様は忍衆に興味津々なのだ。要は俺はこの男が信長様の期待に添える男かどうかを見極めろということだ。…いや寧ろ欲しいから仕えるように説得しろという意味に捉えている。
でそのお相手の加藤段蔵だが、俺を値踏みしている。…と言うか“鬼面九郎”を値踏みしているようだ。俺も久しぶりに鬼面を被り些か緊張している。
「鬼面が珍しいか段蔵殿?」
「…此の者が噂に聞こえし“鬼面九郎”かとじっくり見ておりました。…噂に違わぬ体格に表情の読めぬ鬼面…単なる武勇の男ではない…とみておりますが?」
この状況で聞き返すか。なかなか肝の据った男よな。だが、想像以上に若い。…代替わりして間もないかもな。
「貴殿の質問には今は答えられぬな。こちらの質問には答えてもらおう。武田家に仕えていたと聞いたが真か?」
俺は言いながらちらりと小山田有誠を見た。合わせるように段蔵も有誠を見て、すぐに視線を俺に戻した。
「如何にも……正確には武田家当主に仕えておりました。」
「では、この者は知っておるか?」
「某は存じておりますが、お相手は知らないご様子…。」
段蔵の答えを聞いて俺は有誠に発言を促した。
「我が主は“忍”について何も知らされておりませぬ。」
「…と言うておるが?」
「当然でござりましょう。四郎様(武田勝頼のこと)は織田家に降伏し、隠居される前に我らの存在を秘匿しようと縁を切られました故。…我らには忍を捨ておとなしく暮らすよう申されました。」
事前に勝頼から聞いていると思ったのか、正直に答えたな。
「それが何故また大殿様のお命を狙うような大それた真似を?」
「……新たな主より命を受けたからに御座います。」
俺はその答えに顎に手を当て考え込む仕草を見せた。
「新たな……それは武田家ではないと?」
「四郎様でも五郎様(仁科盛信のこと)でも御座いませぬ。」
俺は頷いた。頷きながら気づいた。俺は家名を聞いたのだが、段蔵は個人名で返して来た。実に興味深い。この一族は「家」ではなく「個」に仕えて来たのだろう。
「では誰だ?」
「……申し上げられませぬ。」
「ふむ、そうか。ではお主が捕まったことで一族はどうしておる?」
段蔵間静かに目を閉じた。
「此度は加藤一族としてではなく、加藤段蔵一人で行ったこと。…里の者は某が里長の証を置いてきたことに憤り、某を探していると思いますが、まさかこんなところで捕えられているとは思わぬでしょう。」
「…ふむそれは嘘だな。今の話が本当であれば、“段蔵”の名を捨てて此処に挑むべきであったな。“段蔵”とは加藤一族の長に継がれる名だ。証を捨てて名を捨てずにいるのは辻褄が合わぬ。」
段蔵は表情を引き締めた。慶次郎が刀に手を掛け一歩前に進んだ。
「一族に申し伝えよ。段蔵の命は取らぬ。里へも襲撃せぬ。今暫く成り行きを見守れと。」
俺が段蔵に伝えると、段蔵は暫く目を閉じて考え込み、やがて床を軽くトントンと叩いた。一瞬だけがさっと音がした。与三郎が慌てて追いかけようとしたが俺はそれを制した。段蔵は一連のやり取りを見てほっとした表情を見せた。
「段蔵、俺は忍として何代にも渡って培ってきたその知識と技量をこのまま埋もらせてしまうのは勿体ないと考えておる。つまりお前も里の者もまだこの先生きる価値があると思っている。」
段蔵は目を見開いた。
この時代の忍びの扱いは良くないと聞いている。時には嘲笑の的にもなったとされている。(前世の知識)今の世でも変わらないようで、今の段蔵の反応からするとあまり良い待遇で武田家に仕えていたわけでもなさそうだな。
「…先日、早馬が到着してな。駿河の徳川家、穴山家は我ら織田家によって討ち果たされたぞ。」
「そうですか。」
「これでお前に命じる者はいなくなり、自由の身となったと思うているのだが?」
「お答えできませぬ。」
「そうか。では、話を変えようか。お前が里長となったのはいつ頃か?」
「…やはり長としては若すぎますか?」
「それだけ里の者に認められておるのだろうとは思うている。」
段蔵は黙り込んだ。何を考えているであろうか。
「どうやって忍び込んだ?」
俺は質問を変える。
「…あるお方の手引きで普通に正面口から。」
「平岩親吉か?」
「否定致しませぬ。」
ほう。やはり手引きした者がいたのか。実際に平岩親吉は京にいたので、配下の者が先に安土に入っていたのだろう。俺は蘭丸をチラリと見た。
「前日、平岩殿の使いが安土に入っております。」
俺の意を汲んで蘭丸は答えた。俺は小さく頷いて段蔵を見た。こちら側に見通されている部分については否定しないつもりのようだな。では、まだこちらがつかめていない部分にカマを掛けて聞いてみるか。
「大殿様を襲った男について知っていることを述べよ。」
「……あの男とは前日に知り合いました。そこで此度の侵入目的と役割を聞かされ、その後幾つか会話致しました。…大和の件で織田家に恨みを持っていたようなので出身はなんとなくわかりましたがそれ以外は…。」
