13.徳川討伐戦(後編)
二話連続投稿の二話目です。本物語の1589年11月はいろんなことが同時進行で起こっておりますので場面がよく切り替わります。ご了承くださいませ。
1580年10月1日 山城国京都二条邸-
夜遅くに訪ねて来た男を客間に通し、二人の公家が扇子を片手に小声で話をしていた。
一人はこの二条邸の主、二条昭実。もう一人は鷹司信房で、二人は兄弟である。
二人とも信長の援助を受けて宮中で高い位を得ていたのだが、村井貞勝によって他国と誼を通じていたことを信長にばれ叱責を受けていた。
公家が武家から怒られる。
五摂家として長らく宮中に仕えていた二人はこれを屈辱と受け取り、信長に対して深い恨みを抱いていた。二条邸を訪ねて来た男はそんな二人の気持ちを踏まえて今川家からの書状を携えて来たのだ。相手を警戒するものの信長を陥れる話であれば飛びつくべきと男の話に乗ろうとしていた。
「待たせたの。これは私の弟、鷹司信房でおじゃる。貴殿の持ちたる書状はしかと確認した。…実に興味深い話でおじゃる。…で、これにより我らはどのような益が得られるのかな?」
男は二人に深く会釈をすると姿勢を正して話し始めた。
「今川様からは百貫相当の金塊を二条様鷹司様にご用意しております。うまく織田内大臣を呼び寄せることができ暗殺が成功すれば今川様が上洛を行いまする。ここで今川様の手伝いを頂けるのであれば…。」
二人は男の会話に聞き入っていた。
「…一万貫相当の財宝をお渡しいたしましょう。」
「よいぞ、よいぞ。我らは理由をつけて内大臣を京に呼びつければ良いのだな。今川殿に申し付けておくれ。委細承知したと。…ところで貴殿の名は何という?」
男は顔を隠すように平伏する。二人に見えないように薄笑いを浮かべた。
普通に考えればわかること。今川家一万貫もの大金を払えるはずなどないことを。だが男はそのことには触れず二人に名乗った。
「元は大和衆の一人、柳生厳勝と申しまする。今は今川様の客分として諸国を渡り歩いておりまする。…お二人と同じく…信長を憎む者とお覚え頂ければと。」
厳勝の異様な笑みに、二人の公家は顔を引き攣らせた。だが同時に心強い味方を得たと考え、惹かれ合うように薄ら笑いを浮かべた。
1580年10月22日 山城国河島城-
近江からの伝令が到着し、急拵えの天守で寝ころんでいた羽柴秀吉に石田佐吉が声を掛けた。
「殿、急使に御座います。」
「……。」
佐吉の返事をせず、不機嫌そうな表情で佐吉を見上げた。佐吉も難しい表情で眉間に皺を寄せていた。
「…織田内大臣様、瀬田にてにわかに病となりて安土へ引き返あそばれました。」
秀吉は佐吉に背中を向けるように寝返った。
「……病は嘘じゃろな。安土か岐阜で何かあったか……上洛は危険だと判断したか。」
「恐らく、後者でしょう。」
「何故そう思う?」
「公家どもの動きが慌ただし過ぎます。特に二条様あたりが。」
「だな。」
「どうされますか?」
佐吉の問いに秀吉は起き上がって胡坐を組んだ。
「大殿様が上洛されないのであればここに留まる必要はない。当初の予定に戻り兵を引き攣れ長浜に帰る!河島には五千の兵を置いて官兵衛に守らせよ。…途中、安土に立ち寄り大殿様の見舞いに伺う。馬揃えの件についてその時話でもすりゃぁええ。」
「では準備に取り掛かります。」
部屋を出て行く佐吉を横目に秀吉は欠伸をした。表情は穏やかに戻っているが、彼の心の中では目まぐるしく次の算段がなされていた。
10月27日、羽柴筑前守秀吉は安土を訪れ京の様子と馬揃えについて報告した。その後は所領である長浜に移動し、次の命が下るまで休息を取ることとなった。
1580年10月25日 但馬国楽々前城-
但馬の有力国人、垣屋氏を降伏させ次の侵攻の算段をしていた明智光秀の下に密使が届いた。それは京で公家衆と懇意にしている商人からの連絡であった。
小姓から渡された紙を確認し光秀はほくそ笑んだ。紙を丸めて火鉢に放り込み小姓を下がらせた。
「公家衆は大殿を上洛させることに失敗したようだな。近衛様の仰る通り一部の公家衆に叛意を抱いているようだが、それは大殿も筑前守もお見通しだ。」
一息つけるように光秀は湯漬けを掻き込む。
「…だが、大殿ももう少し公家衆とのお付き合いをお考え下さればやりやすくなると思うのだが…それとも、噂通り大殿ご自身が主上に代わって祭事も取り仕切るおつもりなのか……。」
光秀は一気に湯漬けを掻き込むと茶椀を盆に置いた。
「…もしそうなら、私は全力でそれをお止めせねばならぬ。」
ひとり呟く光秀。だが彼は悩んでいた。天下統一に信長は必要だ。しかし、天下を治めるのに果たして信長は必要なのだろうか。
万民にはいったい誰が必要なのか。
武士には棟梁として誰が必要なのか。
公家には誰が必要なのか。
その答えを知るには天下統一が最優先だと考え、光秀は立ち上がった。
「…但馬を一刻も早く統一せねば。」
1580年11月1日 甲斐国下山城-
それは全て偶然の重なりであった。
徳川家康の命を受け根来で活動していた本多忠勝は根来衆との交渉結果を報告しに駿河まで来ていた。そこから穴山梅雪への書状を渡され甲斐へと向かった。結果、梅雪は下山城にはおらずもう一つの居城、駿河の江尻城にいたため、渋々江尻まで向かうこととなった。下山城内で一晩止まり、早朝に出発したところで不穏な気配を感じて木陰に隠れて様子を伺った。旗指物もつけず甲冑を纏った一団が、街道を通らず森の中を草をかき分けて進むのが見えた。
忠勝はしばらく様子を伺っていたがその一団の数がみるみる増えていくのに気づき、この一団は織田の兵で下山城を包囲する気だと気づいた。
「何ということだ!誰にも気づかれずにここまで進軍だと!?…これは急ぎ主の下に戻らねばならぬ!」
本多忠勝は下山城包囲を徳川家の危機と考え、主の隠れ住む城に向かった。
下山城を包囲した一団は河尻隊、毛利隊、服部隊で、毛利隊の一人が怪し気に行動する男を見つけすぐさま報告した。報告を受けた毛利良勝は男の様子を遠目で確認し、それが自分の記憶の中にある男と一致した。
「…本多平八郎ではないか!……何故ここに?どこへ向かおうとしている?」
良勝はすぐさま伝令を服部一忠に送り、自身は数名の手練れを率いて忠勝の後を追った。これが徳川家康の潜伏先を知るきっかけとなる。
服部一忠は最初は戦友の毛利良勝からの伝令を訝しんだ。
「我、本多平八郎を発見せり。手練れを率いて後を追う。」
一忠も本多平八郎という男を知っている。だが奴は紀伊に潜伏していると聞いていた。最初は見間違いではないかと思ったのだ。それに今は目の前の下山城を攻略することが優先。自分も確かめに行くことは難しく、仕方なく信の置ける家臣を数名呼んだ。
「今から俺の言うことを一字一句耳に残し、浜松まで走るのだ。各々別の道を通って行け。浜松に着いたら織田の将なら誰でもよい。俺の言葉を伝えよ!」
そう言って口頭で伝えるとすぐさま伝令を走らせた。その後、伝令は三日かけて下山から浜松まで駆け抜け、城番を務めていた堀秀重に報告される。内容を聞いた秀重はすぐに匂坂城に使いを出した。そこには、竹中重治率いる四千が今川軍に備えて駐屯していた。
下山城は河尻秀隆、服部一忠により、わずか二日で陥落し、秀隆はそのまま下山の守備に入り一忠は毛利良勝の兵二千を率いて駿河に侵入した。
同じ11月1日に田中城を包囲した村井隊、長野隊は朝日山城から駆け付けた岡部正綱の兵に挟まれ一時期苦戦していた。だが遠江国境を守っていた前田利久隊の救援で形成が逆転し、田中城主孕石元泰は城を捨て敗走、岡部正綱の兵と合流して朝日山城に引き籠った。
「長野殿、前田殿、城の包囲はお任せ申す!我らは予定通り川を北上する!」
村井信正は六千の兵を率いて瀬戸川の北上を開始した。一千ずつ六つの部隊に分けて進軍し、高根山を目指すルートで進軍した。
その頃、浜松からの知らせを受けた竹中重治は駿河の地図を広げて進軍先の選定を行っていた。もたらされた情報では、本多忠勝が下山城から西へ早川方面に向かったらしく、家康の隠れ家は駿河北西部にあると踏んで進軍先を考えていた。だがどう進軍させるか情報が少なすぎて決定できない。考え抜いた末四千の兵を二つに分割することにした。前衛部隊を自身が指揮し、後衛部隊は義父安藤守就と弟竹中重矩に任せ大井川を北上することにした。