「名も?」
「はい。」
「では暗殺が上手くいけばどう落ち合う予定だったのだ?」
「予定は御座いませんでした。それぞれが独自に近江を離れる予定でした。」
「で、お前はどうやって脱出する予定であった?」
「…。」
「脱出する気など初めからなかったのではないか?だから里長の証を置いてきたのではないか?」
「仰る通りです。」
「雇い主からは幾らでこの仕事を請け負ったのだ?」
「…里の者が甲斐を脱出し別の地へ移動する資金として。」
「どこへ行かれる?」
「某には関係ないこと故、聞いておりませぬ。」
そう来たか。
「甲斐は既に織田家が領する土地。勝手に村ごと出て行かれては困る。このままでは里の者を処罰することになるぞ。」
「我らは忍に御座います。お武家様などに易々と見つかるほど間抜けな集団ではござ「つけ上がるのもそれくらいにしておけ!」」
俺は段蔵の言葉を遮って大声を上げた。
「何故俺が“加藤段蔵”の存在を知っている?何故その名が世襲されていることを知っている?何故武田家に仕えていたことを知っている?…俺にもお前たちに匹敵する忍を従えておる(うそ)のだ。少数故大掛かりなことはできぬが、信玄公が存命の頃より内部事情を知るために活動しておったぞ!床下に居たお前の同胞をここから逃がしたのは何のためぞ?」
段蔵の表情が変わった。俺は言葉を畳み掛ける。
「冒頭にお前は言ったではないか?俺のことを“単なる武勇の男ではない”と。…人を見る目はあるようだな。ついでに俺が一族を皆殺しにできる男か否か考えてみたか?」
段蔵は汗を掻いていた。もう一押しだ。
「お前が誰の命で侵入したかなんてもうどうでもよい。既に穴山家も徳川家も我らが討伐したでな。だが大殿様のお命を狙っておいてお前の命だけで償えるほど大殿様の命は安くない!既に大和には柳生一族の生き残りを探し出す命が出されておる。加藤一族についても俺の報告次第では里の者が全員捕まるぞ!」
「お、お、お待ちくだされ!」
はい俺の勝ち。
「なんだ?」
「お見逃し下され!これでは某が何のために命を張ったかわかりませぬ!」
「…それはお前の都合。我らは大殿のお命を狙った者に対しけじめを付けねばならぬのだ。そしてそれは大和の田舎侍とお前だけでは、とてつもなく足りない!」
俺は一度言葉を切った。何故って?周囲がドン引きしていたからだ。小山田有誠は良いとして、蘭丸は真っ青になってるし、与三郎は震えてるし、慶次郎も槍を構えることを忘れて棒立ちだ。俺は咳払いをして気を引き締めさせ、言葉を続けた。
「先に言っておくが、二度はないので心して聞け。…織田家は忍の者を欲している。だがお前達は大殿を襲った大罪人でこのまま仕えさせることなどできぬ。そこで一度“加藤”の名を捨てて里ごと死んでもらう。」
段蔵の顔色が変わった。最後まで話を聞け。
「里を捨て、名を変え、俺に仕えたのち、織田家直轄の忍として活動してもらう。」
俺は段蔵に歩み寄った。
「…嫌なら本当に里ごと死んでもらう。」
ひと際低い声で段蔵に語り掛けた。段蔵は唇を震わせていた。…さあどうする?お前お選択肢は一つしかないぞ。
「……二つ。ふたつだけ条件をお飲み下さりませ。ならば我ら一族は子々孫々まで忠義を尽くしまする。」
長い沈黙の後に段蔵はようやく口を開いた。此処へ来て条件を出して来たか。さすがは当主を務めるだけあるな。
「…聞くだけは聞いてやろう。下らぬないようであれば価値無しとして即刻斬る!」
段蔵は恐る恐る頭を下げてから条件を口にした。
「我らのこれまでの所業について、その内容を聞くことも、罪を問わぬこともお誓いくださりませ。」
「…それは此度の命令が誰であったのかも含めてか?」
「…はい。」
防衛線を張ったか。後になって過去の所業を蒸し返されては堪らぬからな。
「で、もう一つは?」
「はい。里より見目麗しき者を遣わしまする。是非とも九郎様の側室にお願いいたしまする。」
俺は慶次郎を見た。…目が笑ってた。
与三郎を見た。……目が笑ってた。
蘭丸を見た。………目が笑ってた。
何故だ?段蔵は俺のことは知らないはず。…そのはずだ。だのに俺の心臓を抉るようなカードの切り方は何故だ?そうだ。プルプル震える俺を見て段蔵はおろおろしてる。これは何も知らない奴の行動だ。ならば池田の親父殿を呼んで親父殿から2つ目の条件を変えさせよう。
「蘭丸殿、親父殿を呼んできてくれ。」
不思議そうな表情をしてやって来た親父殿に俺は掻い摘んで事情を説明し、段蔵から出された条件を言った。
目が笑ってた。
加藤段蔵:江戸初期の軍学書や物語などに登場する忍者で実在したかどうかは分かっておりません。「鳶加藤」の通称で呼ばれており、物語ごとに死に場所や殺した相手も異なっています。本物語では甲斐の加藤の里で長年忍びの技を伝承してきた武田家当主に仕える集団としています。“段蔵”は里長を表す名として大きく脚色しました。