だが、村井隊と竹中隊の進軍路が偶然にも家康の潜伏先を挟み込むようになっていたことにより、危険を知らせようと戻ってきた本多忠勝を尾行した毛利良勝によって家康の居場所が見つかった。
最初に砦の存在を発見したのは村井信正の部隊であった。
六つに分けた部隊のうちのひとつが方向を誤って瀬戸川を外れて山を一つ越えたところで櫓が見えた。慌てて姿を隠して監視すると共に本隊へ連絡され、田中城落城から五日後には村井信正に不審な砦が山奥にあることが伝わった。
ここで本多忠勝を追っていた毛利良勝が竹中隊のと接触してしまう。お互いに旗差し物もつけず道なき道を進む中での接触であったため、思いがけぬ声の出しあいとなり、これが本多忠勝に気づかれてしまった。追跡されていたことに気づいた忠勝は急いで家康の潜伏先から離れようと竹中隊がいる大井川とは反対側へと逃げた。
だが、その逃げた先には瀬戸川沿いに北上していた村井信正隊がいたのだ。村井信正は逃げる本多忠勝をすぐに発見し討伐を命じた。この時点で信正は事前に見つけた櫓が家康の隠れ家だと断定しており、忠勝の生死はどちらでもいいと判断した。同時にすべての部隊を怪しげな櫓を囲うように展開するよう指示をだす。こんな山奥に本多忠勝が意味もなく来るはずがなく、見つけた櫓も怪し過ぎたのだ。偶然が重なった結果ではあるが、織田軍は今川方の拠点を電光石火で無力化して楔を打ち、潜伏する徳川家康を見つけることに成功した。
1580年11月3日 近江国安土城奥屋敷-
…………。
蘭丸殿の話通りに進めていれば、駿河侵攻が始っているはずだ。
総大将は勘九郎様だが、ご本人は岐阜城で待機されており、半兵衛様が全体の指揮を取られると聞いたが…。
最近誰も訪ねてこないから何の情報も得られず、どんなふうに攻めているのかわからないし。気になるんだが…今の身分では仕方ないか。黙って此処を出て行くわけにもいかないし。
……?
何か悲鳴が聞こえた気が……。
俺は床に耳を当てた。……床下からは何も聞こえない。立ち上がって音を立てずに障子に張り付くと外の気配を窺った。わずかに土を踏みしめる音が聞こえた。
(誰かが屋敷の前を忍び歩いているようだ…。俺の周囲には近江小姓衆がいるが気づいていないのか?)
俺は部屋の周囲に座する小姓たちの気配を探る。……いつも通り4人いる。そして誰も庭を忍び歩くわずかな音に気づいていないようだ。
「…すまぬが。」
俺は意を決して声を出した。近くの小姓が振り向き「何か?」と聞き返した。足音は聞こえなくなった。振り向いた小姓が障子を少しだけ開ける。
「喉が渇いた。水を所望したい。」
俺の声に小姓が「お持ちします」と応えると障子を閉めてすっと立ち上がり本丸に繋がる廊下へ歩いて行った。
その途中わずかに足音が聞こえる。恐らく移動する小姓から見えないように体の位置をずらしたのだろう。俺はその音を頼りに凡その位置を把握する。それから残りの三人に向かって声をかけた。
「……血の匂いがするが、何かあったのか?」
その言葉で小姓たちが一斉に立ち上がり周囲を警戒し始めた。これで庭に隠れる何者かは身動きが取れなくなったであろう。そして水を取りに行った小姓が戻ってきて只ならぬ雰囲気に驚いて廊下で立ち止まった。…いい判断だ。さすが蒲生様の小姓衆。
気配で小姓たちの位置を確認して俺は障子を勢いよく開けた。そして誰かが隠れている方向を向いて大声で叫んだ。
「誰である!隠れておらず出てこい!」
その声に小姓たちが驚きつつも俺が怒鳴った方向を見た。声に驚いたのは小姓だけでなく、二の丸で働く女中たちも聞こえたようで、警護担当の侍女たちがやってきた。そしてその途中で何かを見つけて悲鳴を上げた。…やはり誰かが殺されていたか。
俺は一瞬だけ悲鳴を上げたほうを見てもう一度気配のするほうに目を向け睨みつけた。すると岩陰から観念したかのように一人の男が現れた。
二条昭実:五摂家と呼ばれる公家衆の中でも格の高い一族の出身です。史実では織田信長の養女さごの方を妻とし、関白にまで昇進しています。
鷹司信房:二条晴良の子で同じ五摂家の鷹司家を継いでいます。
堀秀重:堀久太郎秀政の父で織田信長に仕えています。本物語では秀政の移封に伴い、遠江についてきておりました。




